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01-3 俺達はもう世界への義理を果たした。あとは休ませてくれよ神様

 窓を直すのに思ったより時間がかかり、カラオケ、ケーキと辿ると、すっかり暗くなった。皆と別れアパートへと向かう道すがら、スーパーで半額になった弁当を買い、晩飯とする。


 富士見荘二十一号室。名前だけは景気がいいが、富士山が見えるどころかマンションやアパートに囲まれて、ろくに空も見えやしない。住人はとっくにボロ屋を見捨てて逃げ出しており、俺と、あと階下にお年寄りがひとり居住するだけ。


 大家が相続のごたごたを避けるために維持しているだけのアパートらしい。アパート前の道はぬかるみ、踏みしめると気持ちが悪い。でもこれまでの、「あっちの世界での人生」と比べれば、はるかに幸せだが。なにせぼーっと歩いていても、殺される心配はない。


 暗い部屋に入り灯りを点ける。冷えた弁当を食べ、お茶を飲む。今時古臭いわびしい蛍光灯の灯りに照らされているのは、積み上げられた何組かの布団と棚、食卓だけの部屋。悲しく感じられるかもしれないが、俺にとっては、心安らぐ空間だ。他人がどう思おうがかまやしない。布団にくるまって寝坊する日曜なんて、最高だしな。


 服は乱雑に端に投げられたまま。他にはなにもない。あえて言うなら、現代日本生存研究会の連中が遊びに来てそのまま置いていった雑多なブツが転がってるか。陽菜が忘れたぬいぐるみとか、ルナが置いていった一輪挿し、全員の歯ブラシに、絵里が寝るとき脱ぎ散らしてそのままのブラジャーとか。あいつ教師のくせに、生徒の部屋にこんなもん放って帰るかよ、いい加減な奴。


 このアパートは学校にも近いし、「部員」がしょっちゅう遊びに来る。女出入りが激しいと言っちゃえばそうなんだけど、そこから想像できるふわふわ、うきうきな部屋と異なり、ずいぶん荒れ果てた雰囲気だよな。それに別にエッチな展開もないし。今さら恋愛ごっこなんて、俺が第一求めてない。物理年齢としては高校生の俺は、正直、もうゆっくり「余生」を過ごしたいだけなんだ。


 それに恋愛についてはいろいろあるから、ここに現代日本生存研究会の連中が揃うと、なんかカードを全部裏にしてトランプやってるような雰囲気になる。


 ――まあいいや、俺は幸せだ。この平和な日本に生まれ、平和な時代を過ごしている。将来は小銭を稼いで暮らすだろうが、不満などない。日々息をするように自然に楽しく生き、いずれ年老いて霞のように消えてゆくだけだ。


 両手を開いて、じっと眺めた。高校一年生、もうすぐ十六歳になる手。武器など握ったこともない。ただ左腕に、常にかすかな違和感がある。ときどき疼くし、なんだかむず痒い。激痛を思い返して顔を歪め、俺は手を思わずさすった。


         ●


 ……気がつくと、そこは戦いの最前線だった。


 俺の目の前に、ヒトとも化物ともつかない異形のモンスターが並び、各々風変わりな武器を手にしている。


 人間を上下半分に叩き潰したような風琴ふうきん使いが抱えているのは、どう見ても鍵盤楽器にしか思えないが、武器だ。紡ぎ出す和音に従い、戦闘フィールドに敵方に有利な効果を付与するので、戦いにくくて仕方ない。


 長身有翼の女は、四本の腕にそれぞれ剣を構えている。そんなものを振り回せばそれぞれの腕が邪魔でろくな剣技など無理と思えるが、戦うと一分の狂いもなく見事に動き、機能する。長く伸びた剣の先は、ゆらゆら輝きながら揺れている。


 この揺れで間合いを測るのが難しく、数度斬り込まれた。傷は浅いが毒が塗られているようで胸が苦しく、眼も霞んできている。それを悟られないよう、俺は軽く左右に体を動かして、ことさらフットワークを強調している。


 エンチャンターのエリスが、俺の背後からサイキックドーピングを施し、痛みを和らげ敵への意識集中を助けてくれている。しかしエリス自身も負傷し腕から流血しており、もうあまり戦いを長引かせられそうもない。


 正面に立つ敵は、九股の鞭を持つゴーレムだ。その後ろには、赤金あかがねでできた大きな書物を手にした男。俺を値踏みするような目をして、酷薄な笑みを浮かべている。


 向こうにも「しおり」がいたのは誤算だった。俺の書の詠み方が、先ほどからすべて見破られている。


 栞が錆びた頁をぱらりと繰って、なにか呟く。ヤバい。俺の書の位相転換を妨げるつもりだ。その前にあわてて書を詠んだが、詠唱時間も頁選択の余裕もなかったので、いつもの神託紙剣に書物を変成させられただけだ。


 俺の詠唱時間のわずかな隙を突きゴーレムの鞭が一閃すると、刃物が括りつけられた鞭の先が、四方から一度に襲いかかってきた。


「シオンっ」


 オリガミ使いのアカネが、手にした紙を撒いた。あっという間にヒトガタとなってそれぞれ鞭に張り付き、弾かれながらも攻撃の威力を削いでゆく。


 俺の背後から急にルーナが消え、見事な跳躍で最後部に隠れていた風琴使いを襲って、鍵盤を叩き飛ばした。ガーディアンのサムライとはいえ、ニンジャ技も使えるところが、ルーナの優れた点だ。


「今だよっ」


 声に促され、軽く長い神託紙剣を振りかざしてゴーレムに斬りかかる。手応えはあったがコアまで剣が届かなかったのか、無命の怪物にダメージはない。


 ゴーレムはぞっとする叫び声を上げると、鞭を振り捨てた。俺を掴んで岩肌に叩きつけ、上から踏みつけてくる。凄い圧力だ。しかも足の底に呪詛の術が仕込まれているようで、踏まれた部位が焼け爛れるように痛む。


 剣は遠くに弾き飛ばされてしまった。


「――っ!」


 俺はたまらず唸り声を漏らした。パーティーからはすでに戦術的統制が消え、皆、個別の戦いを強いられている。


 ――だめかもしれない。


 ようやく、ようやくだ。あの激しい日々を潜り抜け、なんとか敵の本拠地に潜入し、闇の火山の爛れた火口すらこうして遠く見えているのに、「あいつ」まで届かず息絶えるとは……。


 これまで倒れた多くの同志、同胞、そして戦いに巻き込まれ死んだに違いない両親を思うと、ここで死ぬ我が身が悔しかった、身が焦げるほどに。視野の片隅では、武具召喚に失敗し序盤の劣勢を招いたミュジーヌが、懸命に武具再召喚を図っている。黄金に輝く六芒星ヘキサグラムと青藍の七芒星ヘプタグラムが地に展開されているから、一気に二種も喚ぶつもりなのだろう。だがそれは難度が異様に高い。


 ――か、母さん……。


 霞む頭に、言葉がそれだけ浮かんだ。母の名前はウンディーヌ。それだけ覚えている。


 子供の頃夢うつつで聴いた気がする子守唄が、頭の中に響いている。もう俺は上を向いて倒れたままだ。ゆらりと虚空が揺らぐと、冷気の煙を放出しつつ、大きなつららが現れた。ゴーレムに踏みつけられ身動きすら取れない俺の頭を、まっすぐに狙っている。どこまでも青い空で、小鳥が恋の歌をさえずっている。


 つららはゆっくりと、そして徐々に加速し、俺に向かい落ちてきた。


 言葉にならない自分のわめき声に驚いた。気がつくと体が軽い。ルーナ、今こそ反撃の好機だっ。叫ぶと俺もすかさず飛び起きて、手にした氷の書の頁を……。


 ……。

 ……。

 ……。


 氷の書など、持っていなかった。


 頭を振って見回すと、古臭い木枠の窓が見える。身に巻いているのは防具ではなく、パジャマ代わりのジャージ。そして立っているのは、瘴気あふるる魔の山の麓ではなく、いつもの布団だ。


 ――夢か。


 魂の底から、長く長く息を吐いた。ぬるぬるした気持ちの悪い汗が、額から次々に垂れ、目に入る。それは目からも流れ落ち、涙のような筋を顔に作った。


「どうにも今日は、重い夢だったな」


 思わず苦笑いだ。


「どうせならいつものように楽しい夢、うまい飯の夢とかだったらよかったのにな」


 まあ、たまにはこんな日もあるさ。


 壁際に近寄ると、きしむ窓を開けた。夢で見た闇の火山の空よりも、現実の空はくすんでいた。春だというのに重苦しく、気が滅入る。……ただ。ただ夢で見たのと同じように、どこかで鳥がさえずっていた。


 ここはニホンだ。イヴルヘイムの影すらない。今日も学校だ。


 なんて、のんきに構えていたわけだが、その日受けたエリス――絵里の授業で、俺は、トンデモもない光景を目にすることになる。

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