01-4 迷い猫「ちくわ」の正体
「待てよお前ら、これ女子が胸に着ける奴じゃん。いわゆるブラ――」
「男性用対人欺瞞アンダーアーマー」
我関せずといった表情で、ルナが淡々と解説する。
「どこがじゃ」
「ただのブラじゃないし。胸のない男子が着ても問題ないよう、カップ部分が強化されてるから。これ着けてジャージ……じゃなかった対人戦闘用軽装備アーマー着れば、女子に見えるから。オプションの男性用対人欺瞞ヘルメットもあるし」
タクティカルダッフルから、今度は長髪のヅラを出してみせた。
「お前なあ……」
それから十五分ほどすったもんだあって、多勢に無勢で押し切られた俺は、いやいや女装するハメになった。
「ぷぷっ。思音似合ってるよ。顔がかわいいから、女子に見えるじゃん。……あたしの奴隷三号にしてやろうか」
「わあー、やっぱり絵里ちゃん、女子にセクハラを……」
「ご、合意の上だし」
「もういいよ。それ。さっさと行こうぜ恥ずかしいから」
「ご主人様に新しい属性が」
「思音、ヤケになってるじゃん。おっかしー」
そんなわけで、ふたりローテーションで、女子寮各階を流し始めたわけさ。なにせ元女子校だから女子寮は男子寮より大きい。五階建てで、ざっくり見て回って戻ると、二十分くらいかかる。連絡用に、スマホを常時通話状態にして持ち歩いて。
その夜、あれが起こった。そう、ちょうど二巡目のローテーションに入った頃だから、深夜二時くらい。あかねと組んだ俺が四階の隅、廊下の角を曲がったところで、前方五メートル先に、黒いジャージの後ろ姿が。人目をはばかるかのように、左右を窺いながら抜き足でじわじわ歩いている。
あかねが俺を肘で突いた。頷いた俺は、スマホのマイクを四回指で叩いた。前もって決めておいた合図で、四階を意味する。前階段と後ろ階段を使って、全員で挟み撃ちって作戦だ。
動きを止め、俺とあかねは、敵?の行動を見守った。中肉中背。キャップから髪があんまりはみ出していないから、たしかに男子にも女子にも見える。
そのとき、不審人物が端の扉に触れて声を出した。
「……ちゃん。……ちゃん」
小声なのでよく聞き取れないが、誰かを呼んでいるようだ。あかねがこっちを見て頷いた。声は女子だ。間違いない。
急に、ドタドタ音がした。前階段から、大股で絵里が駆け下りてくる。あの野郎、隠密行動だって言い聞かせたのに。それでも世界を救ったスカウトパーティーの一員かよ。
「曲者っ。御用だよっ! はわっ! はわわわわーっ」
これはもちろん陽菜の声な。時代劇動画にハマってるのが、一目瞭然というか。案の定、階段でつんのめって転んでるし。
人影が後じさりした。そのまま反転し、駆け出す――とそこには、俺とあかねがいる。よっぽど驚いたのか、飛び上がってそのままへたりこんだな。
「いやっ! 誰、あんたたち」
「お前のが不審者だろ」
「その声。男じゃん。こここここ、男子禁制だよ。それになに女装なんかして。この超絶ドヘンタイ!」
いやへたりこんだまま罵られても。
「いいのよ、彼は。先生が頼んだの。夜中の見回りは、女子だけだと物騒だから」
おっ絵里、珍しくナイスフォロー。取り囲んだ俺達六人を、その女子は見回した。
「あっ。ヘンタイ部活の――」
余計なお世話だっての。どうにも、現代日本生存研究会に関する校内の噂、ろくなもんじゃないな。
「とにかく、事情を聞かせてもらうよ、森本さん。……たしか、二年A組だよね」
教師だけあり、絵里には見覚えがあったようだ。
「は、はい……」
例のお仕置き部屋で、森本さんは、俺達に事情を話した。割となんてことない話で、要は二週間ほど前の夕方、学園敷地内の裏庭をうろついている野良猫を拾ったと。ガリガリに痩せてて、なにかを探すかのように、クンクン匂いを嗅ぎまくってたそうだ。
調理実習の余りのちくわを与えると、うれしそうに食べる。帰ろうとするとついてくるので困ってしまい、とりあえず女子寮の倉庫に隠した。ちくわが大好きなようで何度も与えるうちに、ガリガリ猫はみるみる太ましくなった。情も移ってしまい、引き取り手が見つかるまではと、そのままそこで世話をしていた。――とまあ、そんな話だった。
「なあんだ、猫かあ……」
あかねの奴、露骨にガッカリしてやんの。そりゃまあ、幽霊でもなかったし、禁じられた男女のアレコレでもなかったからな。女子路線ざまあ。
「それより猫、どうすんの。いつまでも隠しておけないでしょ」
「はい先生。あたしも正直、毎晩夜中にこそこそ世話するのがキツくなってきてたんで……。その……、美里先生飼ってくれませんか」
「えっ、あたし?」
「はい。教師なら寮でもペット可ですし。あたしもたまーに見に来れるから。……いえ、引き取り手が見つかるまででいいんです。ねっお願い」
「そう言ってもねえ……」
首を傾げたまま、絵里は眉を寄せている。
「とにかく、その猫を一度見てみましょう。どちらにしろ獣医に一度見せたほうがいいし。場合によってはワクチンとか射つでしょ」
ルナの好判断で、例の倉庫に行ってみた。
「にゃーんにゃーん。ほら、ちくわちゃん。人多いけど、怖くないよー」
森本さんが文字通りの猫なで声を出すと、積み上げられたダンボールの奥の暗がりで、ふたつの瞳が光った。「ごあーご」と、猫にしては怪しげなしわがれ声がする。転生前に死ぬほど耳にした、ドラゴンのブレス音に似ている。
のそのそと、めんどくさそうに暗がりから出てきたのは、ハチワレ猫だ。お腹と脚の先が白で、背中と頭の「頭巾」部分は、黒に近いグレー。猫にしてはけっこう大きくて、脚も妙に太い。
「これは……」
ルナが絶句した。
「はい。これがちくわちゃんです。……ほら、ご挨拶して」
「ごあーごごあーご」
愛想鳴きしたものの、ダンボールの脇から出ては来ない。注意深く、こちらを窺っている様子だ。
「空、あんた森本さんを避難――じゃなかった、お仕置き部屋――でもなかった、とにかくあの部屋に連れてっといて」
「わかってる、え――美里先生」
不審がる森本さんを、あわてた様子で、空が連れ出した。
「ごあーごごあーご」
ちくわは、まだ鳴いている。
「ちょっとあんた。いつまで猫かぶってんの」
「ごあーご」
「あんた、ケットシーだろ。モンスターじゃん」
「ごあ……」
絵里が告げると、ちくわは鳴きやんだ。面白そうな瞳で、こちらを見回している。
「……おや、わしの正体を知ってるとはね。……あんたらが、『あっちの世界』から転生したとかいう、勇者様の御一行かな」
流暢に喋り出した。
「やっぱり」
「あんた。あたしたちとおんなじところから来たんだろ。どうやって来たのさ。なんの目的で。あたしたちのこと、なんで知ってる」
「おやおや、一度に聞かれると、答えられないじゃないか。……ならまずは、そちらの実力を見てみないとな」
不気味に笑うと、獲物を狙う肉食獣のように、体を縮めた。まさにこちらに飛びかかってくる体勢で。
「あかね。オリガミ撒いて! 来るよっ!」
ルナが叫んだ。




