10-1 円城寺学園体育祭。現代日本生存研究会の本懐、ここにあり!
秋が深まり、円城寺学園に体育祭の日が来た。秋にしては豊かな陽光が射し、暖かい。校庭には全校生徒が集まり、ころころ変わるクラス順位に一喜一憂していた。
学年を通してのクラス対抗。プログラムもほぼ消化を終え、A組優勝はほぼ決まり。C組とD組が2位を争っている。
そしていよいよ、クラブ・顧問対抗リレーの順番が来た。下位が決まったクラスでも盛り上がれるこの種目は、毎年、裏の人気プログラムとなっている。本命は陸上部、対抗がサッカー部。ちなみに大穴は、匍匐前進なら速そうなミリタリー研究会だ。
そこに現代日本生存研究会がエントリーし、学園の噂を呼んだ。なんといっても現代日本生存研究会は、自慢じゃないが「すべてにおいて」やる気がない。四月の設立以来半年で、そのことは学園に知れ渡っている。
『クラブ・顧問対抗リレー、第三グループ、選手の方はスタンバイしてください。第三グループは、陸上部、水泳部、サッカー部、現代日本生存研究会です――』
アナウンスが流れると、ひときわ高い歓声が上がった。なんといっても、優勝候補がふたつも揃った「死のグループ」だ。現代日本生存研究会を除けばすべてが運動部で、校内の予想では、もちろん現代日本生存研究会は最下位である。
「いよいよ、俺達の力を学園に見せつけるときが来た」
「わあー楽しみ。陽菜もやっと杖外れたし、今日は喘息ですー。ごほごほ」
「陽菜あなた、それを言うなら『全速』でしょ」
「あっそうだった」
てへぺろっと舌を出す。
「ルナちゃんのほうこそ、大丈夫ぅ?」
「もう平気よ私は。それに文武両道が一文字の家訓だもの」
長い髪をポニーテールにくくったルナが、にっこり微笑む。
「あんたは文武武武武両道くらいだろ」
「それより絵里、あんたちゃんと酒抜いてきたんでしょうね、昨日」
「あ、あはははははーっ」
「……また始まった」
これまたポニーテールのあかねが、腕を腰に当てた。ちなみに絵里先生は髪をくくるような面倒なことはもちろんしないので、大きく広がって、いつもと同じく、ほうきのようになってる。
「空は無理しなくていいからな。俺がカバーするから」
「ご主人様……」
「だあーっ。またそこ見つめ合ってえ……」
「空、あんたちゃんと、きついスポーツブラしてきた」
「えっ……は、はい」
うつむいて、胸を手で隠した。
「あんた、でかいんだし。胸が揺れると脚の運動エネルギーがそこから熱エネルギーになって抜けちゃうんだから、遅れが出るよ。運動量保存の法則。パイあると事情」
『恐怖の歴史教師』美里絵里先生は、物理方面もかなり怪しいようだ。ちなみに一文字学園女子体操着は白シャツ短パン姿だが、転校生の空はブルマ着用で、一部男子の注目の的だ。絵里は絵里でなにも気にしないむっちりスパッツ姿で、これまた一部男子と教師の熱い視線を集めているけどな。あいつ、もしかして下着も穿いてないだろ。
「いいかみんな。『力』は使わないこと。約束だぞ。それで完膚なきまでに他のクラブを叩き潰し、現代日本生存研究会ここにありってのを見せるんだからな」
「わかってるわよ、思音」
「特に絵里な。ドーピングするなよ、お前」
「ちぇーっ、受験より厳しいじゃん」
思わず不正受験を漏らした絵里に、ルナが溜息を漏らした。
「ドーピング&カンニング受験なら、そりゃ『絶対美里史観』教師が生まれるわけだ」
「なにそれ、思音」
「なんでもないって」
「それより早く。……ほら思音」
「よし、いいか。現代日本生存研究会ーっ、ファイトおっ!」
「ファイトーッ!」
円陣で声を揃えると、俺達はそれぞれのスタートポジションについた。六百メートルのトラックを、ひとり百メートルずつつなぐ。
スタートがあかね、次にルナ、空と続く。後半は俺、陽菜。アンカーは顧問枠で、もちろん絵里だ。
俺の位置から見回すと、全員、脚をストレッチしたり肩を回したりしてやる気まんまん。えーと陽菜の奴、ストレッチで早くも転んでるけど。どういう運動神経だ、あのツルペタ。
号砲が鳴った。
あかねは完璧な滑り出し。スタート得意の陸上部すら後方に追いやり、どんどん差をつけてゆく。思わぬ伏兵に、観客が喜んでいる。
「ルナっ」
「任せて」
流れるような連携でバトンを受けたルナが、さらにリードを広げる。空につなぐ頃には、陸上部とサッカー部の男子相手に三十メートルはアドバンテージを積んでいた。
「空っ」
「はい」
バトンを受け取った。必死で脚を動かしてるのはよくわかるんだが、きれいなフォームとは言えない。胸も重いんだろうし。なんだあの猫背ストライド。
とはいえ、なんだか応援の歓声が凄い。ブルマだし、巨乳が揺れてるし。気のせいか記録担当・映像研究会のビデオカメラが、空ばかり撮ってる気がする。なんかレンズが大きくズームしたし。
リードが半分以上なくなった。
「ご……ご主人……様っ」
息も絶え絶えでバトンを突き出している。
「よくやった」
揺れるバトンを受け取ると、走り出す。前を向いて息を詰め自分の限界まで頑張ったが、やっぱり本職にはかなわない。さらにリードを縮められた形で、陽菜にバトンを渡す始末となった。
「陽菜っ」
「はいっ。バトンを……バトンを、はわっ、はわわわわーっ」
バトンを受け取ると、手が滑ったようで落としそうになった。そのまま両手でバトンをなんとか掴もうとして大騒ぎしている。陽菜お前、それ鰻とかじゃないぞ。
「あわわわわーっ。どいてどいて~っ」
「うわわわーっ」
手から逃れようとするバトンを追い、トラックを離れ蛇行しながら、陽菜は観客席に突っ込んだ。助け起こされ、バトンもらってお辞儀してる。そんなヒマあったら、早くコースに戻れっての。
「陽菜、いっくよーっ」
かけ声だけは勇ましいけどなあ……。案の定、きっちり十メートルおきに転んでるし。陽菜時計の次は陽菜定規かよ。ただもちろん、陽菜の胸部アーマーを熱愛する一部男子には受けてたな。吉川の奴も、なんか知らんがそっと目頭を押さえてたし。
「ひ、ひいひい……。え、絵里ちゃん……」
「よく頑張ったね、陽菜。任せて」
陽菜はもちろん「全員からごぼう抜き」なんて程度では済まなかったので、絵里にようようバトンが渡ったときには、すでに他のチームは全員ゴールテープを切っていた。
……ただ、ここからが凄かった。バトンを握り締めた絵里は、カンガルーのような跳躍で疾走を開始、観客席の生徒教師が目を剥く俊足で、誰ひとりいないトラックを走り抜ける。すでに勝負あったと気が抜けていた校庭に、次第にざわめきが広がった。
トップでゴールを決め、スポーツドリンク片手にすっかり余裕で後続を眺めていた陸上部顧問の男性教師が、あんぐりと口を開けた。
「おい、美里先生のタイム、取ってたか?」
拳を高々と突き上げた絵里が張り直されたゴールテープを切ると、かたわらの部員に訊く。
「き、九秒六九」
ストップウォッチを握り締めた坊主頭の陸上部員が、青くなっている。
「バカ言うな、男子の世界記録レベルじゃないか」
「ほ、本当です」
「なんでそんな人がこんなところで……。よりにもよって『現代日本生存研究会』なんかに」
実業団の知人にこの逸材の件を連絡しようと、顧問は心に決めた。




