08-2 陽菜の病室で、なぜ涙が出たんだ……
「――そんなわけなんだよ」
「へえーっ。位相転換に成功? わあーっ」
ベッドに腰をかけ、俺の椅子に向き合って、陽菜はにこにこ微笑んでいる。かわいいパジャマを着て、胸は……やっぱりないか。同室のサラリーマン、隣田さんは、ヘッドフォンをして壁を向き、一心に音楽を聴いているようだ。
「あーっ、胸見てた」
「……いや別に」
「ここだけの話」
口を寄せて、陽菜が声をひそめた。
「うん、なになに?」
俺も思わず小声になる。
「陽菜のおっぱい、ちょっとだけ大きくなったんだ」
「えっ」
思わずのけぞった。嘘つけっ。
「この間、間違ってブラジャーを連続十八時間洗濯したら、もうキツくて。それはAAのブラだったんだけど、もう陽菜、AAは無理ね。Aだとまだちょっと余るんだけど、うんそれは勘違いで、きっとAがジャストサイズなんだよ。というか、もうAでもキツいのかも。今度Cカップの買おうかなあ、はあ」
「わあ~凄いな~」
「でしょでしょ」
陽菜、それはAAのブラジャーが縮んだだけなのでは。――と思ったが、かわいそうなので言わないでおいてやる。
「だからその……。ちょっとだけ、感触確かめてみて、おっきくなった陽菜の胸」
まっかになってる。
「ほら、キュッポンって」
「だからクマさんパジャマのボタン外すなって。人もいるのに」
「えーっ、ケチ。ならいいや。退院したらね」
「お、おう……」
口を尖らせながら、陽菜はボタンを留めてゆく。
「それより、陽菜のマタタビと同じ石って、なんなの?」
「ああ、ルナが見つけてきてさ」
「ルナちゃんが……? ふ、ふーん……」
目がくりっと動いた。驚いているらしい。
「ああそうさ。さすが一文字ファミリーの情報力だな」
「そうだよねー」
にこにこしている。
「絵里には話したんだけど、あいつ今日から急に出張だって興奮してて、まともに聞いてくれなくてさ」
「出張?」
「そうさ、一文字学園と合同のセクハラ研修とか。コウベビーフとか大騒ぎでさ」
「へえーっ」
「あと、あかねにも伝えておくかな。あいつとはここのところ疎遠だったし。空の位相転換を知れば、喜ぶと思うし」
真面目な顔で、陽菜が急に俺の手を取った。小さな手で、ぎゅっと握っている。
「あかねちゃんには、陽菜から話しておくよ。まだ気まずいでしょ」
「ま、まあな。……では頼むか、陽菜に」
「うん、任せて。……ほら、キュッポン」
俺の手を胸に押し付けた。そのままゆっくりと動かしている。
「思音……、もっと」
「……お前」
「そう……キュッポンって動かして……」
「しょうがないなあ……」
苦笑して、そっと陽菜の手を取った。
「陽菜は変なことしないで、そのままのほうがかわいいよ」
「ほんとー? じゃあもうやめるね。……ただ陽菜、おっきくなったら思音も喜んでくれるかなあって」
「ありがとう。陽菜のおっぱい触り心地良かったぜ。もうわかったから、これからは、なしだぞ」
「うん、ありがと。頑張って大きくするね。ふたりの……ふたりの子供のために」
言ってから、俺の目をじっと見つめている。。
「……そうだな。いつか俺の婚約者がわかるかもしれないし。今の俺は前世で疲れ切って心が死んでいるけれど、もしかしたら、そのうち動き出すかもしれない。カラッカラに乾いた種が雪の中から芽を出すように。もしそうなったら……もしそうなったら、陽菜やみんなとも、もっと……もっと、本当の意味で仲良く……なれるかも……」
「……どうしたの、思音。泣いてる」
「えっ?」
気づかなかったが、俺の目からは涙があふれていた。陽菜が心配気に俺の顔にそっと触れる。
「ごめんね、きっと陽菜が悪いんだよ。思音のこと傷つけたんだ。どこか深いところで」
「違うさ。違うんだ、陽菜」
小さな手でなぐさめられながら、白く無機質な病室で、俺は涙を拭った。
そして翌日、とうとう「アレ」が起こった。
平日更新のため、次話公開は4/2月曜夜になります。
次話からいよいよクライマックス突入!




