07-2 楽勝富士登山!……のはずだったんだが……
「ふざけんなよ、これ。どういうことだよ」
はあはあ息を切らして、俺は、ようやく絞り出した。
「あら、なにか問題?」
あかねは澄ましている。
「なんで全員の荷物、俺ひとりで持ってるんだよ」
「男でしょ」
「男だもん」
「ご主人様だし」
「リーダーでしょ」
「リーダーだ」
「奴隷扱いのリーダーなんてゴメンだがな」
ここは富士山須走口。五合目を出てまだいくらも歩いていないというのに、もう俺の足はがくがくだ。だってそうだろ。リュックを器用に三重に背負った上に、トロリーっていうのか? クマさんの小さなゴロゴロまで引いて。
「だいたい陽菜。お前、登山するのにゴロゴロバッグってなんだよ」
陽菜は、屈託なく微笑んだ。
「だってえ……。だらりんクマさんのバッグ、それしか持ってなかったんだもん」
「おーまーえーっ」
「ひ、ひたいひたい。にゃんでヒオンまで……」
よく伸びるほっぺだ。あかねにつねられ続けた甲斐があったな、陽菜。ばたばた暴れて面白いし。バッタ捕まえたときみたい。
「ちょっと休憩する? 思音がこんなだし」
「えーっもう? 想像以上になまってるね、転生して」
絵里が腕を組む。
「仕方ない、ドーピングしてあげる。疲れが取れるように、ほら」
俺の隣に腰を下ろした絵里は、乱暴な言葉とは裏腹に優しく腕を取り、そっと撫でてくれた。
「……すぐ楽になるし」
「うん……」
「どう?」
「ああ」
疲れが取れるというより、術者の気持ちが手から入ってきて癒してくれる感じ。あまりの心地良さに思わずうっとりとなって、頭をもたせかかった。豊かで温かな胸が、俺の頭の下で、呼吸に合わせてゆったりと上下している。絵里の汗の匂いがする。絶望パーティーが荒野をさすらっていた頃の、あの懐かしい。
「これはね、特別なヒーリング。だって、あたしの心が入ってる。思音はわからなかっただろうけどさ、ずっと昔から、あたしの心は思音でいっぱい。それがあふれ出してる。……ねっ気持ちいい?」
「うん……」
「ねえ……今晩、そっと抜け出そうよ、ふたりで」
「断る」
「……。先生、もうやーめたっと」
ほっと息を吐いて、絵里は立ち上がった。
「……あとは空に任せるわ」
「はい……」
絵里がいなくなると、なごやかな温かさは消えた。少しさみしかった。ちょっと冷たくしすぎた。明るく振舞ってるからつい忘れがちだけど、絵里だって討伐の旅で心はズタズタのはず。それにそもそも、差別されてきたダークエルフの一族だしな。
もっと優しくしてやれば良かった。悪いことしたな、ごめん。今晩、少しなら付き合うよ。
空は、俺の肩を揉んでくれている。
「それより、陽菜。水は?」
「そうそう。飲み物担当でしょ、あんた」
「えっと、クマさんの……」
ごそごそ中を漁っている。
「え、えーと……」
もじもじしている。
「いいわ、言わなくて。想像つくから」
「罰ゲームの罰ゲームの罰ゲームだな。陽菜。ちょっと戻るとすぐ売店だ。水買ってこいよ、ほら、お金は出すから」
「えーっ、陽菜があ?」
「当然だろ」
「陽菜で大丈夫? あんた行きなよ」
「あかねお前、こんだけ荷物持たせといて、鬼かよ」
「悪かったね、鬼で」
小さなリュックを空にすると、陽菜に渡した。これ背負ってれば、転んだってそうそう怪我しないだろ。部室で倒れても壁のほうが凹むくらいだからな、石頭+ツルペタ鉄板アーマーの威力で。
「……じ、じゃあ行ってくる」
しぶしぶといった感じで立ち上がる陽菜に、手を振ってやる。
「戻ってきたら、俺持参のクマさんキャンディーやるから、頑張れ」
「だらりんクマさんの? それなら、陽菜張り切るよ。オマケのステッカーもちょうだいねっ」
急に元気になりやがった。現金な奴。
陽菜が消えて俺達が一服した頃、悲鳴が響いた。陽菜だ。例によって転んで……じゃないな。もっと切実な叫びだ!
「陽菜っ!」
立ち上がると、すでに全員が駆け出していた。アスリートらしい大きくきれいなストライドで、絵里が先頭を走っている。
「陽菜っ」
「……」
「陽菜っ」
陽菜は、登山道から少し離れた場所に倒れていた。誰がどう見てもただの一本道なんだが、例によって「なぜか外れちゃった」んだろう。陽菜の脇には、直径一メートルほどの岩が転がっている。三トンはあるはずだ。
「どうしたの、陽菜」
「か……あかね、ちゃん……」
足を押さえて苦痛に顔を歪めている。手をかざすと、絵里がドーピングに入った。サムライらしく持参していたコンバットナイフを抜くと、ルナが手早く陽菜の登山着を切り裂いた。白い肌に赤い傷が覗いている。血はさほど流れていない。
「膨らんできた。内出血ね。開放骨折ではないけれど、中で折れてるかもしれないわ」
ルナがそっと足を触る。
「い……痛い」
陽菜が辛そうな声を出す。
「この岩?」
「そ……そう。ひ、陽菜が歩いてたら、上のほうから急に転がってきて。音がしなかったから気が付かなくて……。とっさに魔法の盾を召喚して防いだんだけど、ちょっとだけ間に合わなかったみたい」
「下りましょ。幸い登山口まですぐだし。一文字の車が待ってるから、病院に。立てる?」
「う、うん。絵里ちゃんが楽にしてくれたから。……でも肩を貸して。歩けない」
「ほら思音、あなたの出番よ。私はここで一文字の車に連絡してから続く。思音が仕切って下まで進んで。絵里はもちろんドーピングで苦痛を和らげながら同行。あかねと空は悪いけど、上から荷物を引き上げてきて」
「うん、わかった」
ルナの指示で、俺達は動き出した。陽菜に肩を貸したが、ちょっと身長が違いすぎる。
「陽菜、抱くぞ」
「うん」
陽菜が俺の首に腕を回す。小柄な体を抱えると、足場に注意しながら進み出した。――軽い。陽菜って、こんなに軽かったんだ。
「ごめんな、陽菜。俺のせいだ」
「……いいの。陽菜がドジなんだもん。討魔の旅でもこの世界でも、いっつもみんなに迷惑かけてるし」
俺の首筋で、そっと囁く。陽菜の吐息が当たる。
「ほら大丈夫? 思音。足元ふらついてるよ。そこ、右通って」
「ありがとう、絵里。下が見えにくい。うまく誘導してくれ」
「うん。陽菜、頑張るのよ」
「いやだあ、絵里ちゃん。陽菜が死ぬみたいに。あの日々に比べたら、こんなの蚊に食われたくらいだもん。それに陽菜、いつ死んでもいいし」
「……あんた、こっちでもその人生観なのね。根っから傭兵だわ」
「えへっ。でも心残りはあるかな……」
陽菜が、腕に力を込めて、俺の頭を抱えた。
「……」
「……お前」
「え、えへへへーっ。キスしちゃったあ」
「嘘でしょ……。この悪魔ロリッ!」
「ふふーん。だって、あかねちゃんだってしたでしょ、沖縄で。空ちゃんは首だけどキスしてたし。陽菜だけ損だもん」
「あ、あれは覚えてないもの、あたし。こっちのが損じゃん」
「覚えてないのは、あかねちゃんが悪いんだよ。飲みすぎるから。ふふーん、陽菜、今日のキス、死ぬまで忘れないもん」
「健全な高校生がキスなんかしていいと思ってんの」
「女性教師が教え子にキスを強要するほうが不健全だと思うな、陽菜」
「なんだよ、陽菜ったら余裕こいちゃって。ならいいよ。こっちだって今するから」
絵里が襲いかかってきた。――としか言えない雰囲気。モンスターかよ。
「よせよ絵里、危ないだろ。怪我人を抱えてるってのに」
鼻息の荒い絵里の攻撃をかわしながら、抗議した。
「いいからこっち向きなよ、思音。小娘に見せつけてやるんだから」
「えへへへーっ。美里先生、ご乱心ーっ」
「うるさい、このツルペタッ」
「キスって、こんな雰囲気で交わすもんじゃないだろ」
「いいんだって。やったという事実があれば」
しまった頭を掴まれた。顔が近づいてくる。
「だから、お前とは沖縄で……」
「覚えてないし。あんなの無効も同然じゃん」
「えへへへーっ」
「……なに暴れてるの?」
「あっ……ルナ」
ルナは腕を組んであきれ顔だ。気まずそうに、絵里が離れた。
「なんか絵里ちゃんが急に狂って。映画のゾンビみたいに」
陽菜が、しれっと舌を出す。
「絵里あなた、陽菜を病院に運ばないとだめでしょ。思音がバランス崩して倒れちゃったら、怪我がひどくなるじゃない」
「それはそうだけど、……その」
下を向いて、小石を蹴ってる。怒られた小学生かっての。
「なによ」
「キ、キスが……」
ぶつぶつ呟く。
「なに?」
「いいえ、なんでもない。早く下りましょ」
自分を納得させるかのように手を振ると、「引率の教師」は、すたすたと登山道を下り出した。もう入り口が見えている。




