二年前、夏、都内ターミナル駅前
その年は異常気象だった。真夏のようなどしゃぶりが春に続いたかと思うと、梅雨明けには異様に気温が上昇し、冷房需要で膨れ上がった東京都内の消費電力は早、真夏の気配。コンクリートとアスファルトでできた街には熱気がゆらぎ、このターミナル駅でも、駅前広場を行き交う人々は、誰しも汗だくであえいでいた。
広場の片隅、噴水のおかげでわずかに涼しい木陰のベンチに、人待ち顔の女子中学生がいた。灰色の道路にクリーム色の噴水、褪せた緑のベンチ。彼女は白い夏服のセーラーを着て、短い髪を無造作にピンで留めている。ありきたりで投げやりなスタイルだが、整った小さな顔ときれいに伸びた足は隠しようがない。
おとなしそうに見えるのだが、五分に一度はやってくるナンパを、めんどくさそうに手を振って邪険にかわしている。気色ばんだ相手が凄んでも、怯む様子すらなく睨み返す。男が捨て台詞を残して消えてしまうと、溜息をついてスマホを取り出し、一心になにかいじっている。
彼女を端でずっと見ていたとしたら、デートの待ち合わせでもしているのだろうと思ったはずだ。実際、営業をサボりながらひとつ横のベンチでサンドイッチを食べている若いサラリーマンは、そう判断していた。かわいいし、もう少し大人だったら俺が相手してあげてもいいのに――くらいは考えて。
シャツ姿の小柄な男子が近づいてきた。こちらも中学生に見える。当然だがサラリーマンは男には興味がないようで、人相すら見もしなかった。もっと無難な場所で待ち合わせればいいのにと、サラリーマンは余計な心配をした。
男子が口を開いた。
「えーと工藤……、工藤あかねさん?」
やはりデートか。人づて告白組かな。横目で見ながら最後のサンドイッチのパッケージを開けたサラリーマンは、意外な言葉を耳にした。
「やっと会えたね、北方狐の赤い遺児」
女子中学生が、満面の笑みでそう答えたのだ。
「とうとうだ。懐かしいぞ、紙人形の王、いや女王」
――えっ、ひんなってなに? キツネ? 王?
手にしたサンドイッチに蝿がたかったが気づかないまま、サラリーマンはふたりをまじまじと見つめた。顔立ちは別にして、どうひいき目に見ても、ごく普通、やや地味めの中学生カップルだ。テニス部の、それも軟弱幽霊部員くらいの。
男の子が手を差し出し、ふたりは力強く握手している。カップルっぽくない。なんだかオヤジのようだ。
「『みんな』は来てるのか?」
「エリスはね。なんだかフケてるけど」
女子が微笑んだ。
「他はわからない。多分『来てる』はずだと思うんだけど。……あっでも、ミュジーヌは見つかるかも。こないだ検索してたら、怪しい書き込み見つけたから」
「戦道具七百の遣い手か。会いたいもんだ。――いや、会いたくはないか」
どこがツボにハマったのか、ふたりは大笑いし始めた。笑いがずっと続いたので痛むらしく、しまいには脇腹を握ってひいひい言っている。
「……そりゃそうか。でも集まらないとね。あたしたちが、あたしたちであるために」
「そうだな。お前も前世の能力、受け継いでるのか」
「まあね」
「チートだな。この時空では、誰もそんな力持ってないしよ」
「使わなくて済めば、それに越したことないでしょ。……それより、あんたのほうはどうなのよ。おっさん」
言いながら、女の子はベンチから立ち上がった。学校指定のダサい鞄を重そうに抱えると、男の子の手を取った。
「俺か? 俺はまあ、中学生だ」
ようやく収まったばかりというのに、そのひとことで、また痙攣するような笑いがぶり返した。苦しそうに身悶えするふたりを、今やサラリーマンだけでなく、何人もの人がいぶかしげに見やっている。
――なんだありゃ、ソシャゲの厨二ギルドかなんかか?
目の前のスクランブル交差点が青になり、ふたりは横断歩道に足を踏み出した。左右から人が押し寄せ、後ろ姿をかき消してゆく。サラリーマンが最後に耳にしたのは、「そう……ば、あん……おぼ……る? こん……と」「……れはまえ、おまえか……いて……ぼえ……てぃ……にい……」という、雑踏に紛れた会話の断片だった。
近くの公園から飛んできたのだろうか。大きなアゲハ蝶が、ゆらゆらと優雅に駅前を流していた。空を仰ぐとそれはどこまでも青く、魂が吸い込まれそうなくらい。
――いかんいかん。営業少しはしとかないと、日報すらごまかせないじゃん。課長やかましいしなー。「隣田、またサボってたのか」とか。
無線機器のカタログが詰まったショルダーを肩にかけると、サラリーマンは、駅前の雑居ビルへと吸い込まれていった。