03-4 ラブレター差出人の超絶正体
「背中向けたほうがいい?」
あかねが絵里を背にする。
「そうだな。そのほうが慣れてるし。……ああ、なんだか懐かしいじゃんか」
目を細め微笑むと、一転、真面目な表情となって、絵里は両手をすっとあかねにかざした。目には見えないが、あかねの周囲で空間がわずかに歪むのがわかった。
「あっ」
なにかを感じ取り、あかねが思わず漏らす。
「さあ……あかね」
「うん……」
あかねは、折り紙の燭台を手に取った。目を閉じて触り、折り目の感触を確かめるかのように、あちこち撫でている。
「えっ」
絶句すると、あかねが目を開いた。
「……思音が出したんじゃない」
「ほらみろ」
ほっとして叫んだが、その後に続いたあかねの言葉で、俺はさらに窮地に追い込まれた。
「思音が出したんじゃない。思音は『もらった側』よ」
「……」
「……」
「……」
無言。それからルナが。
「どういうこと? あかね」
「わからない。ただ、なにか手違いがあって、思音宛のラブレターが真弓ちゃんのところに届いたんだ」
「真弓ちゃん、一Aよね」
「そう。思音は一C。一Aと一Cだから、下駄箱は一列違い」
「そこで間違えたのね、おそらく。……そんな間抜けなとこで失敗してるんだから、情報に疎い学校部外者の可能性が濃厚ね」
「……説明しなさいよ、思音」
「いや、説明もくそもだな、あかね」
あかねは俺を睨んでいる。
「そんな目で見るなっての。知るわけないだろ。仮に俺宛のラブレターだったとしても、もらったのは俺の責任じゃないし」
「そりゃそうだけど、なんとなくムカつく」
俺の胸ぐらを掴んで、ぐいっと引き寄せる。
「あかねお前、胸が当たってるぞ」
震度四の奴……とは言わなかったが。
「いやらしいわね。こいつ」
憎々しげに言うと、手を放した。
「それより誰が出したかよ、これ」
ルナは冷静だ。
「筋トレマニアの男で、学校部外者ってことでしょ。……ということは」
「ということは?」
「この間のムキムキではないかしら」
「オーバーロード半壊事件のときのアレか?」
「ええ」
「あいつしかないか」
絵里が首を縦に振る。
「ムキムキ、オカマキャラ、学校部外者とくれば。実際この間思音にちょっかい出してたわけだし。ぷぷっ」
噴き出して、大声で笑い転げた。
「おめでとう思音。初ラブレターは、男からー」
「思音あんた、なんのつもりよ」
またあかねが迫ってきた。胸が当たろうがお構いなしに。
「だから知るかっての」
「いいわ。誰が出したか、きちんと調べるから。絵里っ」
ぷいと背中を向けた。
「またあ……? めんどくさいわあ、先生」
テーブルに突っ伏す。ばさーっと、ボリュームのある髪が流れる。手入れもろくにしてないに違いないのに、きれいな髪だ。ま、ほうきみたいだけど。
「いいから早く」
「人使い荒いじゃん、あかね。昔を思い出すなあ……」
ぶつぶつ言いながらも、またあかねに向けて思念を集中する。
「……あっ。来たよ、絵里」
呟くと、あかねがまた紙を撫で始めた。
「封筒……封筒も貸して」
ルナが手渡す。
「……」
「……」
「……」
五分くらいか。ほっと大きく息をつくと首をがっくり垂れ、封筒と便箋折り紙を乱暴にテーブルに放り投げた。
「どうだったの、あかね」
ルナが尋ねる。
「……」
あかねはそのまま無言で、がくんと椅子に座り込んだ。ジンジャエールをぐいぐい豪快に飲み、どんと音を立ててテーブルに置く。
「……わかった」
毒気の抜けた表情で、なんだか投げやりに告げた。
「思音宛のラブレター、出したのはムキムキだったの?」
「違う」
「やっぱりミリタリー研究会?」
「……違う」
「なら誰よ」
「……陽菜」
どうでもいいといった口調だ。
「陽菜?」
「陽菜ってどういうことよ、あかね」
「だから言ったじゃん。このラブレターは、陽菜が思音に出したんだよ」
「……」
「……」
「でも大胸筋がどうのこうのって……陽菜、あなた……」
皆の視線を浴びて、陽菜が急速に赤くなった。
「……あの、陽菜……、そういえば、おっぱい大きくしようと思って、毎晩ダンベル体操を……」
「あなた、さっきラブレター読んでたじゃない。自分のだってわからないわけ?」
「だ、だって、ルナちゃん。あのその、真弓ちゃんがもらったって聞いたから、そうだよなーって思い込んじゃって」
消え入りそうな声だ。
「こんな間抜けなラブレターもらったら、悲しくて泣いちゃうって話してたわね、あなた。自分で書いておいて、なに寝言言ってるのかしら」
「あうー。そんなにイジメなくても」
「そもそも、あなた思音と同じC組でしょ。なんでわざわざA組の下駄箱に放り込んでるのよ」
「それはその……。なんと言うか、いろいろ間違っちゃったー、としか」
「せっかく出しておいて、なんで焼却炉に行かなかったの?」
「てへっ。忘れてましたー」
「なんの冗談だよ、このドンガメッ」
真実のあまりの衝撃に放心の体だったあかねが、ようやく心を取り戻して参戦した。
「か、あかねちゃん、ドンガメなんて、あんまりな……」
「ドンガメはドンガメじゃない。このドンガメッ」
「はう~っ」
「だいたい真弓ちゃんになんて報告するのよ。『あれは、陽菜が思音に出したもので、あんたは無関係でしたヨシヨシ』とでも言うわけ?」
「またそんなあ……」
「まっ、もうそのくらいで許してやれよ。真弓ちゃんには、間違いレターだったとだけ伝えればいいじゃないか。陽菜だって悪気があったわけじゃないんだろ。元の時空とおんなじじゃん、陽菜がいろいろ間違えるのは。とばっちりで死にそうにならない分だけ、こっち側のがよっぽどマシさ」
「あらあんた余裕ね」
あかねの怒りがこちらに向いた。瞳が攻撃色だし。
「さすが、ラブレターもらった色男は違うわねえ」
白けた口調でぽつりと言うと、あかねがチョコを摘んだ。
「うれしいの? 思音」
ルナが探るような瞳で俺を見る。
「いや別に」
それは本音だ。生死を共にしたパーティーとはいえ、今さら小娘に言い寄られてもめんどくさいだけ。俺はただのんびりしたいんだ。くだらない恋愛沙汰だとか修羅場がどうしたとか、カンベンしてくれ。見た目こそ高校生だが、俺はおっさんだぞ。
「陽菜には悪いが、どうでもいいというか。それより仲良くしようや、同じ部員だしさあ……」
「同じ、部員ねえ……」
あかねが腕を腰に当てた。
「陽菜、あんた、わかってるわよね。『同じ部員』なんだから」
「……はい」
「『アレ』が判明するまでは、抜け駆け厳禁って約束したじゃん」
「えっそうなの。初耳だけど」
「うるさい、思音は黙れ。これはあたしたちの問題なの」
はあそうすか。もう勝手にやれよ、じゃあ。
「はうーっ……。覚えてるけど、約束」
陽菜は下を向いたままだ。
「なんで禁を破ったのよ」
「こ、この間、ケーキ屋で陽菜をかばってくれたし、だらりんクマさんの写真だって」
支離滅裂だ。
「陽菜だってわかってる。みんなイヴルヘイムと戦った仲間だし、裏切りたくない。……で、でも、陽菜だって生きてるんだもん。心だってあるもん……」
陽菜は、まっかになっている。テーブルの上にはそれぞれ好みのばらばらなカップが並び、等しく陽の光を受けて輝いている。春の陽はどこまでも優しい。暖かな風が通り過ぎ、ボロい部室がきしみ音を立てる。あかねは無言で陽菜の手を取った。そして言う。
「……わかったよ、陽菜」
「本当、あかねちゃん」
「ええ。仲間だもんね」
「……」
「……」
「……とはいえ罰は必要か」
沈黙を破って、絵里が軽く言う。
「えっ罰って? 絵里ちゃん」
陽菜は不安顔だ。
「今日は金曜だからさ、ひさしぶりに今晩、お泊まり会だな、思音のアパートで」
そのひとことで、雰囲気がぱっと明るくなった。
「たまにはいいこと言うね、絵里。さすが年の功」
「年の功とはなんだよ。失礼なパーティーだな。あたしはただ教師として……」
「では私、お父様に電話で報告するわ。美里先生と部員で徹夜で勉強会するって」
「いいこと、『勇者パーティーの集い バイ・現代日本生存研究会』よ」
「わあー素敵」
責められたことなどすっかり忘れて、陽菜はうれしそうだ。
「そこで、陽菜には罰ゲーム。メイド服を着てもらおうじゃない」
「メ、メイド服って……」
「そう、ネコミミメイドになってもらうわ。それで、お泊まり会では世話役だね。ジュース持ってきてもらったり、ピザ焼いてもらったり」
「はわーそんなー。陽菜だって一緒に遊びたいもん」
「遊んでもいいし。でもちょっとだけ働いてもらうから。ご褒美はマタタビ」
「マ、マタタビ……」
陽菜がうっとりする。
「そ、それならやりますー」
転生の副作用だかなんだか知らないが、陽菜はマタタビを与えるとふにゃんとしてしまうのだ。敵に知られると危険だが。って、敵いないからいいんだけど。
でも、陽菜にメイド頼んで大丈夫か? 唐揚げ揚げる最中に油が……とか。熱々のコーヒーを大家さんにぶちまけるとか。なぜか火炎放射器召喚してピザ焼こうとしてアパート全焼とか。現実のように目に浮かぶんだが。なんたってこないだの「お泊まり会」のときは……。
「さて、このままモールに行って、替えパンとか食材買ってアパート向かいましょ。メイド服はルナ、頼んだよ。アパートに届けさせて」
「うんわかった。幸い、陽菜の体型で作った奴がキープしてあるから」
「なんでそんなの作らせてるんだよ」
「あなたのもあるわよ。着る? メイド服」
「そこは執事服だろ。こないだの」
「いいえ。思音用メイドアーマー」
とてつもなく嫌な予感がしたので、それ以上詮索するのはやめておいた。
「それより、なに食べようか」
「陽菜、チョコレートサンデーがいい」
「そんなのモールに売ってないでしょ。チョコアイスで我慢して」
「先生、銘酒『タマ三郎』がいいわ。これは袋しぼりの大吟醸で、精米歩合はなんと三十五%という……」
なんにつけ元気な「現代日本生存研究会」である。明日アパートが無事に三丁目に残っていることを、俺は祈った。
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その夜は楽しい大騒ぎのあと、幸いにも全焼はしなかった俺の棲み家で雑魚寝した。まあ全焼危機一髪の瞬間はあったんだけどもな。
深夜ふと目が覚めると、マタタビに酔ったまま寝込んだ陽菜が、俺に抱きついてかわいい寝息を立てていた。だらりんクマさんのパジャマでツルペタだから、色っぽくもなんともない。妹キャラどころか弟だろ、これ。
あえて言えば、ほんの少しだけ胸を感じる。さすがAカップに「なんちゃって出世」しただけあるな。あと女の子のいい匂いと。
俺の脇に顔をくっつけ腹に手を回して、陽菜は優しくまぶたを閉じている。太ももを俺に乗せているから、きっと使ってるに違いない「だらりんクマさん抱き枕」の代わりなのかも。
少し迷ったが、そのままにしておいてやった。そう、さっき絞り出すように語ったように、陽菜にだって心がある。仲間の心、そして自分の心を癒すこと――それが、俺達現代日本生存研究会の「部活」だ。俺は今、部活をしているのだ。陽菜が抱きつくくらい許せないようでは、自分が情けない。
そのまま上を向いて、暗闇に溶ける天井を見つめていた。部員は皆、起きているようだ。雰囲気でそれを感じる。カラフルで楽しげな夢に遊んでいる陽菜を除いて、皆静かに、それぞれの暗闇を見つめているに違いない。




