02-5 「オーバーロード」半壊反省会atカラオケ
「私は悪くないし」
カラオケのソファーで澄ましているのは、一文字ルナだ。コーヒーを優雅に口に運んでいる。
「たしかに店はずいぶん壊したかもしれないし、SNSで騒ぎにもなったみたいだけれど」
「それを『問題』って言うんだろ、日本語では」
「……いいでしょう、いい戦闘訓練になったし。それに本来の目的どおり、対人戦闘アーマーの能力も確かめられた。私たちは戦っていないと。戦いという流水の中でないと、生きられないのよ。平和な淀んだ水だと、なにかがおかしくなる」
ほっと溜息をつくと、ルナが続けた。
「この戦闘アーマーも、格闘戦で動きやすいよう、もう少しスカートを短くしたほうがいいね。エプロンはバリスターナイロン製にして、防刃性を高めておく。それとも内部にチタンを仕込んで防弾性も上げるのはどうかな」
反省会という名目でカラオケに繰り出したわけだが、まだ全員、コスプレ姿のままだ。
「なんだよその物騒なウエイトレス」
「あたしも悪くないよな。だって客席でお客さんを接待してただけだもん。顧客の好感度を上げて店へのロイヤリティーを高める戦略ってことで」
美里絵里は、ひとりビールをぐい飲みだ。
「ぷはーっ。労働の後のビールはたまらんなあ。――あんたたちも成人したら、あたしが酒を教えてあげるからさ」
「こっち来る前は、みんなでよく飲んでただろ。陽菜は危険だから飲ませなかったけど」
「向こうには未成年がどうしたとかいう決まりなんかなかったしなー、戦乱の最中で。とにかく、今はあたしひとりだけ『一人前』」
「なんだよそれ。エンチャント能力も、そこそこしか復活してないくせに」
「それは全員同じじゃないの。……ぷはーっ」
電話でおかわり注文したりして。
「ひ、陽菜が悪いのかな……」
陽菜は肩を落としている。
「お父さん、泣いてた」
少し涙ぐんで。
「お父さんはお父さんじゃないけど、本当のお父さんだし。陽菜は幸せになって欲しいだけなの。……でも陽菜がお手伝いしようとすると、なんだかいつも止めるし」
――そりゃそうだ。
多分俺以外も全員、心の中でツッコんだはずだ。
「お手伝いすると、今日みたいになっちゃうし」
「ま、まあアレだ。あんまり気にするな、陽菜」
「……だ、だって、これでお店が半壊したの、今年になって三回め……いや四回めだから」
「気にするなって、陽菜」
陽菜の小さな肩を抱いてやった。
「……思音」
頬が、少しだけ上気した。
「陽菜に悪気はないんだし(そこが問題なんだけど)。それにケーキをだめにするのは、毎日六回くらいしかないし(ケーキ屋なのに……)。こないだみたいに厨房が全焼するよりはいいし(よくあんとき人死にが出なかったよな)」
「あ、ありがとう……」
なぐさめになってるのかどうか自分でも自信がなかったが、とりあえず陽菜は気が楽になったようだ。他のメンバーはあきれてたけど。
そもそも「オーバーロード」って店名が不吉だよな。これ、「過負荷」って意味らしいじゃん。そりゃいろいろ問題起こったり燃えたりするだろ。なんで「アルトタタン」とかなんとか、意味不明で女子受けしそうな名前にしなかったんだよ、陽菜の父ちゃん……。
「まっ、もっとも大変なのは、保険会社でしょ」
あかねがあくびした。
「そりゃそうか」
「よく受けてくれるよねえ、家財保険とか火災保険とか」
「地震保険が必要なくらい、毎回半壊するしね」
「……いずれにしろ悪いのは、あのエロホモのムキムキ野郎だし」
コーヒーを飲むと、あかねは顔をしかめた。
「……まずいね、ここの。オーバーロードのがずっといいわ」
「そうね。あの客が事の発端なのは明らかだわ」
ルナが尻馬に乗る。
「私見ていたし、思音。メアドだかIDだか書いた紙、そっともらってたでしょ、あの男から」
「えっ本当?」
女どもが俺を見る。
「まさか『男だけの世界』に行っちゃうつもり?」
「そんなこと、あるわけないじゃん」
「じゃあどうしたのさ」
「捨てたに決まってんだろ、あかね」
「――そう、それならいいけど……」
少し言いよどんで、あかねは俺の顔をちらと見た。
「だって……、思音はあたしの……あたしたちの。あ、あたしたち全員のものよ。……そ、その、リーダーとして……」
そのひとことで、カラオケ個室は微妙な空気になった。それぞれをちらちらと見合っている。隣の部屋から、下手なラブソングをがなっている声が漏れてきた。
「……うるさいなあ、隣」
あかねが顔をしかめた。
「そうそう。バラードとかにしとけばいいのに」
「下手なんだから、キー落として欲しいよね」
なんとか、雰囲気が軽くなった。
「カラオケなんだから、歌うのは当然じゃないか。許してやれよ」
「……ならせっかくだから、あたしたちも、なんか歌う? お茶だけじゃもったいないし」
「陽菜、だらりんクマさんのバラードがいい」
「またあ?」
狭い個室に、笑い声が響いた。
●
カラオケを出ると、思音はコスプレウエイトレス軍団と別れてアパートへと向かった。五月で日が長くなりつつあるとはいえ、もう夕暮れ。炭色の小さな雲がいくつも速く流れ、物寂しげな赤い空を覆いつつある。明日の天気は下り坂だな。
そんな思音の後ろ姿を、現代日本生存研究会の連中が、なんとも言えない目で見つめていた。
「……それにしても」
あかねが呟く。
「誰が彼の……その、『アレ』なの……」
「……」
「……」
皆が押し黙った。黒いウエイターは、次第に暗くなる街の闇に紛れ、見えなくなりつつある。空には蝙蝠が飛び始めていた。
●
一方、俺は俺で、カラオケでのルナの言葉を反芻していた。
「あっちの世界」で、パーティーは邪教イヴルヘイムと戦ってきた。家族や部族を殺された恨みがあるし、平和も願ってだ。
イヴルヘイムは、両性具有の天使創造と、それによる世界の支配を最終目的としていた。天使創造のおぞましい実験過程で偶然生まれたのが、ホムンクルスだ。
ホムンクルスの大量生成と戦線投入が力のバランスを一気に崩し、イヴルヘイムが世界を統べる寸前まで行くきっかけとなった。そして俺は戦乱の最中、物心つくかつかないかで天涯孤独の身となり放浪し、野垂れ死ぬ間際までいったのだ。
でもこうして戦闘が不要な時空に身を置いてみると、少し考えてしまう。『本当にそれだけなのだろうか』と。
敵の中枢まで辿り着けたのは、ルナの言うように、俺達が「戦いに最適化された存在」だったからではないのか。戦闘が心底好きだったからではないのか。
俺は、「最後の戦い」を思い出そうとした。そう、たしかに覚えている。イヴルヘイムの総統、そして名前を口にすることすら禁忌として許されぬ邪神。しかしどうしても、どうしても記憶から欠けているピースがある。戦いの肝心のところが。そこで俺達が「なにをしていた」のか。
――なぜ、一部だけなんだ。
俺は天を仰いだ。
こっちに来たことの影響だったら、すべて忘れていてもいいはずだ。あるいはところどころランダムに忘れるとか。しかし、なぜ肝心な部分だけ、あちこち記憶が飛んでいるのか。邪神討伐の旅の、特に重要な戦いや、ふとした日々の会話、そして。そして俺の嫁……。
肩に、ぽつりとなにかが当たった。雨粒だ。見上げると雲の流れはますます速く、すでに低く黒い雲が空を覆いつつある。とがった剣の先端に片足で立っているかのように、この平和な日本で、俺は不安定な気持ちと居心地の悪さを感じていた。
――明日は土砂降りだな。
次第に本格的に降り始めた雨の中を、足早にアパートへと向かった。翌日、とんでもない依頼が現代日本生存研究会に持ち込まれるとも知らずに。それは――。




