第三十五話 魔王様、魔族ですか?
俺とアルカは奥に向かって、ダンジョンをつき進んでいく。
ダンジョンであるにも関わらず、不気味なほど静かだった。
先ほどの「魔物」以外、他の魔物の影はなかった。
これだけでこのダンジョンが異常であることが分かる。
奥へと進むと扉があった。土壁の中にポツンと一つ佇む扉。それに奇妙さを覚える。
「……これ、開けても大丈夫でしょうか?」
アルカは不安そうな声を上げる。
彼女の言葉はもっともだ。俺が力のない人間であったならば、間違いなく引き返していただろう。
だが、俺はアルカの言葉には答えず、代わりに扉を開ける。
中へと入るとだだっ広い空間が広がっていた。
その空間の中心、他よりも一、二段は高い場所に一人の男が座っていた。
瀟洒な椅子に腰かけてこちらを見据えている。
「ようこそ、いらっしゃいました。私のラボへ」
慇懃無礼な男であった。白衣姿をしたその男は椅子から立ち上がってこちらへと深々と礼をしてみせる。そして、ゆっくりと微笑みかけた。
その所作は丁寧すぎて、作り物でも見せられているかのようである。
「私の名前はグラスラ。このダンジョンにおける主を名乗らせて戴いております」
「主。つまりお前は魔族で間違いないんだな?」
「いかにも」
「魔族ですか!?」
驚愕を口にするアルカ。
人間界の、しかもこのような辺境に足を運ぶ魔族などそう多くはいないだろう。
「ええ。私は魔族ですが、人間という生き物が大好きでして。時々、目を盗んではこうして人間領へと来てしまうのです。ちなみにこの顔、どうですか? 人間を参考にして作らせて戴いたのですが」
グラスラは自分の顔を指で引っ張ってみせる。
外目には白衣姿の青年に思える。眼鏡を掛けた知的な人物という感じだ。
だが、取って付けたような慇懃無礼な態度が胡散臭さを醸し出してはいたが。
「し、ししょー……魔族相手ではさすがのししょーも……。ここは撤退を――」
「おおっと! せっかくのお客様! そう簡単に返しては、私のおもてなしが疑われてしまいます。それにさっきようやく面白い個体が完成したところなんですよ」
にっこりと、実に楽しそうな笑顔を浮かべるグラスラ。
「面白い個体?」
俺の言葉にグラスラは「そうです!」と実に嬉しそうな言葉を返す。
「そこの……えっと、こういう場合は初老で良いのですか? いや、叔父様……ですか? あまり活きが良いとは言えませんねぇ。それなら先ほど遊びで使いつぶした若い個体の方がマシでした。ですが貴方のその、着眼点は悪くないですよ」
「先程の魔物はお前のしわざという事で良いのか」
俺の言葉に、アルカは身じろぐ。
「察しが良いですね、貴方。個体としてはそそりませんが、観客としては及第点と言ったところでしょうか。あれはちょっとした手慣らし。メインディッシュに取り掛かるまえの言わば前菜と言ったところでしょうか。まあお遊びみたいなものですよ」
「大層な手慣らしだな」
「いえいえ、あれくらいで驚いてもらっては困りますよ。前菜を口にしたのであればメインディッシュも味わって戴かないと」
グラスラはそう言って指を鳴らした。すると彼の頭上辺りに真っ黒い円が出現した。
黒い円の中からにゅっと腕が突き出された。明らかに人間のモノではない。馬鹿デカい手であった。
やがて全身が姿を現す。五メートルはあろうかという大きさで、シルエットは人間に近い。しかし、手が四本あった。腕は太く、それぞれ荒縄をよじり合わせたようにはち切れんばかりの筋肉が伺える。
その顔は鬼そのもの。真っ赤な大口で、鋭い目つき、頭には一本の角を生やしている。
ただ奇妙なのは顔の下辺りにもう一つの顔があったことだ。
そして、俺はその顔が一体誰のものであるのかが分かった。
「ど、ドルガ……さん?」
「ドルガか」
「……あ、あるか? アルカ!? いや、アルカさん! たすけ、助けてくださ――――ギャァアアアアアアア!!!」
ドルガの顔は苦悶の表情で悲鳴を上げた。
「誰が喋って良いと言いましたか? 無礼な真似をするのは許しませんよ」
グラスラの手が赤黒く光っている。
どうやら魔力を送ることで痛みを与えられるような「仕掛け」を、あの魔物に施しているらしい。
凶暴な表情を浮かべていたグラスラは一転して、また胡散臭い笑顔を浮かべた。
「どうですか? 実に面白いでしょう?
私は常々、魔物の肉体で人間の知能を持っていればどうなるかというのを知りたかったのです! そして、研究の末、ようやく魔物と人間の融合という夢を実現しました!
しかも人間の意識を保ったまま! これは凄い、凄いですよ!
それに――――ほら!」
グラスラの影から大鎌が出現する。それが高速で動いたかと思うと、魔物の腕を一本斬り落とした。
「グギャアアアアアア!!!!」
耳に痛い悲鳴が辺りに響いた。斬られた魔物の腕は地面に落ちると、すぐに溶けて消え去る。代わりに血しぶきをあげている魔物の腕、その切断面から新たな腕が生えてきた。
「ぐぅ……はッ、はぁ……、痛い、痛い、よぉ……」
「どうです!? 痛みすらも人間にフィードバックし、さらには回復力は以前の魔物を上回る出来栄え! これが――――これが魔族の力ですよ!
素晴らしい……貴方がたもそうは思いませんか!?」
興奮しているのか早口になるグラスラに対して、アルカは震えながら口を開く。
「こんな……こんな、こと……許されるはずが……」
「許される? こんなに素晴らしいのに!?
……ははぁ、人間特有の倫理観、という奴ですか。つまらない感想ですねぇ……。
肉体はピカ一ではあれどもいまいち判断力に欠けるオーガ。それを肉体は使い物にならなくとも知能には秀でている人間が補う。まぁなんとも感動的ではないですか。
そう言えば人間にはこんな言葉があるそうですねぇ。『人と言う字は支えあって生きている』でしたっけ? 私はね、人間の事なら何でも勉強していますから知っていますよぉ。
人が支えあって生きるのであれば魔物と人も支えあって生きても良いでしょう? 二つの生き物がそれぞれの弱点を支えあう……素敵、素敵ではないですか!」
「いえ、こんなのは……こんなのは悪魔の所業です! 一緒にしないでください!」
「……はぁ。常識やら倫理観やら邪魔なものに騙され、本質を見通せない愚か者。貴方はこのショーを見る価値はありません。消えてください」
グラスラの右手がどす黒く光る。すると彼の周囲にどす黒い球が浮かんだ。
球の一つ一つから光線が射出される。それらは全てアルカへと向いていた。
しかし、
「…………ほぉ」
感心したような声を上げるグラスラ。
俺が防御魔法を用いて彼の光線を全て弾いてみせたからだ。
「ショーを自称するならば、観客を選別はしないものじゃないのか?」
「私の高貴なる研究結果を示すに値しない人物だと思ったまでのことですよ。……しかし、その点、貴方は合格のようですねぇ。そこの貴方も、この男に免じてさっきの失礼な態度は不問としてあげましょう」
グラスラへと鋭い目つきを向けた後、アルカは俺へとお礼を言う。
「あ、ありがとうございます。ししょー」
「今はあまり奴を刺激しない方が良い」
俺はアルカへとそれだけ言って、またグラスラへと向き直った。
「とは言え。果たして私の研究結果の全力を受け止められますかねぇ……。さぁ、行け! まだ生きたければ奴らを粉微塵にしてやるのです!」
「ひゃぁあああああ!!!」
ドルガが恐怖の声を上げたかと思えば、ドルガと融合している魔物がこちらへと突っ込んでくる。
四本の腕、その拳には魔法が掛けられていた。
あれは……ドルガがかつて使用していた溶解魔法だ。それを自身の腕が溶解していくのも厭わず、使用していた。
どうやらドルガの使用できる魔法なら、あの魔物はそれを使えるらしい。
……厄介な技術だ。
「ししょー!」
「動くな、アルカ」
突進してきたドルガはその勢いのままに四本の腕を使って力任せに殴り掛かってくる。
「ひゃああああああ!!!」
「良いぞ! 中々の威力! ひはははは!」
高笑いを浮かべるグラスラ。
しかし、彼の笑い声はすぐさま止んだ。
俺が奴に向かってドルガを蹴り飛ばしてやったからだ。
「…………ほう。君、中々やるね。ただの人間とは一味違うようだ」
グラスラの言葉から余裕が消えた。
ドルガと言えば俺が蹴り飛ばした胸の方に大穴が空いているにも関わらず、すでにその穴が塞がり始めていた。
厄介なのは攻撃というよりは、この回復力だろう。
「し、ししょー! あの、ドルガさんは――――ッ!!」
「さっきも言っただろう。あれはもう助からん」
アルカは……ちょっとばかり席を外して貰っていた方が良さそうだ。
これから起こる事を考えれば、こいつは居ない方が良いだろう。
「アルカ」
「はい、ししょー」
「今は……ちょっとこの中に入っておけ」
「え、し、ししょー? ――――きゃっ」
俺はアルカを「異空間」へと仕舞い込む。
『空間作成』の魔法だ。魔力の量によって新たな空間を作成し、それを使用することができる。
足元にいきなり出現した「異空間」への入り口に、アルカは落ちるように中へと入っていった。
まあ問題ないだろう。中は広いし、明かりもある。少なくとも「この」空間で過ごすのに不自由はない。
「……さて」
ある意味での邪魔者を消したところで、俺は本当の意味での邪魔者たちへと向き直る。
「はぁ……はっ、はぁ……」
どうやら完全に回復したらしい魔物ドルガが俺へと向き直る。
「お、おっさん……あんた、は」
「ドルガ。アルカにはお前を助ける方法は無いと言ったが、実はお前を助ける方法は幾つかある」
魔法施術的に融合しただけならば、それを二つに戻す方法はおそらくはある。
しかも今なら融合してあまり時間が経っていない。やってみなければ分からないが、可能性はあった。
「……え、本当……本当か!? あ、あんたぁ」
「――――だが」
俺はドルガの希望を抱いた顔へと、言葉を突き付ける。
「貴様にはそれに見合う価値がない。俺から逃げていれば良いものを、在りし日に縋ってコソコソと這いずり回るとはな。如何に寛容な俺でも貴様にかける情けはない。お前はこの世界には要らない。――――ここで消えろ」
「なッ……くそ、糞がァアアアアアアアアアアアア!!!!」
魔物ドルガはまたも俺へと突っ込んできた。
さっきと同じ、単純な攻め。奴も多くの魔法を持っているだろうに……それすら使わない。
魔物の肉体を手に入れたところで中が愚図ならそれを活かせる道理はない。
「――――『影縛り』」
魔物ドルガの作り出す影から無数の手が現れる。それらが奴の動きを止め、その場に縫い付けた。
「ドルガ。貴様の処分に相応しい場所を用意してやったぞ」
彼の足元を中心に黒い円が現れる。それらは徐々に広がっていった。
それは彼に相応しい異空間への入り口。
「俺は貴様のような回復力だけが取り柄の敵専用に幾つか異空間を持っている。これはその一つ、どこまで行っても終わりがない馬鹿デカいだけで何もない空間。今のお前なら何もしなくとも何百年と生きることが出来るだろう。そこでひたすらに死という終わりが来るのを願うんだな」
「え……そ、そんな! ま、待ってくれ! 謝る! 謝るから! 悪かった、サタン! サタン様!」
「ははッ! 最近では呼ばれ慣れたその言葉だが、貴様に呼ばれるのは不愉快だ。魔物の肉体を持つが故に死ぬことも、そして発狂することもできずに、永遠とも思える地獄にも似た生を過ごすが良い」
「やっ、やめッ、やめろぉオオオオオオオオオオ!!!」
ドルガは広がった闇へと吸い込まれていく。
姿が消えた後も悲鳴だけが聞こえてくる。やがて、それも聞こえなくなった。
「…………さて」
俺はドルガがいなくなった後に、改めて向かい合う。
「礼を言うぞ、グラスラ。貴様のお陰で奴のような者に相応しい終わりを用意できた」
俺の言葉を受けたグラスラは苦々しい顔を浮かべていた。