第二十八話 魔王様、プレッシャーですか?
「…………」
「あの、……マリナさん? ご飯は、食べないのか?」
「お構いなく」
「いや、食事に誘ってくれたんだろ? ここの食堂が美味いって事はあんたも知ってるんだろう? なら――――」
「お構いなく」
対面に座るマリナは一切食事に手を付けることなく、こちらをじっと見つめていた。
度々、飲み物を口に運ぶだけ。
……一体どういうつもりなんだ、この人間は。
俺は何度となく自分を殺しに来る者と対峙したことがある。若い頃は魔物や魔族と死闘を繰り広げたことが何度もあった。
魔王として君臨してからは勇者によって攻められることは多かった。……まぁ、それで命の危機に晒されたことは今までに一度もなかったが。
何が言いたいかというとつまり殺気には慣れていた。
幾ら殺気を浴びようとも平然としていられるぐらいの胆力はあるつもりでいたのだ。
だが、今俺は何故か動揺……いや、怯えていた。
何故だか分からない。本能がそうしているとしか言いようがなかった。
彼女は殺気なんてものを一切飛ばしてはいない。当然だ。
だが、背筋をうすら寒いものが流れていくような、そんな感情を覚えさせられた。
俺はその感情が一体何であるか分からぬままに食事を口に運ぶ。
美味しいはずの料理にも関わらず、なぜか味がしなかった。砂でも噛んでいるように思えた。
一方、隣ではアルカが美味しそうにバクバクとご飯へと食らいついている。
アルカはこの状況下において平然としていられるようだった。
何故だ! こいつに平気で、俺に平気ではないこの状況は一体何なんだ!
俺は二人の人間と共にご飯を食べていた。時間は夜。日も暮れた頃合いだ。
何故こんな状況になったのか。それは数時間前に遡る。
――――
「おはよう、マリナさん」
朝のことだった。俺は日課のごとく訪れたギルドの受付にてマリナへと声をかける。
昨日、マリナは俺との話でストレスを吐き出したように思えた。
だから今日はどんな顔をしているのか、と覗いてみたところ。
「ああ、おはようございます。サタン、さん」
「……あれ? どうしたんだ?」
マリナは昨日よりも体調が悪そうだった。
いや、具体的には違う。仕事のストレスを溜めているような感じではない。
それは見ていれば何となく分かる。疲れていそうなのに、何かに追われているような――――そんな必死さが表情に表れていない。
だが、綺麗だった顔立ちはなんだか酷くやつれていて、目の下には明らかな隈が出来ている。
「いえ、その……ちょっと寝不足で。色々と、その、ありまして……」
マリナは「はぁ」と溜息を吐く。その笑顔にはいつもの覇気がない。
それと、何故か「色々」の部分が強調されているような気がした。
また話に誘ってみるか? いや、今回は昨日とは違うようにも思える。
なんというか、その……上手くは分からないが、悶々としたものを抱えているような……。
「サタンさん!」
「え、な、何だ?」
身を乗り出すかのような、そんな声で俺の名前を呼ぶマリナ。いや実際受付カウンターに身を乗り出している。
こんな事は初めてだったので少なからず動揺した。
そんな俺に構うことなく、マリナは言葉を続けた。
「その、今日の夜って空いてますか?」
「夜? ああ、多分……」
「多分? 何かご予定が?」
「いや、絶対空いてる」
マリナの言葉には有無を言わさない何かがあった。
「そうですか。ところで、アルカさんは?」
「アルカ? 今日宿を出る時は『早朝訓練です』とか言って剣の素振りをしていたような気が……」
「やっぱり一緒に住んでいるんですねぇ」
「住んでいると言うか、ほら、俺があいつに弟子入りしているから……」
昨日、去り際に簡単な説明はしたような気が……。
しかし、マリナは事実を一つ一つ確認するがごとく、二つ目の指を折る。
「名前」
「……え?」
「アルカさん。まだ会って間もないじゃないですか。もう名前で呼んでいるんですね。前は『さん』とか付けてませんでした?」
「ああ。確かに」
確か最初に会った時に「呼び捨てで良い」と言われたんだったか。
基本的には女には「さん」付けするが……そう言われたのであれば話は別だ。それで呼び捨てにしない方が却って失礼だろう。
「まぁ、あいつの場合は特別だ」
「トクベツ」
俺の言葉をまるで初めて聞いた言葉であるかのように、マリナは繰り返した。
「あ、ああ」
「特別ですか。トクベツ……へぇ、そうですか」
さらにその言葉を連呼するマリナ。
「まぁ……そういう仲でもあるし」
形にしろ師弟関係になったのだから敬称を付けるのは変だろう。
「ソウイウナカ」
マリナはさらに片言になっていく。
さらに段々と目が虚ろになっていっている気がした。
あれ? 俺、呪いとか洗脳魔法とか掛けてねぇよな……。誰かが呪詛魔法でも仕掛けているのか、いや……それなら俺が分からないはずもないし。
「そ、それでですね」
マリナの目に生気が戻る。いや、どっちかというと闘志な気がした。
「アルカさんは夜のご予定、空いてますか?」
「夜? 多分空いていると思うけど」
今日は「特訓に付き合ってください、ししょー」なんてことも言われていない。
今のところ俺はアルカに対して師匠らしい事は何もしていない。
いや、素振りに付き合うくらいの事はしているが……。そろそろ何かした方が良いのかも知れない。
だが、そういった特訓に付き合うというのも今日はない。
俺はそれを何となく口に出す。
「一緒に夜、運動する予定も無いしな」
「う、運動ですか!」
何故か顔を真っ赤にしたマリナ。
……これ、どういう感情なんだ。俺も人間に慣れたつもりだったが、分からない。
「ええと……何処で?」
「何処でって……宿の外でかな」
「外!? 中々ハードですね」
「ハードか。いや、ちょっと見ているだけだが……」
素振り見ているだけだしな。ハードとは言えないだろう。
「と、とととにかく! 今日の夜、三人でご飯を食べに行きませんか?」
「ご飯か、良いな。色々と言っておきたいこともあるし」
今後も暫くの間、ギルドにはお世話になるはずだ。それについて言っておきたい事は多い。
「色々と言っておきたいこと……良いでしょう。私も聞きたいことがたくさんあります」
ごくり、と生唾を飲み込んだマリナ。その表情には何らかのヤル気が伺える。
……いや、そこまで意気込まれても仕方ないんだが。ただ、一緒に飯を食べるだけだし。
「とにかく! 今日は宜しくお願いしますね!」
マリナはそう言って席を立って、どこかへと行ってしまった。
「あ、いや……今日の依頼リストを確認したいんだが!」
俺の言葉が聞こえなかったのかマリナはそのまま去っていった。
それだけ今日の予定に掛ける意気込みが強いのだろうか。
仕事熱心であろう彼女が、それで頭がいっぱいになるくらいに。
「何だって言うんだ……一体今日、何が始まるって言うんだ……」
――――
マリナとの予定を決めた数時間後。俺はティアルカ行きつけの食堂にて、マリナとアルカと共に食事をしている。
言い知れないプレッシャーを肌で感じながら。