第二十七話 魔王様、女性と二人きりですか?
約束した時間に指定された場所――ギルドの裏手に行くとマリナが一人で待っていた。
一人という事はひとまずは警戒され過ぎているという事は無いのだろう。二人ないし三人ぐらいの女性に囲まれることも想定していたので、それはまず一安心。
マリナは髪を弄ったり、服を整えながらそわそわと落ち着かない様子を見せている。
顧客の前で立つに辺り、外見を整えようとする姿勢は立派だ。
第一人称は大事だ。外見によっては話が弾む場合もあるし、話し合いがスムーズに進むことも多々ある。
……っとこんな事を考えている場合じゃなかった。
「マリナさん。待たせてしまったか?」
俺が声を掛けるとマリナはぱあっと華やいだ笑顔を見せた。
満点の笑顔。これで不快を覚える者はいないだろう。
「サタンさん、来てくれたんですね!」
「俺から話を持ち掛けたからな。来なかったらそれこそ大人として失格だ」
「私も大人ですよ! ……まあサタンさんから見れば子供かも知れませんが」
少しだけしゅんとした表情を見せるマリナ。
あれ? 俺は何か変な事を言っただろうか。
「いや、マリナさんも立派に大人だ。素敵だと思うよ」
素敵という言葉は気持ち悪がられるかも知れないという心配もしつつ、少しだけ踏み込んだ。
素敵くらいは問題ない筈だ、多分……。
「本当ですか!? う、嬉しいです!」
当のマリナはと言えば、嬉しそうな反応を示した。
ワードチョイスは失敗していなかったらしい。俺は胸を撫で下ろす。
「じゃあその少しだけお話でも……あっ、どうぞここに座ってください!」
マリナはギルドの裏手に立てかけて置いてあった折り畳み式の簡易椅子を二つ用意した。
そして立ち上りつつ、「どうぞ」と座るように促す。
俺は「悪い」と用意してもらった椅子へと腰かけた。マリナも俺の対面に用意した椅子に座る。背筋を張って肩の力が入っているのが分かった。
「すまんな、気を遣わせているようだ」
どうも気の張っている様子のマリナへと、頭を下げる。
「い、いえ! こちらこそ、ホント! 申し訳ありません! 私みたいな年下に付き合わせてしまって!」
焦りつつ、必死に取り繕う素振りを見せるマリナ。
「いや、なに、こっちこそこんなおっさんに付き合わせてしまって申し訳ない。迷惑だったか?」
俺は思わずそう聞いてしまった。
「いやいや! そんな事はありません! こっちも誰かと話したい気分だったので!」
マリナはそう言って気遣うような言葉を口にする。
どうも会話が平行線だ。さっさと話を進めよう。
「この前は君たちギルドに迷惑を掛けたようだ。すまない」
俺はまず謝罪から入った。
実際、ギルド職員の慌ただしい様子を見れば、心が痛まないでもなかった。
キラーファングの討伐任務。あれで受けた損害や、その後の事後処理はかなり大変だっただろう。
俺も魔王職務の中でそういう経験はしょっちゅうあったから分かる。その度に休息が一時も取れない日々が続くことなど、ざらであった。
あの苦痛を他の者にも与えているかと思うと……まぁ、謝罪は必要だろう。
「い、いえいえ! サタンさん! それが私たちの仕事ですので!」
「だが、大変そうだ。実際、浮かない様子だったしな」
「……ええと、心配かけて申し訳ありません。受付たる者、冒険者に気を遣わせてはいけないと言うのに」
そう言って頭を下げるマリナ。
「いや、俺が勝手にやっている事だ。気にするな」
それに、と俺は言葉を続ける。
「こういう若くて美人な女の子と喋る機会なんて、早々無いからな。こっちも役得だ」
などと口走ったところで、それが失言であった事に気付いた。
何を言っているんだ、俺は! 役得ってお前!? これじゃあ口説いているみたいじゃないか!
気持ち悪い言葉を俺みたいなおっさんが言ったら相手は引くに決まっているだろう!
内心、頭を抱えてうずくまりたい気持ちで一杯だったが、それを面には出さずにあくまでも柔和な笑顔を浮かべていた。
ポーカーフェイスは得意だ。こちとら伊達に百年も魔王をやっていない。
俺はマリナの反応を伺った。ドン引きしている様子だったら、さっさと会話を切り上げてこの場を去ろう。
だが、
「え、いや若い女の子だなんて……しかも美人だなんて……そんな、そんな」
マリナは頬を真っ赤に染めつつも、俺の言葉に引いてはいない様子だった。
よ、良かったぁ……。つうか、あんな歯の浮くような台詞にも、きちんとそれらしい態度を返してくれるなんて……。
もしかすれば内心では引いていたかも知れないのに俺を傷つけないような態度を示してくれたのかも……。いやはやなんて良い奴だ。
相手は人間、しかしされど人間だ。知恵を持つ生き物である以上、くたびれたおっさん(魔王)を馬鹿にしないその姿勢にはきちんと敬意を払うとしよう。
「その、サタンさん。いつもありがとうございます。まあその……今更なんですが、実は結構参ってしまっていまして」
「参る?」
やっぱりかと思いつつ、俺は彼女の話を聞く。
「はい。先の一件では冒険者の方がたくさんお亡くなりになってしまいました。冒険者の方にとってそれがそう珍しくもないことであることは理解しています。前の職場――他の地域のギルドなのですが、そこでもたくさんの死に出会いました。そして、ここでも」
「…………」
「それでもやっぱり慣れません。何か対策が出来たのではないか、とか私たちが依頼を提示しなければ今日も笑っていたんじゃないか、とかそういう事を思ってしまって……。時々思うんです。私、この仕事向いてないんじゃないかって。死を割り切るのって……難しいですね」
マリナの目には涙が浮かんでいた。
その内にぽろぽろ、と頬を涙が伝い始めた。マリナはそんなつもりは無かったのか、慌てて涙を拭おうとする。
「え、あの……こんなつもりじゃッ! す、すみません、サタンさん!」
そんな彼女の涙でぐしゃぐしゃになった表情を見て、俺は思わずこう言った。
「……良いものだな」
自然とそんな言葉が飛び出した。
こんなセリフなんて言うつもりは無かったが……、口は閉じようとはしなかった。
「え?」
「誰かの為に涙を流せると言うのは……人間特有のモノだ。その同族意識、結託は種として誇って良いものだ。恥ずべきものではなく、誇るものだ。自信を持って良い」
魔物や魔族も人間同様に仲間の死を悲しむことはある。
だが、それで涙を流すほどではない。
勇者に同族を屠られた時、俺の胸に去来するのは怒りや復讐心であることは疑いようがない。だからこそ俺は勇者に牙を向く。魔王としてこれは当然だ。
だが、その一方で屠られた魔物や魔族の代わりを探している自分が間違いなくいる。
特に魔族は同族を失った感情に対して、どこか頓着がない。
長い生を生きる俺達魔族にとって死は一つの解放に等しいのだ。
だから同族の死を労り、涙を流す、この刹那的な生物を俺はどこか羨ましいと思った。
「サタンさん?」
涙が浮かんだまま、マリナは俺を見遣る。
「……何でもない。忘れてくれ」
俺は自嘲気味にそう言った。
下手に感傷的になってしまった。人間、特に若い娘に聞かせる話ではなかったやも知れない。
「それはそうと、お前がギルドに向いていないという事は決してない」
「……どうしてそう思うんですか?」
「マリナさんはギルド本部へ向けて、ドルガの所業を密告しようと手紙を送っていたそうだな」
「ど、どうしてそれを!?」
俺はアルカからそれを聞いていた。
アルカはドルガの悪行をギルド職員である父を通して知ったと言っていた。
だが、冒険者ギルド、ティアルカ支部はドルガの所業については目を瞑って、諦めている様子だった。でなければ奴から嫌がらせを受けていた際に何かしらの救済があった筈だ。
ただ、唯一、マリナだけはどうにかしようと動いていた。
それをアルカへと尋ねたところ、俺の予想通り手紙の主はマリナであると言っていた。
マリナがギルド本部へ密書を送らなければ、そもそもアルカがこの村には来ていない。
「お前のお陰で勇者であるアルカがこの村へとやって来た。礼を言う、お前が居なければ俺は死んでいたかも知れない」
当然、嘘だ。
俺がキラーファングに殺されることなど何がどうあっても有り得ない。
ドルガに殺されることも有り得なければ、そもそもアルカが居なければ冒険者たちを虐殺していたのは他ならぬ俺だ。
だが、マリナは当然、その言葉を信用した。
「本当、ですか?」
「ああ、ありがとう。お前のお陰で助かった」
俺は頭を深く、下げた。
ここで真実を告げる必要がどこにあるのだろうか。
結果的にこうなったのだ。冒険者はどちらにしても死んでいた。奴らは結局は助からない。
そして、この言葉がマリナの為になると言うのなら、俺は嘘くらい幾らでも付こうと思う。
マリナがこれからギルド職員として頑張れるならば、俺の助けとなってくれるのであれば。
ここで嘘を吐かない理由が俺にはなかった。
「良かった……アルカさんが来てくれて……私のやっていた事、決して無駄じゃなくて。一人だけでも、サタンさんだけでも助けられて、本当に良かった……」
マリナが涙を流す。
その様子を俺は美しいと思うのだった。
――――
少しだけだけど……元気が出た。
マリナは笑顔を浮かべる。本当は仕事を辞めようとすら考えていたのに……。
サタンと話して良かったと素直にそう思えた。
人の死をそう簡単に割り切ることは出来ないけれど、それでも自分に出来ることをやっていこう。マリナはそう結論付けたのだった。
「あ、あの!」
マリナは口を開く。
「何だ? 元気が出たのなら何よりだが」
対面に座るサタンがそう言って、笑った。
皺の刻まれた表情がクシャリ、と笑顔になる。こういう表情がマリナにとっては堪らなかった。
「良かったら次の休みにでも――――」
「ししょ……じゃない! サタンさーん!」
そんな中、マリナの言葉へと差し挟むように大声で呼びかけてくる者がいた。
「貴方は――――アルカさん」
やって来た少女はアルカ=ベイスト。聞くところによると見習いの勇者であるらしい。
最近まで男の子だと思っていたけれど、どうやら女の子だそうだ。
ショートカットで中性的な顔つき、何よりも胸が目立たなかったから分からなかった。
本人曰くわざと隠してたとの事だった。先日ギルドに謝罪、訂正しに来たことでマリナはそれを知った。
ちなみに胸についてはマリナよりも巨乳だった。目立たなかったのはさらしを巻いていたらしい。
……背は小さいにも関わらず、あんな二つの脂肪。晒しで巻いたくらいで隠れるのだろうか。すっごく羨ましい。
「あ、マリナさん! こんにちは、です!」
アルカはペコリ、と丁寧にお辞儀をしてみせる。
あのように礼儀正しいから男の子だか女の子であるかなんて関係なく、マリナにとってアルカは好印象を覚える人物であった。
だが、マリナにとっては看過できない事をアルカとサタンが喋り始めた。
「……お前、宿で待っていろと言っただろう」
「分かっています! しかし、お腹が空いたのです! もうお昼ですから! ししょ……サタンさんもお腹が空いたでしょう? 昼食を用意して貰いましたから冷めない内に一緒に食べましょう!」
「そうか。ありがとう」
「いえ、良いのです! ボク達はその、そういう間柄なのですから!」
(え、え!? なに、どういうこと? え、え!?)
マリナは混乱した。サタンとアルカによる会話は余りにも親密過ぎたからだ。
しかも宿! え、なに、どういうこと!?
「さ、……サタンさん!?」
「どうした?」
「えと……その、アルカさんとは、どういうご関係で?」
冷や汗が止まらないマリナに対して、サタンは何気なく言った。
「ああ、俺がアルカに弟子入りしたんだ。色々学べることもあるかと思ってな」
「えっとその宿って言うのは……」
「ああ。恥ずかしい話なんだが……、金が無い身なのでな。現在は同じ部屋で宿を取っている」
「…………うぉ、うおぉお」
「まあ、そういう訳だ。マリナさん、付き合わせてしまってすまなかった」
「イエ、ソノ、コチラコソ……」
「では、また」と言い残し、サタンとアルカはマリナの元を去っていった。
余りに多くの情報を詰め込まれ過ぎたために、マリナの思考回路はショート寸前であった。