第一話 魔王様、旅立ちですか?
新連載、はじめました! 宜しければ応援をお願いします!
「もう限界だ! 俺は魔王を辞める!」
魔王城玉座にて俺はそんなことを叫んでいた。
「ど、どうしたのですか、魔王様! いきなりそんな……」
俺の右腕とも言うべき配下、グレゴリウスが悲痛な叫びを上げた。
普段は相手を恐怖に陥れる最強の悪魔も、今や泣きそうな顔でこちらを見上げている。
しかし、俺はそんなことで、自らの決意を曲げるつもりはなかった。
「いや、俺は決めたんだ。もう魔王を辞める、と」
「そんな……魔王様で無ければ魔王軍の指揮は取れません! 貴方がどれだけ魔王軍に必要な存在であるかはよくご存じの筈!」
「そりゃあそうだろうよ」
俺は右手の拳を強く、強く握りしめた。
「グレゴリウス! お前、俺の連続勤務日数知ってるか!? 百年だぞ! 百年! 頭おかしくなるわ!」
そう――――既に俺の連続勤務日数は常人であれば狂っているレベルに達していた。
何故なら魔王の職務は多岐に渡るからだ。
魔物たちの指揮采配を決め、勇者や冒険者の襲撃に備える。警備の穴が開かないように、さらに言えばバランスが保たれれるように常にレベルの高い魔物と低い魔物のバランスを考えての警備配置。
魔物たちの教育、レベル上げの補助、環境の構築。弱い魔物ばかりでは魔王軍はすぐに勇者に攻め込まれて崩壊してしまうだろう。
また、警備に際しての罠の設置、ダンジョンのメンテナンスを怠っては長く戦うことができない。最新の設備へと投資するのか、はたまた今までの設備を使い続けるのか、現場の魔物の話も聞きつつ、それらの管理を行っていく。
一切の無駄がないかどうか、それらを経理の魔物と相談することも重要だ。現在、魔王軍は公務とう扱いで、その給料は魔物たちの血税によって賄われている。よってお金の無駄は魔王軍の信用に関わる。金銭の使い道は透明性を保った上で適正に使われなくてはならない。
魔物たちの士気には常に気を配る必要がある。命を懸ける仕事だ。それなりの報酬を与えなければ魔物は絶対に従わない。それとなく話しかけてそれぞれの魔物と仲良くなっておくことで彼らの不満を聞きやすくしておき、福利厚生などにもきちんと気を配る必要がある。
また、飲み会やイベント毎なども定期的に開く必要があった。若い魔物たちの懐事情も考え、幹部たちの肥えた舌にも合うような、コスパ、味ともにレベルの高い店を普段から探しておくことも必須である。
さらに言えば最近の若い魔物はコミュニケーションを取りたがらない傾向にある。彼らの気持ちを汲み取り、教育係の魔物と一緒になって彼らのことを考えていかなければならない。
その他の仕事、仕事、仕事、仕事、仕事…………毎日、朝早くから仕事を始めても日が変わるまで仕事は終わらない。
そんなことをもう何日も何日も――――気付いた時には百年も繰り返してしまった。
他の者に適度に仕事を任せれば良かったかも知れない。
だが、俺は人に仕事を任せるということが苦手だった。
人にお願いするというのがどうも苦手だったのだ。だから魔王に就きたての頃はただただ、がむしゃらに働いた。
そして何となくどうにかなってしまったのだ。魔王軍もそれで成長した。
そうなってくると、もう俺は仕事を放りだせなくなっていた。
五十年連勤超えた辺りから『そろそろ部下に仕事を任せなければ』と思った時期もあった。
しかし、部下に普段とは違う仕事を任せようとすると、ちょっとだけ残念そうな顔をするのだ。
『今日は予定があったのにな』とか『今日は子供に早く帰ると約束したのにな』とか。
そんな風な顔をする。
いや、実際はそんな事なんて微塵にも考えていなかったかも知れないが、俺にはそう思えて仕方がなかった。
だからそんな気遣いするぐらいなら……、と自分で仕事を片付けてしまう。
俺は結局、人を動かすことが苦手だったのだ。
世襲制であったことから、俺も流れで魔王という役職に就いたが……。俺以外の方がもっと上手くやれていただろう。
にも関わらず「まだ頑張れる……まだ」とか言っている内にどんどん時が過ぎていった。
彼女も、趣味も、友人すらもほとんどいない。連絡取り合える者など、仕事上の繋がりがある関係だけ。
仕事、仕事、仕事、仕事、仕事――――――――俺には仕事しかない。
全ては俺の責任だ。しかし、それを含めてなお、俺はもう無理であった。
つまり――――――もう限界だ。
「ま、魔王様はあの、ワーカホリックでてっきり仕事大好きの仕事人間なのか、と」
グレゴリウスが狼狽えた様子を見せた。俺はそれに「確かに」と頷く。
「いや、俺も仕事は好きだよ? 人間側の高レベル勇者を上手く抹殺できた時なんて小躍りするほど嬉しいし、うちの新人が逞しく育ってくれた時なんて涙が出ちゃうものさ。それにお前らも俺の指示に従って、気持ちよく仕事をしてくれる。それはとても素晴らしい」
「魔王様は素晴らしいお仕事を為さっていますから。適切な仕事量に、適切な報酬。頑張れば頑張るだけ、評価するのを忘れない。さらに我々部下に対する配慮、新人モンスターまでの名前を一匹余さず覚え、気さくに話しかけてくださる優しいお人柄。私が結婚した時などは特別報酬まで戴いて……ホントに嬉しかった」
「お前ら部下が俺を慕ってくれているのは嬉しい。でもね、そのお蔭でプライベートズタズタなんだよ、俺!」
「そ、そうなのですか!? 私はてっきり雌のモンスターを百匹くらい性奴隷として家に住まわせているかと……」
「そんな暇は微塵にもなかったよ! こちとら百三十を過ぎて、未だに性経験すらないわ!」
「な、なんと……確かに。いつまで経ってもお世継ぎの話が出てこないとは思ってましたが……」
グレゴリウスはこの世の終わりみたいな顔をした。実際にこの世を終わらせかけたことがあるほどの強力なモンスターであるだけに、その表情にはどこか説得力が感じられた。
「分かる!? そんな俺に対して、お前はいっつも愛娘の話すんだよ!? 取り繕って『可愛いね』とか『もうこんなに大きくなったのかぁ、時が過ぎるのは早いなぁ』とか言ってたけど、内心では涙流しまくってたからね!? 魔族の結婚適齢期とか五十くらいからだけど、俺もう百三十よ!? 糞みたいに貯めまくった金振りかざしても、彼女すら出来るか分からないよね! むしろ俺には金しか魅力がないのに、金に付いてくる雌とか怖すぎてやだわ!」
「…………はい」
すでにグレゴリウスに返事を返すだけの余裕は無さそうだった。
ただただ、俺の愚痴を聞いていたのだった。
そんな彼の姿を見て、俺はようやく我に返る。
「……すまん。つい熱くなってしまった」
「いえ。魔王様のお気持ち、とても良く分かりました」
グレゴリウスは決心したように言った。
「分かりました、魔王様。我々も貴方を頼り過ぎた。優秀である貴方に甘え、全てを任せすぎたのです。これからは――――我々の番です」
「グレゴリウス……ありがとう。他の部下にも俺からきちんと伝える。皆、お前のようには納得してくれないかも知れないけれど……それは仕方ない。でも、ちゃんと業務の引き継ぎが終わってから引退するから」
「いえ、その必要はありません」
グレゴリウスは自信満々に胸を叩く。
「貴方様の業務、私は常に見ておりました。また、私だけでなく他の部下たちも魔王様の業務は常に見ておりました。尊敬しておりました。しかし実のところ、我々は貴方様に頼って欲しかったのです。だからこそ、貴方様の業務を観察し、いつ魔王様がお休みになっても良いように準備しておりました」
「……グレゴリウス」
「当然、魔王様のように上手く業務を回すことはできないでしょう。魔王様、貴方を失ったことで魔王軍が受ける損失は計り知れません。しかし……魔王様はそれ以上の貢献をして来られた。……もうお休みになっても良い頃合いです」
グレゴリウスはそう言いながらも、その目には涙が流れていた。
その涙こそ、俺を惜しんでくれる何よりの証明だ。
俺も、その涙に貰い泣きしてしまう。
ここまで言われてしまっては、俺が魔王軍に残る方が彼らにより気を遣わせる結果になるだろう。
予定が早まるが――――すぐに出発しよう。
「ところで魔王様、これからどちらに? 宜しければ我々が手配を――――」
「いや、良い。これ以上の迷惑はかけられない。それにまた、一から生活を始めるというのが良いんだ。お前のその気遣い、気持ちだけ受け取っておこう」
「……勿体なきお言葉です」
それにもう俺は行き先を決めていた。
「実はこれから人間の領地に行こうと思っている」
「人間の……? 何故あんな下賤の……」
グレゴリウスはあからさまに嫌な顔を浮かべた。
彼は勇者に右腕を斬られてしまったことがある。すぐに回復するとは言え、その痛みを忘れたわけではないのだろう。
それは俺がその勇者に責め苦を与えた後、葬り去ったところで変わらなかった。
グレゴリウスの人間嫌いを責める気にはなれない。
「なに、この領地では俺の顔は知られ過ぎているからな。顔を変え、変化してみせても気付かれるかも知れない。我々、魔物や魔族は優秀な者が多いからな」
「何を仰いますか。誰に魔王様のスキルを見破れる者がおりましょうか」
「それに知らない世界を巡るのが良いのだ。……すまんな」
「……いえ。それが魔王様の決めたことであるならば」
グレゴリウスは深々と頭を下げた。
この敬愛が、これっきりだと思うと、やはり寂しい。
「魔王様」
俺が魔王城を出ようとすると、グレゴリウスが口を開く。
「いつでもお戻りになってください。我々は全員、貴方の帰りを歓迎します」
「……うむ。よきにはからえ」
そう言って俺は転移魔法を使って、魔王城を後にした。
俺は決めたのだ。仕事を辞めて、のんびり暮らすのだと。
スローライフとやらを満喫するのだと――――