日常5
「………レイド。」
温かな声が降ってきたことに少なからず驚愕しながら上を振り向くと、柔らかな祖母の眼差しとかち合って困惑した。
どういうことだ。
なぜ怒られない?
驚愕のまま、祖母を見詰めて言葉を失う。
俺の父は厳格な人であった。常に「当たり前」を尊び、それに背くものには一も二もなく容赦しなかった。
何をしたかって?
それは想像に任せる。
時に暴力さえも振るう彼の物差しが何を基準としていたのかは今となっても定かではないが、当時の俺はそれを頭から信じていた。
当然である。
なんでも、人間という生き物は不思議なもので、幼い頃から脳に何かを刻まれ続けられた場合、それがどんなに他者から見れば狂ったことであろうが、その人間はそれを常識と規定し、それを元に物差しを決めるらしい。
例えば、「殺人は尊ぶべきこと。むしろ殺せば殺すほど良いのだ」という教えを受けつづけた子供は、成長して連続殺人鬼になるかもしれない。
例えば、「人助けは良いことだ。自分がどんな状態であろうと、真っ先に全てを投げ打って手を差し伸べることができる人間は何よりも素晴らしい」という教えを受けつづけた子供は、成長して何よりも他者の為に尽くした結果、過労でその命を散らしてしまうかもしれない。
上記の例は少々極端すぎるかもしれないが、俺の現状をより理解しやすくなるようにこれでも俺なりに判断した結果なのだから許して欲しい。
でもこれらはすべてあくまでも仮定。そうなる、と明確に決まった訳ではないのだ。
大切なのは刻まれた記憶などではなく、その結果個人がどう行動し将来に繋げていくかなのだが、当然幼い俺はその事を知る由もなかった。
彼には何も無かったのだ。
正しい情報を知る術も。
その情報をもたらしてくれる人も。
そして何より、それを知ろうとする覚悟も。
全てが足りなかった。
故に俺は今の状態を甘受して受け入れ、「無垢でいたいけな子供が父親の思うままに操られている」と言えば聞こえはいいが、結局はこの何不自由ない怠慢が許される世界から逃げ出したくなかったのだろう。
知りたくなかった。
だってそうだろう。
どこの世界に、自分の親が狂人だなんて認知したい奴がいる。
仮にも自分の親が、自らの信念を曲げられただけで暴力を振るうような愚かで浅はかな、腐り切った人間なのだ、なんて理解したいやつなんて、いるわけがない。
いるとすれば、すべてを受け入れた上で、なおそれに自分の信念を持って戦うことが出来る人間か、あるいはやむを得ず受け入れた結果、何もかも絶望してすべてを諦めてしまう者だろう。
俺は前者だ!と胸を張って言いたいところだが、残念ながら俺は後者だ。例えばヒーローなんかは、迷わず前者なのだろうか。俺には無理だ。そんな大層な信念なんて、欠片も持ち合わせていない。
だからこそ、余計に真実を知りたくなかった。
知ってしまえばもう何も知らない頃の自分には戻れなくなる。
知らなければ父のせいにでもして、世の中の事を恨んで、少しでも楽に諦められるんじゃないだろうか。
今となってはとても浅はかな事だが。
そう思っていたからだった。
父の「当たり前」の物差しが果たして何を基準としていたものなのかは想像するしかないが、それでもいろいろなことを理解した今なら言える。
俺の父親は狂っていたのだ。