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j  作者: 椅子の下のトマト
1章
9/14

9話 『そうだ、バイトしよう』

それから3日が経った。


俺はもうあれから剣やそれ以外の物騒な物には触っていない。

その間、サキは毎日のようにエミリアと同じ広場へ行き剣術の練習に励んだ。

今じゃエミリアが驚くほどに上達してしまったらしい。


ユーリは変わらずずっと本を読んでいる。

街に図書館があり、ミラが食材を買ってくる度に一冊、一冊と新しい本が追加されていく。


そんなある時。

店をミラに任せたジェイデンが珍しく昼間家のように戻ってきていた。

ユーリとジェイデンは仲がいい。


愛想のいい性格だからか、ジェイデンはミラに劣らず人気があった。

容姿も渋いオヤジ、口を囲う黒髭がより雰囲気を醸し出す。



俺はというと話す2人と同じリビングで、読めもしない本をペラペラと捲っていた。

俺の部屋の本棚から持ってきた本だった。本というか図鑑だった。

楽しくはなかったが、植物図鑑や生物図鑑を眺めていた。



なんてだらしない時間を送っていたんだろうか。

すでにジェイデンとユーリは俺を話の話題にし、チラチラと目線を移してきていた。

俺は3日間、全く気付きもしなかった。

そのせいか、このあと告げられた言葉に驚愕したのだ。



「お前さん剣術はやめたんだろ? そんなんじゃいけねえ。働いてもらわんと困るぜ」


紙捲る手が止まり、横たわったソファから顔を覗かせると、ジェイデンが俺を見ていた。

言葉の末を繰り返すと、ジェイデンは大きく頷いた。



「残念ながらウチも余裕がないんでな。タダじゃもう面倒を見てやれないんだよ」

「え⋯⋯元気になるまでここに居ていいって⋯⋯」

「あれ、てっきりもう有り余るくらいに元気になったと思うんだが」



黒髭の間から白い歯が覗く。

自分の体制を見ると、ソファにただ横たわり、遠慮なく足を組んでいる姿が目に入った。

これ以上ないくらいにダラけている。

たぶんグラン以上だ。いや違う、奴はあれでもちゃんと動くときは動いている。



「⋯⋯働くって、何すんだよ? 俺まだ何も分かんないっすけど!」



俺だけ何もせず、金を食い続ける邪魔者になる覚悟はなかった。

投げ捨てるような口調で返事をすると、ジェイデンは満足そうに顔を縦に振った。



これでも物心がついた頃からずっと勉強ばかりしていた。

俺には母親、母さんがいた。


親父が学力について怒鳴るようになる前から、母さんが生きていた時からずっと勉強ばかりしていた。

そのせいとまでは言わないが、バイトをする選択肢はなかった。

特に欲しいものも、行きたい所もなかった俺に金はそこまで必要じゃなかった。

よって俺に、バイト経験は皆無だ。



何故俺だけバイトを? サキはいいのか、と思いはしたがサキはやる必要がない。

彼女は剣が出来る。

街に数人いる警備員のような人間、またグランの銃やエミリアの双剣。

あれらもこの世界じゃきちんとした仕事に繋がるのだ。


街の周辺では主に、『魔物退治』。

魔物とは、人間を襲う気性の荒い生物のことだ。

力も、元の世界にいるような生物に比べると違いは歴然。

身体強化ブーストがかけられているのだ、生身の人間じゃ立ち向かえば死ぬ。


魔物の繁殖は凄まじいもので、どんどん出現するのだ。

街が襲われれば大惨事。


それを防ぐのが戦いの術を学んだ人間、ということだ。

比較的、もちろん報酬は高いものになる。



意味がわからない。

サキはそれさえも「やりたい」と言い出すのだ。

奴の好奇心は時には命をも軽くする。



長くはなったが、これが出来ない俺はもう普通にバイトをしないと金が稼げない。

住む場所を失う。それはアカン。




「心配する必要なんかないさ、君のような男なら雇い手は沢山ある」


ユーリがテーブルに山積みにしていた紙を手に取り、ペラペラと捲る。

ペット、ベビーシッター。街の掃除、個人の庭の掃除、また庭の掃除、などなど。

最初からこの展開になることを知っていたかのように準備がいいのは、⋯⋯果たして偶然なのだろうか。



「それもそうだが最初はやはり慣れていないからな。どうだ、俺の店で慣らしてから他に行けばいいだろう」



俺の店とは、ジェイデンの店。アトラスの酒場のことだ。

まだシルバの街さえも把握していない俺に、突然知らない人の所へ働きに出るのは失礼。

ジェイデンの店なら街の人間が贔屓をしている場所だし、接客も学べる。料理まで担当することにはならないが、たまにミラに教えてもらえば次の仕事の幅も広がる。


接客を通して客と仲良くなれば、顔も知れ渡る。メリットしかない。



何よりジェイデンの『段階を踏む』という順序があるのに感動をした。



「よし! じゃあそうするわ、働けばいいんだろ! 俺も暇で体が鈍ってたんだよね〜」



ソファから立ち上がり、背伸び。

俺は異世界で人生初のバイトをすることになった。


ーーーーーーーーーー


全くの初心者だ。

まずは客への対応や、礼儀。

この酒場のルールなど。

料理担当は主にジェイデン。接客は娘のミラだ。



「よし! やるぜ、俺は!」

「やる気ね。みんな初バイトは緊張するはずなんだけど」


呆れ顔でミラは笑い、ほとんどスウェット姿の俺にある服を手渡した。

いわゆる『バイトの制服』である。

どこか古風な都心のカフェにありそうな制服だ。白いワイシャツに、黒地の細いネクタイ、腰にはサロン。

これはもう完全に洒落てるな。


迷わず袖を通し、結び慣れたネクタイを首に巻く。

心はもうワクワクだ。緊張感のカケラもない。

つまらない高校生活を送っていた俺は、とことん毎日バイトがしたいと唸っていたものだ。

異世界にまで来て元の世界でも出来るバイトをするのもおかしな話だが。


着替え終わり、ミラにチェックを受けると、


「うん! 似合うじゃ〜ん、様になってるぅ!」

とべた褒め。


異世界にいることさえ忘れてしまう。



バイト先で仲良くなった先輩と付き合うなんてエピソードを期待する。

いいことしかねーじゃん!

もうこれで剣術やら危ないことはなしだな!危なくなったらちゃんと術を学んだ奴に助けてもらえば問題は一切ないんだから。無茶までして死に急ぐ必要なんかないだろう。



「じゃあお仕事は明日からね。今日は軽く説明とかやるから。大丈夫よ、あたしでも出来る簡単なことばっかだし楽しいから! お客さんはみんないい人だしね」



仕事内容。

まず、開店前に俺とミラが店内の掃除を隅々までやる。床拭き、テーブル拭き、店の前など。立て看板や掛け看板も忘れずに拭くこと。ここに手を抜くと客足が減るといってもいいらしい。

次に開店。ジェイデンは料理をし、俺は主にホールで接客して客へオーダー通りの料理を運ぶ。

会計は全自動ではないので、数え間違いなどに注意。

人数が少ないのでドリンクを作る必要もある。

閉店後は、再び店内の掃除。使用済みの布巾なんかも洗濯、ジェイデンの手伝いなんかも含まれる。



客が来たら必ず『いらっしゃいませ』

ミスをしたら『失礼致しました』『誠に申し訳ございません』

帰りの際は『ありがとうございました』



接客担当、特に小さな店では俺やミラが顔になる。雰囲気は大事。常に笑顔を絶やさない。

酒場と言っても60日を10日区切りにした最初の3日は、昼間の酒を出すことはない。そのときの客の年層は子供から老人まで様々だ。対応に気をつけないといけない。


オーダーはすべてメモに取り、ジェイデンに間違えずに伝える。メモを渡す必要はなし、ジェイデンは見る暇がないからだ。といっても俺はこの世界の文字は一切書けないから逆に有り難い。


この世界は識字率が高くはないようで、俺やサキのように字が書けない読めない人は珍しくない。

それはもう仕方ない。今更覚えろなんて働くよりキツイ。

オーダー時に名前を覚え、ジェイデンの料理で見た目を覚える。もうこれしかない。



「なんか結構一気に言っちゃったけど大丈夫だった? アルバイトなんてここ初めてだから教育の仕方分からないんだよね、ごめんね」


彼女の言う通り、ノートを取る暇もないくらい言い終えてしまった。

ミラは両手を顔の前で合わせて謝った。


ざっと一気に言われたが、まとめればようはこうだろ?


掃除ちゃんとやって、基本的には笑顔。

注文受けて料理持ってって、会計の計算を間違えない。身だしなみ整えて、無礼な真似をしないで全力で挨拶。



一応これでもネットで調べていたりしていたから、ある程度は頭に入ってんだ。

あとは臨機応変にやってけば問題ないっしょ?


「ヘーキさ、任せな!」


バイトなんてやりゃすぐ慣れるだろ。

ーーーーーーーーー



次の日の朝。

なぜだか俺はいつもと比べ物にならないくらいに、早く起床した。

久し振りに寝起きが辛くない、いい目覚めだった。


もう嫌なことはせずにすんだ、と安心したからだろうか。

ストレスを感じる物事がなくなったからだろうか。


下の階へいくと、エミリアやサキ、ミラが朝食の準備をしていた。

俺が顔を出すと、「え、はやっ!?」ととても驚いていた。



「ははは、バイト初日に遅刻は出来ないからな!」


腰に手を当て大きめにアクションを起こした。

今日から接客だ、念願のバイトだ。普段は絶対にしない食器の用意を率先してやってみたりした。


「バイト?」


サキとエミリアが頭にはてなを浮かべた。


「そう、ミズキくん、今日からここの店で働くことになったのよ。といっても期間限定ねっ、社会経験を積むためよね〜」

「ね〜」


まるで秘密を共有した女子中学生のように、俺とミラは顔と一緒に声も合わせた。

エミリアは顔を引き攣らせ、サキは眉間に皺を寄せている。


「いつの間に仲良くなったんだよ」

「嫉妬かぁ?」

「はぁ? 違うわ!」


そこへ、起きて来たユーリとグランが部屋に入ってくる。

サキの攻撃を避け、彼等にミラが作った朝食を渡した。予想通り驚かれ、俺はまた1つ鼻が高くなった。



「仕事仲間とは仲良くしなきゃいけないからな! 見てろ! 俺は大成功してやるぜええ!!」

朝っぱらから柄でもない態度で気合を入れ、いつも以上に朝食をおかわりして沢山腹に溜めた。



「大成功だなんて、ここアンタの店じゃないんだから無理だろ」


エミリアがそんなことを言っていたが聞いていない。


朝食を終えるとジェイデンが店から帰り、俺とミラを呼びに来た。

「さあ、今日も働くぞ」


袖を捲ったジェイデンに2人で返事をし、

初めて、俺はこれからバイトをする店内へと足を踏み入れた。

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