2話 『憂鬱な日』
俺は学校が嫌いだ。
それは友達がいないからだとか、
勉強が嫌だ、
受験が嫌だ、
テストが嫌だ、
教師が嫌だ、
体育が嫌だ、とかじゃない。
⋯⋯いや、違うというわけじゃないけど違う。
勉強は嫌いじゃない。強制さえされなければやりたい勉強をする。
だけどそれが許されんのは他人に認められた奴の特権だ。
俺のような奴の権利じゃねぇ。
親の期待に応えたつまんねぇ奴の権利だ。
俺の弟のような。それかあの糞姉貴のような。
なんの仕事してんのか知らねーが父親、水樹宗一郎は、海外に本社をもつ社長だ。
一代目で日本を代表する大企業にまで成長、超優秀な人間だ。
弟は県内トップの超難関高校に合格した優等生。
胸糞ワリィアイツは眼鏡に映る目で、いつも俺を見下す。
毎日家にも帰らず彼氏の家に入り浸る糞リア充な姉でさえ、超難関大に通っている。
それに比べて俺はどうだ。
遊ぶ時間すら惜しんで受けた小学校は落ちて、
友達とサッカーもせず勉強して受けた中学校も落ち、部活動すらすっぽかして勉強して受けた高校も落ちた。
弟は毎日友達連れて遊んでたのに、俺は落ちた。
こんなん続いて誰が真面目に勉強するんだ。
小さい頃から毎日毎日勉強しろ、勉強しろ言ってた糞親父はもう俺と目も合わせなくなった。
中卒はさすがに父親が許さなかった。
日本に帰りもしないアイツはわざわざ家政婦に電話して言ったらしい。
嫌々通う馬鹿校なんかでやりたいことなんかねぇし、今更また大学目指して真面目にお勉強なんて、んなコトしない。
糞親父の会社を継ぐのは本当は長男の俺だったが、3度とも受験に失敗した俺より、人間関係も良好、評価もいい優等生に譲られる。
それもいいかもしんない。
無断で学校サボってもとやかく言う奴もいねーし、家にいる家政婦も何も言わねぇ。
恥とか他人の目もどうでもよくなった。
でき婚でもして姉は出てってくれればいいのに。
このまま用意された道辿って弟は社長にでも何でもなればいい。
「⋯⋯アイツらがいないトコにでもいけねーかなー」
俺は夜風に冷えた暗い部屋のベッドに横たわりながら、気を失うように目を閉じた。
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次の日の朝。
目覚ましもかけなくなった俺の部屋に響くのは、
登校中の小学生の声か、下で皿を洗われ、洗濯物が回る生活音だけだった。
いつも通り俺は布団の中でパチリと目を覚まし、電池残量26%と表示されたスマホを弄り二度寝する。
今日は何となくムズムズする。
いつもなら時間だけ見て寝るが⋯⋯。
「うわあ、エロいねーちゃんもいるもんだぜ」
検索欄に『無料 エロ動画』と入力し、出てきた過激な画像や動画を眺めては独りでニヤニヤする。
いーよなぁ、ヤれば金もらえんだろこの男優。
金貰ってエロいねーちゃんと⋯⋯やべぇ、天国。
どこか自分の無力さを感じながら、片方の耳に流れる女の喘ぎ声や生々しい音を聞いていると、だんだんと気が昂ぶってくる。
俺は躊躇いなしに布団を足で蹴り上げ、やけに使用感のない中学のジャージを膝まで下げ、自慰行為に走った。
時刻は9時17分。
世の学生、社会人は学業や仕事に追われる時間に俺は、シーツの上で快感を得ようとしていた
ーーその時。
「竜吾さん、起きていますか? 今日も学校はお休み⋯⋯ーー、えっ」
「あ」
絶頂を迎えようとした瞬間、
ガチャリと金属が擦れる音と共に現れた1人の小綺麗な家政婦を目の前に俺の醜態が晒された。
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「あっ、おは、ようございます。竜吾さん」
「⋯⋯っす」
時刻は9時32分
いつもは見ない専業主婦向けの情報番組に表示された時間に、俺はいつもより早い朝飯を迎えた。
つい先程の出来事により家政婦と俺の間に会話はない。
とは言ってもいつもないのだが。
用意された朝飯を無言で口に運び、興味もないテレビを眺める。
そこへ台所にいた家政婦が素早い動きで俺の目の前に白米がよそられた茶碗を差し出し、すぐに後ずさった。
クズ野郎な俺でも一応は雇い主の息子。
雑な行動に少しムッとし家政婦を見ると、赤くなった顔を下にしてモジモジする姿が目を襲う。
思わず呆れる。
なに恥ずかしがってんだよ、このババア
こっちは気持ちよくイけなかったの根に持ってんだかんな。
実を言えばさっきみたいなことはこれが1度目ではなく、11回目だったりする。
最初は中学2年の頃だった。
6年家政婦をやってた20代の女の目の前でやったのが最初だ。そいつは次の日にはいなくなってた。
残念だ。まぁまぁ美人だったから色々と世話になったのに。
それから今のババアまで、同じこと9回やり続け、その度に家政婦が変わって今は11代目。
あとの9人が辞めた理由も多分俺。どこか達成感を感じている。
このババアも近いうちにやめっかな。今度こそ可愛い若い女がいいな
「あの、竜吾さん」
新しい家政婦との妄想に浸っていた俺に、どこかメスの顔をしたババアが声をかけてきた。
俺は短く返事をすると、ヤツは顔を上げて口を開いた
「あの、今日は学校休みじゃないですよね? 創立記念日は先月じゃないですか。 さっき担任の先生から電話がきましたよ」
俺はテレビに顔を向けたまま動かなかった。
何を今更。今月で俺創立記念日何度言ったと思ってんだ。4回だぞ
別に不登校という訳じゃない。単位を落とさない程度にちゃんと全部計算してサボってんだ。それ以外なら学校へは行ってる。けど今日は行く気分じゃないんだが。
電話とか。担任も面倒なことしてくれんねー。
「今日はちゃんと学校に行って下さい。先生に行きますって言いましたから!」
もー、面倒くさいなぁ。
「わーったよ、2限から行く」
かなり不機嫌な声で俺は投げやりに返事をして、白米を勢いよく口に放り込んだ。
チラッと見たババアの顔はさっきから変わらず、
赤い顔を隠すように手に覆われていた。
飯が不味かった。
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10時53分
俺は人が少ないホームに立っていた。
季節は秋、いや冬と言えるんじゃないかと思えるくらい寒い。
昨日の夜に季節外れの降雪だったらしいが、地面には残っていなかった。
電子版に黄緑色で表示された次の電車の時間は、2分後。
マフラーに顔を埋めポケットに手を突っ込み、少し体を揺らした。
悴んだ手で操作していたスマホの液晶に映るゲーム画面が騒がしい。
興味もないゲームアプリを無心でプレイすること2分。ホームに流れる音楽とともに電車が大きな音を出して前を走り、ゆっくりと停止した。
数人しかいない車両内は静かで、空席が目立つ。
俺は小走りに電車に乗り、一番端の椅子に腰掛けた。
車掌のアナウンスにホームから音楽が流れ、それを合図に扉が閉まる。
憂鬱な気分を背負い俺はスマホの電源を切り、イヤホンを耳にさした。
数分後。
微かに耳の奥に届いたアナウンスで、次の駅の名前が聞こえた。
俺の学校があるのはこの3つ先。目を開けるとさっき停車した駅の乗客が多かったのか人が増えていた。
プシューと掠れた音とともに電車は減速。駅に停車した。
この駅も人口が多く、通勤ラッシュを過ぎたはずだが扉の向こうにはなかなかの人数が立っていた。
子供連れの家族や、営業中のサラリーマン
作業着を着たオッサンに、髪を染めた不良。
俺は少し居心地の悪さを感じながら、遠ざかるように目を無理矢理閉じてやった。
数秒後。ホームにまた聞き慣れた音楽が流れ始めた。
『扉が閉まります。駆け込み乗車はご遠慮ください』
新人臭い駅員の声が響くその中、
まさか今のタイミングか、と思わずツッコミたくなる光景があった。
バタバタと勢いよく走ってくる1人の女子高生。
ピピピピと扉が閉まる合図があるのにも関わらず、女子高生は電車に飛び乗ったのだ。
乗客の視線の中、はぁはぁと荒い息を漏らしながら閉まった扉に寄り掛かる姿に、俺は少し興味を抱いた。
どう見ても不良とは程遠い格好をした少女
それもそう。彼女が着ていた制服は、県内トップの難関高校の制服だったのだ。
俺が受験して見事落としてくれた高校様の制服だったのだ。
そんな優等生でも遅刻すんだな、と皮肉を思い浮かべていた。
だがその余裕も、彼女が顔を上げたその瞬間に崩れてしまった。
「⋯⋯あれ、ミズキ⋯⋯?」
その声に俺は聞き覚えがあった。
ゆっくり顔を上げ、視界に入った目の前の同世代の女に息が詰まる。
これ以上ないくらいに居心地の悪さを感じてしまう。
だが女は容赦なく、俺の座る椅子の前まで寄って来てしまった。
「サ、サキ⋯⋯。久しぶり」
「⋯⋯そうだね、何年ぶりかなぁ」
ニコリと明るく微笑んだ彼女は、隣の空席に腰掛けた。
彼女は佐木由香里。
昔、家の近くに住んでいた幼馴染だ。
ただ小学4年生の時にサキが引っ越してから、1度も会っていない。
どこに引っ越したのも知らず、
仲が良かったのにも関わらず手紙の1つも送らなかった。
小さい頃は背中につくくらいに長い黒髪だったが、今は肩につかないくらいに短く切っている。
そのせいか、俺はすぐに気付かなかった。
奥深くに潜ったサキとの記憶が、今頭の中を激しく渦巻く。
隣り合って座ったせいでとても気まずい。
緊張や戸惑いを意地で隠し、俺は普段通りを演じる
「あのマジメちゃんが遅刻とは中々怠けてんじゃねーの?」
結果、からかうような口調になった。
そのおかげか、サキは頬を膨らませて俺を睨んだ。
「そんなんじゃないっての。 ちゃんと理由があっての遅刻だから」
「ふーん、理由ねぇ。いくらでも嘘は言えっからな」
「アンタと一緒にしないでよね。てかその髪どうしたの」
指を指された俺の髪。
自分の髪を軽く引っ張り、その色を確認すると「あぁ」と声が漏れた。
「別に。いーだろ、似合うだろ」
「⋯⋯なんか印象悪くない?」
「分かってねーな」
黒髪のサキと比べるとそれは明らかな違いで、どちらかというと同じ車両に乗るヤンキーとの方が似たところがあるといったほうがいい。
俺の髪にはもう黒の面影はなく、色が抜け金に染まっている。
これも学校への無意味な抵抗。無駄に厳しい校則に背きたい小さなプライドなのかもしれない。
いつの間にか次の駅に電車は停車し、再び発車。
最初のうちはまだ平然を装うことが出来たものの、
いつの間にかサキの話に相槌をうつだけ。いや、今はもう独り言のようになっている。
悪気はないはずだが、サキの話がだんだん受験や進路の話になったからだ。
サキは大学進学率が高い高校に通っているし、高校三年の秋だ。気にならない訳がない。
だが俺は気分が良くない。それは隠せなかった。
気が付けば視界は、サキの顔ではなく、外の流れるような景色。
「うん」「そうだよなー⋯⋯」
この二言が永遠と繰り返されていた。
そしてついにサキも何かを感じて、口数が少なくなる。
ガタガタと規則的に動く車内。二人で揺られながら、一言も喋らず同じ景色に見入っていた。
すると、ガタン!と一度大きく車両が揺れた。
突然線路が曲がったのか、座っていたのにも関わらず俺の頭は鉄棒に叩きつけられた。
立っている乗客はスマホの画面から目を離し、キョロキョロし始める。
いつもならこんなに揺れることはないんだが。
サキの心配そうな態度に俺は軽く大丈夫だ、と返事をした。
それもつかの間。
ーーガタン!!
「うわっ」
「いった⋯⋯!」
今度の揺れは偶然とは思えなかった。
サキはその衝撃に腰を上げた。
「な、なんだぁ!?」
「なに〜? 事故かなんか〜?」
それだけでなく、もう車内は混乱状態だった。
たった今も揺れ続け、これはもう普通とは思えない事態だ。
静かに座っていた乗客も慌てた表情を晒し、
何組かの家族は子供を庇い、あるカップルは甲高い悲鳴をあげる。
サキが座り続ける俺を放って向かったのは窓。これ以上は線路も車輪も見えないのだが、彼女は顔を突き出して確認しようとしていた。
「なんだよ、これ⋯⋯」
重い腰。 動かなかった。⋯⋯いや、
動こうとしなかった。
ガタガタガタと車体は左右に揺れ続け、脱線しないのが不思議なくらい。
気持ちが悪くなってきた。酔ってきた、視界が、歪んできた。
そして最後。
自分の耳で聞いたとは思えないくらいの鈍い音を残し、電車は宙に浮いた。
途端、乗客は声にならない声で叫んで、
一斉に目を閉じた。