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j  作者: 椅子の下のトマト
1章
13/14

13話 『 』

 俺は建物の壁に背中を付け、様子を伺っていた。

 もちろん何が起こっているのかは見れなかった。

 少しでも顔を出すのに抵抗があるからに決まっている。



 ただ分かるのは、人間じゃない何かがすぐ近くにいて、

 恐がる人間が叫び声をあげて走っていることだけだ。


 まだ先程まで遠くにいたはずなのに、もう目の前にまで来てしまっていた。不思議なのは魔物が襲ってきた方向が、魔物の森とは逆方向だったことだ。

 だから警備を免れたのだ。予想外の被害が起きてしまっているのだ。



 ああもう、動けねぇ!

 どうしても足が竦むぜ。


 隙間から外を見ると、シルバ祭により配属が倍になった街の警察官のような人物。

 手には無線、何人もの警官が応援を呼んでいた。



『シルバに魔物が現れた』

『至急応援を頼む』



 黒服を来た大人が腰を低め、俺からじゃ見えない魔物に向かって拳銃を撃っている。

 パンパン、パンパンと聞き慣れない音が鳴り止まない。

 その他にも逃げずにこの場に残る人間がいる。魔術師や戦士だ。


 攻撃をしているのだろうか。

 やっとの思いで後ろを覗くと、剣士が剣を振り、斧を振る戦士や呪文を唱える魔術師が魔物を弱らせようとしていた。

 魔物は俺が襲われたバケモノとは違う風貌で、毛はなかった。そのかわり、汚れた赤色の鱗が体全部を覆っている。無数の牙は真っ白で、手足が計6本。


 四方八方から魔術が飛び交い、剣士が鱗目掛けて剣を振る。さっきより戦士の数が減っていた。

 建物を容赦なく破壊し、魔物は咆哮。全く効いていないように見える。



 戦える人間がいるのに、あの魔物を倒せないのだ。

 比べるほどでもない、あのバケモノより遥かにデカい。



 ーーこの場にせめてあの3人がいたら。

 腰を抜かして、逃げ回る戦士まで現れているのだ。あの3人はそん腰抜けじゃないはずだと、根拠もなしに俺は願った。

 ただし無駄だ。絶対に叶いもしない願望を浮かべるが無意味。


 しかも今魔物に立ち向かっている戦士全員距離を置き始めてしまった。



 様子を伺っているのか? なんで逃げてばかりで攻撃をしない? ここにいるのは全員腰抜けか?

 くそ、雑魚が! さっさと叩けよ!

 あんなの放っておけばそれだけ被害が出るに決まってるじゃないか。



「おい、君! 何をしている!」


 拳銃を構える警官に見つかる。

 余裕がないようだ、こちらは一切見ずに魔物に弾を撃ち続ける。

 完全に警官の方が戦士より勇敢だ。



「早く逃げろ!」

「っ! わ、分かってる!!」



 逃げられねーからここにいるんだろうが!


 魔物の長い尻尾が暴れ、立ち並ぶ建物が薙ぎ倒される。視界を眩ませ、咳を起こす砂煙が発生。気を抜けばすぐに吹っ飛ばされる。


 すでに何十人もの警官や戦士、そして逃げ遅れた人間が倒れていた。

 這ってでも逃げようとする者。

 手足を失いながら駆けてゆく者。もしくは、

 すでに死んだ者。



 俺は見られなかった。

 血を流し、必死で生き延びようとする人を助ける勇気もなければ目を向けることも出来ない。

 もう血を見るのは嫌なんだ。

 またあの痛みを味わうのなんて懲り懲りだ。


 逃げろ。

 今俺がやらないといけないのはここから去ることだろ。

 逃げろ。

 逃げろ!



「今だ、行け!」


 警官の声が届いた。

 さっきの警官がタイミングを図ってくれたのだ。パンパンと銃を撃ち、逃げ道を必死で指を指していた。

 俺は躊躇わずに走り出した。


 何も考えず、足を動かすことだけに集中して。

 一切の油断を持ってはいけないはずなのだ。



『グァアアァァアーー!!』



 凄まじい風圧とともに俺の体はいとも簡単に宙へと上がった。

 力強く地面を蹴っていた足が浮き、フワッとする感覚。数秒もしないうちに重力に負けガン! と体を地面に打ち付けた。



「またか、よっ⋯⋯!」


 胸部に鈍痛。声も出ない。

 やっとの思いで目を開け、トラウマになっている状況じゃないか体に触れた。血は出ていない、ただ腹部に激痛が走った。

 グダグダしている暇はない。立ち上がろうと膝を立てた時だ。



「っ⋯⋯!」


 意識的に避けていた光景が目を襲った。俺はすぐに理解した。

 バタンと、目の前にさっきの警官の首が落ちてきたのだ。

 びちゃあ、と顔面から警官の血を浴びる。



 ーーまずい。まずいまずいまずい!!



「魔物じゃない! 魔獣だ!!」


 ある剣士が叫んだ。

 その短い言葉にどれほどの絶望が含まれているのか。


 やつは火を吐いた。

 大きな口、人を噛み砕いた血が残る口の奥から赤く燃え盛る炎が。

 今度こそ戦士たちは距離をとった。

 逃げ遅れたものは皆、喉を潰すほどに絶叫し、体を地面に擦り付けやがて死んだ。



 俺は立ち上がった。

 俺は走った。


「へっ⋯⋯、幸い手足はついてるっ⋯⋯!」



 魔獣の目は魔物のように赤く光らない。

 ただ、緑色に輝く。

 その目に睨まれれば死の文字が浮かび上がってしまうのだ。


 鱗がとてもいい表せないくらい綺麗な音で逆立つ。

 濁った空気、噎せ返るような匂いとは正反対に空は晴れ、太陽が魔獣を照らす。

 キラキラと輝く神秘的な生物だ、人間のほうが醜く見える。



 俺は走った。

 走ったが魔獣は距離を詰めてくる。

 獲物を追う野獣の目だ。血を欲しがっている。

 元気に走る俺に狙いをつけてしまったんだ。



 ーーやめろ。



 立ち向かったある魔術師は、

 魔獣の長い爪に抵抗も出来ずにスパンと首が飛んだ。⋯⋯俺を助けようとしたから死んだ。



ーーダメだ。



 魔術師の顔が目の前、

 無残にも片方目玉が飛び、髪が毟り取られている。そして、



「あっ⋯⋯」


 見せつけるように魔獣の歯に潰された。

 もう1人の、違う人間の血を浴びた。


 ーードクン。



 止まった。

 足が止まった。


 崩れ落ちる。

 膝に鈍痛。

 こんなもんじゃない。



「あ゛あ゛⋯⋯あ、あ゛っ」



 痛い。

 頭が痛い。


 釘で打ち付けられているようだ。

 目を抉られているようだ。


 感じたことのない頭痛に俺は立ち止まることが出来なかった。動かずにはいられない。

 頭を抱え、髪を掴み、口が閉まらず、地面に涎が零れ落ちる。



 何度頭を殴っても痛みは治らない。

 何度足を打ち付けても変わらない。


 痛いんだ、痛いんだ!

 どうしたらいい!?


「君何をしてる! はやく逃げろ!!」



 人の悲鳴、魔術、金属音、怒号。

 すべてが遠く感じた。



 ⋯⋯あれ。

 血が見えなくなったな。赤いものが見えないな。

 耳が遠い。目もやられてしまったのか?

 ⋯⋯ああ、そうか。じゃあもう、



 ーーどうだっていいや。



 その瞬間、身体の痛みが消えた。

 腹が砕かれ、火傷するくらいに熱い。

 気分がいいんだ。

 体が熱い⋯⋯。血の流れが全部、どこに通っているのかが分かる。


 けどまだ痛いなあ。まだどこか・・・が痛いままだ。

 これじゃあ死んじゃうかもな。


 死ぬつもりはないんだよ。⋯⋯どうすれば生きられるかなあ。



「くそ! そこのお前だ! さっさと⋯⋯」


途端、叫んだ魔術師を俺の拳が殴った。



「うるさいんだよ」



ーー雑魚が。⋯⋯俺がやる。



 いつの間にか俺の口元は楽しそうに笑っていた。

 魔術師の声を遮り、乱暴に押し返した。

 思ったより遠くに吹き飛ばされてしまったようだ。 積まれた瓦礫を再び崩れさせ、1人の魔術師が気を失った。


 はっ、と呼吸をした。


 走り出した体は信じられないほどに軽量化され、一切の摩擦を感じさせまいと風を斬る。

 間髪を入れず腰を下ろし、腕に担いだ岩石。岩石の威厳はおろか、俺の腕は水を掬い上げるのと同じ力でそれは空中へ投げ飛ばされた。いや違う、俺は魔獣の顔面を狙った。

 しかし太い腕で砕かれ、粉々になり舞う。

チッと舌を鳴らすと、魔獣の口から再び赤い炎が吹き出された。

音速を超えるような速さ、気づけば炎は視界を占領していた。



「危ないぞ!!」


ある魔術師と戦士が声を合わせて叫んだ。


全く慣れていないんだ。魔獣の炎から逃げることも出来ずに真正面から身体を焼かれ、魔獣の硬い手に殴られ顔の面積が信じられないほどに小さくなった。それほどの圧力、血がいたるところから吹き出し、瓦礫の山真っ逆さまに頭から突っ込んだ。


異常な量の血。

誰もが生きているとは思わない状態だ。



「これ以上一般人を死人にするな!」

「くそっ、分かってる!」


ーーーーーー


血に染まった炎を吐く魔獣。

大剣を振る若い男剣士。

長い黒髪を流し杖を握る魔術師。

金髪の少年。


それ以外に生命体は残っていなかった。

魔術師と剣士に付着した血は己のもの以外に、すでに死んだ戦友の血。

彼らにとって魔獣は、大切な人を奪った殺害者。


もうこの魔獣は自分らの手にはおえない。

軍の応援がくるまで時間を稼ぐしかない。


これ以上、さっきの少年のように悲惨な死に方をする人間を出しちゃいけない。

そう思った時だった。



「まだ死んでねーよお!!」


瓦礫から聞こえた男の声。

魔術師が振り返った時、そこにはあの金髪の少年はいなかった。

どこだ。

それを見つける前に、魔術師と剣士の服をまた他の血が汚した。


全壊、半壊した建物が震えるくらいの凄まじい咆哮。

それだけじゃない、少年の笑い声が響いた。


ぶしゃあ、と血飛沫。

魔獣の顔に張り付いている少年があとの2人の目を襲った。



異常な笑い声をあげ、魔獣の右目を素手で刺し続けるのを。

戦士の服でもない。シルバの田舎の人間が着る布を縫っただけの、

簡易な服装をしたただの男が無我夢中に目を潰しているのだ。



「そこのガキ離れろ!」


隠れていた剣士が勇敢にも魔獣の足元を斬りつけるが、効果はなかった。

いや、あったのか。


されるがままにされていた魔獣が地に足をつけた。

逆効果だった。少年の小さな声はかき消され、魔獣は高く飛び上がった。

逆立つ鱗が変化、大きな羽根を作り出したのだ。



魔術師の杖に光が宿る。

彼は無詠唱の使い手だった。淡い蒼い光、魔法陣が何もないところから形成され水が噴射される。

弾丸の威力を持った水の魔獣は魔獣の足元に命中。



「がっ!!」


しかし遅かった。

少年の動きは早い。だが遅いのだ。

彼は全く戦闘経験がないのが明らかだ。完全に丸腰だ。

避ける脳もなければ、着地の能力もない。


少年の左腕が噛み付かれた。

人形のように振り回され、ついに体と腕が分かれた。

もう一度地面に叩きつけられ、地面に蜘蛛の巣模様が描かれた。

血が放物線を描き、舞う。


少年は白目を剥き、だらんと口を開けていた。

今度こそ死んだ。彼らはそう思った。


魔術師の水の魔術も最早効果はない。

魔獣は魔物と違い、驚異の学習能力を持つ。すぐに学んでしまうのだ。

攻撃は命中しない。術者の心境すら読み、そこに突き入る。

だから魔獣は数が少ないながらも絶滅しない。



「だめだっ⋯⋯! 人が足らなすぎる!」



この場にいる剣士と魔術師、そして戦士。

みなプライドが高く、自分1人でどうにか出来るとまだ思い続けていた。


ーーこれじゃあダメなんだ。


そう先に気が付いたのは、魔術師だった。

そして再び自分の目を疑ったのも魔術師が最初だった。



『ガァアアァァア!!』


魔獣が唸った。

金髪の少年が動いていた時からずっと鳴きもしなかった魔獣が呻きをあげた。


潰れた右目。

今度も潰された。ーー左目だった。

魔獣は後退り、地面から足を離した。離されたのだ、衝撃に負けたのだ。

魔術師は目を疑った。


魔獣の左目を抉ったのは、ヤツの口からうねうねと伸びてきた黒い触手。

黒いが、所々が赤く光っているような異様な触手だった。

その触手はどこから伸び、いつ仕掛けられた?


魔術師は気が付いた。

途端に後方からドスン! と目にも止まらぬ速さで、そして赤い鱗を吹き飛ばす勢いで、黒い棘・・・が魔獣を突き刺した。ヤツの口で動く触手と同じ色だった。



「あ、ありえない⋯⋯!」


魔術師は振り返る。予想通りの光景だった。

いつの間にか恐怖すらをも抱いていた。

金髪が赤く汚れ、身体中に血を浴び腹部を負傷、そして右腕を噛み千切られた少年がいる。

先程までは一滴も感じなかったはずが、

今じゃ噎せ返る程の魔力を感じていたからだ。


そして魔獣を突き刺していたあの黒い棘はもちろん、彼だった。

少年の右腕。その代わりのように堂々と黒い棘は存在していた。



「⋯⋯足りない⋯⋯足りない⋯⋯」


不気味だった。

魔獣は絶え間なく悲鳴をあげているのに、少年は聞こえていないような様子だった。

ブツブツ呟き、頭を抱え始める。


痛い、痛い、痛い。


魔術師は聞こえた。

声だけじゃなかった。

魔力がそう言っているように聞こえた。

もちろん、魔術師の勝手な思い込みだが。



痛いんだ。

治らないんだ。

目も。首も。足も。手首も。肩も。頭も。心臓も。

全部痛い。痛くてしょうがない。


しかし。魔術師の思い込みは案外当たっていた。



俯いていた、戦い慣れしていない弱々しい体をした少年が顔を上げた。


「⋯⋯どうしたらこの痛みを消せる?」


ビクン。

魔術師は萎縮した。



少年の腕から伸びた棘が複数に分かれ、すべてが全壊した建物の残骸を掴みそして、

魔獣に投げつける。

あの魔獣は炎を吐く魔法を使う魔獣ではなかった。

全身の鱗を自由自在に操り、変化する。少年の攻撃を受けながらも魔獣は次々と肉体を変化させていった。

時には鳥に、時には蛇に。


もう魔術師だけでなく、剣士と戦士も戦うことをやめ、異様な少年から目が離せなくなっていた。


いくら爪で、牙で体の一部を噛み千切られ、吹っ飛ばされても、

少年は死ななかった。

切断面からあの禍々しい触手が何本も現れる。

それは魔獣を攻撃する岩石を投げる役割を果たしながら、

元の形に戻ってゆく。


切られた体の一部は再び少年の元へ還ってくる。

血一滴でさえ、残さずにすべて少年の元へ。

異様だ。異様すぎる。



腕が切られ、足が切られ、腹が切られても少年は瓦礫を飛ばすことはやめなかった。

魔獣を攻撃する。

いや違う、魔術師にはこう見えた。


何かから逃げているように。何かから自分を守っているように。

⋯⋯少年はずっと、頭を抱えていた。



「あっ⋯⋯!」



魔獣が口を大きく開け、炎を噴き出そうとした瞬間、

その場にいた皆が口を開けた。少年もだ。


少年の棘を突き刺されながらも生き続けた魔獣、ヤツが。


ブシャアアッ


突然顔面が大幅に潰れ、そしてしぼみ、盛大に血を噴き出した。

少年ではない。彼が一番驚いていた。


魔力を感じない剣士や戦士でさえ気が付いた。

なにか凄まじい何かがいる、と。


そう思うと皆一斉に後ろを振り向く。


そこにいたのは、

白髪しらがの老い耄れで、黒い古びたマントを羽織って立っていた男だった。


魔術師はその男が何者か、すぐに理解した。

そして剣士と戦士もだ。少年以外は全員誰であるのかを知っていた。



男は金髪に少年の目の前で止まった。

陽に照らされた顔は褐色で、年の割には強過ぎる風貌であった。



「⋯⋯勇敢な若者だ。見事」


剣士、戦士は腰を抜かし尻餅をつき、男を直視していた。

少年は訳が分からず黙っていたが、すぐにフッと目を閉じ今度こそーー倒れた。


その顔はもう痛みに追われた表情ではなく、眠っているようだった。

そして薄い意識の中で少年が聞いたのは、


【コウ・ヴァーゴ】の名前だった。

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