11話 『お金を稼ぐ、とは』
その日の夜も眠れなかった。
隈はやはり寝不足だ。寝たはずだが寝ていなかったのだろう。だがそのことにすら俺は気付いていなかった。
明日も今日と変わらず、店に出ることになっている。こんな役立たず、いくら社会経験を積むからといって働かせ続けるあの2人は、中々なお人好しなのだろう。
俺ならすぐに首を切る。
「明日もそこまで忙しくはならないと思う」
そうあの2人は言っていた。
「だからそんなに気を張らないで、ゆっくり慣れていこう」
申し訳なささが何よりも強い。
今日は比較的、といってもまだ2日目だが初日よりは上手くいった。
しかし、またあの場に立つのかと思うと気が遠くなる。
声を出すのさえキツイだなんて、こんな経験ない。
「あーくそ、⋯⋯寝れない」
ベッドから起き上がり、ボサボサになった髪をもっとぐしゃぐしゃに乱す。
じっとしていられなかった。
このままここにいても寝れないだけだ。
そう思い俺は立ち上がり、部屋を出た。
一度外にでも行って涼もう。もしかしたら何か変わるかも。
明かり1つない、月光に照らされた廊下を歩き、階段を降りた。
扉を開けようとすると、隙間から明かりが見えた。
時刻は日を跨ぎ、1刻も経っていない。言えば深夜2時くらい、真夜中だ。
誰がいるのか。俺は扉を開けた。
明かりは部屋の照明ではなく、蠟燭に火が灯ったランタンだった。
いたのは1人。机に向かっていたミラだ。
扉を開けた俺に気がつき、ミラは顔を上げる。
「どうかした? 眠れないの?」
彼女は机の上にノート広げ、何かを書いている最中だった。
明かりのせいもあるが、この世界の文字がわからない俺は何を書いているのかはさっぱりだった。
「外⋯⋯行こうかなって」
「そう。あ、夜は冷えるから何か羽織って行った方がいいわよ」
「お、おう」
するとミラは再び机に向かって、手を動かした。
あまりに熱心に紙と向き合い、次々と文字を書き進めているので話し掛けずらかったが、
「それ、何やってんの?」
下にきた目的を忘れ、ミラが書いているものに興味をもって話しかけた。
少しも嫌な顔をしないミラは「これ?」と首を傾げ、俺に書いていたものを見せてくれた。
「なんて言ったらいいのかな。うーん、『お客様ノート』! なんつって」
文字は分からないが、所々に図や絵が描いてある。
紙は文字がいっぱいに書かれたおかげで、少しよれ、幅を増していた。
見たところ、使って長い期間が経っている。
紙が黄ばんでいたからだ。
「お客様ノート⋯⋯? 何だそれ」
ミラはノートを大事なもののように眺め、ふふっと笑みをこぼした。
「あたし記憶力ないからこうでもしないと忘れちゃうんだよね。ほら、このお髭のおじさん。覚えてる?今日いた、優しそうな人!」
描かれていた絵を見ると、優しそうな表情をした老人が紙にいた。
決して上手いとは言い難い画力だが、俺は誰のことか思い出した。少しだが接客のときに話した、絵の通りの温厚な人柄だ。
「マントンさんって言ってね、あの人猫舌だから熱いのダメなの」
そうしてペラペラとページを捲る。
全ページに色んな人の顔の絵が描かれていた。全ページだ。それも丁寧に。
その中には見たことがある客の顔が何人かいた。
初日にいたガキでさえ、丁寧に描かれていた。
「それ、お客さん全員分の書いてんの?」
「もちろん。有難いことに常連さん増えてね、もちろん新しい人も。こうやってやらないとお客様のこと覚えられないし、また父さんに怒られちゃうし。母さんがいたら、きっと父さんと同じこと言うしね」
父さんがせっかく美味しい料理を提供しているんだから、あたしは最高の接客をやっていかないと。
お客様だけじゃなく、父さんにも失礼だ。
ミラは熱心にページをめくり、他のお客さんの情報を口にした。
ネムさんはコーヒー濃いめ。
近所のアーサーさんはこのお酒を最初に頼む、など。全部古びたノートに記録していた。
「⋯⋯ねぇ、そういやさ。あの、母親は?」
ミラが口にした『母さん』のワードに反応してしまい、思わず口にしてしまった。分かっていたはずだが、
何も考えていなかった。
「母さん? あたしが小さい頃に死んじゃったんだ」
言葉を誤った。
だめなお決まりを踏んでしまった。
すぐに「ごめん」と謝ると、彼女は首を振った。
「いいのよ。⋯⋯もう、母さんとの思い出も思い出せないから寂しさもないんだ。
どうして死んじゃったのか父さんは教えてくれないんだ。前はもっと教えてーって騒いじゃったりしたんだけどね。後ろばっか見てらんないし、もう聞くのもやめちゃった。
だって今はほら、あたし楽しそうでしょ!?」
腕を広げ、大袈裟に彼女は笑った。
ミラは会った時から天真爛漫だとすぐに思った。とても明るい人だ、と思った。
俺は口を閉ざし、頭の中である人物を思い出す。
顔は鮮明には思い出せなかったが、面影ははっきりと頭上に浮かんだ。
「俺の母親も死んだんだ。同じ、子供の頃だ。事故で死んだらしいけど、全く覚えてない」
「⋯⋯そうなんだ〜」
身内が死んだ。
悲しい話をしているはずなのに、俺ら2人の表情には全く寂しさや悔いは表われなかった。
「いいの? あたしなんかに言って」
「なんかってなんだよ」
「見ての通り、あたしこんな性格だからさ」
異常なくらいポジティブ。
異常なくらい楽観的。
異常なくらい明るい。
だがいいのだ。
俺は悲しんでもらいたくて、ミラの慰めでも、同情の意味ででも言ってはいないから。
「⋯⋯なんとなく言っただけだよ」
俺が言ったのは、なんとなくだ。
「ふーん? えへへ、あたし達なんか似てない? 姉弟みたい」
「似てねーよ。あんたが姉貴とか騒がしそうで嫌だ」
「えー、つまんなーい」
いつの間にか憂鬱な気分が綺麗になくなっていた。
体が軽い。自然に笑ったのもなんだか久しぶりな感じだった。
口を開けると、欠伸が出てくるような安心感にまで。さっきまで寝れずにいたのが嘘のようだ。
ミラが欠伸をしたのに見ると、やっと俺が何をしにここにきたのかを思い出した。
⋯⋯だがもう、
「邪魔したわ、もう寝るよ」
「ん? 外行くんじゃないの?」
外に行く気はなかった。
「やめた。羽織るもの持ってくるの面倒だし」
「⋯⋯そっか。オヤスミ」
俺は席を立ち、ミラに背を向けた。
部屋を出るため扉に手をかけ、ドアノブを回そうとした時。
手を離し、ミラを振り返った。どうしてもいいたいことがあった。
「ねぇ」
「うん?」
「明日こそ、もっと店で失敗しないように頑張るよ」
俺の言葉のあと、ミラは少々動作をやめ、俺を見ていた。
だがすぐに息をついて、
「期待してる」
そう答えた。
「⋯⋯おやすみなさい」
今度こそそういうと、扉を開けて自分の部屋へと階段を上がった。
カチャリと静かに扉を閉め、俺は乱れたベッドを片付ける。
寝る前の状態に。起きた後の状態に。
また寝るわけにはいかない。
ミラは何故、あんなに効率よく接客をこなすのか。
何故、余裕があるのか。
何故だ、何故だ。
何故、だなんて答えは1つに決まってるじゃないか。
彼女は『努力』していたからだ。
もちろん今も努力をしている。
俺は?
出来ない、出来ない言って何もしない。
ミラの説明だけ聞いて出来た気になっていただけだ。そんなの、何もしてないじゃないか。
俺はまだなにも、努力をしていなかったんだ。
「⋯⋯ちゃんとやらないとな」
そう呟くと、部屋の小さなライトを付けた。
ーーーーーーーーーーーー
次の日。
「いらっしゃいませ」
お客さんが来店。すぐに水を差し出し、注文を受け、ジェイデンに言う。
「お待たせ致しました」
今日は人が多めだ。
「あのー」
店内を歩き回っていると、お客さんが1人、手を挙げた。
待たせてはいけない、すぐに向かった。
「あのー頼んだ料理まだですかー?」
「あ、大変申し訳ありません」
俺は頭を下げ、謝罪する。
大丈夫だ、ここで焦るな。
「お客様は、ザボンステーキですよね。すぐに確認します」
「あ⋯⋯はい」
今日は客が多い。
焦ってはダメだ、周りを見ろ、ミラを見ろ。
彼女はどう動き、なにを喋る? 俺は何が出来て、何が出来ていない?
見るんだ、見れば。
「お待たせ致しました。ザボンステーキです」
下手な失敗はしないはずだ。
ーーーーーグラン視点ーーーー
数日後。
俺は他の街へ行き、魔物退治を終えた後だ。最近は依頼をこなす実力のある人間が増えてきたことで、いつもより報酬が少なかった。
個人に依頼をするより、どっかのギルドなんかに頼んだ方が安く済む。そう実力がなくてもギルドの設備は充実しているからね。いくらでも補強が出来るもんさ。
飛び抜けて危険な魔物なんか出てこないし。こんなんじゃ10歳のガキでも代わりが効いてしまう。困ったもんだ。
予想外の速さでシルバに帰ってきてしまった。やることがない俺は、することも思いつかずただ歩き回っていた。
「もうお仕事したくない〜」
心の声が盛大に漏れるくらい暇だ。
しばらく歩いていると、前方から知っている風貌の女性が歩いてきていた。
サキとエミリアだ。
久しく見ていない2人を見つけ、近寄る。
「サキちゃん久しぶりな〜。お? なんだい、それは」
サキが胸に抱えていたのは、茶封筒だ。
彼女らが、初の魔物退治に向かった帰りだということは知っていた。おそらく、報酬で間違いない。
サキは嬉しそうな表情をしていた。
「この10日でサキ別人みたいに剣術上手くなったんだ。今、魔物退治の依頼を終えてきたところさ」
「へぇ〜、サキちゃん、怖くなかった?」
会った当初は戦い方も知らないただの少女。
それがたった10日で魔物退治の依頼を受けるのはお世辞なしで早い。
「大丈夫だったよ、エミリアもいたしね!」
サキはそう言うが、いくらベテランのエミリアがいたって、その場へ赴くことができていることがすでに凄いことだ。なんたって、魔物を相手に腰を抜かさないのだから。
サキは茶封筒を開け嬉しそうに中身を見せてきた。
「見てよこれ! 初給料!! ⋯⋯ってこれいくら?」
「はぁ!? サキお前金の使い方も知らないのか!」
中身がイマイチよく見えなかった。
サキは銅貨や銀貨を手に取り、初めて見たかのような反応だ。
まったく、サキちゃんはどこ生まれなのか。
「どっかのお嬢様だったりしてね。サキちゃん、ちょっと見せてみ?」
サキから茶封筒を受け取り、中身を確認。
中に入っていたのは銀貨5枚と大銅貨8枚⋯⋯。
なんとも言いにくい数字だ。
「えっと、エミリア。どんくらいかな、例え」
考えるのを放棄した。
ちょっと俺、お金にはあまり詳しくないというか。いや、そうではないんだが。
エミリアは俺を睨み、「あたしに任せんな」とでも言っている顔で威嚇してくる。
言っているような顔じゃないな、あれは確実に言っている。
「あー⋯⋯あれだ。この前あたしが買ってやったサンドあっただろ? あれ20個くらい」
おっと、エミリアの頭が弱いことを忘れていた。
サンド20個とは。想像しづらい例えではあったが、サキは少し考え、
「そうか⋯⋯まぁ、最初はそんなもんか」
と納得をしたようだ。
「そうだね、初仕事は誰だってそんなもんだ。これから名前が売れりゃ稼げるかもよ」
「あはは、頑張るかな」
どうやらまったく魔物退治に抵抗はないらしい。
新しい、有能な人材を発見したようだ。
またこれで俺の仕事が減るんだよ、もうホント勘弁してほしいよね。
3人で歩いていると、エミリアが何かを思いついたようで足を止めた。
なんだ、とサキが尋ねるとエミリアはある方向を指差した。
「なぁ、2人とも暇だろ? 飯ついでにミズキんとこいってからかってやろーぜ」
ちょうど俺も腹が減った。
街の時計台を見ると、4刻を過ぎていた。昼飯時だ。
「エミリアはまた⋯⋯。けど私もお腹空いたかもな」
「え、何。2人とも行っちゃうの? 俺も行くー」
以前あの酒場に行ってもう数日経った。
連日魔物退治でシルバにいなかったから、ジェイデンやミラ、ミズキの顔は見ていなかった。
店で働き始めてミズキはもう7日経つ。
前回行った時、かなり参っていたようだからな〜。
これでもうやめてたらどうしよう。
仕方ない、慰めてあげようか。もちろんそんな面倒なことしないけど。
カランコロン。
エミリアが店のドアを開けると、6日ぶりのベルの音がした。
出迎えたのはミラだ。
あれれ、やっぱりやめたか?
店内はかなり混雑していた。今日は昼間から酒を出す日、店内には酒の匂いが充満していた。
「ミラー、酒くれー!」
「はいはい、今日は仕事終わったばかりだもんね。好きなだけ飲みな、サキとグランはどうする?」
「俺もなんか酒ちょーだい」
サキは店内をキョロキョロしていた。
ミラがもう一度聞くとハッとし、オレンジジュースを頼んだ。
「ねぇミラ。ミズキは?」
サキがミラに聞いた。
店内を見渡しても姿が見えなかったからだ。
やめたんじゃねーか、と思ったがミラは嬉しそうに笑った。
ミラが後ろを振り向く。
厨房の方からだ、出てきたのはミズキ。
6日前とは全然違う。
まず表情が全然重くない。生意気なガキが客に向かって笑顔で接客をしている。
あそこまで変わったのはつい2日前だとミラは言う。
まだミラほど無駄のない動きは出来ていないようだが、彼女が凄いのだ。ミラと比べさえしなければ、ミズキはそこらの一般的な接客をする店員より動きが早い。
「なんだよー、からかってやろーと思ったのにあれじゃイジっても面白くねー!」
「エミリア、ミズキなんかイジっても面白くないよ」
剣術のときのアイツとはまるで別人だ。
ユーリとジェイデンがアイツに金を稼がせると提案したとき、俺は笑った。
剣術をあんなにすぐにほったらかしたアイツが、剣術だけじゃない。それから数日ミズキはずっと家に入り浸り、何もしていなかった。
アイツに金が稼げるわけがない。
だが違ったようだ。
「あん? おいグラン、どこ行くんだよ」
席を立つと、酒を飲み顔を赤くしたエミリアが俺を止めた。
「眠いから戻るわ。あ、俺の酒きたら呑んでいいよ」
「そうか! いやぁ〜悪いなぁ〜」
ははは、金を払うのは自分だと気付かないバカはここにいたか。
俺は店を出て、隣の宿屋へ入った。
久しぶりに連続で仕事をいれてしまった。とはいっても魔物を殺す作業より移動時間のほうが圧倒的に長くてキツかったが。どっちにしろ俺お疲れ様。今すぐに寝たい。
「あれ、グランじゃないか。帰ってきたのかい?」
俺の部屋は2階だ。階段を上ろうとしたら、ユーリの声が聞こえた。
彼はいつもどおり本を読み、車椅子で建物中を自由に移動する。なんとも、わけのわからない男だ。
「今さっきね」と答えると、ユーリがお茶に付き合ってくれないか、と誘いを入れてきた。
寝たいのは山々だが、俺はユーリの誘いにのることにした。
「そういやミズキ、うまくいってるみたいよ」
何の茶葉かも分からないお茶を啜るユーリに俺は言う。
ゆっくりとカップから口を離し、ゴクンと飲んでからユーリは微笑んだ。
「⋯⋯だろうね」
「あれ、知ってたの?」
知っているのは当然だ。ずっと隣にいるし、見ているはずだから。
だが気になったのは、ユーリの答えはどうも最初はからこうなることを分かっていたような口振りだったからだ。
「まあね。⋯⋯ほら、これをごらん」
「⋯⋯? なんじゃこれ、何語? 見たことないぞ?」
ユーリが差し出してきたのは何枚もに重なった紙だ。
全部裏紙だ。白紙の面に知らない文字がいくつも書かれていた。
ユーリは1枚手に取り、眺めていた。
「⋯⋯たぶん、お店のことさ。この絵は立ち回りを表しているのかな? お店の席の位置になっているのが分かるでしょ?」
数枚見てみると、絵が描かれている。
棒人間が歩き回っているのや、ユーリのいう店の席の位置。
ある紙にはジェイデンが作る料理の下に文字が書かれていた。料理名、なのだろうか。
ただ今さっと見ようにも見れない程の量だ。
「この紙全部? あいつが1人でこの数日の間に書いていたってことかよ」
この数日の間。
何もせず怠けていたミズキが、これを1人で全部やったというのか。
すぐに諦めていたような男が知らない間に?
⋯⋯まったく。生意気なガキだな。
「ユーリお前⋯⋯、俺はもうお前が何を考えてんのか分からないよ」
「そうかなー? 隠してるつもりはないんだけどね」
剣術をああも簡単に諦めたやつをよく見捨てなかったよ、俺なんかもうどうでもいいと思ってたからね。
まさかアイツに金を稼がせるとは。
本当、最初から何を考えているのか俺には想像もつかないよ。
俺は湯気がでる熱い紅茶を飲み、息をついた。
「グラン」
「ん?」
カップを空にしたユーリはテーブルに起き、またミズキが書いた紙を眺めて言った。
「ここからだよ。彼はあんなもんじゃないはずだ」
ユーリの目には多分、紙の内容は写っていないのだろう。