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 ――闇の中で、大勢の手が動いている。叉反の真上で。まるで透けたガラスの下から見るように、体が仰向けになっているのがわかる。意識はぼんやりとして、起きてはいるが体に命令は下せない。幽霊にでもなったかのようだ。


 ここは一体どこだ。俺は、どうなったんだ。


 疑問が浮かぶが、それさえもどこか鈍麻している。

 蠢く手は、どれも手袋をしていて真っ赤だった。働かない頭のせいで、それが血だと気付くのに少し時間がかかった。血。血だ。誰の血だろう。

 目の前を誰かが横切った。頭部を包み込むような緑の帽子をつけている。手術着だ。とすると、どうやらこれは自分の手術らしい。気を抜くと、意識が再び眠りにつこうとする。無理に起きていたくても、力が入らない。


 誰かが叉反の顔を覗き込んだ。周りと同じく帽子を被ってマスクをしている。顔はわからないが、大きなブルーの瞳が特徴的だった。どこかで見た気がする。つい最近。ここで横たわる前に。

 思い出した。コンビニに駆け込んできた二十代くらいの女。燃えるような赤髪の外国人。彼女だ。

 自分を覗き込んだ相手の事を思い出したのと同じくして、女の手に何か大きな物が渡された。赤い、球体。その周りに機械めいた装置のような物も付いている。


 首が少しだけ動かせた。自分の腹部が見えた。器具によって皮が留められた、開かれた腹。

 女が、手に持った物体を腹へと近付ける。慎重に、慎重に降ろしていく。声が出そうになった。止せ。やめろ。装置が降りていく。内臓を掻き分け、叉反の体の中へ。

 止せ。止せ。止せ。しかし、声は出ない。意識が霧の中へ紛れるように、再びぼんやりと閉ざされていく。夢中で、叉反は起き上がろうとした。拘束を逃れ、この妙な儀式から抜け出さなければならない。

 やめろ。やめろ。やめろ――――……!


 飛び起きた瞬間、叉反は声にならない叫びを上げながら、咄嗟に懐に手を伸ばしていた。だが実際には、銃はおろかホルスターを隠すためのコートでさえ、叉反は身に着けていなかった。周りには誰もいなかった。血で汚れた無数の手も、青い瞳の女も。

 深呼吸して、汗を拭う。落ち着きを取り戻しながら、叉反は自分の格好を見た。

 入院着らしい、薄緑の簡素な服。身を起こしたのは、白いシーツが掛けられたベッドの上だ。どうやらしばらく眠っていたらしい。周りはコンクリートの壁に囲われていた。部屋は、牢屋のように小さかった。


 ご丁寧に、叉反の着ていた衣服は一つ残らず整えられてベッドの傍に置いてあった。財布も靴も一切が変わりなく置いてあった。銃は最初から持ってきていない。私物の携帯電話もあるが、電源が入らない。

 ひとまず着替える事にした。服を脱ぎ、叉反はそっと腹のほうを見た。

 怖気が走った。

 縫合痕だ。下腹部の辺りに開腹した痕がある。あの悪夢はどうやら現実だったらしい。俺はここに連れて来られた後、体の中に何かを仕込まれたのだ。


 しばらく考えが纏まらなかった。深呼吸を繰り返す。とにかく、まずはここを出なければ。

 現状を整理する。俺は黒犬との戦いの後で、ここに連れてこられたらしい。体は大怪我を負っていて、到底動けるようなものじゃなかったはずだが、今、自分に異常はない。砕けた骨、潰された内臓でさえ再生している。

 似たような事は以前にもあった。生命の危険に冒されたフュージョナーの身体が、急速回復する現象。今回もそれと考えていいのだろうか。いや、体が治ったのはこの際良しとして、気になるのは、ここに叉反を運び込んだ連中が、一体何を考えているか、という事だ。


 奴等はこの体に妙な物を入れた。装置らしき物が付いた赤い球体。

 腹部に触れる。妙に出っ張っているとか、そういう違和感はない。が、ほぼ間違いなく、あの装置は俺の体に収まっている。

 まるで実験動物だ。連中は何故俺にあんな物を? そもそも、あれは一体何だ。

 そこまで考えて、叉反は一つ、思い付いた。

 例の装置。手術をしてまで体の中に設置したのだ。そうしようと考えついた者の心情を考えれば、次にする事は何だろう。


 効果の確認。観察だ。装置を取り込んだ叉反がどうなるか、見たいはずだ。

 部屋の中を見回す。ベッドの他にあるのは、衣服が載っていた棚くらいだ。出入り口は一つ。コンクリートの壁に合わない、機械制御の自動扉。

 身柄を押さえたいのなら、この扉は開くまい。だがもし、叉反に何かをさせたいのなら……。

 スイッチがあった。指先で触れると、緑のランプが灯った。

 音もなく扉が開く。廊下には小さなオレンジの電灯が灯っているだけで、他に明かりはない。

 他に選択肢はない。誰かが、きっとこの光景をどこかで監視しているだろう。まずはそいつに、話を聞く事にしよう。



 十分と掛からなかっただろう。

「ぐうァっ!」

 警備室でさっきまでいた部屋をモニターしていた男の腕を捻り上げ、壁際にその体を押し付けながら、叉反は口を開いた。

「知っている事は全部教えてもらおう。ここは一体どこだ。俺の他にも誰か連れて来たのか?」

 男は答えない。抵抗しようと力を入れるが、さらに強く抑え付ける。胸ポケットに入っていたカードケースを抜き取り、顔写真付きのIDを確かめた。


「菊月環境美化センター。警備員のスガロ、か」

 菊月、というのはナユタ西部、新旧市街からかなり離れた、他の都市との境界線辺りの地名だ。山岳地帯で、普段は登山やハイキングを目的に訪れる人が多い。

「清掃工場が正体不明の連中の根城だったとはな」

「……消されるぜ、お前」


 壁に顔を押し付けられながらも、スガロは口を開く。

「俺達の組織を侮る奴は、一人残らず消される」

「そもそもお前達の招待がなければ知りもしなかった。消される謂れはない」

「はっ。馬鹿だな。抵抗せずに利用だけされてりゃ楽に死ねただろうに」

「俺が聞きたいのは脅し文句じゃない」


「脅しだって?」

 ばちり、と腕を掴む掌に電流が流れた。

「確かめてみるか?」

 稲妻が飛んだ。スガロの体から。咄嗟に手を放すのと同時に、体が突き飛ばされる。衝撃を殺さず流されながらも、壁の手前で叉反は着地する。


 顔を隠すように男が右手で顔面を覆う。全身を緑の雷が取り巻いていた。

超越(イクシード)……」

 男が言った。呪文のように。突如として雷電は弾けた。轟音と共に迸る稲光に、スガロの体が包まれる。発光は部屋中を覆い尽くし、反射的に叉反は顔を背けた。

 光が消える。電流が弾けている。目の前にいたのは、それまで見ていた男の影とは違う。


 鰐だった。ただの鰐じゃない。鰐人、とでも言うべきか。二本の足で立ち、古の恐竜のように獲物を狙う体勢でありながら、その瞳にはさっきまでの男と変わらない光が宿っているようにも思える。

「回帰症、だなんて感想は言うなよ」

 鰐が言った。スガロの声で。

「……回帰症でなければ、なんだ」


 構えを取りながら、叉反は問う。スガロは笑った。鰐の顔で。誇るように。

「組織が俺に力を与えた。お荷物だった俺の中の鰐を力に変えたんだよ。〝モンストロ〟だ」

「モンストロ?」

「化けモンって意味さ」

 鰐が一気に迫った。とてつもない筋力で床を蹴り、一気に距離が縮まる。反応するより早く、凶悪な爪が胸倉を掴み上げた。


 空気を切る。巨腕が振るわれた。何をされたか認識する間もなく、叉反の体はドアへと投げつけられていた。衝撃で外れたドアの上を転がり、背の激痛に震える。

「立てよ。まだこんなもんじゃないんだろう? 探偵さんよ」

 鰐が言う。確かに、回帰症じゃない。モンストロ。化け物、か。

「自分で言うなら世話がない」


 立ち上がる。間合いは遠かった。向こうから仕掛けてくる気配はない。お互い手を出さないなら無論膠着だ。だが向こうには余裕がある。こちらは徒手空拳で人外を名乗る者に挑まなければならない。

「お前……何故だ」

「あん?」

 ふと思った事を、叉反はスガロに問うていた。


「何故そんな姿になった。自ら求めてそうなったのか」

「ああ? 何だそれ。お前は銃を手に取る時躊躇わないだろう。俺も同じだ。目の前に力が転がっていたら迷わないだろうが」

「その結果、人と見なされなくてもか」

「何の問題がある。こちとらフュージョナーだ。最初っから人間じゃねえんだよ」

 なるほど。ならば、葛藤などあるまい。


「俺達は人間じゃない、か」

「お前は人間だっていうのか。そんな尻尾が生えているのに?」

「別に間違っちゃいない。俺だって人間だ」

 お互い、違う道を行く者のようだ。だが背を向けて逃げれば、奴はきっと追ってくるだろう。

 どうやら倒さなければならないらしい。それが一番早く、確実に現状を突破出来る。


「やるしかねえなあ、探偵。てめえの人生はここで終わりだ」

「終わりなんかじゃない。俺は生きて先に進む」

 攻め手を選択する。あとはタイミングだ。緊張の中で確信を見出す瞬間、叉反は跳び込むつもりでいた。

 しかし……。

「――ストーップ!」


 幼さの残る声が、張り詰めた空気を引き裂いた。

「それ以上やるなら二人まとめて僕が相手をするよ。それでもやるかい?」

 叉反は動じなかった。緊張も、構えも解く事はなかった。危険な相手だとわかったからだ。目の前の鰐よりも、突如として現れた、この声の主のほうが。

「……いつの間に」


 スガロが呟いた。

 少年が立っていた。無邪気にさえ見える笑みを浮かべた、褐色の肌に銀髪。両手には奇妙なほど大きな手袋をしている。刺繍の入ったシャツに迷彩のカーゴパンツ。腰の辺りで、白黒縞毛の尻尾の先が揺れていた。

「スガロ、駄目じゃないか。探偵は実験で使うって言ったろ。間違って殺したらライムントになんて言うつもりだ」

「別に殺しはしませんよ。ただ、格の違いをわからせようとしただけです。白王(はくおう)


 スガロが頭を垂れて言った。

 少年……。あいつだ。黒の巨犬を引き摺り倒した、あの少年。

「探偵尾賀叉反。起きられたんだ。元気そうで何より。僕は白王、白い王で白王だ。よろしく」

 少年はそう言って、グローブのように厚い手袋に覆われた手を差し出してきた。指先には猫の爪を模したような突起が付いている。

 返答する義理は、しかし、ない。


「お前達が何者かは知らない。実験だか何かに使われる理由もない。俺に何か埋め込んだのならさっさと外してもらおうか」

「威勢がいいね、探偵。でも獣人態のスガロに後れを取るようじゃ、僕には勝てない」

 鰐男が少年の傍で控えていた。鰐の顔に人間らしい不敵な笑みを浮かべている。

「今ここで大人しくしてくれるなら、僕らも手荒な真似はしない。暴れるのは勝手だけど、こっちは万が一にも君に死んで欲しくはない。少なくとも実験が終わるまでは」


「使われる理由はないと、そう言ったはずだ」

「そうだろうね。でも……」

 ぱちん、と白王の指が鳴った。音が発生したその瞬間、糸くずのような緑の電流が叉反の腹部へと潜り込んでいた。

 腹の底で、激痛が湧き起った。体中の血管を食い破るかのような電流の流れ。神経を走り回り、思考を空白にする。

「少なくとも〝力〟を手に入れなければ、ここを出る事さえ出来ないよ?」


 筋肉が全身を支えられなくなる。それでも、呻き一つ洩らさなかったのは意地のおかげだ。膝は崩れ落ちながらも叉反は意識を保っていた。その視界から白王とスガロを決して逃さぬために。

「ついておいで、探偵。まずは色々と教えてあげる」

 あやすような声音で、白王が言った。



 通された部屋は、驚いた事に武器庫だった。

 さながら特殊部隊の装備群だ。拳銃、小銃、機関銃、散弾銃。グレネード・ランチャーも見受けられる。

 一体、何を相手にする気なのか。

「《モンストロ》」

 背を向けたまま、少年――白王が口を開いた。


「僕らの組織が開発している回帰症のための特効薬だよ。生体電流を強化して細胞をコントロールし、身体を意のままに変化させる。うちの博士によると、五年後には世界中から『回帰症』という言葉を消せるくらい効き目があるんだって」

「何を……馬鹿な事を」

 ようやく全身から痺れが取れてきた。銃器のある棚は全て格子戸シャッターによって閉ざされている。まず、それを確認する。

「そもそも、お前は一体何者だ。俺を何の実験に使おうとしている?」


「僕は組織のあるセクションにおける幹部。あの脱走者、レベッカ・シャーレイ・アンダーソンの拿捕を命じられて部隊を指揮した」

「部隊を指揮、だと。その割には、どいつもこいつもてんでばらばらな動きだったじゃないか」

「そもそも命令がおかしいんだよ。どれだけ優秀か知らないけどさ、裏切り者を生かして捕まえる必要なんてあると思う?」

 装備類が入っているのであろう、黒いボックスに腰かけて、ようやく白王はこちらを向いた。

 十四、五というくらいだろう。小奇麗な顔立ちにある、無垢ささえ感じる大きな瞳が、純粋に疑問を投げかけていた。


「死んでしまっても構わなかったと?」

「ま、後に実験があったから、実際本当に危なくなったらその時は止めに入ったけど。死んじゃっても別に良かったなー、と」

「人の命を何だと思っている」

 腹底から純粋な怒りが湧いてきていた。

 少年は目の前の大人の怒りなど歯牙にもかけない。尻尾を揺らしながら、猫の手のような手袋の先を頬に当てて小首を傾げる。それから、無邪気に嗤った。


「何とも? 人間なんて僕が撫でればすぐ死ぬもの。いちいち気にかけてらんないよ」

「……お前、今日までどうやって生きてきた。一人で生きてきたわけじゃないだろ」

「なあに、お説教? やめてよね、僕、説教嫌いだし。ていうかさ……」

 室温が一つ下がるかのようだった。少年の瞳が刃のように煌めいた。

「つべこべ言うなら殺しちゃうよ?」


 殺気を纏った白王の視線が、槍のようにその穂先を突き付けていた。

「人を簡単に殺せるつもりか」

「君だって何人も殺したでしょ。蜥蜴のチンピラを追った時にさ」

 少年の目の中に嗜虐的な色が浮かんでいた。

 先日の事だ。勿論、覚えている。二年ぶりに握った銃把、危機の中で対峙した敵、銃弾を撃ち込んだ相手が動かなくなる、あの瞬間の虚無。


「初めて人殺しをした割には落ち着いたもんだよね。案外、人の命なんて何とも思ってないんじゃないの?」

「……俺が嘆いても、殺した者は戻ってこない」

 心に仮面を被せる。何一つ通さない鉄仮面を。

「生きるために武器を使うなら、いずれは直面する事だ。俺は戦って、生き残った。死んでやる理由はなかった。それだけだ」

「ふうん。じゃあ、また命を狙われたら、狙った相手を殺せるの?」


「そんな質問に答える義務はない。用があるのならさっさと話せ」

 叉反の言葉に、白王は眉根を寄せたが、鼻を鳴らして、まあいいやと言った。

「先日君が殺した嵐場(らんば)――あのライオンのフュージョナーね。本当だったら今回の被験者になるはずだったんだ。でも、あいつ死んじゃったから、代わりに君に、実験体としての白羽の矢が立ったってわけ」

 ――ゴクマ。つい最近まで、ナユタ周辺を騒がせていたテロリスト集団。数週間前、叉反はある人物の行方を追う過程でこの集団と関わり、命を守るために、獣と化した男を一人屠った。


「何故、俺だ」

「組織が求める条件をクリアし得るから、だよ。当たり前だろ。君や嵐場みたいな体力馬鹿なら耐えられると踏んで、わざわざ身柄を攫ったんだ」

「……別に今日じゃなくても、いつでも狙われていたというのか」

「レベッカを追っかけなくちゃならなくなったから、急遽決行したけどね。ま、そういうわけで……」

 両腕を広げて、白王が部屋の中の銃器を指した。


「君にはこれから、ある実験に参加してもらう。見ての通り、戦闘だ。得意だって聞いたから、銃器を用意したよ。まあ、効果は薄いと思うけど、好きなのを使ってよ」

「どういう意味だ」

 白王の指が傍にあったリモコンを操作する。部屋の奥に設置された大きなモニターに、映像が映る。

 獣の声が聞こえた。大きな部屋に、今にも暴れ出しそうな巨大な黒い影。


「……さっきの男か」

「そうそう。モンストロの原液がよく回っているせいで、あんなのになっちゃった。電流のコントロールが出来ないんだ。たぶんもう二度と、真っ当な姿には戻れないだろうね」

「……随分と、大した特効薬だな」

「怒るの? 人間を弄びやがって、みたいな感じ?」


「事実だろう。お前達がやっているのは、ただの冒涜だ。人間を怪物にして一体何が楽しい」

「逆に聞こう、探偵尾賀叉反。フュージョナーは果たして人間だろうか?」

 まるで王侯貴族のように、白王が尊大に腕を広げる。

「異形として生まれつき、個体差があるせいでフュージョナー同士でさえ、その苦しみを完全には分かち合えない。普通の人間は僕らをひとまとめに怪物と見るし、結局僕らも、そう納得してしまったほうが楽だ。『自分は人間ではない。人間に似た別の何かだ』ってね」


「警備員の男も同じ事を言っていたな。あくまで人間である事を放棄するのか」

「残念だけどね、探偵。それは君みたいな自分のおかしさを認められない者の言い分だ。自分が怪物である事に目を背けていれば、いずれ必ず破綻する」

 白王の指先が銃弾を摘んでいた。圧が掛かった薬莢が、紙のようにくしゃりと曲がる。

「そして、モンストロは自らと向き合った者に道を示す」


 画面の中で、黒犬の唸り声が木霊している。

「自分達が助けてやったとでも言うつもりか」

「彼は状況を打破するために退路を断ち、力に手を伸ばした。君だって生きていくために異能の力を求めたはずだ。他人を寄せ付けない絶対的な力。君にとってそれは銃だったようだけど」

 少年の言葉と共に、電子音がした。間を置かず、銃器棚の前に降りていたシャッターが、一斉に動き出す。


「聞いたよ。君は以前、自分の師匠を銃で失ったんだろ? 以来、自分を信用出来なくなって地下街のヤク中どもの群れに混じり、自然に死ぬのを待ち続けていた。でも時が過ぎて、結局探偵として復帰した。銃には手をつけないようにしてたみたいだけど、それもこの間の一件までだ。君はついに人まで殺し、今や師匠を殺した凶器に、嬉々として手を付けている」

 シャッターが完全に開き切った。銃はもうすぐそこにある。

「探偵顔負けの調査振りだな。短期間の間に俺の過去まで調べたのか」


「だって、君の師匠は有名だもの。回転拳銃の女探偵。その銃で何人もの人間を葬った悪名高きガンスリンガー……」

 ――思えば、叉反に初めて殺人を見せたのは、師匠だ。

「自分を狙う者を撃っただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「あれ、師匠の人殺しは見逃すの? 君は結局、見たいものだけ見るんだね。人殺しは人殺しだろ。都合がいいんだよ」

「自分が信じたものを信じているだけだ。あの人は殺したという事実から目を背けなかった。俺はその姿を覚えている。知らぬ口で師匠を語るなら――」


 かつて追い続けた背中が、瞼に浮かぶ。

「まずは全力でお前を倒す」

「ははは! ベタ惚れ。悪いけど、その怒りはあの犬にぶつけてもらおう。生き残りたいんだったら従う事だね。昆虫坊やのためにも」

「……仁もここにいるのか」

 哄笑に歪んだ白王が、さらに口の端を吊り上げた。

「そう。あの子も変な子だよね。僕の仲間の部屋に閉じ込めてあるから、彼の命も僕らの手の中だ。拒否権がない事は、これでわかったよね?」


 叉反は沈黙で応じた。少なくとも、まだ反撃の機会はある。

「装置の挙動を確認するのが目的だったな」

「期待しているよ。もし実験が失敗すれば、君は間違いなく死ぬ。それじゃあ、ここまでやった意味がないから、せめて起動くらいはしてみせてよ」

「お前達の思い通りには動かない」

 棚に並んだ銃を手に取る。黒く、重い。スリングのついた軍用アサルトライフル。他にもいくつか新型の装備がある。以前、ゴクマは寄せ集めたように銃器を持っていたが、これは違う。軍関係者が本腰を入れてバックアップをしない限り、ここまでの装備と設備は手に入るまい。


「俺は俺の戦いをするだけだ」

 白王は鼻で笑った。手早く火器を見繕い、装備する。

 モニターの下の壁が開き始めていた。その先は通路になっていて、明かりがなく先は見通せなかった。

「進みなよ。お手並み拝見だ、探偵」

 言われるまでもなく、闇の通路へと踏み出す。少し長いが、一本道だ。


 スピーカーがあるのか、白王の声が聞こえてくる。

『ちょっと早いけど、次の実験を始めるよ。鳶の彼は使えそうかな?』

 誰かと話している。すぐに返答があった。

『まだ完全にストーンが機能していない。何らかの刺激を与える必要があるかもしれん』

『ふうん。なら、まあ仕方ない。犬のほうで試そうか』

『ああ。モニターに映してくれ。今ちょっと手が離せないんでね』

『りょーかい』


 大人の声だ。年齢が高い。落ち着いていて、感情を感じさせない。

 前方に光が見えた。声が聞こえる。獣の声が。

 光の中に、叉反は足を入れた。広い部屋だ。周囲に岩のようなオブジェが多く配置されている。その奥にいるのは、黒く毛を逆立てた巨獣。

 何故か、直感した。獣の両眼に燃え滾るのは、きっと、溢れかえるような怒りだ。

『さあ始めるよ。探偵対モンストロ、戦闘実験開始だ』


 その怒りが何に向けられたものであれ、戦わなければならない。巻き込まれた嵐から、生きて帰るために。

 聳え立つ巨獣に向けて、叉反は銃を構える。

 次の瞬間、豪速で繰り出された前足の一撃が、叉反に襲い掛かった。

 ――間一髪、だ。

 瓦礫と土埃を巻き上げる巨獣の一撃を、叉反は跳び退いて躱した。続く、もう一撃。全力で地を蹴って、悪夢のような腕から逃げる。半身を向けた獣の肩に向けて拳銃の引き金を引いた。


 放たれた銃弾が黒い体毛の中へと吸い込まれる。血飛沫を上げてなお、獣の動きに怯みはない。回帰症がどうこうというレベルではない。強靭な筋肉の鎧を纏い、小山ほどにも成長したその体、怪物だというのなら、まさしく怪物だった。

「グルアァッ!!」

 咆哮と共に獣が跳ぶ。殺害は目的ではない。駆けた。腹から腰にかけて銃弾を撃ち込み、長方形の部屋の中を走る。戦略はある。だが、タイミングを選ばなければ。


 瓦礫を蹴散らし、巨獣が突進する。直線上に迫る獣の顔面を捉え、叉反は懐中にあった物のピンを抜き、放り投げた。

 放物線を描き、物体が獣の前へと落ちていく。背を向け、耳を覆い、叉反は眼前へとダイブする。刹那、物体が爆発し、激しい発光とともに苛烈な音が獣の鼓膜を刺激する。

 三秒。音が静まる瞬間、叉反は振り返り、身悶えする獣に向かって、追加のスタングレネードを投擲する。二度目、三度目の爆発。障害物の影に身を隠し、叉反はその光と音から身を守った。


 時間が経った。音も光も消え去った部屋が、震動した。物陰から身を出すと、立て続けに衝撃を食らった巨獣が、息も絶え絶えに震えていた。

 ああなったフュージョナーの再生力が凄まじい事は知っている。だが、しばらくは動けまい。

「実験は終りだ」

 どこかで見ているであろう白王に向けて、叉反は叫んだ。

 返答はしばらくなかった。いや、小さくだが、声が聞こえていた。さも可笑しげに嗤う少年の声が。


「……ク、クク。いやまだだ、探偵。まだまだこれからだよ」

 その言葉が終わるか終らないかのうちに、巨獣の体に変化が起きていた。

 稲妻が走る。獣の体が震える。緑の電流が体を覆い尽くし、激しく打ち付けていく。

 獣が、吼えた。煙の中で何かが蠢く。四足獣の形態が瞬く間に変化していく。

 息遣いが聞こえる。荒い、人間の声が。


「……やってくれやがったな、探偵ィッ!!」

 煙を切り裂いて、影が一気に距離を詰めてくる。黒い獣の人型。獣人だ。小さくなっているものの、未だに巨腕と呼ぶに相応しい黒い腕を薙ぐように叩き付ける。咄嗟に照準を合わせた。獣の肩。だが、その時衝撃は襲ってきた。

 砕かれたのは叉反の肩だった。たった一撃。それだけで攻撃を躱し損ねた左腕が破壊された。

 腕が飛んだような錯覚に、しかし相手は陥る暇を与えない。続く二撃目が腹部の肉を抉り取り、赤い血の塊が宙に舞った。


「下らねえ爆弾でよくもやってくれたじゃねえか。この俺を正気に戻しやがって」

 獣人の足が上半身を蹴った。背から障害物に叩き付けられた時、すでに叉反にほとんど意識はなかった。

「俺はなあ、あのまま終わっちまいたかったんだ。あのまま何もわからずに死んじまえばよかったんだ。てめえを殺し損ねたばっかりにこのざまだ。見ろ、この姿を! 俺はもう元には戻れねえ。モンストロは最後の手段だった。あれで俺は死ぬはずだったんだ!」

 苛立ちと共に獣人が何度も何度も足を踏み下ろす。視界は真っ赤だ。もう痛いとすら感じない。見えるのは赤。眼球を濡らす深紅。血の赤。


 そして燃えるような――

『一気に逆転されたねえ、探偵。さあ、どうする? まだまだやれるでしょ?』

 白王の声が聞こえる。だが、自分の音は何一つ聞こえない。息も、心臓の鼓動も。感覚が遮断されている。

 ――燃えるような赤い星が見える。

「その頭を粉々してやる」

 獣人が拳を握った。放つ。暴威の拳を。


 その瞬間だった――輝く赤、獣、翼、そして蠍の尾――赤い瞳が叉反を見ていた。

「お前……!」

 右腕が、勝手に動いていた。砕かれたはずの肉体が、湯気を立ち上らせながら再生していく。

 赤い星が燃えている。

 流した血が、治癒しつつある傷口が、赤く輝いている。

 声が聞こえた。白王の声だ。呟きに近い声だったが、マイクが確かに拾っていた。

『起動したな……』

 叉反の意識は統一された。まるで機械のように、体が戦闘を再開した。

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