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16-17

16


 ――世界各所にある研究施設に、彼の〝私室〟は必ず一つは設けられた。

そのうちの一室である部屋の中で、ライムントはカップを口に運ぶ。ほどよい甘味が口の中に広がり、彼の気分は満たされる。背中から生えた蛇の頭を撫で、今回の実験で得た資料に目を通す。

ノックの音が聞こえたかと思うと、ライムントが何か言う前にドアが開いた。誰であれ、最高幹部たるライムントの部屋に断りもなく立ち入る事は出来ない。結社内規定における最高ランクのキーを持つのでなければ。


「全く。好き勝手やってくれたな」

 部屋に入ってきたその男は、ずかずかと歩きながらライムントのすぐ傍にまで来て言った。

「せっかくあの探偵を結社から遠ざけるように手配したのに、まさか貴様らのチームが実験材料に使うとはな。おまけに探偵のみならず実験に巻き込んだ人間や、例の脱走者まで逃したそうじゃないか。納得のいく説明を聞きたいものだな」


 男は一気にまくし立てた。背中の蛇が頭を男のほうへともたげる。ライムントは資料から目を離さぬまま、言った。

「ほとんど君が見たままの通りだ。わかりそうなものだが」

「……貴様、ふざけるのも大概にしろよ」

「別にふざけてなどいない。『実験を継続する』、ようはそういう事だ。しばらく彼らには泳いでもらう」

「腹の中にストーンやアンタレスを抱えさせたままか? 自分の理屈がどこまで通じると思っている」


 どこまでも。ライムントは胸の裡で答える。そうであってほしいものだ。

「例の試作機も壊したそうじゃないか。あれはお前が操作していたはずだな」

「どうも、遠隔操縦という奴は苦手だ。機械自体の出来は良かったと思うがね」

「今回の一件は必ず響くぞ。騒乱計画に」

 男が一歩近づいた。ライムントは見向きもしない。


「奴らが計画の致命傷となった場合、どう責任を取るつもりだ?」

 ライムントは返答を考えようとして――そうする前に脊髄反射的に閃いた事を口にしていた。

「どうもこうもない。騒がしい祭りがさらに大騒ぎになろうと何の支障があるものか。飛び込み客くらい受け入れてやれ」

 男が沈黙した。長年の経験から、ライムントはこの沈黙が、怒りに震えながらも爆発させる事が出来ないという、ライムントにしてみれば愚かしい沈黙である事を知っていた。怒りの感情など生まれてこのかた覚えた事がないが。


「――蛇は、(そそのか)してイヴにリンゴを喰わせたそうだが」

 ややあって、男が言った。

「お前にその手際を期待するのは無駄なようだな。とても話を聞いていられない」

「唆す、など時間の無駄だ。リンゴがある。人がいる。つべこべ言わずに食べればいい。私のために」

 男のため息混じりの舌打ちが聞こえた。何か蹴っ飛ばしたか、払い除けたか、そんなような物音がして扉が開き、閉じる。


 やれやれ。相変わらず胆の小さい奴だ。

 ライムントは資料をめくった。データが必要なのだ。時間はあまりない。そもそもライムントの個人的な興味を全て研究し尽くすには一般的な人間の寿命では足りないし、騒乱計画開始までに準備しておきたい事もある。裏で進めていれば順調に進むだろうが、しかし全てが予定調和に終わるのは、あまりにも退屈だ。ああ、こんな事を言うとまた奴の怒りを買うだろうが。

 せっかくの祭りだ。ハプニングの一つくらい、楽しみたいじゃないか。



 ――地上に下りた途端、変身が解けた。体の形が変わっていく感覚が、さっきよりもリアルに感じられた。骨を組み替えられ、肉を溶かされては固められて、その度に血管や内臓が破けたり再生したりする。何とか元の姿に戻ったあと、俺はゲーゲーと吐いた。再生した内臓が出るかと思ったほどだ。

 その後、工場のすぐ近くにまで来ていたレスキューに救助され、俺達はナユタ新市街の病院へと運ばれた。まあ、もっともその時点で俺の意識はすでになく、目が覚めたのは、何と事件から五日も経ったあとだった。


 菊月環境美化センターはほとんど跡形もなく壊滅したらしく、そのせいで事件の手がかりがほとんど見つかっていないようだ。俺に聞き込みにきた警察の人には、何とか俺から話を引き出そうとしていたが、体は絶不調でたいていは寝ていなければならず、おまけに頭の中で話を纏められなかった。何とか整理出来た部分――事件の始まりの辺りから清掃工場に連れ込まれた辺りまでを話してみたが、信じてくれた様子はない。まだ混乱してるか、さもなきゃ妄想だと取られているらしくて、それから俺は体調不良を理由に面会を断っている。


 他の三人とは入院してから顔を合わせていない。皆それぞれ治療に専念する必要があるのだろう、と思っていたら、探偵が見舞いにやってきた。屋上で日に当たっていたら、ふらっと現れたのだ。

「……何してるんだ、あんた」

「退院した」

 何でもない事のように探偵はそう言った。


「退院って……あんた、俺くらいにはひどい状態だったんじゃないのか」

「昔から体は頑丈に出来ていてね」

 何言ってやがるんだ、こいつ。タフガイぶりやがって。たく。

「そうかよ。で、一体何の用だよ探偵さん。わざわざ屋上にまでやってきて」

「顔を見に来たんだ。見舞いだよ」


 言いながら、探偵は俺の横に腰を下ろす。近くに灰皿を見つけて、懐から煙草を取り出す。

「吸っても?」

「どうぞ。俺は気にしない」

 叉反は煙草に火を着ける。嗅ぎ覚えのある匂いが漂ってくる。

 どちらも口を利かなかった。太陽は暖かく、空は青く。時間の刻みがゆっくりになったような、そんな気がした。


「……助けたな」

 不意に、叉反が言った。

「え?」

「いや、お前がさ」

 紫煙を燻らせながら、叉反は言う。


「俺に言っただろう。あの時。レベッカを助けてくれ、と」

「……言ったな」

 あの時は必死だった。ただ、必死だっただけだ。

「でもお前は、結局自分の力で彼女を助け出した」

「やめろよ。あんたが白王を止めてなきゃうまくいかなかった話だ。別に俺の手柄ってわけじゃない」


 叉反は何も言わなかった。灰を灰皿に落とし、また銜える。

 ここからだと、ナユタの街が見える。ナユタ新市街。この国の最先端を担う街。あの黒焦げの新宿に代わる、新時代の希望の街。

「俺はさ、ここへ逃げてきたんだ」

 何にも考えないまま、俺は言った。


「周りの奴と同じように出来ないのが嫌でさ。つってもまあ、この手じゃ限界はあるんだけど。工場長からどやされたり、大学に進んだ奴等からも笑われたりしてるうちに、やる気なくしてってさ。どうでも良くなっちまったっていうか……」

 それに、あいつ……。

「家族仲悪いから家に帰るのもめんどくさくてさ。それで、ずっと行きたかったんだよ、ナユタに。新しい街に行けば何もかも上手くいくんだって、そう思ってた」


 ――そうして二年前のあの日。

「大口の仕事で、俺はミスをやらかした。気を付けてりゃ何て事はない、回避出来るミスだった。でも俺はその時、新宿を出る事で頭が一杯だった。こんな仕事してる場合じゃない、なんて思ってた。そしたら、思ってもないほどひどいのをやらかした。工場長はブチ切れ、俺は工員全員から総スカンを喰らったよ。でも、その時俺は……」


 ――いい切っ掛けだ。

 ――上等じゃないか。俺一人のミスで大騒ぎしやがって。

 ――ここにいても俺の未来はないんだ。だったら……

「工場を飛び出してさ、荷物適当にまとめて、歩き出したんだよ。そしたら」

『どこ行こうってんだ』と不意に声をかけられた。嫌な予感がした。いるはずないと思った。顔を上げると、そこに工場長がいた。


『まだ仕事が残ってるだろうが。そんな荷物抱えてどこ行くつもりだ、お前』

 そこから先は思い出したくない。最低の、半端者の言葉だ。

 今さら、なかった事には出来ない言葉だ。

「『俺は飛ぶんだ』ってそう言った。こんな下らねえ街は出て行ってやるって」

 何言ってやがるんだ。


 下らねえのは、俺だろう。

「たぶんあの時、工場長は俺を見捨てた。ここで仕事一つ満足に出来ねえのに、新しい場所で何をやるんだって言われて。答えらんなかった。ナユタに来てやりたい事なんて別になかった。ただナユタに来れば運が向くんじゃねえかと、そう思ってただけだった!」

 そこから先は、あまり話す事はない。


 旧市街で勤め始めた仕事は、新宿よりさらに悪かった。あそこじゃ俺は人間扱いさえされなかった。心の中で、それも当然だと思う自分がいた。

 だって、俺は逃げ出したんだから。

「あの時だってそうだ。レベッカが命がけで助けてくれたのに、俺は一度逃げようとしたんだ。最悪だ。俺はよりによって命の恩人まで見捨てようとしたんだ」


「……お前は彼女を助けた」

 叉反が静かに言った。

「それは事実だ。お前がいなければ彼女は今頃結社の手に落ちていた」

「違うだろ。助けるのが当たり前なんだ。俺は一度助けられているんだ。たとえ命に代えても、助けなきゃいけなかったんだ!」


 思わず、俺は怒鳴り返していた。

「なあ、いいか。俺はもう許されないんだよ。仕事から逃げて、恩を仇で返そうとして。俺は最低なんだよ。命かけてでも償わなきゃいけないんだよ。俺は、俺は……」

――だからお前は――

「俺は、ただのろくでなしだ」


 今までも。これからも。俺はずっと。ずっとだ。

 叉反は灰皿に煙草を押し込んだ。それから立ち上がった。

 その目はずっとナユタの街へと向けられている。

「お前は許されない」

 ぽつりと、叉反は言った。


 わかっていたとはいえ、それでも言葉が出ない。ああ、そうだ。俺はこうでなきゃいけない。

「何故ならお前自身がお前を許さないからだ。お前は過去の過ちを今も丁寧に持ち続け、自分自身に突き付けているからだ。他に、何も出来ないからだ。退場さえも。今のお前には」

 叉反はこちらを見ない。その目はずっと、どこか他のところへ向けられている。

「だが、退けないのならば進む事は出来るはずだ。その場で立ち止まるだけでなく、どこかへ一歩でも」


「……馬鹿言えよ。進むのなんて、もっと難しいだろ」

「簡単だとは言わない。道が見えなかったり、歩く力や、勇気が足りなかったり。進めない事もたくさんある。進むのは、本当に難しい」

 叉反は懐に手をやった。

「それでもお前には進んでほしい。過去がお前を苛み、苦しめたとしても。道を見出す事を諦めないでほしい。諦めなければ歩き出す事が出来る。その道を、過去の償いではなく、未来のために歩める日がきっとくる」


 ベンチの上に、叉反は何かを置いた。小さな紙切れ。

「道を探してくれ、トビ。お前はもう逃げてない。その事を信じてくれ」

 言って、叉反はそのまま出入り口のほうへと歩いていった。

 俺は何も考えられないでいた。

 ……道を探せだって?


 俺には、もう……

 唐突に風が吹いた。突風めいた、少し強い風。叉反の置いた紙切れがふわりと浮かぶ。俺は慌ててそれを、右手の爪で摘み取る。

 俺は紙切れをじっと見つめる。簡素な文字。簡潔な情報。

 進むべき道はあるのだろうか。

 俺は進んでもいいのだろうか。



 病室へ戻って、少し眠る。夢は見ない。覚醒して瞼の裏側を見て、目を開ける。

 気持ちは晴れない。いや、晴れないというか、曇り空のようにはっきりしない。

 天井を見るのにも飽きて、俺は部屋を見回す。個人部屋だ。ベッドと洋服箪笥、机にもなる小さな棚、洗面台、窓。ブラインドが下ろしてあって、部屋は暗い。上げると、夕日が眩しかった。

多少狭い事を除けば、俺の部屋より断然ましだ。


 ……と。

 俺は棚の上に何かあるのに気が付いた。

 三つ折りにされたそれを広げてみる。綺麗な字で手書きされた、手紙だ。



『本当は直接お礼を言おうと思ったけど、寝ているようなので手紙を残していきます。

 助けてくれて本当にありがとう。元はといえば巻き込んだわたしに、こんな事を言う資格はないかもしれないけれど、貴方が来てくれなければどうにもならなかった。

 貴方の胸のストーンだけど、こんな事を書く資格は本当にないけれど、残念ながら今すぐに取り除く事は出来ない。結社の施設か、それ並みの設備があれば可能だけど、今は場所を押さえるのも難しい。

 

 本当に、ごめんなさい。


 必ずあなたを元の体に戻すから、もう少しだけ待っていて。

 

 準備が出来たら、必ずまた、あなたに会いに行く。

 その時まで。

                             レベッカ』



 読み終えたあとの感情を何と言えばいいのか。

 明確な形の見えない、妙な気分だ。

 彼女は、行ってしまった。再会を期するような事は書いてあるものの、別れの瞬間に顔を合わせられなかったという事実が、霧のように心に立ち込める。

「ああ、くそ」


 俺は手紙を棚の上に置いた。スリッパを履き、部屋を出る。



 無駄かもしれない、と思った。その逆に、まだ間に合うかもしれないとも思った。

 大急ぎでエレベーターに乗り込み、一階のボタンを押す。病棟から病棟を移動し、俺は正面玄関へと急ぐ。

 駐車場に、車が出入りしているのが見える。人影はまばらにある。俺は彼女の姿を探す。赤い髪にヒナゲシの花が咲いた後ろ姿を。

 だが、期待に反して、そんな人影はどこにも見当たらない。


「……トビさん?」

 声がした。子供の声が。

 振り返ると、小さな子が立っていた。少し大きめのパジャマを着て、片手にヨーヨーを持った男の子。

「仁……」

「何してんの? そんな急いで。……顔色悪いよ、大丈夫?」


「……なあ、レベッカ見なかったか?」

 答えずに、俺は言った。

「レベッカさん? いや、見てないけど……。ああ、そうだ。確か昼過ぎには退院してたと思うよ。叉反がそんな事言ってた」

「……そうか」


 それならもう、この辺りにはいないだろう。

「トビさん?」

「ああ、いや。悪い、部屋に帰るよ」

 胸の中が、さらに重くなった気がする。

 俺はゆっくりと今来た道を戻り始める。部屋に戻る。戻って眠る。それくらいしか、今は出来そうにない。


      17


 結局最後に退院したのは、俺だった。

 入院費はそれなりの額だが、分割でいいという事なので、まあ、そう焦る必要はない。

 いや、焦るような元気がない。

 ねぐらのような小汚いアパートにだいたい十日ぶりに帰宅し、俺はまず部屋を掃除した。溜まっていたゴミを片付け、入院時に病院から買った下着と衣類を洗濯し、使う事のなくなった社名入りのツナギを仕舞い、冷蔵庫の中身を確かめ、インスタントのコーヒーを淹れて、テレビをつける。


 菊月の事件は、どこの局も報道していなかった。芸能人の結婚だとか、どこぞで起きた剣呑な事件だとか、そういうニュースばかりだ。

 こうして帰ってきてみると、あの日清掃工場で死にかけたのが嘘みたいに思える……と言いたいところだが、嘘じゃない事は身に染みてわかっている。だが、世間ではすでに過去の事件となりつつあるようだ。一局どころか一言も報道されていないとなると、さすがに何か不自然なものを感じる。


 ……いや、やめだ。

 俺はあの探偵とは違う。一般市民だ。妙だと思う事はあっても、首を突っ込んだりは出来ない。またサブマシンガンで穴だらけにされたり、ヘリにぶらさがったりしろっていうのか? いやいや、ごめんだね。

 テレビを消して立ち上がる。腹も減ったし、出かける事にした。



 例のコンビニは、半壊したまま放置されていた。立ち入り禁止のテープだけが張り巡らされ、人っ子一人いない。

 夕飯を買うのに便利だったんだが。

 俺は足を新市街へと向ける。退院祝いだ。一人だが、せいぜい楽しくやるとしよう。



 新市街は人で溢れている。いつもの光景だ。この小奇麗な再開発都市は、日に日に人口が増え続けている。道行く人に知り合いはいない。どこかで見た事あるような人でさえ、皆無だ。

 そういえば、仕事を探さなくちゃならない。

 今度はどこに行けばいいのだろう。また機械整備辺りを探してみるか。それか自動車工場か。俺に出来るのなんて、そのくらいだ。


 ポケットの中に手をやる。小さな紙切れを取り出す。

 表には、名前と電話番号。裏には事務所の住所が書いてある。旧市街のとある一画。

「いや、まさか……」

 行ってどうしろって言うんだ。本当に。

 でも、もし行けるなら。そこで、今度こそ踏み出す事が出来るなら――……


「――どこに目ェつけて歩いてんだこのガキ!」

 粗暴さ丸出しの怒鳴り声に、ぼんやりとした思考を中断する。

 十メートルくらい先だ。大柄の、いかにもチンピラというような二人組。でかいほうはいい歳したおっさんだ。その足元で、まだ小学生にもなっていないような子供が大声で泣いている。傍らの母親らしい女性が必死に頭を下げている。


 おっさんのズボンは汚れていて、下にはファストフードのドリンクがぶちまけられている。

 ああ、だいたい事情はわかった。

「ああ!? 謝られたって困るんだよ! どうしてくれんだよ、この汚れは! きっちり責任取ってもらわないとなあ、オカアサンよお!?」

 チンピラの剣幕に、母親はただ頭を下げるばかりだ。周囲の連中は動揺していて、一向に動く気配がない。


 ――ちっ。

 俺は駆け出していた。人ごみを掻き分け、騒ぎのほうへと近付いて行く。

 喧嘩はごめんだ。痛いのも、苦しいのも。だが見捨てるのはもっとごめんだ。

「おい――」

「やめなさい」


 俺の声と、母親ではない女の声が重なった。

 ――赤い髪に、白い花が揺れている。

「最初にぶつかってきたのは貴方でしょう? わたしは見ていたわ」

「何だテメエは!」

 チンピラの片割れが女に向かって怒鳴った。女はすかさずそちらを睨み返す。二つの、青い瞳が。


「馬鹿な事はやめろと言ったのよ。これ以上騒ぐなら、わたしが相手になるわ」

 彼女の言葉に、チンピラが下卑た笑いを浮かべる。

「ほお、そうかよ。お前が相手してくれんのか」

「フュージョナーだけど美人の姉ちゃんだな。なら、俺達がたっぷりと――」

「おい、やめろよ」


 チンピラども背中に向けて、俺は言った。

「子供の前で下品な話をするなよ。教育に悪いだろ、おっさん」

「……たく、次から次へと何なんだてめえらッ!」

 チンピラの片割れが俺に殴りかかる。遅い。いくら何でも見え見えだ。寸でのところで躱せば、大男が鉄パイプを振りかざす。


「トビ!」

 レベッカが叫んだ。俺は感覚を思い出した。鳶の手に緑電を走らせる感覚。ばちりという音とともに、強化された右手が鉄パイプを掴み取る。ステップして後ろに下がる。チンピラどもがすかさず突っ込むように構える。

「レベッカ! 二人を連れて逃げ――」

 稲光のような緑の発光とともに、放電音が耳をつんざく。二人のチンピラが同時に悲鳴を上げ、全く同時に道路へと倒れ込む。生きてはいるが、二人とも揃って呻いている。


「ふう……」

「ふう、じゃねえ!」

 小火竜を下したレベッカに、俺は思わず大声を上げた。きょとん、とした顔でレベッカは俺を見る。

「何よ、急に」

「何よじゃねえ何よじゃ。往来でそんなもんぶっ放してんじゃねえよ! 見ろこれ、漫画みたいになってんだぞ!」


「威力は最低だから大丈夫でしょ。動かなくなっただけよ」

「それが問題なんだよ!」

 不満そうな顔をするレベッカ。さっきまで泣いていた子供も、その母親も、ぽかんと俺達を眺めている。

 遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。誰かが警察を呼んだらしい。明らかに悪いのはチンピラどもだが、悪い奴なので電撃喰らわせて黙らせましたと言って、警察が納得するとは思えない。


「こっちだ!」

 俺はレベッカの手を掴む。途端に抗議の声が上がるが、今は取り合っていられない。

「だいたい何でこんなところにいるんだ!?」

「いえまあ一度は街を出ようと思ったんだけど、外の街で逃げ回るのも大変だしここはナユタに留まって様子を見ようかと思ってって、トビ、それはいいから手を離して!」


「馬鹿言うな! 警官追ってきてるぞ! それにまた消えられるのはごめんなんだよ!」

「え、なに!?」

 構わず俺は走り続ける。これじゃ新市街にいるのはまずい。一旦旧市街まで戻らないと……。

「……しゃーないか」

 緊急事態だ。この際、頼りにさせてもらおう。


 住所はポケットの中にある。

「このまま走る! ついてきてくれ!」

 レベッカの手を引いて、俺は新市街の中を駆けていく。ナユタの空が赤く焼けている。盛る炎のような夕焼け。ごった返す人ごみを掻き分ける。目の前の道を、俺はただ全力で進み続ける。荒野を進むような足取りじゃない。駆け足は、決して止まらない。

 行き先は決まった。どうやら迷う暇はない。







 ――茂みの中で、男はついに獲物を見つけた。俺をコケにしたガキ。忌々しい少年の姿を。

 少年は疲弊し切っていた。自らを王と名乗った自信も気配も、今は欠片も感じられない。

 簡単な事だ。男はほくそ笑んだ。せめてあのガキの首くらいは取っておかないと。あの細い首を、この手にかければいい。面倒な一件だったが、少なくともそれが出来れば御の字だ。

 ゆっくりと、男は少年に近付く。体は本調子じゃない。一瞬で決めなければ……


「――一応言っておくぞ、スガロ」

 ぽつりと少年が言った。心臓が跳ねるかのようだった。思わず身を震わせてしまい、隠れていた茂みが音を立ててしまう。

「それ以上近付くな。大人しく逃げれば、命だけは助けてやる」

 ……何を言ってやがる。


 そんな体たらくで、俺をどうにか出来ると思ってやがるのか?

 なめやがって。

「もう一度だけ言う。消えろ。僕を煩わせるな」

 この……っ!

「クソガキィイイッ!」


 スガロは飛び出した。右手の一撃で相手の首をへし折る。それで終わりだ、それでこのガキは――――

 軽く、何かが胸を突いたような気がした。

 押されたかのような、そのくらいの軽さ。

「……っ?」

 スガロは目を違和感のほうへと向ける。少年の、細めの腕が胸元に突き刺さっていた。視界が濁る。よく見えなくなっていく……。


「馬鹿が」

 少年の手が引かれた。異物感が胸元から消え、真っ赤な液体が噴き出していた。はっきりわかったのはそれだけだ。あとはもう何も感じられず、スガロの視界は暗闇に閉ざされた。



 血が、男から溢れていく。地面の草々を濡らし、生々しい臭いが漂う。

 余計な体力を使った。白王は舌打ちする。もうしばらく、ここで休まなければ。

 手の中に、男の胸元から取り出した物がある。力を失った物。心臓のように真っ赤に濡れた、怪物の緑石(モンストロストーン)


「探偵尾賀叉反……」

 面白いじゃないか。腹の底から笑いが込み上げる。握り締めたストーンに音を立てて罅が入る。

 いいだろう。もう逃がさない。必ず思い知らせてやる。

「待っていろよ」

 周囲に取り付けた装置ごと、ストーンが手の中で砕ける。

「――次は地獄を見せてやる」

                 

                    

                          了

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