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第一部:4

 と、前章を今までの中弛み展開を一新するという名目で緊迫観を出させて終わらせてみたが、いかがだっただろうか。先に言っておくと特に御来屋の身に大したことは起こっていない。あったとしても「お釣りが四百四十四円で不吉! やばい!」くらいのものが関の山だ。人生に潤いをもたらすという意味である程度の刺激を伴った趣向は必要なのである。

 現在、時刻は午後五時五十四分。

 図書館の入口から延びる三段ほどの低い階段を降り立ってすぐそこは大学のメインストリートとなる。両脇には落葉した桜の木が等間隔に連なっており、あと三、四か月もすれば麗らかな春の香りに鼻孔をくすぐられることになるのは過去二回の経験から帰納的に導き出せる。

 あたりに人は少ない。メインストリート全体をザッと見渡しても二、三人ほど。と言ってもこれはあくまでも俺が知覚できる範囲でしかない。ポツンポツンとこれまた等間隔に建てられた屋外灯の光が照らし出すところがそれである。不気味にも光の当たらない暗闇に何者かが潜んでいる可能性も十分ありうるのだ。

(……コンビニでも行くか)

 その一抹の恐怖への抵抗の現れか二十四時間年中無休営業することで闇の入りこむ余地のないコンビニエンスストアへ自然と心が動いた。……いや、ただ単に雑誌の立ち読みが一時間の暇潰しに最適という判断からだけかもしれないけど。

 ここから最短距離にあるコンビニは大学の西門を出て左手に曲がった五十メートル先に構えている。ついでだ。道すがらにある掲示板を見ておこう。試験日程の告知、奨学金関連の連絡、バイトの求人票などが貼りつけられている深緑色をしたアナログなものである。

 今年の夏頃、そこに貼られたゲームセンターの求人票を目の前にして御来屋と「時給千百ゴールドのA級クエストですか。どうしますか、先輩?」「ふん……ノットクリア、よく見ろ。俺の低レベルではこのクエストは厳しい……(ハスキーな声)」とネトゲごっこに興じたことが脳裏に浮かんだが、それはまた別の話として、この掲示板、チェックを怠ると結構えらい目に遭う。端的に言えば試験日程の見落としによる授業単位の未取得だ。朝起きるのが苦手ということも相まって去年度の成績は四年でのストレート卒業が危ぶまれる酷いものであった。

 それを見かねたお袋は俺の起床管理をさせるために同じ唐王大学に合格した五花をちょうど空いていた右隣りの部屋に住まわせた。本当は五花は御来屋と同じように実家から電車とバスを乗り継いで通学するつもりだったらしいが、おそらく山吹色のスイーツでも積まれたのだろう。結局、不承不承了承してしまった。

 それからしばらくして環境保全を謳った発光ダイオードの照明でライトアップされた掲示板前へと俺は辿り着いた。

(特に目ぼしいものはないか……んっ?)

 モノクロ印刷の掲示物が多い中でカラフルなそれは一際、人の目を引くものであった。もちろん俺も人の類に漏れない。

『演劇サークル「リトルノ」クリスマス劇場!! 来場者にはもれなく菓子パンとジュースをプレゼント!! 聖夜12月24日(火)18時に西体育館でお待ちしています!!』

 ファンシーな猫をモチーフにしたキャラから延びるフキダシ内の手書き文字がこれである。線の強弱、丸み具合から見て女子が手掛けたものだろうと窺える。うん、率直に言って可愛い。それに不思議と親しみやすくもある。

(十八時……)

 少し急げば間に合う開始時刻。行ってみるのもいいかもしれない。演劇などさほど興味はないが菓子パンとジュースがもらえるのは高ポイント。実は昼から何も食べてない。軽くなら食うのもありだろう。それに体育館は暖房を効かせているはずなので寒さも凌げる。これほどのくつろぎスポットを他に見つけることはできない。問題は終了時刻だが……。

A4サイズの貼り紙を今度は注意しながら目する。すると、右下隅の方に明朝体フォントで書かれた小さな文字を見つけた。

『※終了は18時50分を予定しています』

 よし、ならば大丈夫だ。会場である西体育館から俺のアパートまで徒歩で十分もかからない。自室でのクリスマスパーティの開始は午後七時。たとえ何かあって遅刻したとしても三分以内なら軽い一言文句で済む。自分の妹の狭量さをいかに正しく把捉するかが全国の妹持ち(マイホ)兄貴(ルダー)に求められていると俺は考える。いや、なんか妹に一家言あるみたいで嫌だなあ……。取り消そう。

 息が切れない程度の早歩きで体育館前に到着。そこの窓からは、ぼんやりとしたオレンジの光が溢れている。おそらく光源は数台の大型ヒーターである。こういう冬のイベント時に臨時で置かれるもので俺みたいなサークルに属してない学生でも申請を出せば借りることができるらしい。

(まあ、そんな大掛かりな機会はないけど)

 たくさんの人とコネクションを持つ活発な学生生活とは縁遠い俺。友達も多くないしましてや彼女なんていない。五花や御来屋のようなカップルに敵愾心を燃やしはするものの、急を要して彼女が欲しいわけではないのだ。今は好きな子はいないし性欲も強い方ではない。おまけに「女子と付き合う=性欲を満たす」と直結させる捻くれた性質でもある。こんな俺が男女交際というS級クエストに挑むわけがなかった。

(そういえばあれからもう二年か……)

 そんなことを考えていたからか胸に苦い思い出が蘇えってきた。

 受験真っ只中の高三のクリスマスイブ――俺は失恋した。好きな子には好きな男がいてそれが自分でないと知っていく過程を経て終わった儚い恋はうんざりするほどありふれたもので痛いくらい冷たかった。

 あのときショックで地面に縫いつけられたかのように棒立ちになった俺を励ましてくれたのはなんと妹の五花だった。妹だけど姉のように「またいい人を見つけなよ」と諭し慰めてくれたのだ。なのに俺という体たらくはそれに応えるための努力を未だにできず停滞を繰り返していた。

(難しいものは難しいんだよ……)

 一度失敗の苦渋を嘗めてしまうと実りが不確かな恋はできなくなる。生まれて初めて食べたリンゴが苦ければ自ら口にしようとは思うまい。たとえ太陽の恵みをしっかり受けて育った甘いリンゴだとしてもだ。しかし、食べ物に限らず食わず嫌いというのは初めに接したものをそれの基準とするらしく「初めて観たロボットアニメがクソだったからロボットアニメはクソ。でも、友達に無理矢理にも勧められて他のものを観てみたら好きになった」などの話もよく聞く。なので俺も何かきっかけ一つで恋ができるかもしれないと前向きに考えるのが今はベストだろう。

(と言ってもアレルギーはあるんだけど)

 そんな外連味(けれんみ)を内に秘めながら俺は体育館の中へと続く冷え切ったガラス戸の取ってを手前に引っ張った。

 入った先の玄関ホールには二十組ほどの外履きが無造作に並べられていた。二か月前の学園祭で体育館が使用されたときには土足で入ることができるよう若葉色のフロアシートが敷かれていた覚えがあるが今はない。この少ない集客数だ。準備・後片付けのことを考えればこの方が楽なのだろう。

「こんばんは。演劇、ご覧になられますか?」

 アリーナへと続く鉄扉から向かって右。そこで長机を前にパイプ椅子に座った女子が俺の姿を認めるやいなや声をかけてきた。どうやら受付をしている様子である。

「はい」

 イギリスを舞台にした超有名魔法ファンタジー小説のヒロインみたいな髪色・髪形をした彼女のその問いかけに首肯を交えて答える。これでも愛想は良くしたつもり。普段、コンビニやスーパーなどの会計時では無言を貫き通す俺。ここで口を開いたのはサークル活動とはいえ無賃で客に対応しているこの子の可愛さに免じてのことだった。まあ、そこまで好みのタイプではないんだけど。

 その子は俺の返事を確認後、長机に置いてあったノートを開いた。

「では、ここに学部、回生、性別を書いてください」

 見るとページは黒の縦線が二本入れられており一行が三区分された形になっていた。左から言われた通りのものを書けということ。もしかしたら次回以降の公演の参考にするのかもしれない。

「はい」

 無粋なそれだけをただ吐き出すイエスマンに成り果てていた俺。正直に言うと妹以外の女子と話すのは苦手だ。まったくの責任転嫁だが会話の糸口が掴めないのである。さらに受け身で男に面白いことを求める姿勢も気に入らなかったりする。もちろん全部の女子がそうとは言わない。五花とか俺や御来屋より面白いこと言おうと必死だしな。

 まあ、女性批判はさておいて俺は「理学部/二回生/男」とノートにペンを走らせていく。その間に受付の女子はたっぷたっぷとペットボトルから紙コップにバヤリースのオレンジジュースを注いでいた。

「ありがとうございます。では、これを持って館内へどうぞ」

 記入を終えてペンを置くと、およそ八分目まで注がれた紙コップの隣りにはいつの間にか手の平サイズの紙袋があった。貼り紙に書かれていた菓子パンが中には入っているに違いない。

 会場であるアリーナに入れるための鉄扉はすでに開いている。右手に紙袋、左手にジュースを手にした俺はそこへと誘われた。

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