第一部:2
「くっ……サレンダーだ……」
俺はデッキの上に手を乗せて「投了」を宣言する。自分の手札、ゾーンに並べられたカードを交互に見やる。どう思索を凝らしてもこの戦況では勝ち目はない。火を見るよりも明らかだ。
「潔いですね」
「無駄なことを長々と続けてもあれだしな。うーん、最初に〈タチバナドウセツ〉に〈名刀「雷切」〉を装備して召喚したのは良かったと思うんだけどなあ……」
俺は漏らす。いや、言い訳くさく聴こえるかもしれないけど結構いい線いってたとは思うぜ?
「はい。確かにあれはいい手でした。もし僕の手札にタイムカード〈アスカ〉がなければ負けてたのはこっちだったかもしれません」
御来屋もそう言ってくれる。こいつは彼女の兄でも持ち上げたりしないからな。でもまあ、後悔先に立たずだ。零れた牛乳を見て嘆いても無駄。フクスイさんは盆には帰らない親不孝者なのだ。だから、この負けは同じ勝負で取り返せばいい。
「そう……無駄なことを長々と続けるならその時間を再戦に充てた方が有意義ってもんだ」
「ほう、やる気ですか」
「ふっ……やる気だ」
男二人で不敵に笑い合う。このほんの一瞬だけを切り取って見れば、先ほどどちらが敗戦を喫したのか分からないかもしれない。
互いの心が震える牛のようにいきり立ち、場が興奮と緊迫の渦に支配される。
そんなときだ――御来屋の尻でそれもぶるぶると震え始めたのは。
「っと、すみません。電話です。ええと……いっちゃんから」
「ん? 五花から?」
その俺の反応を尻目にスツールから腰を上げた御来屋はバイブレーションを起こすスマホを片手に談話室から出ようとする。
「って、おいおい、出たら駄目だろ。ここで通話しろよ」
咄嗟に注意する俺。談話室を出たらすぐそこは図書スペース。通話なんてもってのほかだ。図書館内で大声での会話・通話を治外法権的に許されているのはこの談話室くらいである。
「館内を出てからします」
「この寒空の下でか?」
どういう理由で?
イギリスの哲学者にして経済学者でもあるジョン・スチュアート・ミルはその著書『自由論』でたとえ端から見て愚かな行為であったとしても他人に迷惑さえかけなければやっても良いという愚行権の概念を提唱した。しかし、それでもだ。
「いっちゃんとの通話を先輩に聞かれたくないからですよ」
「うわっ!? 俺の気分を害すという迷惑をかけやがった!?」
風邪でも引いてしまうんじゃないかと心配もしてやってたのに。
「はっ!? テメエら、まさか俺に黙ってクリスマスパーティの後にエロいことをするつもりか!?」
そうか。これはその算段のための電話に違いない。
「どんな穿った考えですか! そんなこと言ってるとまた妹に害虫を見るような冷たい目をされますよ!」
必死になって御来屋は否定する。ますますもって怪しい。
「じゃあ、何の電話だっていうんだよ」
「そんなの僕だって知りませんよ。というか、モタモタしてるうちに電話切れちゃったじゃないですか。ただでさえ三コール以内に取らないと文句言われるというのに……」
「いやいや……オフィスマナーかよ……」
それは彼氏と彼女の関係じゃない。労働契約みたいな何かだ。己の妹の手厳しさに俺は改めて恐ろしさを感じてしまう。
「第一、そんないかがわしい算段を立てるならメールでしますしね」
「やっぱり、してるのか!」
掴みかかるようにして俺は一喝した。
「し、してませんよ! こ、言葉の綾ちゃんです!」
「しかも、浮気相手の名前まで漏らしやがった!?」
「それに関してはまったくの誤解です!」
いや、ここは二階だ。御来屋蔵之助――普段は余裕ぶってるが五花のこととなると途端に動揺を垣間見せる男だ。その証拠に俺みたいな寒いギャグが口を衝いて出ている。憎めないやつ。だからか俺は、
「はあ……まあ、いいよ」
「えっ……」
溜息交じりに険しい眉を解かしてしまった。御来屋は目を丸くしながら俺を見つめる。
「お前らもあと一年しないうちに成人だしな。それに二年以上も付き合ってるみたいだ。とやかくは言わないでおいてやるよ」
「お義父さん……いえ、お義兄さん……」
ああ、なんか二人の結婚をしぶしぶながらを装って了承してやる根は優しい頑固親父気分。楽しい。御来屋もそれに合わせた反応をしてくれる。ちなみに、五花の父親(俺の父親でもあるが)は彼女に彼氏がいることだけは知っている。家族で一つの鍋をつつく夕食時に何の気なしにまるでフェルマーやオイラーの定理が自明の理であるかのように五花が暴露してしまったためである。
対面に座る親父の口に入ったはずの椎茸が俺の顔に張り付いていたのは記憶に懐かしい。
「ただし! 五花の初めては俺のものだ! それは絶対に譲らないからな!」
「お義兄さん……いえ、先輩……気持ち悪いです。死んでください」