一話 主様と僕。 千景side
輪廻転生。それは、回転する車輪のように、衆生が三界六道の世界に流転して生死をくりかえす。しかし、同じ魂が幾度となく転生を繰り返すがために、ごくまれに前世の記憶を持ったまま世に生まれることがあった。そして、江戸時代の「自分のキオク」を持つ女がいた。その前世は…「忍」だった。
「おはようございます、主様」
大広間・一の間の高座に座る主の前で、私はゆっくりと頭を下げた。そして、息を吸うと、口上を述べる。
「九条院家6代目当主・紫弦様。おはようございます。本日もお健やかなご様子で恐悦至極に存じ奉ります。この千景、あなた様の手となり足となりご奉公してまいる所存に…」
「千景、堅苦しい挨拶はいいよ」
柔らかな声色で朝の口上を遮った。高座に座るこの御方は、九条院 紫弦。27歳独身でお嫁さん絶賛募集中。
九条院家は江戸時代から続く旧家で、彼は6代目当主である。現在数々の事業を経営しており、九条院グループを取り仕切る若き社長です。柔らかな雰囲気を身にまとい、社長就任式では甘いマスクで女子社員の心を一分でつかんだ御方です。しかし、なぜか独身。そして、恋人もいない。容姿端麗でお金持ち。超優良物件な彼のハートを射止めるべく、女の熾烈な戦いが繰り広げられているのだが。本人は興味がない様子です。
私の悩みは、ここにあります。そして、‘前’もそのような悩みを持っていました。懐かしいですね。
「では、主様。いつ奥方様をお迎えに上がるのでしょうか」 と、いじわるな質問を投げかければ、
「朝からいやな話を振るねえ。私は誰とも結婚しないよ」 とあっさり。
「前世でもかようなことを仰っておりましたが、現世ではそうはいきませんよ」
実は、私たちは前世でも主従関係にありました。紫弦様は武家の主、私はそれに使える忍でした。それは、今も変わることはない。時代は違えど、昔と変わらぬ関係です。
「だったらお前が私の嫁になればいい」
紫弦様は純度100%! 極上の笑みを浮かべる。それは、私の心を揺るがすには十分なほどの笑み…。はあ、もう、ニクイ人です。
「ば、馬鹿なことを仰っている暇があるなら、女性の一人や二人ひっかけてください」
「それはちょっと…」
――があああああ。なんてことを言うんだ馬鹿主様。わわわ、私なんか、、無理だ…。どうにもこうにも、身分が違いすぎる。それに、私は影、主様は光。決して交わることのない存在。
今でも、影の存在として彼にお仕えしている身。余計なことを考えては、身を滅ぼしてしまいます。
「さて、千景。今日の仕事は帯同するように」
「承知しました」
主様が下がるのを見届けた後、さっそく着替えに取り掛かる。
『―――お前が私の嫁になればよい。』
この言葉が頭の中で反響して、耳から離れない。瞬時に顔が真っ赤になるのが分かりました。ま、まだドキドキしている。よよよよよよ、嫁!? 私が、嫁!!
無理ーーーーーーーッ!!!
い、いやあ…そうなれたら、と何度夢に見たことでしょう。でも、でも…無理ッ!!!
だって、主様だよ。私なんて、捨て駒だよ。身分も低いし、釣り合わないし、きっと本心じゃない!
彼の心に私はいない。入れないし、入れさせてもらえない。そんな存在の自分。
勘違いも甚だしい。そう自分に言い聞かせ、仕事着に着替えるために自室に戻りました。その間に気持ちが落ち着くと良いんですけど、脳内は壊れたラジカセのように、何度も何度も何度もリピート…。トホホ、忍失格です。