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男の名前は森山準一郎といった。今年の十一月で二十八歳を迎えるそうだ。森山建設とか言う大会社の御曹司で、双子の兄がいるらしい。だから「準」一郎なのだ。いくら金持ちでもこんな所じゃクソの役にも立たない、とは本人の談である。
もちろん美香子に対し語ったことではない。すべてイグアナに話し掛けているのを美香子が勝手に隣で聞いていて得た情報だ。イグアナにうそを言ってもしょうがないので本当の話だとは思うが、よく考えたらイグアナ相手に本当のことを言ってやる義務もない。
準一郎は今も美香子の存在には気づいていない。できうる限り美香子も自分の痕跡が残らないように行動していた。どこを探しても人影は見当たらないのに、砂浜には自分以外の足跡がある、となればちょっとしたホラーだ。そうでなくとも無人島に一人、という極限状態にあるのに、得体の知れない何かが自分を狙っている、とでも思ったなら彼の心のメーターは振り切れてしまうかもしれない。
準一郎が来てから『この島を豊かにする』という課題は厳しさを増したようだ。たとえば、植物の生育のためにどうしても取り除かなければいけない岩でもあれば、まるで自然のなせる技であるかのように見せかけて移動させなければならない。
いいアイディアが浮かばず、そこは放置してあるが。
それに準一郎用の食料も調達してやらなければならない。今まで気にする必要のなかったことだ。この島内で人一人が暮らしていける食料を確保することは結構難しい。
だから準一郎が釣り好きでホント助かった。
美香子にはもっと重要な仕事がある。準一郎の島脱出の阻止だ。せっかくの男手をむざむざ手放すわけにはいかない。
それに準一郎は美香子にとって『ちょっとの彩り』程度の存在ではすでになくなっていた。