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精霊記  作者: 橘 兵衛
3/4

大切なもの


 晴れ渡る青空。

 燦々と輝く太陽。

 晴れというよりも、快晴という言葉の方が適切だ。

 光る太陽の下で、大勢の人がいくつもの白い卵の様な物の周りに集まっている。

「おお、生まれたか」

「今回は5人か」

 人々が次々に歓声を上げていく。

 前にあった白い卵の中から物体が出てきた。その物体に向けての歓声。

 その物体は奇妙な姿をしていた。

 淡い粘膜が裸体にまとわりついている。その背中には小さなクリーム色の羽が生えている。耳は異常に長く鋭い。髪は足まで伸びていて、腕や足に絡みついている。

 人の様な形をしているが、その物体は人ではない。

「さあ、師匠の方はこの中から一人を選びなさい。今日からこの子達があなた方の部下になります」

 大勢の中のリーダーらしき一人が言った。

 残った人達がそれぞれ選んでいく。

「あなた達の育て方で、この子達の性格や人生に影響します。くれぐれも育成を怠らないように。以上」

 リーダーがそう言い終わると、人々はその場を後にした。


     1


「お師匠!」

 息を切らし駆けてくる少年は、目の前の若い男性に抱きついた。

 抱きついたといっても、少年の背丈は師匠の腰に満たないため、太股に両手を回している形だ。

「何か嬉しいことでもあったのかい?」

 師匠はその少年の顔を見てそう言った。

「はい!」

 少年は元気に答える。

「あのね、昨日お師匠に教えて貰ったことをみんなの前でやったら、先生に誉められたの!」

「それは良かった。フリードは、覚え込みは早いけれど、なかなか成功しないから心配だったのだよ」

「うん。でも、これもお師匠のおかげです。ありがとう!」

「いいえ。これからも頑張ってくださいね」

「はい」

 師匠の喜ぶ顔を見た、フリードと呼ばれた男の子は、また何処かへ駆けて行った。

 師匠はその背中を見つめる。

 フリードの背中には、人間にはありえないクリーム色の羽が生えていた。

 彼は人間という種族ではない。この世界では『精霊』と呼ばれている。

 その精霊だけが持つクリーム色の羽は、大人になるに連れて白へと変化していく。

 

 どこを見渡しても何もない平原。

 そこには5人の子供と1人の大人の姿があった。

 その中にはフリードの姿もある。

「今日は、飛ぶ練習をします。みんなの羽の成長には個人差があるけれど、ちゃんと飛べるから心配しなくても平気ですよ」

 精霊にも養成所がある。

 将来、自分の主を見つけることが使命の精霊達は、その主を一生守っていかなければならないのだ。体力をつけておく必要がある。そのための養成所だ。

 その養成所の教師が優しく言うと、フリードたち5人は元気に手を上げて返事をした。

 教師はニコリと笑い、生徒の順番を発表する。

「やだなー。僕、苦手なんだよなー」

「あんたは何をやっても、できないじゃないの。昨日はまぐれで成功したかもしれないけど、今日はそうは、いかないよ!」

 言ってきたのは、フリードの隣で、彼とは反対に自信満々の女の子の精霊、ライアだ。

 自信家な性格の彼女は、自分よりも優れているところが一つでもある人がいると、ライバルと思いこんでしまう。口では、まぐれ、と言っても、心の底ではライバルと認識してしまっている。

 そう、昨日のテストであった、『傷を治す力』の結果、ライアは成功することはなかった。

 今までのテストで、彼女は失敗などしていなかった。教師も彼女の実力を認めている。しかし、彼女は失敗した。それで教師の彼女への評価が落ちるということはないが、自分のプライドが許していない。

 ぎらぎらと、フリードを見る瞳は、本当にライバルに向ける色を宿していた。

 フリードは苦笑し、気にしないことにした。

「こいつをライバルなんて思ってんなら、終わりだぜ? ライア。だったらクロナの方がお前に相応しいんじゃないのか?」

「それもそうね。今のところ、私と肩を並べてるのは、クロナしかいないしね」

 ライアの横で首を突っ込んできた男の、精霊のバウロの言葉に、彼女は考えた。 

「でも、今一ノリがねぇ。ライバルってのは、もっとぎんぎんに意識しあうものでしょう。でもクロナときたらいつも冷静沈着でさ、つまらないのよね」

 話の的になっているクロナは、そんな二人の会話をまるで聞いてないかのように目を閉じ、テストの順番を待っていた。

 そして、テストの時間がやってきた。


     2


「なつかしい話しだね。あの時も確か、失敗したのだったね」

「はい……」

 思い出話しで物思いに耽っていたフリードと師匠は、お互いに笑い合った。

 フリードは舌をだして、失敗を誤魔化した。

 精霊に年齢はないが、人間である師匠には年齢がある。人間の歳で数えれば、5年前のことである。

 人間の5年といえば、それほど顔も体も変わらないが、精霊の5年といえば、かなり成長してしまう。

 当時子供だったフリードも今では一人前の大人だった。

 羽の色も白に近づいてきている。

 だが、未だに失敗を繰り返していた。

「覚えているよ。あの時、ライアにライバルだと思われて気合い入れて飛んだのはいいけれど、飛べた喜びで身体の力が抜けて高い所から落ちたのだったね。ははは」

「笑い事ではありません。あの時は大変だったんですから!」

 力が抜け、そのまま落ちたフリードはすぐに医療施設に預けられた。

 精霊専用の医療施設だ。

 打ち所が悪かったせいで、羽に大きな傷を負ったが、腕利きの医療班が時間を掛けて完璧に治してくれた為、傷跡は残ることはなかった。

「私たちの羽は命の次に大切なものなんですから。もし羽がなくなりでもしたら、精霊としての使命も失ってしまうんですよ!」

 使命。

 精霊の使命は、師匠が充分に独り立ち出来るまで育ててから始まるものだ。師匠の下を出てからは、将来共に過ごす主を見つけなければならない。

 そのために、羽がなければ精霊としては認めて貰えずに、主を選ぶことのできないまま命を落とす。

 主を見つければ、その人を守る使命も生まれる。精霊は主が傷ついた時以外では、どの様なことをされても傷を負うことはないし、主が死ぬまで死ぬこともない。しかし、主を見つけられないままの精霊は、転んだだけでも傷を負ってしまい、病気や寿命で死んでしまうこともある。

「そうだったね、悪かったよ」

 言い、師匠は頭を下げた。

「無事だったことだし、もういいんですよ」

 フリードは笑顔を作る。

「そうだ、しばらくぶりに勝負をしよう。失敗すると言っても、昔の様にはならないだろう。私も随分と力が落ちてしまったからね……」

 そう言う師匠の目は笑っていなかった。

「お願いします。ラウド師匠!」

 立ち上がりながら腰まで伸びた空色の髪を、後ろで一つに結ぶ。

 フリードは、失敗することが怖く、術を使うことはない。 

 そのせいか、体力勝負にはかなりの自信があった。拳の力はライア以外の他の精霊よりも強い。

 しかし、それもよけられてしまえばバランスを崩して前のめりに倒れてしまうことがある。

 フリードは胸元で腕を構えた。

 目の前で気を集中させているラウドを見て、いつ攻撃を仕掛けるかを考えている。気を集中し終わった彼が、すぐさま攻撃してくることは、今までの修行で分かり切っていた。

 目がぱっと開き、予想どおりラウドは一直線にフリードに近づき、細い足を蹴ろうとする。

 それをフリードは跳んで交わし、ラウドが起きあがる隙を狙い、拳を腹部に入れる。

 よけると思って計算した拳は、しかし、ラウドに命中した。

 ラウドはよろけ、地面に膝を着く。

 このことに一番驚いたのはフリード自身だった。

 それでも勝負は勝負だ。動揺してはならない。

 ラウドを見ながら、フリードは再び腕を胸元で構えた。次の攻撃に備えて……

「いや、次はないよ」

 ラウドはそう言うと、ゆったりと腹部をさすりながら起きあがった。

「私の負けだ。強くなったね、フリード。だが、次はそうはいかないからな」

「……はい……ありがとうございました……」

 なんともやりきれないという状況で、それでもフリードは試合をやめた。

 それからフリードはラウドの前を去った。


     3


 晴れ渡る空。

 穏やかな風。

 しかし、フリードの心の中は、正反対だった。

 師匠に勝ったことは嬉しいが、彼の立場を考えれば、複雑な気持ちになる。

 彼は、教え子に負けたのだ。しかも、出来が悪いと心配や迷惑を掛けていた者の手により。

(それは、師匠にとってどれだけ屈辱的なんだろう……)

 そう思ったものの、フリードはもう理解していた。

 だからこそ、勝負が終わり師匠の顔をまともに見られなくなったフリードは、こうして自然を触れる所へとやって来ていた。

 しかし、晴れ渡る空は、余計にフリードの心の曇りを大きくした。

「はあ……」

 そう呟いたのは、フリードではない。

 気が付かなかったが、フリードの隣には、少し距離をおいて同じ養成所に通っている女の精霊が座っていた。

「コウレイ?」

 その言葉にコウレイと呼ばれた少女は、振り向いた。

「フリードさん。いらしてたんですか……」

 彼女もフリードの存在に気が付いていなかったようだ。

 紅潮した顔を反対側に向けて、もじもじとしている。

 これといって話したこともない。第一印象は大人しいだった。それも今だ変わってはいない。

「悩みでも、あるんですか?」

 さりげなくコウレイの横に座り、反対側を見ている彼女に声を掛けた。

 その質問に、彼女はチラリとこちらを向いてから。真正面に向き直った。

「この前のテスト、私の成績がすごく悪くて、それで師匠も悩んでらして……どうしたらいいのでしょう……」

 なんてことを言ってくる。というよりは、呟いているようだった。

「どうしたら、フリードさんや、ライアさんみたいに強くなれるのでしょう……私は、精霊に生まれて来て、良かったのでしょうか……」

 それは考え過ぎだろうと思ったが、突っ込まないことにした。

「私は、強くなんかありません。だったら、ライアやクロナの方が上ですよ。それに、私も今のあなたみたいに、悩んでいるときがありました」

「え……」

「私も、失敗ばかりして師匠に心配されていたんです……」

 フリードは自嘲する。

「ときって……?」

「昔の話ですよ」

「じゃあなんで此処に……」

「今の悩みは、師匠よりも強くなってしまったことです。失敗ばかりしていた頃もそれなりの悩みはありましたが、今のこの気持ちは、悩みというよりも、罪悪感ですね……」

「いい、悩み……なんて言ったら怒るかしら?」

「いいえ。失敗ばかりしていた頃はこんな悩みを抱えるなんて思ってもみませんでした……」

 言って。二人は笑った。

「私も立ち直ることは、できるのかしら」

 質問のような、呟きのような、あいまいな言葉。

「ええ、きっと……」

 それでもフリードは質問としてとっていた。

 その返事で表情に明るさが戻った気がした。

 コウレイは立ち上がり背伸びをすると、フリードの方に向いた。

「ありがとう……元気出ました」

「こちらこそ」

 そこで二人の会話は終わった。

 コウレイはそのまま飛んで師匠の所にでも戻ったのだろう。

 フリードは、もうしばらくここにいることにした。今のこの気持ちをどうにか整理してから、それから、師匠に顔を見せようと。

 

     4


 ラウドの家の前までくると、奥からは、何かを殴る鈍い音が聞こえた。

(この時間は確か、師匠が特訓をしているはず。邪魔はしないでおこう)

 わざと遠回りをして、ラウドの家に入っていった。

 そして、自分の部屋に戻るなり、フリードも特訓を開始する。

 夕日が落ちる少し前、それでもラウドの特訓は終わらない。 

 部屋の窓から外を見ると、汗だくの師匠がそこにはいた。 

 フリードはまたも罪悪感に襲われる。だが、自然に、足だけは師匠の元へ動いていた。

「師匠……」

 その小さな声に気が付いたラウドは笑顔のまま、

「やあ、帰っていたのだね。今から夕食の準備をするからちょっと待ってて……」

「特訓を続けていてください」

 その真剣なフリードの表情に、

「そうかい……では、私の新しい技を、フリードに教えよう。着いて来なさい」

 首を傾げながらも、フリードはラウドの後に着いていった。


 どこまで歩いたか、ラウドの足が止まることはない。

 すでに日は落ち、ラウドと共に林の中へと入ったフリードは、その不気味さに身震いする。

 辺りは暗いが、時間的にはそれほど遅くはない。しかし、この林の中に人が来ることはないだろう。もし遭難でもしてしまったらどうするのだろう。フリードはそんなことばかりを考えていた。

「この辺でいいでしょう」

 ふいにラウドが足を止め、すぐ後ろを歩いていたフリードは背中にぶつかってしまう。

「気をつけて。この辺は暗いからね」

「こんな所に来てまでして教えたい技とは、何ですか?」

 好奇心旺盛といった感じで、フリードは問い掛ける。

「それはね……」

 ラウドの声質が変わった気がした。

 しかし、考えている隙もないまま、彼はフリードの後ろに回り込み、

「すまないね……」

 ドスっ。

 振り返ることもできないまま、フリードの意識はそこで途切れた。

 

 目覚めたときには、すでに闇が広がっていた。

 かなりの時間が経ったのだろう。今は一体何時なのかさえ、分からない。

 ラウドの姿も見当たらず、フリードは動こうとしたが、何かに阻まれた。

「うっ!」

 その振動で、頭痛が起きる。

 そして、ようやく思い出した。

 技を教えると連れてこられ、気が付かないうちに頭を殴られ、そこで意識を失ってしまったことに。

 気が付けば両腕は大きく広げられ、枝が巻き付き自由を奪っていた。足は膝立ちの状態で、枝は巻き付いていないが、動くことはできない。枝を解こうと思っても、無駄だった。

「目が覚めたみたいだね」

 カサカサと草の音の向こうから、ラウドの声が聞こえた。

「師匠……なんで……」

「すまないね。こうでもしないかぎり、君を連れてくることができなかったのだよ」

 フリードには何を言っているのか、分からなかった。

「家には君たちの成長を見るための観察カメラがついているからね。でも、ここなら誰にも邪魔はされないね」

 普段の師匠の顔ではない、と思った。

 何かに取り憑かれているような、そんな笑み。悪魔か、魔物か、それとも……。

「放して……下さい……」

「君は、なんでこんなことになっているのか、分かっていないみたいだね」

「え……」

「特別に教えてあげる。これが私から君に教える最後の……」

 言って、フリードに近づき、大きく広げられた右手首に手を乗せる。

 今まで、危険なことから守ってもらった手だ。とても温かかった手。しかし、今は氷のように冷たい。

 ゾクリと背筋を凍らせ、緊張のあまりゴクリと喉を鳴らすと同時に。

 ゴキっ。

「うああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」

 今まで味わったことのない痛みが、フリードを襲った。

 あまりの激痛に、叫ぶ。

 休む暇もなく、次にラウドの手は腕の関節に触れていた。

 ゴキっ。

 自然に曲がる方とは反対方向に、その腕を曲げられる。

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」

 もうフリードには叫ぶことしかできなかった。

 続いて肩の間接にまで触れられた時は、もう触れられているのかさえ分からないほど、感覚が麻痺してしまった。

 ゴキっ。

 骨が折れる。

 小さくうめき声を上げるフリードにはもう、叫ぶ力すら残っていなかった。

 痛みは感じるが、声が出ない。

 意識が朦朧とする。

「かわいそうにね……」

 言って、ラウドはフリードの青い乱れた髪を力任せに引っ張った。

 その瞬間、右肩に激痛が走る。

 だが、フリードは声を上げることはなかった。瞳はどこを向いているのか分からない。

 しかし、酷なことか、気を失うことはなかった。

「……し、師匠……」

「君は強くなりすぎたのだよ。この私以上にね……」

 もう、ラウドの顔すらハッキリとは見えない。

 しかし、彼の手が自分の首に触れたことは分かる。

「羽を失わなくても、お前は一生主を選ぶことはできない」

 手に力が入り、フリードの首を絞める。

「お前は、ここで死ぬのだから」

 フリードは静かに目を閉じた。

(私が死ぬことが、師匠の望みなら……)

 ラウドと共に過ごした思い出が、自然と蘇ってくる。

 息ができないことなど、今のフリードは感じていない。

「そこまでだ!」

 その声に、フリードは目を開く。

 声の方に視線を向けると、そこには、養成所の先生を先頭に、クロナ、バウロ、コウレイ、ライアの師匠が立っていた。その後ろには、クロナたちもいる。

「コロラウド・フェニック。お前は、自分の育ての子を……」

 いつもの微笑んだ先生とは全くの別人だった。

 その目には、怒りの炎が宿っている。

「おやおや、バレてしまいましたか。まあ、今更だけれど……」

 ラウドは不気味な笑みを浮かべ、しかし、フリードの首からは手を離さない。

「フリード!」

 バウロは叫び、走ろうとした。

 しかし、

「今飛び出したら危険よ。フリードの二の舞になる」

 前で、バウロを押さえつけたのは、彼の師匠だ。

 歳はラウドと同じくらいだろう。腰まで伸ばしたウエーブがかった黒髪が月当たりに輝いている。若い彼女を大人らしく見せているのは、赤い口紅のせいだろうか、それとも、緊迫した声のせいだろうか。

「しかしよ、フリードが!」

「心配はいらない」

 そう呟いたのは、隣で事の成り行きを冷静に見ていたクロナだった。

「ああ見えても、あいつは肝が据わっているからな」

「そうも言っていられねーな、クロナ。フリードは他の誰でもない、己の師匠に死ねと言われたも同然。そのショックは大きいだろう。もし、俺たちが間に合わなかったら、今頃は殺されていたか、あるいわ……」

「自ら死んだ……とでも?」

 師匠の言葉に、クロナは眉根を寄せる。

「そんな! フリードさんは、そんな人じゃ……」

 身体の震えを押さえているコウレイに、

「けれど、僕たちがいれば、大丈夫。コウレイ、心配はいらないよ」

 師匠の中でも最年少のコウレイの師匠が、そっと、呟いた。

「我々は、なんとしてもフリードを助けなければなりません。私と、師匠たちとで、ラウドを捕らえます。その間に、クロナ達は、フリードを助けなさい」

 言って、アルマートは片腕に短剣を持ち、ラウド向かって突っ込んでいった。

 ラウドの腕を払いのけ、彼の間合いに入ると、短剣を彼の首へ突き付けた。

 ラウドは、降参しました、とでもいうように、フリードから手を離し彼から離れた。

 その隙に、クロナ達はフリードに駆け寄り、彼の自由を奪っている枝を解こうとする。しかし、思いの外、きつく食い込んでいるため、手間が掛かる。

 アルマートが、横目に精霊たちをみていると、ラウドは短剣から逃れ、彼との距離をとった。

「よそ見していると、殺されますよ。アルマート先生」

「ははは、私は一回死んだ。そう言いたいのですか?」

「よくおわかりですね。けれど、不意打ちで勝ってもつまらない。特に、あなたの様に強い方と戦うときはね」

 ニヤリ、と口元が吊り上がる。

「お師匠がた。この私とて、どこまで戦えるかわかりません。援護願えます」

「おっしゃあ! やってやらー!」

 言ったのは、クロナの師匠だ。

 背が高く体つきも大きい彼は、一番の戦い好きで、当然攻撃専門だった。

 援護だということをすっかり忘れているようだ。

 その後ろでは、三人の師匠が構えている。

 バウロの女師匠は、遠くから弓を構えているのが見える。


     5


 キーン。

 キーン。

 アルマートの短剣と、ラウドが懐から取り出した短剣が重なり、耳を刺激する。

 当たれば弾かれ、その反動で退くのくり返し。

 両者一歩も引くことはない。

「息が上がっているようだけれど、大丈夫なのかな?」

「これでも毎日鍛えているのでね。もし、楽にしてくれるのなら、今すぐ降伏してくれないか?」

「それは、できないな。私の秘密を知った者は皆、死んで貰っているのだからね」 

 シュッ

 シュッ

 短剣が勢いよく振られる。

 それを避けるのが精一杯のアルマートは、身体のバランスを崩した。

 地面に転がったアルマートの肢体に、透かさずラウドは数本のナイフを投げる。

 そのナイフは両手両足に突き刺さり、辺り一面を血潮に染めた。

 彼の口から嗚咽が漏れる。

 身動きが取れないアルマートにとどめを刺すことなく、ラウドは後方で援護をしていた師匠達に向けて短剣を大きく振った。

 彼の手から突風が放出され、師匠達は、軽く飛ばされた。

 木に激突する者がいれば、地面に転がる者もいる。

 抵抗することのできなくなった師匠達を尻目に、彼は次にナイフを取り出し、フリードを助けているクロナ達に狙いを定めた。

「ラウド……精霊達には、手を出すな!」

 身動きが取れないまま、アルマートが叫ぶ。しかし、その声はラウドには届いていないのか、彼が無視をしているだけか、手に持っていたナイフを投げた。

「ちっ」

 アルマートは舌打ちして、手に力を込める。

 ナイフが地面から抜け、両手が自由になり、足のナイフを抜いて精霊の方に走るが、身体に走る激痛が邪魔をする。

 間に合わない。そう思った。

「フリード!」

 アルマートは思わず叫んでいた。

 カーン。

 キン。

 キン。

 刹那。

 目にも見えない速さで、ラウドの投げたナイフが地面に落ちる。

 フリードの前で、クロナが身を張り、向かってくるナイフを自分の短剣で落とした。

「クロナ……」

 彼の師匠が、喉から掠れた声を出す。

「私のナイフを受け止めるとは、あなたも成長したね。クロナ」

「少なくとも、俺の師はお前のような人間ではないからな」

 クロナが、嘲笑うかのように口元を吊り上げた。

「ライア、俺の援護を頼む。バウロとコウレイはフリードを助けろ」

 クロナの緊迫した声が、他の3人を緊張させる。

「でもよ、クロナ……」

「俺なら心配ない。あいつと渡り合えるのは、俺たちの中でも俺とライアくらいだ」

「分かってるじゃない」

 ライアはやる気満々だ。

 一瞬、師匠の方を向くが、木にぶつかり背中を強く打った彼女の師匠は、動ける状態ではなかった。

 そして、その視線をフリードへと向ける。

 意識は失っていないものの、目は虚ろで、まだ声を出すこともできない様子だ。

 そんな数秒のうちに、クロナとラウドは戦っていた。

 ラウドが大きく手を振り、短剣をクロナに突き付ける。

 対するクロナは、それを紙一重で交わしているのが精一杯の様子で、なかなか攻撃をかけることができない。

「私は師匠になって、フリードを育てて学んだことがあったよ」

 ラウドは喋る余裕もあるのだろうか、攻撃を続けながらクロナに話しかけてくる。

「君たち精霊のことや、使命が何なのかということがね」

「…………」

 クロナは、喋る隙も与えてもらえなかった。

「フリードに力を越されたくなかったからね、私も色々と研究したよ。人間でも、精霊のような技が使えるのかってね」

 彼の言葉は止まることがなかった。

「けれど、それは無理だった。やはり人間には越せない壁があるようだ。しかしね……」

 言葉が止まり、短剣で攻めていたラウドが後退し、クロナと距離を取った。

「風や、水などを使うことはできる。そう、この世界にあるものなら、なんでも使えるようになったのだよ」

 言って、ラウドは短剣を大きく一振りした。

 すると、短剣がまるで悲鳴でも上げているような音が聞こえた。

 大きく振った短剣の先端から、小さな風が生まれ、それがどんどんと大きくなり、クロナ向けて流れてくる。

「私はこの技をかまいたちと名付けた。これに少しでも触れただけで、その白い身体は赤く染まるだろう。君には逃げることができない」

「ちっ」

 確かに逃げることは不可能だと、クロナは自分自身で確信した。

 動きは遅いものの、大きさや強さでは逃げることなどできはしないと思った。

 ならば……

 クロナは両手を胸の前に合わせ、目を閉じる。

 そして、一言、二言口を動かすと、その手のひらが光を出す。

 その両手を離し、大きく前に開くとそれは巨大な光の壁となった。

「……あんなことができたなんて……」

 動く事ができないアルマートから感嘆の声が上がる。

しかし、それでも防ぎきれないほどのかまいたちが、クロナを襲おうとする。

「しまった……」

 クロナが振り返ると、

「私に任せなさい!」

 短剣を持ったライアが、見えない刃物を切っていく。

 かまいたちを全て防いだと思ったが、

「甘い」

 ラウドは、もういちど短剣を大きく振り、さっきよりも鋭くて早いかまいたちを出した。

 いくら壁が大きくても全て防ぐのには限界がある。ライアが受けられるほどの数でもない。

 そして、ライアはこの時始めて気が付く。

(この攻撃は、私たちを狙っているんじゃない。目的は……) 

 背筋が凍った。

 足が竦む。

 頭の中で、フリードの傷ついた姿が思い浮かんでしまったから。

 しかし、ここで足を止めているわけにはいかない。

「フリード!」

 ライアは重い足を必死で動かし、まだ枝に巻き付いているフリードを抱きしめる。

 その彼女の行動にクロナも理解した。

「バウロ、コウレイ、飛べ!」

 今の状況が読めないなか、二人はクロナの言うとおりに空高く舞い上がった。

 枝に巻き付いているフリードと共に飛ぶことのできないライアは、ただ力一杯にフリードを抱きかかえ、自らの身体でかまいたちを受けた。 

「きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっ!」

 白い羽がバサバサと切り落とされ、ライアの小さな白い背中に幾つもの亀裂を描いた。

 かまいたちの攻撃で、フリードを拘束していた枝が折れる。

自由になったフリードの顔に彼女の血が垂れる。

「……ライ……ア……」

 フリードは掠れる声で吐いた。

『ライア!』

 フリードに続いて、クロナたちが一斉に声を上げ、彼女の元へ走る。

 ボロボロになった羽。

 周りに散らばる、切られた羽。

 赤く染まる彼女の背中。

 その変わり果てたライアの姿を見た、彼女の師匠は、あまりの衝撃に絶句していた。

「いけないね。自分を犠牲にしてまでも、そんなに仲間が……同士が大切かい?」

 ラウドが笑みを浮かべて近づいてくる。

 瞬時にクロナが四人の前に出て、胸の前で短剣を構える。

 しかし、その足は震えていた。

「君程度の力では、私を倒すことは出来ない。分かっていたことではないのかね?」

 ラウドはクロナの身体を軽く押した。

 それだけで、クロナはバランスを失い、地面に倒れる。

 見れば、左足に大きな傷がある。

 光の壁で避けていたように見えたが、ライアに気を取られていて防御が完璧ではなかった。

 バウロはともかく、コウレイの力ではラウドを止めることはできないだろう。

 クロナは腕に力を入れて、立とうとするが足の傷が開き、鮮血が流れ出す。

「よくやったぜ、クロナ。お前も強くなったもんだなぁ」

「後は私たちに任せてください」

「師匠……せんせ……い……」

 クロナの前に立ち、彼らを庇う師匠とアルマート。

 その後ろでは、コウレイとバウロが共に、ライアとフリードを抱きかかえている。

 ライアを抱くコウレイの身体は震えていた。

「コウレイ、すまない。怖い思いをさせてしまって……」

 コウレイの師匠が、彼女の前に立ち呟く。

 彼女は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「あんたもよくやったね、バウロ。フリードを任せたよ」

「おうよ! 師匠もへばるんじゃねーぞ!」

「生意気言ってんじゃない」

 彼の師匠が冗談まじりに言う。

 立っているのもやっとなのではないかと疑うくらい、師匠たちはボロボロだった。それでも、精霊を守るために目の前の敵に向かって行こうとする。

 アルマートとクロナの師匠を先頭に、その後方中央にはライアの師匠が立っている。その後方には左右にそれぞれ、バウロとコウレイの師匠が構えている。

「ライアによくも傷を付けてくれたな!」

 ライアの師匠は目に涙を溜め、ラウドを睨む。

「それは何かの勘違いだ。私はあくまでフリードを狙ったつもりだったが、それをお前の精霊が邪魔をしただけではないか」

「何をぉ!」

「疑われるなんて侵害だ、といいたいのさ」

「このっ!」

 温厚そうに見える外見とは裏腹に、一度キレると止めることの出来ないライアの師匠は、今にも飛び出しそうな勢いだった。

 それを押さえたのは、クロナの師匠だった。

「おい、落ち着け! 頭に血が上っている状態で、あいつに勝てるとでも思ってんのか!」

「うるさい!」

 それでも、やはり彼の怒りは収まらない。

「ここは、我々が力を合わせなければならないのですよ。どうか、落ち着いて下さい。……あなたの力が必要なんです」

 怒り狂っているライアの師匠の肩に、強く手を乗せたアルマートは、彼の心に話しかけるように言った。

 すると、彼は落ち着きを取り戻したのか、

「……すまな……かった……俺、どうかしてた……」

「その気持ちは充分に分かります。彼女の元に帰るために、早くこの戦いを終わりにしなくてはなりません。彼女もきっと、待っていますよ」

 コクリと頷き、ライアの師匠は彼女の方を振り向いて、すぐにその視線をラウドの方へと向け、

「我、精霊の師として、今ここに力を求む……」

 人差し指と中指の間に挟んだ紙を顔の正面に当てたまま、彼は呪文のような言葉を呟いた。

 彼の周りに光の輪ができ、その輪から2本の紐のような光が、広がっていく。

 それは、アルマートと他の師匠、ラウドを包み込んだ。

「……呪縛!」

 最後の言葉を唱え、顔の前の紙を頭上へ掲げた。

 そして、標的であるラウドに向かってその紙を飛ばす。

 するとその紙は、右往左往するラウドの腕へと張り付いた。

「くそっ」

 ラウドは紙を剥がそうとするが、剥がれることはなかった。

 紙がラウドに張り付いた瞬間、2本の光がラウド向かって迫ってくる。

 一瞬だった。

 有無を言わせぬまま、その光はラウドの両手足に巻き付く。その瞬間光は消え、ただの紐となる。

 身動きがとれないまま、大の字になり宙に浮かんでいる彼に近づくアルマートと4人の師匠。

「お前は、師匠として失格だ」

 クロナの師匠がラウドを睨む。

「あなたは自分の精霊を手に掛けた」

 フリードを見ながら、バウロの師匠は言う。

「我々同士にも手を掛けた」

 コウレイの師匠が呟く。

「そして、他の精霊たちをも傷つけた」

 拳を力一杯握り閉めながら、ライアの師匠は叫んだ。

「よって処刑と見なす」

 穏やかな口調だが、アルマートの目には怒りの炎が宿っていた。

 彼が手を上げようとした瞬間、

「……待って……くだ……ううっ……」

 後方からの微かな声に、アルマートは手を止める。

「おい、フリード。大丈夫なのか……よ……」

 バウロの支えを借りずに、右肩を押さえながらフリードが覚束ない足取りで師匠の元まで歩いてくる。

 そして、動く左手で彼を拘束している2本の紐を切った。

 ラウドは解放され地面に転がる。縛っていた紐の、術の力のせいか動くことは出来ないようだ。

 無防備な彼の頭を片腕でそっと抱き寄せる。

「……師匠を……殺さないで……下さい……」

 フリードは目に涙を溜めながらアルマートの方を向く。

「……処刑……しないで……お願い……だから……師匠を殺さないで」

 フリードは大粒の涙を流した。

「何を馬鹿なことを! フリード、お前はそいつに殺されそうになったんだぞ!」

 バウロが叫んだ。

「それに、クロナとライアを傷つけたんだ」

「分かってます。分かってますけど、師匠は私のたった1人の師匠なんです」

 フリードは叫びに近い声を上げた。

「その私に、殺されそうになったのに、まだそんなことが言えるのか」

 ふん。と、ラウドは鼻で笑う。

「ならば、どうしてフリードを殺そうとしたのか聞きたいのですが……」

 アルマートはフリードの肩に手を乗せながら言った。

「そうさ。俺は、強くなりたかった。そして、精霊を育てることを夢見ていたんだよ。だが、その精霊はなかなか成長しなかった。成績が悪いといつもあんたに怒られていたなんて、誰が知ってる! そう、本人にしか分からねーんだよ。けど、いつの間にかフリードは成長していた。当然敵わないと思ったが、試合して俺は負けた。俺よりも強い奴は許さない。そう思うと、フリードが憎くなってきたんだよ!」

「それだけの理由で、どうしてここまで育ててきたフリードを……そして、今でも貴方の事を信じているフリードを……」

「精霊よりも弱い師匠なんて、自慢にならねーだろうが。ほら、ぼさっとしてねーで、早く処刑でもなんでもやってくれよ」

「何を言う! 弟子の成長を喜んでこその師匠だろう! 俺たちよりこいつらの方が強くならなくてどうするんだ!」

 クロナの師匠はラウドの言っていることが理解できずに叫んだ。

 目を閉じ、怒鳴るラウドを抱くフリードの手に力がこもった。

 師匠が抱えているものは、フリードの比ではないことを理解したから。

 今思えば、自分の悩みなど、塵の様なものだったと。

「そいつのせいでライアが傷ついたんだぞ! 俺たちとって大切な翼がなくなったんだ。それなのに、まだお前はこいつの事を信じるのかよ!」

「……ません……師匠は……殺させません……」

 無理をしてでもフリードと師匠を引き離そうとするバウロ。

 それでも離れることのないフリード。

「……バウロ……」

 コウレイに支えられながら、ライアが起きあがって無理にフリードを説得しようとしているバウロに向かって声を掛ける。

 しかし、バランスを失いすぐに倒れてしまう。

「ライア!」

 彼女を心配して手を差し出したのは、彼女の師匠だった。

 涙もろい性格なのか、また目に涙を溜めている。

「師匠、私は大丈夫だから、そんなに泣かないでよ。恥ずかしいでしょう」

 とても負傷しているとは思えない明るい声。

 その声を聞いて、彼女の師匠は更に泣き出した。

 師匠に支えられながら、ライアはバウロに言う。

「私たちにとって師匠はかけがえのない存在だもの。フリードがそういう態度を取ったって不思議はない。もしも、私もフリードと同じ事されたとしても、もし、バウロが私のようになったとしても、私は師匠のことを信じ続ける。ううん、信じ続けることしか出来ないの!」

 ライアは師匠を見る。

 師匠も笑顔で返す。

「いいの、バウロ。こんな傷大したことなんかないんだから。それよりも、大切な人がいなくなったフリードの方が、大きな傷を負っているのよ」

 その言葉にフリードは救われた気がした。

 心の中にある何かが、スッと流れていくような感覚を彼は感じていた。

「師匠、ごめんなさい。私は何も分かっていませんでした。ただ師匠に憧れていました。師匠を目指して頑張りました。しかし、それが重荷になるなどと考えもせずに……」

「もういいのだよ、フリード……私たちはもう二度と会うことはないのだからね……」

 そう言った師匠の言葉の意味が分からなかった。

 しかし、考えている暇もなかった。

 ラウドがニコリと笑みを浮かべた瞬間、フリードが跳ね飛ばされていた。

 数メートル飛んだフリードは、何が起こったのか分からない状況の中、しかし起きあがり、師匠を見つめる。

 すると師匠は、小さなカプセルを懐から取り出し、それを口へと運んでいった。

 アルマートはそれが何なのかを素早く理解し、止めるようとするが間に合わなかった。

 口から一筋の血を流したラウドの顔を、フリードは何が何だか分からないといった顔で見ることしかできなかった。

「私の恨みは、いつまでも消えないということだけは、分かって……欲しい……」

 それが彼の最期の言葉だった。

「……自殺だけは、させたくはなかったのですが……」

 後悔混じりのアルマートの言い訳が、フリードの耳には自然に入っていた。

 自殺……。

 そう、彼は自分の前で自殺したのだ。

 あの小さなカプセルを飲んだ時から分かっていたことではないか。なぜ、止めに行けなかったのだろうかと、今更後悔の念が込み上げてくる。

 いや、止められなかったのではない。

 止めてはいけないいと思ったのだ。

「……師匠が選んだ……道……だか……ら……」

 掠れる自分の声と視界の中、フリードは師匠の顔をずっと見続けていた。

 そんなフリードの様子に気づいたのは、コウレイだった。

「フリードさん!」

 彼女は手を口に当て、震えている。

 その声に、他の精霊も集まってくる。

「フリード……」

「アルマート先生……本当は……気づいてました。……けど、どうしても……師匠の……こ……と…………」

 そこでフリードの意識は途切れた。


     6


「先生、行って参ります」

 春風に空色の髪を委ね、フリードは大きく回れ右をした。

 そこには、養成所で先生を務めているアルマートの姿があった。

 フリードが養成所から卒業したのが3年前である。その3年前と全く変わらない穏やかな笑みを浮かべ、今アルマートは彼を玄関の前で見送っていた。

 フリードの師匠の事件からの月日も3年と経っていた。

 彼はこの世を去る前に、フリードの腹部にナイフを刺していた。けれど、幸い急所を外していたため、一ヶ月で退院できることになった。

 師匠がいなくなったフリードは、アルマートと共に3年間暮らし、そこでは精霊のことを、養成所で教わること以上に学んだ。

 師匠の事を忘れたわけではないが、今のフリードは、アルマートと居る時間が大切で幸せのように思えていた。

 しかし、それも束の間の出来事。

 彼にも、主を選ばなければならない時期がやってきてしまった。

 そして、これからその旅に出るところである。

「先生、色々とありがとうございました。とても、勉強になりました」

「いつも授業の時に寝ている誰かさんに、必要なことを教えておかなければならないのは、教師として当たり前のことですからね、フリード君」

「誰のことだか、分かりませんよ、先生」

 フリードは舌を出してしらをきる。

「フリード!」

 突如、遠くの方で女の声が聞こえた。

 その方向に顔を向けると、

「私からの選別だよ。大切にね!」

 それが顔面にあたり、一瞬意識が何処かへ行ってしまった。

 慌てて広い上げると、フリードが向かおうとしている世界の本だった。

 地図や観光地、食物の種類や政治について詳しく書いてあるものだった。

「もう、勉強は終わっていますのに……」

 フリードはその本を見て溜息をつきながら、近くまで来たライアに笑顔で答える。

「ありがとうございます。大切にしますよ」

「うん」

 彼女も満面の笑みで返してくる。

 ライアは3年前の事件の時に、羽を失ってしまった。そのためか、精霊としての使命を果たすことが出来ない。

 それでも彼女は健気に生きてきた。今では、アルマートの助手として養成所で働いている。

 アルマートは、先輩がいれば後輩の知識がより多くなるだろう、と言っている。

「フリード? 何ボーっとしてんのよ! もうみんな来てるよ」

 そんなことを考えているうちに、アルマートの家の前には5人の精霊が集まっていた。

旅にでるときの集合場所はここにくると決めていた。

「みんなも見ないうちに大きくなりましたね。これなら、何も心配せずに送り出せますよ」

『はい!』

 全員が声を揃えて返事をする。

「では、私から最後に一人一人に言いたいことがあります」

 フリードたちは真剣な表情になる。

「クロナ。あなたは誰よりも強くて状況判断が出来る子です。主をしっかり守り、危険な目に遭った時に、その冷静さを忘れないでください」

「はい」

 今でもクロナは冷静だった。

「バウロ。あなたは頭に血が上ると何するか分からないけれど、とても仲間のことを大切にする優しい子です。違う世界に言っても、その心だけは捨てないでください」

「任せろって!」

 バウロはガッツポーズをとって見せる。

「コウレイ。あなたは力が弱くて諦めが早くて、正直今でも心配です。主と共に力をつけて、立派に成長することを望んでいます。向こうの世界でも日々努力をすることを胸に誓ってください」

「先生……」

 今にも泣き出しそうなコウレイに、アルマートは苦笑した。

 そして、彼は最後の一人の名前を出した。

「フリード。あなたはいざというときにしか本来の力を発揮できないことが問題です。その問題に自分がどう克服するか、それを向こうの世界で学びなさい」

「はい」

 養成所に入ったばかりの記憶が蘇ってくる。そして、師匠の変わりになってくれた3年間の日々が、鮮明に……

「そして、最後にみなさんに言います」

 みんながみんな、その最後の一言を待っていた。

「素敵な主を選んでください。私は、あなた達を応援しています」

『はい!』

 元気良く返事をしたのはいいが、今までの思い出が頭の中で回っている。

別れというのがこんなに寂しくて、それでいてこんなに素敵だとは思わなかったフリードは、目に涙を溜めている。

「何フリード、泣いてんの?」

 そのライアの人を馬鹿にした言葉に、みんなが一斉にフリードに視線を向ける。

 泣きたくもなっていた。

 アルマートだけではない。別れてしまうのはみんなもそうだ。

 共に生まれ、当然のように共に育ち、共に養成所で学んで、泣いて、笑って、ケンカして。まるで一つの家族のようだったみんなと別れてしまうのは、辛かった。

「ほら、泣いてないで早くいかないと、光の門が閉まってしまいますよ」

 そう促すアルマートに、フリードは、

「先生。……今までありがとうございました」

 それにつられて、みんなも

『ありがとうございました』

 そして、主を見つける第一歩である光の門を抜ける。

 その後ろ姿をアルマートとライアは笑顔で見ていた。


フリードとクロナは同じ次元の世界へと降りた。しかし、その門を抜けた瞬間、凄まじいほどの強風に2人は離れ離れになってしまう。

 気が付いた時には、もう目的地に着いていた。

 身体に冷たいものが当たる。雨だ。

 起きあがろうと力をいれるが、どこか打ち所が悪かったのだろうか、身体が重くて動けない。

 コツ、コツ

 雨のせいで視界が滲む中でも、それは人の足だと気づくことはできた。

「……大丈夫か?」

 声からして男性だろう。

 そう言って、傘を差しだしてくれた。

 そのまま、フリードはその声の主の家へ入った。

 彼は、背中に羽が生えたフリードを見て何も驚いた様子もなく、ホットティを手渡す。

 フリードの世界では春だったが、こちらの世界は冬の様だ。

「驚かないのですか? 私の姿を見ても……」

 恐る恐る聞いてみると、

「ちょっと変わってるよな、普通の人と比べれば」

 予想もしていなかった反応が返ってきた。

 ティカップを両手に抱えていると、冷たかった手がだんだん温かくなっていくのが分かる。

「お前さ、どこから来たの?」

「あ、それは……」

「言いたくなけりゃあそれでいい、忘れてくれ」

 その瞬間、フリードは心に決めていた。

(この人しかいません)

 何かがフリードとこの男を巡り会わせた。

 運命だろうか……。

それとも宿命なのだろうか……。

(私の主になってくれる者は、彼しかいません……)

 ふと、フリードは目の前の男を見つめる。

 身長はフリードよりもやや低い程度で、短い黒い髪が肩に向けてつんつんと跳ねている。猫のように鋭い目からは、やや優しさが滲み出ていた。

「私の主になってください」

「え? 主?」

「私の種族は精霊で、名はフリードと申します。私たちの種族は、ある時期になると主を見つけに違う世界に降りなければならないのです」

 目を点にする男に、フリードは返事をさせる余裕を与える間も忘れ、ただひたすら話し続けた。

「全ての人間に精霊がつくとは限りません。ですが、私は、あなたを主として認めました」

「う〜んと、その精霊と言うのがなんなのか分からないけど……」

 眉根を寄せ、男は返事をする。

「ダメ……ですか……」

「別に、いいよ。まだよく分からないけど、ここさ、人が少ないし、助手してくれるひとを雇おうかと思ったところだし。ここに居ながら、君の事を教えてくれれば納得できるだろうし」

 その男の笑顔は、フリードが何度も見たことのある、温かい笑顔だった。

 生まれてから育ててくれた師匠の笑顔。

 同じ時期に生まれた仲間たちの笑顔。

 最後に見送ってくれた先生の笑顔。

 全てが重なった。

 そして、それが今のフリードにとって大切なものだと思った。

「僕の名前は、カイストール・エン・グリア。よろしくな」

「はい。こちらこそ、よろしくお願い致します」

 両者どちらからともなく手を出すと、その手をギュッと握った。


 そして、ここから、フリードとカイの物語は始まっていく。


編集してから次話を載せようかと思ったけれど、やっぱり編集している時間がないので、そのまま載せました。数年前に書いた作品なので、文章構成や誤字脱字などが多々あったとは思いますが、温かい目で見ていただけたら幸いです。

時間があれば編集していきたいとは思っております!

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