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精霊記  作者: 橘 兵衛
1/4

思い出は心の中に

 

     1


 カーンコーン

 カーンコーン

 校内に終業のベルが鳴り響いた。

 クラスにいた者は帰り支度や部活の用意をしている。

 そんな忙しく動くクラスメイトの様子を見ながら、崎村観汐も教科書を鞄の中に入れて、帰る準備をしていた。

「ねー、ミシオ。今日さ近くに出来たクレープ屋に寄ってかない?」

 クラスメイトの女子の声。

「あーあそこね、美味しいって評判だよねー。どう? 観汐も行くよね?」

 その話を聞いていた別の女子が、当然のように聞いてくる。

「んー。ゴメン、今日はちょっと用事があるんだ。また後で行こう」

「そっか、ミシオのうちって両親がいないんだっけ? 大変だね」

「大変でもないよ。兄貴もいるしね。それじゃーまた……」

 忙しそうに装っていれば、無理して誘ったりはしてこないだろう。それでなくても両親がいないという事情を知っているのだから、無理強いはしないだろうが……。

 観汐の両親は仕事でなかなか家に帰って来ることはない。母は映画俳優で父は有名な映画監督だ。

 友人はステキな両親だね、と言ってくるが、月に一度逢えるか逢えないかなのだから、どこがステキなのかと思ってしまう。

 幼いころからほとんど7歳違いの兄の手で育てられたと言ってもいい。 

友人は観汐の家族が珍しいからそう言っているだけで、実際に生活してみれば、どれだけ辛いかが分かるだろう。

「だたいま」

 誰もいないはずの家に向かって、観汐は小さく呟いた。そして、褐色のドアノブに鍵を差し込む。しかし、ドアはもう開いていた。

「お帰りー」

「あれ、兄貴? もう帰って来たの?」

「ああ。ちょっと体調が悪くてね。育ち盛りのみんなに迷惑を掛けないためにも早退してきたわけ。それに、書類も書かないといけないからね」

「そっか。でも、体調悪いなら寝てないとだろう? 書類なんていいから寝てれば?」

「お前には、まだ書類の大切さが分かってないからそんなことが言えるんだ。オレはもう少し続けるよ」

「そりゃーあたしはまだ高校生だもん。今からそんな難しいことに首を突っ込む気はありません」

「何を〜」

「痛い、痛いってば!」

 妹の面倒見が良いのも、すぐにからかうところも、兄の雄偉(ゆうい)は保育士の仕事に就いているからだ。

 と、いうことは、観汐は子供と同じ扱いを受けているということで、楽しんではいるものの、もう少し大人扱いをして欲しいと思っている一面もあるわけで……。

 まぁ、男の保育士は珍しいから、自慢の兄ではあるけれど……。

「着替えて来たら、すぐに夕食の準備するから、それまでには終わらせておけよ」

「生意気いってんじゃない!」

 雄偉は観汐の額を人差し指で小突く。

 小突かれた額を抑えながら、二階にある自分の部屋へと入って行った。


「お待たせ〜」

 ラフな格好で降りてきた観汐は、すぐに夕食の準備に取りかかろうとした。しかし、兄のいる部屋を覗けば彼は机に突っ伏していた。

「ちょっと、いくらなんでもこんなところで寝て……」

 起こそうとして、観汐はドキッとした。

 肩が微かに震えている。

「……兄貴? ちょっ、兄貴ってば……」

 無理に動かそうとすれば、何の反応もないままスルッと椅子から落ちた。

 顔が赤く染まっている。額からは汗がダラダラと流れ落ちる。肩で息をして、とても苦しそうな表情だ。

 初めての経験だった。

 こんな時、どうしたらいいのか、観汐は知らない。今まで兄は体調を崩したことがなかった。周りの友人も自分の前で倒れた事などない。あるとすれば、昔自分が倒れた時だけだ。

 あの時、雄偉はどうやって対処していただろう。苦しがる自分を見てどう思ったのだろう。

 今の自分は頭が真っ白になっている。どうしていいのか分からない。動かしていいものか。そのままにしておくべきなのか。

 右往左往していると、一冊の本が目に入った。

 雄偉が職場で使っている本だろう。『ケガや風邪の対処法』と書いてある。目次を見て、適切だと思うページを素早く開く。

「えーっと……えーっと……。まず、額を触って熱いときは、どこか涼しい場所まで動かす……。外の場合……ってこれは違う……。えーっと……ベッドか何かに寝かせたら、タオルで汗を拭いて、体温を測る。そして、熱があった場合は医者に行く。もしも移動できなければ……えーっと、医師に症状を伝える……」

 一通り読み終えて深呼吸すると、覚えた通りにやってみる。

 幸い体温計の場所は把握していた。

 3〜5分の間、測り終えるまでの時間が長く感じた。

 ピピピ。

 見ると38度の熱がある。

 これをただの風邪と思っていいのかは分からないが、本にそう書いてあるのだからと無理に納得しようとした。

 少しは落ち着いたのか、やや顔の赤みが引いている。

「そしたら、医者に……」

 留守には出来ないと、観汐は電話の方に向かったが、近所の病院は友人の父親がやっているところしかない。しかし、自分の家で開いている病院のため、この時間もう受付は終わっているはずだと、観汐は受話器を置く。

 緊急連絡をするという手段を知らなかった。

 その時、観汐はふと思い出した。雄偉には婚約相手がいると。

 だがまだ大学生だ。電話したところで来てくれるか分からない。けれど居ても立ってもいられず、観汐は受話器を握った。

 しかし、何度呼びかけても相手はでなかった。何度目か野コールを聞き、受話器を切る。

 仕方がないと、近くにあるコンビニに行こうと思った。市販の薬でも症状が分かればなんとかなるだろう。

 家から歩いて10分ほどだ。それくらいなら離れても平気だろうと、観汐は家を飛び出した。

 異様に足が重く感じる。緊張して身体が思うように動かない。近くにあるコンビニでさえ、遠くに感じてしまう。

 肩で息をしながらようやく着いたコンビニの前。しかし、目の前のコンビニは閉まっていた。

 その時、観汐は思い出した。

三日前ここのコンビニで火事があった事を。

 最後の手段だったコンビニが閉まっている。途方に暮れた観汐はその場にヘナリと座り込んだ。

「ちょっと、大丈夫かい、お嬢ちゃん?」

 後ろから誰かの声が聞こえる。振り向くと、そこには、物語に出てきそうな杖を付いたいかにも妖しい老婆が立っていた。

 こういう人には付き合わないほうがいいと、重い腰を起こして歩きだそうとした観汐は、

「あんた、薬を買いに来たんだろう?」

 その言葉を聞いて驚いた。

「なんで……」

「この町には長く住んでいるからねぇ、人の表情でその人が何をやりたいのか、何を求めているのか分かるんだよ」

 ますます関わり合いにならないほうがいい。

 観汐は別にと言って、立ち去ろうとした。

 だが、

「私はこれでも薬剤師だったんだよ。薬なら持っている。症状を教えてくれれば選んであげるよ」

 こうまで言われてしまえば、観汐は黙っていることが出来ず、老婆に兄の症状を話した。

「ははは。本当に、それは風邪だね。こんなことで慌てるなんて、これくらいは常識だろう」

「はい……」

 薬とオマケにいらない説教まで付いてきた。

「さ、お兄さんが待っているよ。とっとと家に帰りな」

 誰が長居させたんだよ、と思わず突っ込みそうになったが、不幸中の幸いという言葉もある、ここは黙っておこう。

「おばあちゃん、ありがとな」

「また、分からないことがあったら聞きに来な!」

 世の中には親切な人もいるのだと、感心しながら、それでも急いで家に帰る。

 老婆から薬の飲ませ方も聞いていたせいか、観汐は一人でもスムーズに動くことが出来た。

「………シオ……」

「……兄貴……しゃべっちゃダメだ。薬買って来たからこれ飲んで早く元気にならいとだろう?」

 出来るだけ動揺を隠して、笑顔でそう言った。

 幼い時に、高熱をだした観汐に兄はそうやって看病していたから。

「……悪い……」

「いいの。今までのお礼だ」

「お礼……?」

「ん、なんでもない。いいからもう寝ろ!」

「……じゃあ、そうさせてもらうよ……」

 雄偉は言って、目を閉じるとすぐに眠りに入った。

 きっと薬のせいでもある。観汐は兄に布団を掛けてあげると、一人前の食事と、雄偉のためにお粥を用意した。


     2


 空色のカーテンの隙間から、暖かな陽射しが直線を描いて部屋の中へと進入している。

 鳥の囀り。

 眠気眼のままムクッと起きあがった観汐は、カーテンを全開にする。

 まだ目覚まし時計が鳴っていないのだろう、スイッチが上がったまま放置してある。確か6時半に設定しておいたはずだと、文字盤を見れば6時を少し回っている。

 もう少し時間があると安心して再びベッドの中に戻ろうとしたが、ふと、兄の事を思い出した。

 風邪が治っていればこの時間なら起きている。朝食は雄偉の担当で、いつも早く起きて用意してくれている。

 だが、今日はいなかった。

 昨夜、薬を飲ませた後、部屋に連れて行き寝かせたが、まだ部屋で寝ているのだろうか。観汐はパジャマ姿のまま、兄の部屋に入っていった。

「兄貴? 具合どう?」

 ドアを開けると同時に声を掛ける。

「兄貴!」

 観汐は思わず叫んでいた。雄偉の様子がおかしい。

 近づいてみると、汗をびっしょりと掻いていてその表情は苦しそうだ。一見昨日と変わらない様にも見えるが、よく見れば昨日よりも苦しそうだった。

 観汐は焦った。

「なんで、なんで薬飲んだのに治ってないんだ!」

 やはり医者でなければダメなのかと思った。

「どうしよう……」

 誰かに相談したい。けれど誰に相談すればいいのだろうか。両親は仕事の関係で海外へ行っている。友人を呼ぶわけには行かない。

「咲さん、今日はいるかな……」

出て欲しいと願いながら、彼女へ電話をかける。

何度かの呼び鈴のあと、

『はい、香坂ですが』

 相手はすぐに出てきてくれた。

「あの、崎村観汐です。えっと、咲さんは……」

『あ、シオちゃん! 私よ』

 観汐の言葉を遮った張りのある声。どうやら本人だったらしい。

『どうしたの? シオちゃんが電話してくるなんて珍しいわね』

「あ、朝早くにすみません。あの……兄貴が……」

 咲の元気な声に、少し励まされた。

『雄偉がどうしたの?』

「分からないんです。風邪だと思って薬を飲ませたのに、起きたら状態が悪化してて……」

『分かった。今からそっちに行くからそれまで……えっと、どんな症状なの?』

「え……。顔が真っ赤で、苦しそうで、汗も掻いて……」

 その説明で充分だったのか、咲は頷いて、

『じゃあ、冷たい水で濡らしたタオルを固く絞って額に当てておいて。後は出来るだけ雄偉の傍から離れないこと。それと、冷たい飲み物も用意しておいた方がいいわね。それじゃあすぐにそっちに行くわね』

 電話が切れた。

 もうすぐ咲が来てくれるという安堵感が、観汐の緊張を解いた。

 言われた通りに固く絞ったタオルと冷たい水を用意して置いた。あとは、雄偉の傍にいればいいだけだ。

 額のタオルが数分で温かくなってしまう。 

 何度も何度も取り替えながら、観汐は咲の到着を待っていた。

 

 ピーンポーン

 思ったよりも早く到着した。

「咲さん、ありがとう……」

「うん。お邪魔します」

「咲さん、大学は?」

「あ、今日は休みなの。大丈夫よ」

 満面の笑顔。

 初めて逢った時も、こんな笑顔をしていた。観汐は咲のこの笑顔が大好きだ。

「雄偉……」

 さすがに心配なのか、咲の笑顔が不安な表情へと変わる。

 一方、雄偉は咲が来たことすらも分からない様だ。瞼を開けずに苦しみ続けている。

「熱は?」

「あ、39度です……」

「昨日は?」

「えっと、38度でした」

「上がってるのね……」

「大丈夫なんですか?」

 咲が不安な顔をすれば、観汐は心配になる。

「うん、大丈夫よ。今日私が薬買ってくるから。ところでシオちゃん、学校は?」

「あ、今日は休もうかなって……」

「雄偉は私が診てるからシオちゃんは学校行って来なさい」

「でも……」

「大丈夫だから」

 咲にそこまで言われれば、反対できない。彼女はしっかりしている。それが初めて逢った時の印象で、今も変わらない。

「では、お願いします」

 何だかんだで、時刻は7時を過ぎていた。

 今から学校へ行ってもまだ間に合う時間だ。観汐は制服に着替えて学校へ向かった。

 

「ミシオ、おっはよう!」

朝からテンションの高いクラスメイトの女子。昨日、クレープ屋に行こうと誘ってきた子だ。

「おはよう……」

 そのテンションについて行けず、少し暗めの観汐。

「どうしたの? そんな辛気くさい顔しちゃってさ。もっと明るくいこうよ!」

「うん。ちょっと……」

「あ、そうそう。昨日ねクレープ屋の人に聞いたんだけど、最近変な人が多いらしいよ。何かと話を掛けて来る女の人とか、道に迷ったフリしながら地図越しに女子高校生を狙ってる男の人とかいるって噂。知ってる?」

「知らない」

「あ〜その話知ってる。なんか、薬剤師とか言いながら偽の薬を高値で売ってる老婆がいるってこととか、『相談屋』って店を出している少年がいるとか、隣のおばちゃんが言ってたよ」

「え!」

 観汐の耳は自然にクラスメイトの噂話に傾いた。

「観汐知らないの? あんた抜けてるところあるんだから、気をつけた方がいいよ」

「どうしよう! あたし、もしかしたらその老婆に貰った薬を飲ませちゃったかもしれない!」

 不安が高まる。

「えー、ウソ!」

「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」

 身体がガクガクと震える。

 貰った薬がどういう薬なのか分からない今、何も出来ることはないが、きっとそのせいで、雄偉は苦しんでいるのだと、すぐに理解できた。

「でもミシオさっき貰ったって言わなかった? その老婆って高値で売りつけてくるんでしょう?」

「ううん、お金は払ってない」

「やっぱり噂って当てにならないね」

「でも……」

「だったら、その『相談屋』ってところに相談に行ってみたら。まぁ、あまり期待しないほうが良いけどね。一緒に行く?」

「一人で行ってみる」

 観汐たちの会話は、始業のベルで途切れた。

 教室に担任が入ってくる。

「ホームルーム始めるぞ!」

 その言葉で日直が挨拶をする。それからすぐに連絡事項に入る。

「えーっと今日は急遽午前中で終わります」

 クラスがざわめく。

「昨日の6時過ぎに部活帰りだった2人の女子が、変な男の人に殴られて一人が重傷、もう一人が意識不明の状態だ。今週一週間は午前中で終わりだ。生徒は絶対に3人以上で帰ること。心配な人は迎えに来て貰うように」

 クラスから「やったあ!」の声。それを担任が制する。それもそうだ、ケガしている子がいるのに、喜ぶことは良くない。

「これでホームルームを終わりにする」

 再び日直の挨拶。


     3


 午前中で終わったことは却って好都合だった。

 気になる噂もあるし、雄偉の事もある。

「じゃああたし『相談屋』ってところに行ってみる」

「変だなって思ったらすぐに出るんだよ」

「分かってる」

 貰った地図を持って、観汐は玄関を飛び出した。

 よく見れば家の近くだった。

 数メートル先のブロックを右に曲がれば…………………………………

 着いた所は思っていた寄りも普通の家だった。いや、ただの民家と間違えてしまうかも知れない。それともただの民家なのだろうか。

 チャイムを鳴らし、住人から入る許可を貰い、恐る恐る中へと入っていく。中を見ても普通の家と何ら変わりない廊下。ただ、廊下の幅が異様に広くて長いこととその両脇に花が並べられていることを除けばだ。花の種類は良くわからない。日本には咲いていない花なのかもしれない。

 充分に妖しいが、悪い感じはしなかった。

 リビングに着くとそこは一面、花畑だった。

 あらゆる種類の花が部屋中を満たしている。壁にはピンク、黄色といった花の絵が飾られている。女の子なら好きになりそうな部屋だ。だが、ここの住人は少年だと聞いた。

 ボーッと部屋を見渡していると、

「僕に何か用があるんでしょう。早くここに座って話をしてよ」

 随分と生意気な子供だ。

 初対面なら普通、挨拶くらいはするだろう。それが、椅子に座って足を組んでいる。見た目は十代前半くらいだろう。

「ここって、なんでも相談していいんだよな」

 子供相手になると、つい本性をだしてしまう。初対面でも敬語は使わない。

「分かってて来たんじゃないの?」

 つっかかる言い方だ。

「そうだ、知ってて来たんだからな」

「だったら早く座って」

 気にくわなかったが、言われるままに目の前にある椅子に腰を下ろした。

「先に言っておくけど、ここの報酬は高いからね。覚悟しておいて。それから僕の名前はカイ。で、相談って何?」

 目つきが変わった。大人の人が懸命に仕事に取り組んでいる様な目を、目の前にいる子供がしている。

 生意気な子供だと思ったが、仕事はベテランだろうと観汐は思った。

「最近噂になってる老婆のこと、知ってるか?」

 カイがピクリと反応した。

「その老婆にインチキな薬を貰って、風邪を引いていた兄に飲ませてしまった。そしたら病状が悪化して、あたしどうしていいか分からなくて……」

「ふーん、そういうこと。フリード!」

 何かを納得したように、カイは笑みを浮かべた。

「お呼びですか?」

 カイの後ろから現れた静かな口調の男性。だが、それを人間と言っていいのか分からない。

 確かに人間の形はしている。しかし、耳が長く背中に翼を生やした生き物など、見たことがない。

 観汐は動揺を隠せなかった。

「へぇ、フリードが見えるのか。大丈夫、何も取って喰おうなんて思ってないよ。そういえばキミ、名前は?」

「キミって言うな! あたしには観汐って名前があるんだ!」

「それじゃあミシオ。あんたの家の住所とその兄の名前をフリードに向かって言って」

 観汐は警戒しながらも、住所と兄の名前を言った。

 するとフリードは瞼を閉じて、そのまま首だけを天井に向けた。

「カイ」

「お、早かったね。どれどれ……」

 カイは瞼を開けたフリードの瞳の中を覗き込んだ。

「ふーん。こういう状態なんだ」

 一体何がどうなっているのか分からない。

 二人だけで納得しているようだった。

「ちょっと」

「あー悪かった。こいつフリードは耳に入った言葉を探すことができる。だから、今お前の兄貴がどうなってるか見てただけ。キミの家ってここから近いの?」

「え?」

「いや、フリードの探索時間が短いってことは、近くに目的物があったってことを意味している。だからそう聞いたんだけど?」

「うん、ここから歩いて15分で着く所だ」

「だったらここからよりも、家に行った方がいい。今日は忙しいから、また後で行くと思う。この様子からして、治る見込みはない。あれ(、、)を探さないと……」

「なんでも手伝うから、早く助けろよ!」

「キミさ、それ人に頼みごとするときのセリフ? ま、なんでもしてくれるならありがたいけどね。言ったことは守ってよ? こっちだって仕事してんだからさ」

 この時、観汐は後悔した。この生意気な子供に何でもすると言ってしまった自分に……。


     4


「キミには頼みたいことがある。僕は昔、指輪をなくしてしまった。けど、それはなくしたんじゃなくて、奪われたってことが分かった。この国のどこかにはある。それを取り戻して欲しいんだ。それがなければ、キミのお兄さんは助けられない。」

 学校帰り、観汐はまたカイの家に来ていた。

「国って、しかも誰が持ってるか分からないのに、そんなの探せる分けがないだろう! しかも取り返すなんて……」

「何、出来ないの? 僕は頑張るって言ってるのに?」

 このガキ〜と観汐は拳を出しそうになるのをなんとか押さえた。

「この近くにあるのは確かなんだ。フリードの探索能力は100パーセントだよ。後は誰が何で持ってるかが知りたい。そして、何の為に使うのかがね。それが報酬だと思ってもいいよ」

 指輪に持つ理由などあるのかと考える。しかし、哀しげな表情をするカイを見ていると、その指輪に何かがあるのではないかと思う。

「キミには一応この短剣を渡しておく。いざとなればその短剣が護ってくれるよ。それとフリードも付けておくから」

「よろしくお願いします。観汐様……」

「う、うん」

 フリードの背中に生えているような羽の絵柄が入った短剣を手渡されながら、観汐は生返事で返した。

 観汐は指輪を持っている人物の予測をしていた。

 インチキな薬を配っていた老婆。けれど、あの日以来全く逢っていない。夜も遅かったせいか、顔を思い出すことも困難だ。それでも必死で思い出そうとした。身長は観汐の腰あたり、杖を付いていて唇の色は闇夜のように黒かった。まるで、物語に出てくる魔女の様に。

「おいしょっと、それじゃあ今からキミの家に行くよ。案内よろしく」

 若い男の子が「おいしょっと」はないだろう。

「フリードはミシオの中に入ってて。その格好じゃ外でられないからね」

「え、ちょっ、中って……」

 そう言っている間にも、フリードは観汐の身体の中に入っていく。

「見ての通りフリードは人間じゃない。いわゆる精霊ってやつかな。この世界じゃありえないかもしれないけどさ」

 カイの言っている意味が分からなかった。まるで、この世界の人ではない言い方をする。

 そんなことを思っていると、頭の中に言葉が浮かんだ。

『カイと私はこの世界の人ではありません』

 フリードの声である。

『昔、カイにはフリージアという奥様がいらっしゃいました』

(奥様? こんな子供に?)

 観汐は隣で歩くカイを見た。

『カイは子供ではありません。子供の姿になっているだけです。指輪がないと、本来の姿には戻れないのです』

(それであんなに真剣に指輪を探してくれって……)

『それだけではありません。100年前に亡くなられたフリージア様の形見でもあったんです。彼女はとてもステキな方でした。穏やかで、他人のことを気に掛けてくれる優しい心の持ち主でした』

(なんで、亡くなったんだ?)

 100年前という言葉が気になったが、それよりも亡くなったという方が気になった。

『指輪に住んでいた悪しき者に心を奪われて、カイを傷つけたのです。そして、そんなことをしてしまった自分を気に病み、自決しそうになったのをカイが止め、悪しき者がまた暴走しないようにと、カイが自分の手を汚してフリージア様を刺したのです』

 話を聞いているだけでも目を閉じたくなる。頭の中でその映像が流れてくるようで観汐はゾクリと背筋を凍らせた。

『カイは形見である指輪を封印して、悪しき者が解放されないようにといつも肌身離さず持っていました。しかし、ある事件がきっかけで、その指輪を奪われてしまって……。その事件の時、私はカイの傍にいなかったので、何が起こったのかは知りません』

「あ、着いた。ここだ」

 話の続きが聞きたかったが、ひとまず我慢することにした。

「ぼろい家。よくこんな所に住んでいられるね」

「何だと! あんたの家と対して変わってないだろう!」

「センスがないね」

「なんだと!」

「怒ってる暇なんてないんじゃないの? 早く助けないとでしょう?」

 そう言われてしまえば反論する言葉も出ない。

 ドアを開けようと鍵をだすが、鍵は掛かっていなかった。出かける前は閉めていったことを覚えている。

 家の鍵を持っているのは、観汐と雄偉と両親、それから咲だった。何かがあった時のために、渡しておいた物だ。

 両親が帰ってくるという連絡は入っていない。とすれば、咲が来ているのだろうか。

「咲さん!」

 観汐は真っ先に兄の部屋へと向かう。それに続くカイ。

「え……」

 観汐は目の前の光景を見て絶句した。

 ベッドで横になっている雄偉に跨り、その喉にナイフを向けている。なぜ咲がこんなことをするのか、考えることも出来なかった。

 観汐の声に、咲は振り返る。

 人間とは思えぬ異形の目。

 手に持ったナイフを傾け、太陽が反射し思わず目を逸らしてしまった観汐に一瞬にして近づくと手を後ろに振った。

「下がって!」

 観汐にナイフが振り下ろされる前に、後方にいたカイがグイッと彼女の手を引っ張り放り投げる。

 バランスが崩れたその身体は、放り投げられた反動で壁にぶつかる。だが、ケガはない。

 観汐は恐怖する。

 立ち上がることも出来ず、また咲を直視することも出来ない。しかし、目の端には捉えていた。自分を庇って前へ出たカイの肩にナイフが振り下ろされた瞬間を。

「カイ! ケガして……」

「へっ、こんなのケガのうちにも入らないよ」

「強がるな! 血が……」

 そう言いながらも力が入らずに、ただ見ていることしか出来ない。

「僕は、クライアントを傷つけさせない。たとえそれが気にくわない生意気な女だとしてもね……。それが僕のやり方だよ」

 自分の悪口を言われているのに、どうしてか今は怒る気にはなれなかった。

「……うっ……あ……」

 雄偉の症状が悪化している。

 一人だけただ怯えて、それでいいはずがない。

 カイも仕事だとはいえ赤の他人を、身体を張って護っている。雄偉も自分のせいで苦しんでいる。きっと咲だって苦しんでいるはずだ。

「カイ、咲さんはあたしに任せろ!」

「キミに出来るはずがな……」

「やってみないと分からないだろう! 兄貴も咲さんも、あたしの家族なんだよ! これ以上、誰も苦しめたくない!」

 カイの言葉を遮り、観汐は自分の意見を貫き通した。

「じゃあ、任せた。その変わり、何かあったらフリードが助ける。キミが誰かを苦しめたくないのなら、僕はクライアントを傷つけさせない。それだけは分かって欲しい」

 そう言い、咲の腕を交わし雄偉の方へ走っていく。

 彼がどうやって雄偉を助けるかは知らない。けれど、観汐は信じることが出来た。

 キッと咲の方を睨む目にはもう恐怖などなかった。

 カイに渡された短剣を構え、咲と交錯する。

 キーン

 一瞬ナイフとはべつの物が光って見えた。咲の薬指にある物、それは指輪だった。半分が黒く染まり、反対の半分が輝かしい銀色をしている。よく見れば銀色がどんどん黒に染まっていく。



 一方、カイは雄偉の横に立ち、彼の胸の前で手を揃えてブツブツと何かを言っている。

 人間の耳では判断出来ないほど小さく早い言葉。

 言葉が進むに連れて、雄偉の苦しみは増す。まるで反発しているように、言葉を受け入れさせないように、彼の周りに黒いオーラが漂いだす。

 バチバチ

 言葉を止めることのないカイと、反発する黒いオーラがぶつかり合い、彼の身体を傷つける。それでも彼は言葉を止めない。どんなに傷つこうが、どんなに血が流れようが、止めるつもりはない。それが彼のプライドだ。 


 指輪に見とれていると、振り下ろされたナイフの方まで意識がいかない。当然避ける隙もなかった。

『観汐様!』

 観汐は何かにグッと引っ張られる感覚を覚えた。目眩にも似た感覚。気が付けば、床に寝そべっていた。その上には半透明のフリードの姿がある。   

 残像なのだろうか。だが、フリードの胸を見れば、ナイフの先が2センチばかり突き出ている。かなりの重傷だ。

「ちょ、フリード! どけよ!」

『いけません。クライアントは何があっても傷つけさせないとカイは言いました。ならば、私はそのカイの意思を守り通さなければなりません』

「そんなっ。あたしのせいでお前、死んじゃうだろう!」

「私は精霊です。カイが死なない限り、私が死ぬことはありません」

 そういうものなのかと思う。だが、現に刺された傷からは血の一滴も出ていない。フリードも痛がっている素振りは見せていない。

「じゃあ、どうしたら……」

『すうですね。封印できるのは、カイだけですし……』

 フリードの返事を最後まで聞かず、観汐は叫んでいた。

「カイ! 指輪があった。どうすればいい!」

「……本当……か……なら、その指輪を壊して!」

 反応が鈍い。ここからでは見えないが、そうとうなダメージを受けているはずだ。

「壊すって……」

 観汐には出来なかった。カイの過去の話を聞かされれば、この指輪がどれだけ大切な物か、小学生にだって分かることだ。

『観汐様。カイも、あなたのお兄様も、もう限界です。この指輪が全ての現況なのはあなたも知っているでしょう。カイが壊せと言ったなら、壊していいのです。カイは、後から責めたり悔やんだりはしません。だから、早くその短剣で……』

 背中に刺さっているナイフを抜き、咲に体当たりをする。

 咲は倒れた拍子にナイフを落とす。だが、指輪だけは必死に護っている様だった。

 このまま、咲も元に戻らない、カイも傷つく、雄偉も苦しむ。全ては自分に掛かっている。

 身体が重い。

 一つの動作でこの先の全てが決まってしまう。

 指輪を壊したら全てが元に戻るかも知れない。しかし、カイに残る物はなくなってしまう。大切な物を、壊してしまうことなど、今の観汐には出来なかった。

 頭の中ではやらなければならないと分かっていても、身体が動こうとしない。心が反対する。

「ミシオ! 早く! その指輪の中の悪しき者っていうのが、ミシオが言ってた老婆の事なんだ!」

 カイの声。

 その声で、観汐は決心した。

 彼女の中で、老婆は許すことのできない存在である。

 だが、彼女にはもう一つの理由があった。それは、

「そうだ、あたしはカイを信じるって決めたんだ!」

 落としたナイフを拾わず、咲はそのまま突っ込んで来た。

「たーっっっっ!」

 ガキーン!!

 金属の接触音が耳を刺激する。

 ピキっ

 咲の指に填っていた指輪が音を立てて割れた。

 全てが黒く染まる一瞬前。どうにか間に合ったようだ。

 後方に倒れる咲を支えながら、観汐は安堵の息を吐いた。

 そしてそれはカイも同じだった。

 雄偉を覆っていた黒いオーラは、指輪を壊した瞬間に消えた。

カイは、最後の言葉で邪気を消した。

 額を触ればまだ熱い。熱はあるものの、このまま寝ていれば治るだろう。

 

     5


 めちゃくちゃになった部屋は、フリードの力で元に戻った。

 しかし、指輪だけは元には戻らなかった。

 カイは部屋の中央で、壊れた指輪の欠片を無言で拾い集めていた。

 その背中を見ているのが辛く、観汐は何て言葉を掛けていいか分からなかった。

「……カイ……」

「いいんだ。僕はあの時、決めたんだ」

 カイがボソッと呟く。

「フリードから聞いてるんでしょう、僕の過去をさ」

 今度ははっきりとした声で、質問するかのように言う。

「今までこれを持っていたのは、フリージアに未練があったからなんだよ。いつまた封印が解かれるか分からなかったのに、僕が持っていれば大丈夫だって勝手に決めつけて、それで簡単に奪われて、ミシオたちにも迷惑かけた」

 いきなり過去の話を振られ、観汐は答えることができなかった。

「もう、誰も傷つけたくない。自分が傷つくだけのほうがまだ楽だよ。だから、僕は……指輪を壊す決心をしたんだ……」

 その言葉で、観汐は怒鳴っていた。

「あまったれたことを言ってんじゃねーよ!」

 その観汐の言葉に、カイはビクリと肩を動かす。

「もうだれも傷つけたくない? 自分が傷つくだけなら楽? その自分が傷ついただけで誰かが傷つくことが、悲しむことがあるんだよ! 

実際、フリージアがあんたを傷つけた時、彼女は気に病んだんだろう。そして、誰も傷つけたくないからって自殺しようとしたんだろう。でも、その時の彼女を見てカイは傷ついたんじゃないのか?」

カイは唇を噛む。 

「自分だけが傷つくほうがいいなんて言葉、本当はないんだよ!」

 観汐はしらないうちに泣いていた。自分のことではないのに、どうして泣くのだろう。

 そして、カイも泣いていた。

 その後、二人は互いに泣き続け、まるで一生分の涙が出たのではないかというくらい泣き続けた。

 


「2人はこれからどうするんだ?」

 泣いた後はすっきりすると言うが、本当だった。胸の中にあるムカムカした物が涙と一緒に流れていったのだろうか。

「本当の僕たちの世界に戻るよ。これをまた封印しないといけないしね。壊れて今は気を失っているみたいなものだけど、またいつ目覚めるか分からないから、今度はちゃんとしたところに封印する。その短剣はキミにあげる。僕からのご褒美だと思っていいよ」

「何がご褒美だよ!」

「何だよ! また僕に反発しようっていうの?」

 また言い争いが始まった。仲がいいのか悪いのか。

 これで一番迷惑なのがフリードだということを2人はまだ分かっていない。

「……ご褒美を上げなきゃならないのはあたしだろう……」

 照れくさそうにカイから視線を逸らしてボソッと呟く。

 そして、何かを考えたかのようにカイに抱きついた。

「ありがとな、兄貴を助けてくれて」

「な、何するんだよ。恥ずかしいだろう!」

「あたしなりのお礼だ。じゃ、元気でな」

 観汐はそっと、その小さな身体を放す。

「フリージアとは正反対だけど、キミみたいな子も好きだよ」

「ばーか!」

 フリードに抱えられ、カイの姿は薄くなっていく。

「お前、本当の歳はいくつなんだよ」

 観汐は一番気になっていた言葉を思わず口にしてしまった。

「593歳だよ! それがどうした!」

 カイは人間の寿命を知った上で、わざと観汐をからかうように言った。

 観汐はと言えば、開いた口がふさがらないかのような、別れには不似合いな間抜けな顔で呆然としていた。

 そして、完全にカイとフリードの姿が消えた。

「本当に、ばーか……」 


     6


「兄貴、どうして起こしてくれなかったんだよ! 遅刻しちゃうだろう!」

「自分で起きないのが悪い! 文句言ってないでとっとと飯喰って学校へ行け!」

 事件から一週間、雄偉も元気になり、仕事通いを始めた。

 観汐はといえば、学校に遅刻する騒ぎ。自分のせいで起きなかったことを兄のせいにしている。

 咲はと言えば、何一つ覚えてなかった。

 観汐もそれなりに誤魔化して納得させたが、彼女は何度も謝ってきた。もちろんカイ達のことではない。雄偉の看病がしっかりと出来てなかったからだと言う。

 だが、もう過ぎたことだ。

 全てはあの日に終わり、今は元の生活をしている。

 何も変わらない一日が始まろうとしている。

 しかし、観汐の中では何かが大きく変わっていた。何かと聞かれれば本人でさえ答えられないが、カイとフリードの出逢いが、観汐を一歩大人にしていったことは間違いないだろう。

「行って来まーす!」

 玄関を出れば、燦々と輝く太陽が「いってらしゃい」と言っている。

 こうして、観汐の一日は幕を開けていく。


 初めまして。初投稿させていただきました。橘兵衛です。

 橘は、小説を書くとかなりの時間がかかってしまうことから、今の所は昔書いていた完成版をちょくちょく投稿していこうと思っております。

 この作品は、高校に入ってからすぐに書いたものです。今から4・5年くらい前のものです。ですから、かなり文章が雑です。けど、早く投稿したいあまり、全然確認しないまま投稿してしまいました。お見苦しいのですが、読んで頂けた方に感謝いたします。

 そのうちだんだん、今執筆中のものを投稿したいと思っているので、そちらも読んで頂けたら幸いです。


 この作品についてのコメントはありません。読んで頂いて、読者の方の感想にまかせます。質問等がありましたら、出来る限りお答え致します。

 手厳しい感想もお待ちしております。というか、こんなので本当に掲載されるのかが心配。法にもひっかからないよな……。


 ということで、ここまで読んで頂きありがとうございました。


2007年3月28日   橘 兵衛

 

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