5章
というわけで土曜日。鳳凰堂学院との合同練習が行われる当日。
「あれ? もう迎えが到着している?」
キキコは学校の前に止まっているマイクロバスを見てそんな事を呟きながら、思わず腕時計で時間を確認した。時刻はAM八時。集合時間は二時間後の十時なのでいくら何でも早過ぎである。もっとも、遠足前の小学生のように興奮して早起きして二時間前から学校に来ているキキコも等しく早過ぎであるが。
疑問に思いながら歩き、やがてマイクロバスの前に到着する。そこにはしっかりと達筆な字で『初日高等学校花札部御一行様』と書かれている。
「やっぱり迎えのバスだよね……? 私、集合時間間違えた?」
そんな疑問を口にすると、
「間違えではございませんよ」
隣から声がした。振り向けば、妙齢のメイドが平然と屹立していた。
しかし、キキコは動じなかった。バスの中には誰もおらず、とすれば運転手がいるはずであり、そして富裕層と面識もあったのでメイドにも見慣れている。
「あ、おはようございます。迎えに来てくれた方ですよね?」
「これはご丁寧に。おはようございます。で、話を進めますが肯定です。そういう貴女は初日高等学校の花札部の方でございますか?」
「はい。ところで、私が言えた台詞ではありませんが早過ぎません?」
「お客様を待たせるわけにはいかない、と紫お嬢様から命を受けましたので」
「なるほど。だけど、それにしても早過ぎませんか?」
「私もそう思いましたが、結果的には問題無かったようで何よりでございます」
メイドはそう言うと何かに気づいたのか眉を吊り上げた。
「お嬢様、大変遅くなりましたが鞄をお渡し頂けませんか?」
「あ、はい。お願いします」
キキコは言われて気づき、鞄をメイドに渡す。本心としては自分で持ち運んでも問題無かったのだが、それではメイドの仕事を奪う事になってしまって逆に迷惑になる、と父から何度も教えられているためだ。
メイドはキキコから鞄を受け取ると離れる旨を告げてキキコの側を離れ、荷台の扉を開き、キキコの鞄をその中に丁寧に搬入して戻ってくる。
「お待たせしました」
「鞄、ありがとうございます」
「いえ。では、車内にどうぞ。外は少し冷えます故」
春真っ只中とは言え、朝は冷える。もっとも、耐えられないほどではないが。
「お構いなく。外で皆の事を待ちたいので」
「左様でございますか。では、いくつか質問してもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。ちょうど暇をどう潰そうか考えていたところなので」
「では、お言葉に甘えてお尋ねします。貴女様は従者に接せられるのが慣れているのでそれに興味を持ち、お聞きした次第にございます」
「家の都合でそういう機会に恵まれ、父に対応法を教わっているからです」
「なるほど。それで慣れているのでございますか」
「そういう事です。次は何でしょう?」
「これで最後でございます」
メイドはそこで一度咳払する。
「あの妙な事を聞きますが、何処かでお会いした事がありませんか?」
メイドにそう問われ、キキコは内心でドキリとした。
実はこのメイド、九条紫付きのメイドである。キキコが紫と出会った時にもしっかりと控えて仕えていたので見覚えがあるのは当然だったりする。先の質問もこの質問をするための前置きだとすれば十二分に合点がいく。
さて、とキキコはどう返答すべきか逡巡する。下手に嘘をつくと怪しまれてこの話が無かった事になってしまう可能性がある。何せ相手は世界に名を轟かせている九条グループの次期社長に仕えるメイド。彼女としては主人に怪しい者や疑わしい者を近づかせるわけにはいかないはず。
(ここは正直に打ち明けて協力してもらうのが最善かな……)
方針を決めてキキコは眼鏡を外し、髪を手で一つに括って見せた。
そんなキキコを見て、メイドは目を剥いて声を上げる。
「ま、まさか……キキコ? キキコなの!?」
その口調はメイドとしてあるまじき口調だが、キキコは気にせず肯定する。
「そうですよ。お久しぶりです、瀬葉さん」
「やっぱり!」
メイドの瀬葉は嬉々と叫んでキキコを抱き寄せた。
「いやー、一目見た時からキキコに似てるなーって思ったんだけど、やっぱりそうだったのかい! はは! これは懐かしいね! こいつめー! 日本に何時戻って来ていたんだい!? というか、連絡の一本寄越すのが当然だろうが!」
質問攻めにしつつ、強く抱きしめられてキキコは息苦しくなる。
「せ、瀬葉さん! 苦しい! 苦しいです!」
「おっと、ごめんごめん」
キキコがそう言うと、瀬葉はパッと離れる。
「で、真面目な話、何時こっちに戻って来たんだい?」
「実は――」
キキコは日本に来る事になった経緯を掻い摘んで説明した。
「――というわけなのです」
「へー。紫のご両親と同じくらい親バカなアンタのご両親がねー……。――それで? 紫に連絡入れなかったのにはそれ相応の理由があるんだろうね?」
「せ、瀬葉さん……顔が怖いですよ?」
瀬葉は口に微笑みを浮かべているが、目がまるで笑っていない。
「はっはっは。当然だろう? 私は紫の従者だ。そんな私がご主人様の気分を損なうだろう事をしているアンタに怒らないはずがないだろう?」
「で、ですよねー……」
「おうとも。さ、分かったら吐くんだね。内容によっては大目に見てやるから」
「脅さなくてもちゃんと話しますよ。実は――」
キキコは、見学会の時も似たような事があったな、と思い出しながら日本に戻って来ていながら連絡をしなかった理由を包み隠さず話した。
「――というわけです」
「ドッキリ、か……。――OKだ。そういう話なら許してあげるよ」
「あ、ありがとうございます」
キキコは許しをもらえてホッと安堵する。
「いいって事さね。アンタはアンタで紫のためを思っての事だからね」
瀬葉はやれやれとばかりに言い、キキコを改めてまじまじと見てくる。
視線に気づき、キキコは尋ねた。
「何処か変なところありますかね?」
キキコは自分を見下ろしながら言う。健康的な高齢者並みに早起きしてしまったのでブレザーの埃をしっかりと落とし、ワイシャツやスカートにアイロンをかけ、朝風呂にも入り、口臭も気にならないように朝食前と後に歯磨きをした後、駄目押しとばかりに口内洗浄液をしているので特に変なところはないはずであるが、相手はメイドを生業としている人物。そんな彼女からすると色々と粗があるのかもしれない。まだまだ修行が足りないな、と内心自省するキキコ。
そんな事を考えていると、瀬葉が手をヒラヒラさせて否定してきた。
「あー、いや、そういうわけじゃないさ。ただ、髪下ろして眼鏡かけるだけでこうも印象が変わるのかー、と思ってね。さっきはああ言ったが漠然とそう思っただけで実は九割方当てずっぽうだったりするしね」
変なところが無いと分かり、キキコは内心ホッとしつつも答える。
「よく言われます。皆、お洒落している時の私が初見だからでしょうか?」
「間違いなくそうだろうね。私も私への対応があんな感じじゃなかったらアンタかもしれないとはまず思わなかっただろうからね」
「なるほど。でも、よく私に似ている、なんて思いましたね? 自分で言っていて少し悲しいですが、お洒落している時と普段の私はかなり違うのに」
キキコは、一応普段でもそれなりに相手からどう見られるかを気にしているものの、それでも普段とパーティーなどに参加する時は当然の事ではあるが気合いの入り方に雲泥の差が出る。現実問題、父を訪ねてくる父の関係者からは幾度と無く別人と見間違われたほどである。
「あー、それかい? 何、ちょっとした連想ゲームさ」
瀬葉はそう言って初日高校の校舎に視線を向ける。
「――この学校はアンタのお母さんの母校だろう? それでまずフランクール家の事を思い出した。で、そう言えばキキコはどうしているかな、元気でやっているのかなと考えた。それでもってアンタと出くわし、何処と無くキキコに似ているなと思った。とまあ、そんな感じで分かったんだよ」
「あ、なるほど」
そう言った後、キキコは欠伸をした。早起きしたのが効いてきたようである。
慌てて噛み殺すが、瀬葉には目ざとく見られていた。
「眠いのかい?」
「少し」
「何時に寝て、何時に起きたんだい?」
「零時くらいで四時くらいです」
「ほとんど寝てないじゃないかい。何でそんな事に?」
「ゆかりんに会えると思ったら興奮して中々寝付けなくて、とりあえず寝れはしたのですが起きてみたら四時を少し過ぎたくらいでした」
「小学生かい……。なら、中で眠りな。少しはマシになるだろうからね」
「マシにはなるでしょうけど、そうすると瀬葉さんとお話出来ません」
「嬉しい申し出だが眠っときな。今のままだと合同練習の時にぶっ倒れるかもしれないからね。そんな事になったら周りが迷惑するだろう?」
「平気です。こう見えて体力には自信が――」
言いかけたところでキキコはまた欠伸をした。
瀬葉がやれやれとため息をつく。
「体は正直だね。いいから眠りな。その方が紫や満も喜ぶ」
「ミッチーも鳳凰堂に?」
「ああ。知ら――なくて当然か。ほんの少しだったからね、アンタ達三人が時間を共有したのは。ま、妙に馬があって時間の割には仲良しになって、ついには買ってもらった花札の一枚をアンタに預けたし、アンタもアンタで「ずっと続けるから」って涙流しながらも言ったくらいだし」
「せ、瀬葉さん……は、恥ずかしいです……」
キキコは気恥ずかしさで制止を呼びかけると、瀬葉は愉快そう笑う。
「何を恥ずかしがるんだい? 全部本当の事じゃないか」
「……瀬葉さん、分かっていて言っていますよね、それ」
「おうとも。ま、連絡寄越さなかった罰だと思って甘んじて受けな」
「もう……」
キキコはため息をつき、マイクロバスの中に入っていく。
「キキコ、ちょっとお待ち」
途中、階段に足をかけたところで呼び止められ、キキコは瀬葉を見る。
「もう。今度は何ですか?」
返答には少しの間があった。
「――いや、何でもない。引き止めて悪かったね」
「……メイドの鏡ですね」
そう言った瀬葉を見て、キキコはそう言葉を返した。
何となく。何となくではあるが、キキコは瀬葉が引き止めた理由に思い至った。よくよく考えなくてもまだ言われていない事があり、多分それを言うつもりだったのだろう。しかし、瀬葉はメイド。従者たる自分が無礼に値するとは言え、主人よりも先にその言葉を言うわけにはいかない。そう思って言葉を止めたのだろう。でなければ、言葉を止めた事に説明がつけられない。
瀬葉は若干目を見開き、頭を罰が悪そうに掻く。
「キキコ……そういうのは言わぬが花っていうのを知らないのかい?」
「敢えて言いました。すみません」
「全く、アンタって子は……」
瀬葉はため息をつき、『早く入りな』と動作で促した。
キキコは一礼して車内に入り、運転手側の一番前の席に座って目を伏せる。
眠気はすぐにやってきて、キキコはまどろみにそのまま身を委ねた。
「――コ、キキ――キキコ」
体が揺れ、声が聞こえ、キキコはゆっくりと瞼を開いた。
まず目に入ったのは佐治亜衣の顔だった。その奥には花札部の面々と顧問の松町が雁首を揃えてキキコの事を見ている。
「あ、やっと起きた。おはよう、キキコ」
「寝起き姿も抜群に可愛いわね……」
「絵になるわね」
「待ち受けにしたい」
「確かに。というわけで、記念に撮っておくとしよう」
皆が騒ぐ中、キキコは起き抜けの頭で現状の把握を行う。二時間近く早く集合場所に到着し、九条紫付きのメイドである瀬葉と再会してお喋りし、眠気を催したのでバスの中で眠るように言われた。で、ここに皆がいるという事は、集合時間はとうに過ぎている事であり、起こされたという事は――。
「あ、皆さん、おはようございます。もう鳳凰堂に着いたのですか?」
「今着いたところで、皆で降りるところだよ」
亜衣がさっと説明した。
「ん。教えてくれてありがとう」
キキコはそう言ってから背伸びをして意識の覚醒を促す。
「お安い御用だよ。ところでキキコ、いいの?」
「いいって、何が?」
「キキコの寝起き写真。絶賛転送されてるよ?」
亜衣がそちらを指差し、キキコもそちらに視線を向ける。そこでは松町、鶴賀、桐子、朱美が各々携帯電話をつき合わせて画面を見てうっとりしていた。
キキコは少し考え、
「別にいいよ。減るものでもないからね」
「へ? いいの? マジ?」
「うん。私は別に気にしないよ?」
「そうなの? 普通は気にするところじゃない?」
「そうなの?」
「……キキコってやっぱり少しずれてるよねー。でも、そういう事なら――」
などと言いつつ、亜衣も浮き足立っている中に加わった。
そんな皆をキキコは携帯電話のカメラを起動させて写真に収める。
シャッター音がして全員がギョッとしてキキコの方を振り向いた。
「あー!? キキコ、今僕達の事撮ったでしょ!? 撮ったよね?」
「フランクール、盗撮はいけないぜ?」
「マツセンが言える台詞じゃない」
「別にいいじゃない。減るものじゃないし」
「あたしもそう思うわ。お互い様だもの」
「すみません。何か温かい絵だったからつい写真を撮りたくなりまして」
キキコがそう言うと、全員シンと静まり返った。
数秒の間を置き、一人一人がポツリ、ポツリと口を開く。
「……フランクールって色々反則だよな?」
「奇遇ね。あたしも同じ事思った」
「直球で言われる破壊力って本当に半端無いわよね……」
「本人は天然で言っているから恐ろしい」
「ギャルゲの主人公の如く自然に恥ずかしい事言うからねー……」
褒められているのか、けなされているのか。どちらとも取れる皆の反応を他所にキキコは立ち上がり、出入り口を示す。
「寝ていた私が言うのも何ですが、そろそろ降りませんか?」
「と、そうだな。お前ら、早く降りるぞ」
松町の号令に各々返事をし、一同はバスの外に出る。まず松町が出て、その後に鶴賀、桐子、朱美、亜衣、そしてキキコ。
外に出ると飛び込んできたのは、絵に描いたようなお金持ち達が通っているだろう学校の豪奢な門とその前で話しているメイドと執事服に身を包んだ青年。その奥には門と同じく豪奢な植木や噴水がある庭と校舎。その光景を見ると別世界に入り込んでしまったような錯覚に陥る。
「あれ? キキコ、荷物は?」
バスに降りてすぐ、亜衣が聞いてきた。
言われてキキコは気づく。皆は各々荷物を持っていた。
「メイドさんに預けたよ」
「預けたって……マジ?」
亜衣が心底意外だとばかりに言ってきた。他も似たり寄ったりな反応で有体に言えば『申し訳無くてそれはしないだろう』という目で見られた。
はて、とキキコは思い、少し考えて合点する。【常識】という概念は十人十色である。世間一般からして相手がメイドとは言え、年齢的には松町と同じくらいである。そんな人に「荷物を預けて欲しい」と言われても「はい。分かりました」と対応出来る一般人はいないだろう。いるとすれば、相当に順応力が高い者か、キキコみたいに一般人になろうとしている世間知らずくらいだろう。
「あー、ええと……それは、その……」
どう言い訳したものか、とキキコは言葉を探す。その一方でギャルゲの主人公ならこういう時もちゃんと対応出来るのだろうな、とどうでもいい事を考える。
「でも、よくよく考えたらキキコにとってはそれが普通なのかもしれないわね」
不意に鶴賀が言った。亜衣が振り返って尋ねる。
「鶴賀部長、それってどういう事?」
「キキコはVIP待遇されるのに慣れているって事よ。だから、あたし達と違う行動をしたとしても何も不思議な事は無いわよねって話よ」
「というか、キキコ自身も私達からすると「お嬢様」って言えるわけだから、驚く私達の方がよくよく考えると抜けているわよね」
「仕方ない。私達が知るキキコって花札大好きオタク美少女だし」
「あー、つまりはキキコが悪いって事でOK?」
「ちょ、な、何でそうなるの!?」
亜衣の妙な結論に、キキコは思わずツッコミを入れる。
が、流れは良くならない。
「何でって、独断と偏見で言うけど全然お嬢様らしくないからだけど?」
「佐治。そこはせめてオンオフがはっきりしている、くらいにしといてやれ。そうでないとフランクールが可哀想だ」
「そうね。全面的に同意するけど、もう少しオブラートに包まないと」
「そう? 世間知らずって言うよりマシじゃない?」
「桐子先輩が今はっきりと言ったから意味無い」
集中砲火を受け、キキコはがっくりと肩を落としながらも尋ねる。
「……やっぱり、私って世間知らずですか?」
「「「「「うん」」」」」
即答され、キキコは奇声を発しながら膝から崩れ落ちて盛大にうなだれた。
一方、その声に気づき、門の前で話しているメイドと執事が会話をやめ、足早に一団の方に駆け寄ってくる。
「皆様、どうかなされましたか? 先ほどの妙な声は?」
「あー、気にしないでください。大した事じゃないんで」
メイドの問いかけに、松町が即座に気遣いの答えを言った。
メイドは『はあ』と言いつつ、うなだれているキキコを見て、
「……では、あそこで盛大にうなだれている方は無視しても問題無いと?」
「むしろ触れないでやってください。色々傷心しているところなので」
キキコも目配せで『そうしてください』とメイドに自分の意思を伝える。
それを受け、メイドは目礼して体を右に向け、門の方を示す。
「では、そのお言葉を信じまして――皆様、お部屋の方に案内しますので私についてきてください」
メイドはそう言って回れ右をして校内に向かっていく。と同時に執事は初日高校花札部の面々の横を通り過ぎてバスの方に向かっていく。花札部の面々は指示通りにメイドの後を各々の歩調で歩き出した。
「キキコ、早く復活しないと置いて行かれるよー」
「ま、待ってよー……」
歩きながらの亜衣の呼びかけに、キキコはのろのろと立ち上がり、トボトボと皆の後を追った。
一行はメイドの案内の下、鳳凰堂学院の敷地内に入る。
流石は富裕層が我が子のために作っただけの事はあり、その外観は贅の限りが尽くされている。道は全て大理石で作られ、植木や植物は職人の手が入っているだろうと素人が見ても分かるくらい美しく整えられている。通路の合流地点には噴水があり、要所にはベンチもあって休めるようにもなっている。これでまだ校舎についていないというのだから恐れ入る。
そんな鳳凰堂学院を見てキキコは率直な感想を呟く。
「豪華なのはいいとしても鳳凰堂って無駄に広いねー」
その瞬間、キキコを除く花札部の面々の足が止まり、それに気づいてメイドが足を止めて一行の方を振り返る。
「皆様、如何なさいましたか?」
「いやその……おい、フランクール!」
松町に急に怒鳴られ、キキコはたじろぐ。
「松町先生? 急に叫んでどうかしたのですか?」
「どうしたのですか? じゃねぇよ! 何て事言うんだよ、お前は!?」
「? 私、変な事言いました?」
「思いっきりこの学校の事けなしたじゃねぇか!」
「けなした……? あ、あー、あー! それで怒っているわけですか!」
合点して手を『ポン』と叩くキキコ。
「なるほど。それでお怒りになられているわけですか」
静観していたメイドもキキコと同じ動作をしてそんな事を言った。
それを受け、松町はメイドの方を向く。
「あの、怒っていないんですか?」
「怒りませんよ。そちらの方は事実を言っただけではありませんか。実際問題、在学生の大半は同じ事を考えていますよ。中には過保護だとも」
「なるほど。しかし……フランクール、ちょっとこっちに来い」
手招きで呼ばれ、キキコは疑問に思いながらも松町に近づく。
「松町先生、一体――うわぁ!?」
近づくや、キキコは頭を掴まれて強引に頭を下げられた。
「我が校の生徒がこの学校をけなしたのは事実です。その事は謝っておきます」
松町はそう言った後、小声で『お前も謝れ』とキキコに言ってきた。
「ええと、変な事を言ってすみませんでした」
「お顔を上げてください。謝罪するような事ではありませんから」
「そう言って頂けるとこちらとしても心が休まります」
そこで松町はキキコの頭から手を離しつつ、顔を上げた。押さえつけから解除されたのでキキコも一緒になって顔を上げる。
「もうよろしいでしょうか?」
「あ、はい。お騒がせしてすみませんでした」
「いえ。では、先に進みます」
メイドはそう言って校舎の方に歩き出した。それに習って一行も歩き出す。
歩き出してすぐキキコは松町に尋ねた。
「松町先生、先ほどから腰低くありません?」
「当たり前だ。俺はその辺にいる一教師だぞ? 何か問題が起きようものなら学校にも迷惑がかかるし、何より俺の未来が色々と危ういだろうが」
「問題って……」
キキコはため息をついて続ける。
「――松町先生、私が言うのも何ですがフィクションに触れ過ぎですよ。それ確実に思い込みで物言っていますよね?」
「なら聞くが、実際のところその辺どうなんだよ?」
「あ、それ気になる」
後ろで亜衣が言った。キキコが首を回して後ろを見ると、皆興味津々といった感じの視線を向けてくる。説明を求める気持ちがひしひしと伝わってくる。
その期待に答えるべく、キキコは返答した。
「どうと言われれば、まあそういう事もありますが平気ですよ、と答えます」
「どの辺がどう平気なんだよ、それ!? 余計不安になっちまったよ!」
ぎょっとして叫ぶ松町。他の者も似たような反応をしている。
そんな皆に、キキコは注意の意味も含めて言う。
「ちなみにバスの中で私にした事は完璧にアウトですのでご注意を」
「何をされたので?」
誰よりも真っ先に口を開いたのは、メイドだった。偉く真剣な声である。
それをまずいと感じ取り、キキコ以外は途端に怪訝そうな顔をした。
そんな皆を他所にキキコは答える。
「寝起きの写真を無断で撮られました。後で承諾はしましたけれどね」
「あー、それは完璧にアウトでございますね。本人が事後承諾しても親御様のお耳に入ったとしたら明日の太陽は拝めないと思った方がいいです」
「あれでそこまで行くのか!? 制裁きつ過ぎるだろうよ!?」
「無断撮影は盗撮とほぼ同義。ましてや気が緩んでいる寝起きを狙うという言い逃れ出来ないタイミング――そんな無礼な振る舞いをして謝罪の言葉を頂戴するだけで無罪放免になると思う方がいかがかと思いますが?」
「ま、その判断基準は個々で違いますけどね」
「怖い怖い怖い!」
「松町先生、怖がり過ぎです。兎角、そんなに怖がらなくても平気ですって」
「ほ、本当か? 嘘だったら責任取ってもらうぞ?」
「松町先生、それは聞き方によっては問題を起こす前提に聞こえますが?」
「誰が起こすか! 言葉の綾だよ! それくらい分かれ!」
「安心してください。分かって言っていますので」
「尚の事悪いわ!」
その時だった。
「――妙に騒がしいですが、何か問題でもありまして?」
場の空気を一変させる凛々しく堂々とした女声が響き渡った。
全員が音の発生源である前方を見る。
そこには鳳凰堂学院花札部のスタメンが雁首を揃えている。
「見た感じただ騒いでおるだけだろう。そう気にする事でもあるまい」
意見を述べたのは小学生かと見紛うほど小柄な少女、五光満。元より強豪だった鳳凰堂花札部で一年生ながらにスタメンを勝ち取って大将を務め、プロにも通じる手腕を持っている高校生という枠組みにおいて頂点に君臨している選手だ。
「紫は一々気配り過ぎなんだよ。もう少し肩の力抜けって」
ついで意見を述べたのは男装を着崩している少女、猪瀬萩。男勝りな戦い方でレギュラーからスタメンの勝ち取った猛者である。
「無理な話。紫はそういう人だから」
萩の意見を否定したのはおしとやかそうな少女は水無月牡丹という。静かそうな物腰とは裏腹に絶妙に相手を邪魔してスタメンの座を勝ち取った猛者だ。
「ま、紫の良いところでもあるからねー」
素気無くフォローしたのはサバサバとした印象を受ける少女、鹿島椛。飄々とした戦い方でスタメンの座を勝ち取った猛者である。
そんな四人の反応に中央に立つ少女、鳳凰堂花札部の知名度を一気に高める事になった張本人にして部長を務める九条紫がため息混じりに言う。
「貴女達は全く……」
紫はぼやいた後、メイドに視線を向ける。
「で、瀬葉、何か問題でもありましたの?」
「特に何も。そういうお嬢様方は何故こちらに? 部室で待っているのでは?」
「そのつもりでしたが少し気が変わったのでこうして参上した次第ですわ」
「と申されますと?」
「屋上からお前様達の事を見ていてちょっと気になる事があったからだ」
満はそう言うと五人の輪の中から勢い良く抜けて駆け寄ってくる。その後にゆったりとした歩調で紫が追ってくる。皆が見守る中、二人はメイドの瀬葉の横を通り過ぎ、満はキキコの前で止まり、紫はその横を通り過ぎて鶴賀の前で止まる。
「お久しぶりですわね、鶴賀さん。桐子さんもお変わりないようで何よりです」
満がじろじろとキキコの事を見る中、紫は鶴賀と桐子に挨拶をした。
「久しぶりね、紫。今日はお招き頂いて感謝の極みよ」
鶴賀は言葉で返し、桐子は手を上げて動作で返答する。
「こちらこそ。私の我が侭に付き合ってくださって嬉しいですわ」
「いえいえ。ところで紫、満は何しているの?」
「ちょっと思う事がありまして」
紫は曖昧に答えると、キキコの方を一瞥して続ける。
「時に鶴賀さん、あのお方を少し借りてもよろしいでしょうか?」
その瞬間、初日高校花札部の面々は一瞬にして空気を読んだ。
「いいけど、その間私達はどうすればいいのかしら?」
「先に部室の方へ行ってもらえると助かりますわ。他の方もよろしいですか?」
紫の問いに、キキコを除く初日高校花札部の面々は即座に首肯した。
「ありがとうございます」
紫は一礼した後、瀬葉の方を見て、
「瀬葉、そういうわけだから皆様を部室の方へ」
「かしこまりました」
メイドが一礼するのを見てから紫は部員達の方を見て、
「皆、そういうわけだから初日高校花札部の皆様と一緒に先に始めておいて。私と満も私用を済ませたらすぐに向かいますので」
「おう」「分かった」「はーい」
三人の返答もまた即座に返ってくる。
それを受け、メイドがキキコ以外の初日高校花札部の面々に校舎を示した。
「では、皆様、改めまして私についてきてください」
メイドが歩き出し、皆がその後に続く。やがて鳳凰堂学院花札部の面々と合流して雑談をしながら校舎の中に入っていく。
かくて、その場にはキキコ、紫、満の三人だけが残った。
「さて――満、どうです?」
紫がゆっくりとキキコに近づきながら、満に尋ねた。
「ああ。――やはりこの者、キーちゃんに似ている」
「やはりそうですか」
キキコはどうにか動揺を表に出さずに済んだ。その一方で瀬葉といい、この二人といい、十年も顔を会わせなかったのによく覚えていてくれるなー、と思った。もっとも、キキコもキキコで二人の事は思い出に残っている幼い二人がそのまま大きくなった感じだったので一目で分かったが。
そこで紫がキキコの前に立った。
キキコは二人が言葉を作るより先に言葉を作る。
「……嬉しいですが、二人ともよく私だって分かりますね?」
その瞬間、二人は目を見開いた。しかし、その後、微笑を浮かべる。
「……キーちゃんだって分かっているではありませんか」
「お前様も人が悪いな。こっちに来ているなら連絡の一つくらいせんか」
「それはその、驚かそうと思って……」
キキコはそう前置きして連絡しなかった事の意図を打ち明けた。
「――とまあ、そんな感じです。でも、連絡しなくてごめんなさい」
「ドッキリですか……。まあ、そういう事なら許しましょう」
「私達が気づいてしまったから台無しになってしまったけどな」
「全くです。瀬葉さんも一発で分かりましたが、二人もよく分かりましたね?」
「それ、やめなさいな」
唐突に厳しい口調で言う紫。
「と言うと?」
「敬語だ敬語。私達はそんな仲ではないだろうが?」
「いやでも……」
「全く……。そういう律儀なところ、昔と何一つ変わりませんわね……」
「そうだな。あの時も敬語が取れるまでは時間がかかったからな」
「懐かしいですわね。まあ何であれ、兎角敬語も敬称も不要ですわ」
「おうとも。昔のように接してくれるとこちらとしてもありがたい」
「そうですか? じゃあ、話を戻すけど二人はよく私だって分かったね? そこまで力入れているわけじゃないけど、髪型違うし、眼鏡だってかけているのに」
言いながらキキコは眼鏡のずれを直した。
「確証があったわけではないぞ。なあ、紫?」
「ええ。そう思えたのは単なる連想ゲームですわ」
その回答を聞いてキキコは微笑した。
「――はは。答えが瀬葉さんと一緒だね」
「瀬葉もそう言ったのか? というか、あいつは何故私達に黙っていたのだ?」
「ドッキリだからでしょう。本当に有能で助かりますわ」
「そういう理屈か。で、瀬葉は何と?」
「初日に来て、そう言えばここはキキコのお母さんの母校だなって思い出して、そこから私の事を思い出してくれて、そこに私が到着したからって感じだよ」
「ほぼ同じとは……。人の事を言えんがよく覚えているものだ」
「本当に人の事言えないね」
「だからそう言ったではないか」
「ところで、日本で高校生活を送るという話なら何故鳳凰堂に来なかったのです? 好実おば様の母校だからですの?」
「それももちろんあるけれど、それは経歴上無理だったからだよ」
「経歴上とな? それはどういう事だ?」
「うちってパパがああいう仕事をしているから一つの場所に長くいる事なんて基本的に無くて、転校、転校、また転校ってなるのも可哀想だろうって事で学校ってところのお世話になった事が一度も無いからだよ」
「そういう事でしたら、どうして私のお父様に連絡してくださらなかったの?」
「全くだ。その辺、総司の奴ならどうとでもなるだろうに……」
「それはパパとママンも言っていたけれど、友達に迷惑かけたくないって言っていたから。後は社会勉強の一環だからっていうのもあるし、別の学校じゃないとゆかりんやミッチーと真面目に戦えないからなー、と思って」
「私達と戦うため、ですか……。そういう理由なら仕方ないですわね」
「ま、私達には私達の、キーちゃんにはキーちゃんの付き合いがあるから、昔のように三人仲良くというわけに行かない、というのも道理ではあるな」
「確かにそうですわね。キーちゃんと一緒に、というのも楽しそうだとは思いましたが、今のこの環境は望んで手に入れたものですからね」
「おうとも。我ら五人、頂上にて敵を望むのもまた楽しいからな」
「――――」
五人――その言葉を聞いて、キキコは少し胸が痛んだ。昔のようにはなれないと覚悟はしていたが実際に目の当たりにしてみると少しきつかった。友として、敵として接する事は出来るが、同じ目標を持つ仲間としては接する事が出来ない。そんな当たり前の事を改めて実感させられる一言。初日の皆とそれが出来るとは言え、思い出補正がある分、どうしても紫や満とそういう事をしてみたかった、という気持ちがしこりのように胸の中にあった。
その気持ちを気取られる前にキキコは話題を変えた。
「――そろそろ私達も行かない?」
しかし、答えはすぐに返ってこなかった。
紫と満が探るような目で見てきていた。
沈黙が自然と降りる。
キキコは気取られないために沈黙し、紫と満はじっと見つめるばかり。
しばらくして紫と満は苦笑し、それによって空気が緩んだ。
「良き提案ですわね」
「キーちゃんの独占はあまり快く思われないだろうからな」
二人は各々言って踵を返し、校舎に向けて歩き始めた。
二人の気遣いにキキコは内心で「ありがとう」と「ごめん」と呟く。感謝は気づきながらも触れなかった事に対して。謝罪は気を回させた事に対して。
「――と、そうですわ」
「――む、一つ忘れておった」
二歩ほど前を歩いていた二人はそんな事を言って足を止めた。
キキコは足を止め、急に止まった事を聞こうとした。
でも、キキコが言葉を作るよりも二人が言葉を作る方が少し早かった。
「お帰りなさい。また会えて嬉しいですわ」
「良く帰った。また会えて嬉しいぞ」
「…………」
不意打ちだった。
でも、予期していたキキコは万感の思いを込めて答える。
「――ただいま。私もまた会えて嬉しいよ」
そして三人は仲良く皆の後を追いかけ、部室へと向かう。