3章
「そういや、初心者でも経験者に勝てる方法ってあったりするの?」
花札部の部室に向かう道中、亜衣はキキコにそんな質問を投じた。
「ビギナーズラックだね」
「いや、そういうのじゃなくてさ……」
げんなりする亜衣に、キキコは大真面目に言う。
「いやいや。現実問題そうなの。花札って物凄く運に左右されるゲームで『運も実力の内』って言葉がまかり通る世界だからね。故にビギナーズラックだよ」
「なるほど。なら、技術的な事は?」
「技術的って事なら基本的な事だけど一に菊に盃を取得する事、二に光札を出来る限り取得する事、三に相手の取得札を見て邪魔する事、四に欲張らない事。この辺に注意して戦えば、後は自分の運次第」
「あ、結局運なんだね?」
「結局運だよ。ま、それをどう受け取るかは個々人で違うけどさ」
そこで二人は花札部の部室の敷地内に差しかかった。
「おおー。ホントに教室が部室なんだねー」
亜衣がクラスのプレートが張られている場所を見て言った。そこには本来あるべき「一年七組」というプレートはなく、代わりに「花札部」と書かれたプレートが堂々と飾られている。
「ここで間違いないみたいだね。中でやっているし」
キキコは引き戸についている窓から中を覗き見しながら言った。室内では前の方に集まって三人の女子生徒と顧問と思しきスーツを着た男性がいて、時折「こいこい」や「勝負」を初め、役の名前がくぐもって聞こえてくる。
「キキコ、ノックするよ?」
「あ、うん」
食い気味に亜衣が引き戸をノックした。
『はーい。今開けるわー』
室内から軽快な女声が返ってくる。
少し待つと中から扉が開き、声の主が顔を出した。
その人物はキキコと亜衣の事を見て『おっ』と声を上げる。
「これは奇遇。それとも数奇かしら?」
キキコと亜衣を出迎えたのは生徒会長の赤松鶴賀だった。
「赤松、どちらさんだ?」
「もしかして一年生?」
「とすると見学者?」
などと言いつつ、中にいる人物がぞろぞろと顔を出した。
「あ、松町先生。こんにちは」
「松町先生って花札部の顧問だったの?」
新たに現れた三人の内、一人の顔をキキコと亜衣は知っていた。松町健悟。キキコと亜衣が所属している一年一組を担当している国語科の教師だ。
「おうともよ」
「マツセンが知ってるって事はマツセンのクラスの子?」
気だるそうな三年生女子が尋ねた。
「おう。ま、立ち話もなんだ。入ってからにしようぜ」
そう言い置いて松町はさっさと室内に引っ込んでいく。
「承知」
「ま、それもそうね」
それに続くように物静かそうな二年生女子と三年生女子が続き、
「そういうわけだから、ま、入って。花札部へようこそ」
鶴賀が室内に入るように引き戸を押さえて示してくる。
キキコと亜衣は一礼してから部室に入った。
「おー」
「教室丸々一個使っているからか、流石に広いですねー」
二人は各々感想をこぼした。
教室だった名残を感じさせるのは目の前の黒板と教卓のみ。後の机と椅子は、机は机、椅子は椅子で重ねてまとめられて隅の方に寄せられている。掃除道具入れが廊下側の壁に移動されているので奥まで寄せられ、尚の事広々としている。
部室だと感じさせるのは対戦台として使われているだろう一つの机と横に置かれている二つの椅子、それが二組。教師用の机には電気ポットが置かれ、その後ろには何処から持ってきたのかカップが入った戸棚が置かれているところか。
「二人ともこっちに席を用意したから座ってくれ」
「あ、はーい」
「分かりました」
亜衣とキキコは各々返事をして用意された椅子に座る。
「さて、まずは自己紹介か。俺はやらなくていいとして、折角黒板もある事だから転入生が挨拶するみたいにやるか。その方が色々と手間が省ける」
松町が早速とばかりに場を仕切り、そんな提案をする。
「全員それでいいよな? 口で自分の名前説明するの面倒だろうし」
「じゃ、まずは部長であるあたしから」
鶴賀が立ち上がり、黒板に向かい、自分の名前を書いて皆の方を向く。
「えー、改めまして赤松鶴賀よ。よろしく、一年生のお二人さん」
話を振られ、キキコと亜衣は「よろしくお願いします」と言葉を返す。
「桐子。次は貴女よ」
言いながら黒板から離れる鶴賀。
「はいはい」
気だるそうに指示を受けた三年生女子が立ち上がり、鶴賀と入れ替わる。その際にチョークを受け取り、鶴賀の名前の横に【鳳桐子】と書いた。
「鳳桐子よ。適当によろしく頼むわ」
話を振られ、キキコと亜衣は再び挨拶を返す。
「朱美」
二年生女子を呼びながら黒板から離れる桐子。
「ん」
外見相応に短く返事をして二年生女子は桐子と入れ替わる。黒板の前に立つと桐子の名前の横に【藤谷朱美】と書いて振り向く。
「藤谷朱美。所属は二年三組。よろしく」
話を振られ、三度キキコと亜衣は挨拶を返した。
「マツセン、一年生達はどっちからするの?」
朱美は自己紹介を済ませると静観している松町に尋ねた。
「五十音順でいいだろう。というわけで、佐治、前に出てくれ」
「あ、はーい」
指示を受けて亜衣が小走りで黒板に近づいた。途中、朱美からチョークを手渡され、朱美の名前の横に自分の名前を書いて振り向く。
「ええと、佐治亜衣です。クラスは一年一組。よろしくお願いします」
自己紹介を終えると部員と顧問から返答が来た。
「最後は私ですね」
キキコは立ち上がり、黒板に近づく。その途中で亜衣からチョークを受け取り、佐治の名前の横に自分の名前を書いてから振り向く。
「キキコ・四季咲・フランクールです。所属は――」
「「四季咲でフランクール!?」」
キキコの自己紹介を遮ったのは、鶴賀と朱美の驚愕の声だった。
「鶴賀、それに朱美もいきなり大声出してどうしたのよ?」
煩そうに耳を塞ぎながら二人に尋ねる桐子。
「どうしたって……桐子、それマジで言っているの?」
「仕方ないかもしれない。桐子先輩は残念美人だから」
「……間違いなく文句を言われたけど、敢えて無視して答えるわ。フランクールさんの姓を私は知らないわ。彼女、有名人だったりするの?」
質問の矛先が鶴賀と朱美から亜衣へと向かった。
「え、ええと……お父さんが世界的に有名なピアニストって話ですけど、キキコ自身はその人の娘というだけで有名人というほどではないと思います」
「あー、そっちでなら聞いた事あるかも。でも、ごめんなさいね。私が聞いたのは「花札界で」という意味だったの。紛らわしく言って悪かったわね」
「あ、いえ、平気です」
「ありがとう。で、鶴賀と朱美、後マツセン、誰でもいいから分からない私と佐治さんにフランクールさんの姓がどれほどなのか教えてくれるかしら?」
「知らなくても問題無いから安心していいぜ」
真っ先に答えたのは松町だった。鶴賀や朱美も口を開こうとしていたが松町に先を越され、松町に目配せされたので落ち着きを取り戻して着席する。
鶴賀と朱美が座るのを待って、松町はキキコを見た。
「フランクール、そういうわけだからちょっと自己紹介は待ってくれ」
キキコは首肯して聞き手に回った。自分で説明しようとも思ったが年上の厚意には甘えるものだろうし、話してしまうとファザコンであり、マザコンである事が明るみになってしまいかねないので自重した。
松町が咳払いしてから説明に入る。
「んじゃ、さくっと話すぜ。フランクールのご両親は花札界じゃ生きた伝説みたいな人なんだ。もっとも、知っているのは同世代と活躍していた時期を観戦していた高齢者、そして鶴賀や朱美みたいな近年の花札の歴史を興味から個人的に調べた奴くらいだけどな。で、何をした人かと言うと、親父さんの方は公演で世界を回るついでに花札を教えて現在のブームの火付け人であり、お袋さんの方は後に開かれたファンによる世界大会で見事優勝した初代王者なんだ」
「はー! つまりはサラブレッドって事? とんでもないわね……」
「へー。キキコってそんな凄い人の子供だったんだね?」
話を聞いて各々感心する二人。
キキコは一応亜衣に謝っておいた。
「亜衣、隠していてごめんね」
「気にしないでいいよ。自慢する感じになるから言わなかったんでしょ?」
「そんなところかな。それだけが理由じゃないけどね」
「そっか。まあ何にせよ、気にしなくていいからね」
「分かった。ありがとうね」
「どういたしましてー」
「二人ともそろそろいいか?」
そこで松町が割り込んできた。
「OKです」
「お時間をくれてありがとうございます」
「おう。鳳ももういいか?」
「十分よ。約二名のためにも早く進めてあげて」
「「そうだー、そうだー!」」
その二名である鶴賀と朱美が一丸となって催促した。
松町は頭を掻き、ため息をつく。
「ったく、ガキかお前ら……」
「そうは言っても聞いた噂ではあの好実・フランクールさんに勝るとも劣らない実力の持ち主って話ですよ!? これが騒がずにいられるか!」
「というか、私達と同等に花札好きであるマツセンは何故騒がない?」
「何故って、俺は職権乱用して先に楽しませてもらったからな」
「言い切った!? 言い切ったわよ、この教師!」
「汚い。流石教師汚い」
「マツセン、いくら好きだからってそれはまずいと思うけど?」
「安心しろ。本人の合意は得ているからな。な、フランクール?」
部員達からの非難を堂々と受け止める松町。
「職権乱用も良いところでしたけどね」
キキコはため息混じりに返した。
「どんな風に職権乱用したの?」
亜衣が当然の疑問をぶつけてくる。
「どんなって、ほら、入学式が終わった後、私が帰国子女だからって理由でいくつか確認しておきたい事があるからって呼び出された事あったよね?」
「あー、あったね、そんな事。……って、まさかその時?」
「そ。そんなの嘘っぱちでさ。職員室連れて行かれたと思ったら奥の応接室で「こいこいしようぜ!」なんて言いだしてさ。で、それを聞きつけた他の先生の相手喪する事になっていて、ようやっと解放されるかと思ったら「まだ遊び足りない」とか言って家まで送る事を条件に私の家に来たの」
「うわ……」
亜衣が心の底から引いている声を出した。静聴していた部員達もとてつもなく冷たい視線で松町を見つめた。
気まずくなった雰囲気の中、キキコは助け舟を出す。
「――まあもっとも、私も私で急な話ではあったけど合意したのは事実で家に上がってご飯でもどうですかって提案したのも私の方だったりするけどね」
「いや、それはそれでどうだい?」
亜衣がより疑わしげに言った。部員達もうんうんと頷いている。
キキコは納得してもらうために大真面目に否定する。
「盛大に邪推しているみたいだけど松町先生は紳士だったよ。私の提案も再三言ってやっと折れてくれたし、その後も一人暮らししている私の事に気を回して教師らしい言葉をかけてくれたし、帰る時にも「困った事や分からない事があったら遠慮無く俺達教師を頼れ」って言ってくれたからね」
「――フランクール、それは褒め過ぎだ。流石に恥ずかしい……」
松町が本気で照れ、そっぽを向きながらそう言った。他の者もそれは同様で真実である事を受け取ったはいいが、キキコの言葉にはあまりにも照れがなく、極々自然に心の底から賞賛しているのが分かるので聞き手としては聞いているこっちが恥ずかしくなってしまう。
「褒め過ぎって……それが援護した人に返す言葉ですか?」
キキコはため息混じりに言った。こう言われては褒め損である。
「そう言ったって……なあ?」
松町は同意を求めて他の四人に話を振った。
「ま、ここまで褒められると……」
「流石にこそばゆいものがあるわよね……」
「過ぎたるは及ばざるが如し……」
「聞いているこっちが恥ずかしくて倒れそうだよ……」
四人は口々に頬を紅潮させたまま意見を述べた。
それを受け、松町がキキコに視線を向ける。
「ま、そういうわけだ」
「私は事実を言っただけなのですけどねー……」
キキコは頭を掻いて困惑を言葉として紡いだ。
「ま、何にせよフォローしてくれてありがとうな。おかげで助かった」
「――とか何とか綺麗にまとめても、マツセンが職権乱用してあたし達に内緒でフランクールさんとよろしく遊んでいたって事実は覆らないわよ?」
鶴賀の鋭い指摘に、朱美が「そうだ、そうだ」と賛同を示した。
「あー、はいはい。俺が悪かった。――そんな感じでこの話は終わりな」
そんな指摘に対し、松町は手をひらひらさせながら誠意ゼロで言った後、誰にも言葉を作らせる隙を与えずに別の言葉を作る。
「で、自己紹介も終わりだ。細かい個人情報は仲良くなりながら知っていくものだからな。というわけで、部活を始めるぞ。鶴賀、後は任せる。フランクールは席に戻ってくれ。自己紹介に関してはさっき言った通りだ」
そう言い置いて松町は教師用の机に向かった。
指示を受け、鶴賀はため息をついてから立ち上がり、キキコは席に戻る。
キキコが着席するのを待って、鶴賀が部長としての仕事を開始した。
「それじゃ、まずは佐治さんに質問があるわ」
「僕にですか?」
「ええ。率直に聞くのだけれど、貴女はこいこい出来る?」
「ええと、ここに来る前にキキコから一通り遊び方は教えてもらいました。見学しに行くのに何も知らないで行くのはどうかと思ったので」
「良い心がけね。でも、教えてもらったという事は、実践はまだ?」
「あ、はい。あまり遅れるのもまずいかなと思ったので」
「ますます良い心がけね。だとすると……方向性は二つね」
鶴賀はVサインを掲げて見せる。
「一つは私達の誰かと対戦する道。あ、私達の誰と当たっても遊び方をおさらいしながらやるから安心して。で、二つはフランクールさんと対戦する道」
「私とですか?」
いきなりな話にキキコは割り込んだ。もっとも、意図は分かるが。
鶴賀は視線をキキコに向ける。
「ええ。何事も初めては緊張するものよ。貴女にもそういう経験無い?」
「あ、やっぱりそういう感じですか」
「そ。話が早くて助かるわ」
鶴賀はそう言って亜衣に視線を戻す。
「で、どちらがいいかしら? 好きな方を選んでくれていいわ」
「好きな方ですか……。じゃあ、二つ目の方を」
「OK.じゃ、二人とも手前の対戦台に座って」
鶴賀はキキコと亜衣に指示を飛ばした後、桐子と朱美に視線を向ける。
「二人は佐治さんのサポートに回ってくれるかしら?」
指示を出しながら鶴賀は机に広がっている花札をまとめ、シャッフルし始める。
「はいよ」
「分かった」
桐子と朱美は亜衣が座る椅子の後ろに回った。二人の前に亜衣は座り、その反対側にキキコは着席する。
「フランクールさん、おさらいする都合上、佐治さんが親でいいかしら?」
「いいですよ。その方が都合良いですからね」
「サンキュ。それはそうと、何か飲む?」
「あ、お構いなく」
「僕も大丈夫です」
「そ。桐子と朱美は?」
「私、紅茶」
「コーヒーを所望」
「ほいほい。マツセン、紅茶とコーヒーと緑茶入れてー」
「おう。鳳、それに藤谷、砂糖とミルクはいつも通りでいいのか?」
松町がそれぞれの飲み物を用意しながら尋ね、二人は首肯した。
「何か息ピッタリというか、仲良しなのですね」
キキコは四人のやり取りの感想を思わず口にする。
「うんうん。何か馴染みの喫茶店のマスターと常連って感じ」
亜衣も話題に乗ってくる。
「そりゃ赤松と鳳とは今年で三年、藤谷とは二年になる付き合いだからな。放課後それだけの年数顔会わせていれば自然とこうなるって話だ」
松町が三人の飲み物の用意を続けながら答えた。
「それにしても、マツセンってつくづく花札やる子と縁があるわよね?」
桐子が気だるそうに話題を変える。
「私達が一年の頃の担任で、朱美が一年の頃の担任。で、今回だもの」
「確かに。合縁奇縁」
「実は狙っていたりするのかもしれないわね」
「偶々だって前にも話しただろうが」
松町が三人の飲み物の用意を終えて皆に近づいてくる。紅茶とコーヒーと緑茶の香りが室内に広がり、全員の鼻孔をくすぐる。
「話したって、そういうのって生徒には秘密にするものなのでは?」
キキコは気になって割り込んだ。
「単に松町先生がオープンなだけじゃない?」
亜衣が今思いついたような意見を言う。
「会話の流れでそんな話になったから話したんだ。大した事じゃないし」
三人に飲み物を配りながら本当にどうでもよさそうに話す松町。
「そういうのを世間一般ではオープンって言うんじゃないですか?」
「フランク、もしくは気さくと言ってくれ。それはそうと、赤松、何時までシャッフルしてんだよ? その辺で良くないか?」
松町は教卓の上に緑茶が入った湯のみを置きつつ、赤松に尋ねた。
「飲み物が来るまでは、と思って。それに部で使っている花札ってあたし達が年中使っている物だからよくシャッフルしないと色々大変でしょ?」
「【手四】や【くっつき】の事か?」
その時、キキコは自分の失態に気づいた。
「あっ、あ、あの! ちょっといいですか!?」
松町の言葉を遮り、キキコは二人の会話に割り込んだ。
「どうかしたのか?」
「ええと、あまり遅くなるのもあれかな、と思いましたので役を紹介する時に【手四】と【くっつき】の説明を省いた事を今言われて思い出しまして……」
その二つの役は、初手の手札がある条件を満たす事によって役として成立する特殊な役であり、成立する確率はかなり低く、故に省いたのだがこんな事になるならば説明しておくべきだった、と今更ながらに後悔する。
「となると、佐治は【手四】と【くっつき】を知らないわけか?」
「亜衣さんだけじゃなくて、私の講義を聞いてくれていた人全員です」
「全員? 何人くらいだ?」
「クラスのほとんどです」
「そうか。――それじゃあ、明日の朝のホームルームでちょっと時間取るからその時に皆に謝っとけ。で、ついでに説明もしてやれ」
「は、はい……。ご迷惑をおかけしてすみません」
「このくらい迷惑だとは思わねぇよ。教えてもらった奴だってガキじゃねぇんだから事情話せばむしろ感謝するだろうぜ。省いてくれてありがとう、ってな」
そこまで言って松町は視線をキキコから亜衣に移した。
「そんなわけで聞くが、佐治、お前はこの話を聞いてどう思った?」
「ありがたい話だと思いました」
「だそうだぜ?」
松町はキキコに視線を戻して言った。
「きょ、恐縮です……」
キキコは照れ臭くなって顔を俯かせた。
「んじゃ、話もまとまったところで【手四】と【くっつき】の成立条件についてちょっと勉強しましょうか。ちょっと待ってね。準備するから」
鶴賀が手に持っている札束を表に返し、手の中で広げて一枚、また一枚と取り出して机の上に並べていく。少しして一つの列には一月の札が全て揃っているが他の札は月がバラバラで計八枚、もう一つの方には二月、三月、四月、五月の札が二枚ずつ並べられて計八枚。以上二つのパターンの手札が机に出揃う。
「これで良し。じゃ、まずは【手四】からね」
鶴賀はそう前置きしつつ、最初に並べた八枚の札を指差す。
「これが【手四】よ。成立条件は初手の手札で同月の札が全て手中にある事。得点は六文。これは一セットでも二セットでも得点は一緒よ。ま、一セット揃っているだけでも低確率なのに二セット揃うなんて滅多に無いけど。で――」
鶴賀は次に並べた八枚の札を指差す。
「こっちが【くっつき】よ。こっちの成立条件はこんな感じで同月の札が二枚一組、計四種類揃っている事。こちらも得点は六文。で、この二つの特殊さがもう一つ。それは強制的に相手側の得点を減らし、かつ勝負が仕切り直される事よ」
説明を終え、鶴賀は机に並べた札を回収し、再びシャッフルする。
「んじゃ、いい加減始めましょうか」
十秒とかからず、鶴賀は準備を終えて二人に言った。
「二人とも手札を確認して報告してくれるかしら?」
「【手四】と【くっつき】の有無を、って事ですよね?」
亜衣が尋ね、鶴賀は首肯した。
「もちろん。ま、不利になりたいというなら話は別だけどね」
「そういうのも出来るんですか?」
「基本的にしないけど、する奴もいるわ」
桐子が相変わらず気だるそうに言った。
「え? いるんですか?」
「佐治さんの左側にいる人」
「ま、若さ故の過ちってやつよ」
朱美に言われ、鶴賀は認めた上で否定した。
そういえば、とキキコは鶴賀の過去の逸話を思い出した。私的はもちろん、公式の大会においても鶴賀は時折そういうパフォーマンスを披露して観客を沸かせていた。凄まじくマナー違反ではあるものの、そういう事が出来るだけの実力を鶴賀は兼ね備えており、その上できちんと勝利している。それでもマナーが悪いと叱咤する者もいるが、盛り上がるからか、好意的に受け入れられている。
「【逆転の鶴】の異名は伊達ではないという事ですね」
キキコは賞賛の言葉を鶴賀に送った。
鶴賀は一瞬きょとんとするも、恥ずかしそうに頭を掻く。
「その名で呼ばれるのは久々な感じがするわね……」
「確かに。最近じゃ先生達からも呼ばれなくなったしね」
桐子が懐かしそうに言った。
それを受け、鶴賀は桐子を見た。
「そういう桐子も【速攻の鳳凰】って呼ばれなくなったじゃない」
「恥ずかしいからやめろ、アホ鶴」
「言われなくてもやめるわよ、無気力鳳凰。佐治さんに説明するからね」
鶴賀は視線を亜衣に移す。
「いえ、説明しなくても大丈夫です。そういうのは大好物なので!」
亜衣は鶴賀が口を開くより早く、グッと親指を立てて声高に言った。
それを受け、鶴賀は要領を得たようにしみじみと頷く。
「ふむ。佐治さんはこういうのの良さが分かる側の人なのね」
それを聞いて、亜衣はハッとして取り繕う。
「あ、い、いえ! な、何でもありません! 気にしないでください!」
「いやいや、流石にきついって。それと安心して。マツセンも私達もそういうのの良さが分かる側の人間だから」
「何と! そ、それは真でございますか!?」
「亜衣さん、亜衣さん、口調が変になっているよ?」
「え? あ、ありがとう、キキコ。いやー、取り乱してすみません……」
「別にいいわ。それにしてもオタク率高いわねー。類友ってやつかしら?」
鶴賀が部員達に同意を求める。
「あ、そうなんじゃない?」
「でも、百パーセントではない」
「いや、百パーセントだ」
松町が会話に参加する。
「だよな、フランクール?」
「ですね。私も世間一般からするとそう見られる人種ですから」
キキコはあっさり同意した。
「そ、そうだったの!?」
亜衣が身を乗り出して叫ぶ。若干怒っているのは気のせいではないだろう。
「な、何で言ってくれなかったのさ!?」
「聞かれなかったし、皆のイメージ壊すのもあれかなー、と思って」
入学式があった日に家に招待した松町にはバレてしまっているが、キキコは自分が漫画とかアニメとかゲーム大好き二次元ラブなオタクである事をクラスメイトには隠している。理由は周りが「帰国子女」と見ているから。キキコとしても客観的に考えて自分みたいな人がオタクだったら親近感は沸くものの、イメージは壊れるなー、と考えて知られるまでは秘密にしているつもりだったりする。
亜衣を初め、花札部全員が納得の声を上げる。
「あ、なるほどねー」
「確かにイメージは壊れちゃうかもしれないわねー」
「パッと見、まるで縁が無さそうな人だものね」
「むしろ毛嫌いしてそう」
「お前ら、人を見かけで判断するのはいけないぜ?」
「私の家に来て、私の趣味を知った時に「人は見かけによらないんだなー」としみじみ言っていた松町先生はその台詞を言ってはいけない気がします」
「な!? お前、どんだけ耳いいんだよ!?」
「それだけです。それはそうと、場も和んだ事ですし、始めませんか? ちなみに私はありませんでした」
キキコは強引に話を戻した。自分もオタクだから分かっている。この流れでオタクトークを始めようものならば、そのまま延々と閑談に時を費やしてしまう事になる。それはそれで楽しそうではあるが、周りが見学会を行っている中で部活動とまるで関係無い話で時間を費やすのは色々後ろめたいものがある。
「同意するわ。雑談はまたの機会にしましょう」
鶴賀が同意を示し、亜衣を見た。
「で、佐治さんの方は?」
「こっちもないわ」
「故に始めても何も問題は無い」
亜衣の後ろにいる桐子と朱美がその確認に答えた。
それを受け、鶴賀は頷く。
「良し。んじゃ――と、そういえばルールを話していなかったわね。ルールは協会が規定しているものをそのまま使うけど、二人ともご存知?」
「私は知っています」
「僕はさっぱりです。キキコから誰とでも遊べるルールなら教わりましたけど」
「予想通りの返事をありがとう。じゃ、佐治さんのためにルールを説明するわ」
「度々すみません」
「気にしないで。初心者大歓迎だから。表に張ってあったでしょう?」
「すみません。見てないです……」
「着いたらすぐにノックしちゃったから仕方ないよ」
謝る亜衣に、キキコはさり気無く口添えする。
「それは残念。ま、それはそれとして、ルールを説明するわ。ルールは持ち点十二文で花見に月見、雨流れ、雨四光がアリで、二役、こいこいで倍、七文以上で倍がナシの標準的なものよ。ちなみに佐治さんからするとナシの方が気になるとは思うけれど、別に知らなくても問題無いから無視してくれていいわ」
「あ、はい。分かりました」
「素直で結構。じゃ、佐治さん、何時でも始めてもらって構わないわ。分からない事があったら遠慮無く桐子や朱美に相談してね」
「わ、分かりました」
指示を受け、亜衣は自分の手札をまじまじと見始めた。
かくて、ようやく実践の運びとなる。
(さて、どうしようかなー)
亜衣が動くのを待つ間、キキコは自分の手札を見る。
キキコの手札は、松に赤短、梅にウグイス、萩のカス、ススキに月、菊のカス、柳に燕、柳に短冊、桐に鳳凰という構成である。
ついでキキコは場札を見た。
場札は、紅葉のカス、牡丹に青短、ススキのカス、柳に小野道風、藤にホトトギス、菊に青短、アヤメに短冊、梅のカスという具合だった。
(雨四光が目指せそうではあるけれど、微妙なところだね……)
キキコは手札と場札を見比べてそう判断する。
初手の手札から、光札三枚+柳に小野道風からなる雨四光が狙えそうではあるものの、場に十二月の札が無い事や残る二枚の光札が何処にあるか分からないので厳しいものがある。一応ススキに月が手中にあるので月見酒の成立は阻止する事が可能であるが、花見酒が成立する条件は残っており、三月の札も九月の札も無いので邪魔する事も難しい。中々厳しい状況である。
「ええと……まずはこれかな」
亜衣が手札から場に札を出した。出したのは牡丹に蝶。それを覚束無い手付きで牡丹に青短の上に置き、二枚の札を取得する。
「次は山札ですよね?」
「そうよ」
「何が出るかな?」
桐子と朱美の催促を受け、亜衣は山札から札を一枚引いた。
「わわ、いきなりだよ! ラッキー♪」
亜衣は嬉しそうに言って山札から引いた札を菊に青短の上に置いて二枚を取得する。引いたのは菊に盃だった。これで花見酒の成立が射程圏内に入る。さらに三枚ある青短の内、二枚を取得したので青短も射程圏内に入った。
(いきなりきついなー……)
内心ぼやきつつ、キキコは自分のターンを始める。手札からススキに月を場に出してススキのカスと共に取得して山札から一枚引く。引いたのは桐のカス。場に十二月の札は無いのでそのまま場に残す。
「は、早い……」
亜衣の呆然とした呟きを聞き、キキコはハッとした。
「あ、ごめん。ついいつもの調子でやっちゃった」
「平気だけど、手際の良さが凄いなーって」
「普段から遊んでいればこうなるよ。亜衣さんはゆっくりでいいからね? 焦らず、じっくりとやって。私も次からはゆっくりやるからさ」
「ん。ありがとうね」
「礼には及ばないよ。しくじったのは私だからね」
「もう。キキコは一々律儀なんだから……」
亜衣はため息混じりに言いつつ、手札から場に札を出した。出されたのは梅に赤短。場にある梅のカスと共に取得して山札から一枚引く。引いたのは桐のカスだった。キキコが先ほど引いて場に残した桐のカスと共に取得する。
自分のターンになってキキコは、今度は速度を落として手札から柳に燕を出して場の柳に小野道風と共に取得する。ついで山札。引いたのはまたしても場に同じ月の札が無い松のカス。空いている場所にキキコは札を置く。
「一ターン目といい、二ターン目といい、ついてないね?」
「取得出来る札があるだけ御の字だよ。下手すると取得出来ない場合もあるし」
「それはきついね……。でも、今って僕に流れがあるのかな?」
「あるだろうね。少なくとも外野にはそう見えるはずだよ」
キキコはそう言って亜衣のサポートに回っている桐子と朱美を一瞥する。
「取得した札の枚数だけで判断するならば、流れは佐治さんにあるわね」
キキコの視線に気づいたのか、桐子が意見を述べた。
「でも、フランクールさんだってススキに月、柳に小野道風と取得した札こそ少ないけれど雨四光への道を着実に進んでいるから油断は出来ない」
朱美の鋭い見方に、キキコは苦笑を返す。
「あらら。やっぱり狙っているの分かりました?」
「余裕。ついでに言うと雨四光くらいしか高めの役を目指せそうにない手札だった、というのもここまでの流れで何となく分かった」
それを聞いてキキコは頭を掻く。
「いやはや、そこまで見抜くとは……」
「伊達に【逆転の鶴】と【速攻の鳳凰】に相手してもらってない」
ドヤ顔でVサインを返してくる朱美。
「――二人とも佐治さんが続けられなくて困っているわよ?」
鶴賀に注意され、朱美は口を噤み、キキコは視線を戻した。
「話し込んじゃってごめんね」
「別にいいよ。有意義な話だったからね」
亜衣はそう言って手札から場に札を出した。出したのは藤にホトトギス。場にある藤のカスと共に取得して山札から一枚引く。山札からは紅葉のカスを引いた。場にある同名の札と共に取得する。
「またもらっちゃった♪ 悪いね、キキコ」
「いやはや、参ったね、どうにも……」
キキコはため息混じりに言いつつ、手札から松に赤短を場に出して松のカスと共に取得する。ついで山札。引いたのは最後の十二月の札である桐のカス。場には当然同月及び同名の札はないのでそのまま残す。
「また一枚しか取れなかったよ」
「ご愁傷様です」
「労ってくれてありがとう」
「どういたしまして。さて、次はどうなるかなー♪」
意気揚々と亜衣が手札から場に出したのは桜のカスだった。
(――あれはまずいね)
キキコは桜のカスが場にされた瞬間にそう思った。これで花見酒成立への布石は整ってしまった。キキコの手札にある札では桜のカスを取得する事は出来ないので阻止するためには山札に賭けるしかない。
だがしかし、経験と直感からキキコは自分が三月の札を引けない事を感じ取ってもいた。毎回そうだった。突如突風に煽られた感じがした時や背筋に冷たい汗が流れた時は決まって成す術無く相手の役が成立するのを黙って見ているしかなかった。先に取得して邪魔する以外に相手が役を成立するのを邪魔する事が出来ない。とどのつまり窮地である。
そんなキキコの心境など露知らず、亜衣は自分のターンを進めた。山札から引いたのは菊のカス。それは次のキキコのターンで同名の札と共に取得する事ができるものの、この窮地を脱するには遠く及ばない。
(――さっきの感覚を信じるに、亜衣さんは桜に幕を握っているだろうから、次のターンで花見酒が成立するのはほぼ決定事項。で、亜衣さんの取得した札から考えると……六対四――いや七対三くらいで宣言してくるかな……)
亜衣の取得した札は種札三枚、短冊札三枚、カス札五枚。それでいて花見酒と青短がそれぞれ後一枚で成立する状態である。キキコもキキコで雨四光が後二枚で成立する状態であり、その二枚の内、桐に鳳凰は手中にあるので実質的に後一枚であるが、山札に眠る松に鶴をキキコが取得出来る確率はかなり低い。確率論で言えば亜衣も似たり寄ったりの条件ではあるが、亜衣の場合は青短を狙いつつ、タネやタンの成立も視野に入れる事が出来る。
つまるところ、状況の不利は何ら変わらない。
(鳳先輩と藤谷先輩も多分宣言する事を勧めるはず。だとすると――)
考えた末、キキコはこいこいが宣言された時の事を考えて札を出す事にした。手札から桐に鳳凰を出して桐のカスと共に取得し、山札から一枚引く。引いたのは柳のカス。つくづく巡りが悪いな、と思いつつも場に札を残した。
「よし! もらうよ!」
亜衣は声高に言い、手札から場に札を出す。出したのは桜に幕。キキコの直感は正しく、これにて花見酒が成立した。
「これでこいこい出来るんですよね?」
亜衣は後ろにいる桐子と朱美に尋ねた。
「出来るけどまだ。宣言は自分のターンでする事が全部終わってから」
「え? ……あ! そ、そうでした! は、恥ずかしい……」
亜衣は顔を真っ赤にしながら山札から一枚引いた。引いたのは牡丹のカス。場に六月の札は無いのでそのまま場に残す。
「それで良し。で、これでようやく勝負するか、こいこいを宣言するかを選ぶ事が出来るわ。というわけで、どうする?」
「ええと――」
亜衣は自分の取得した札を見て、しばし黙考し、
「――確かこいこいを宣言してしまうと新しく違う役を成立させるか、タネとタンとカスが成立していた場合に一枚追加されないと、勝負とこいこいを選ぶ事が出来ないんですよね?」
「ん。だから相手の取得した札や場札の状態も考慮してよく考える必要がある」
「ですよね……。――先輩達ならどうします?」
「答えてもいいけど、先に佐治さんの答えを聞かせてもらえるかしら?」
「私も同意見。相手の名前を聞きたい時と一緒」
「なるほど。僕は勝負しようと思いました」
予想とは反対の答えにキキコは少なからず驚いた。
それを尻目に亜衣は持論を紡ぐ。
「仮に続けたとしても他の役を成立させる事は出来そうな気がする事にはするんですけど、キキコは雨四光成立一歩手前でこのまま続けると成立されてしまう可能性もあるわけで、だったらまずは確実に三文減らしておこうかな、と」
しかし、亜衣の選択は間違っているわけではない。単に期待値に賭けるか、堅実に行くかどうかで堅実に行ったという話である。花見酒及び月見酒は成立し易い役だが、と同時に自分の手札や相手の取得した札、場の状況にもよるものの、基本的に潰され易い役である。そのリスクを避けるなら当然の選択である。
「堅実ね」
「同じく」
「そう言われると思いました。キキコも戦術としてはアリみたいな事言ってましたけど、よくよく考えたらそうするとこいこいの面白さ半減しますからね」
「全く以ってその通りなのよ。駆け引きを放棄するわけだもの」
「でも、間違いなく確実に相手の持ち点を減らせるから間違っているわけじゃない。そういう戦い方をする人もちゃんといるし」
「へー。ちょっと意外です。キキコから色々教えてもらった時、花見か月見が成立したらこいこいを宣言するのが暗黙の了解なのかな、と思ったので」
「そう考えてる人は結構いる」
「マツセンや鶴賀がその手の人種ね。あの二人が花見か月見の単品で勝負した事を私は今まで付き合って来て一度として見た事が無いわ」
「酷い言われ様だな……」
「人をギャンブラーか何かみたいに言ってくれて……」
松町と鶴賀が『心外だ』とばかりに大仰な反応をする。
「そうは言っても紛れも無い事実」
「一々フォローしなくていいわよ。あの手の人種は好きでやってんだから。で、話を戻すけど、私ならこいこいするわ。現状から鑑みるにフランクールさんが何らかの役を成立するよりも取得した札の枚数からしてこっちが新しい役を作る方が断然早いからね」
「桐子先輩に同じく。私もこいこいをしてみるよ」
「なるほど。こういう状況はこいこいをするべきなんですね……」
助言をもらった亜衣はしばし熟考し、
「でも、とりあえずここは勝負しときます」
結局、自分の意見を曲げずに貫き通した。
「勝負でいいの?」
キキコはもう一度確認する。
「うん。ところでさ、花札って麻雀みたく上がる時に何か言ったりするの?」
「言うよ。上がる役と得点をね。この場合だと「花見酒、三文」って感じで」
「OK.では――」
亜衣は一度咳払いして言う。
「――勝負するよ。花見酒で三文ね。……こんな感じ?」
真面目に言った後、砕けた声色でそう確認する。
「そんな感じよ。後は点数計算をして一ゲームが終了となるわ」
「なるほど。……はー。ちょっとなのに結構精神的に疲れますねー」
亜衣は大きく息を吐きつつ、そんな事を言いながら椅子に深く座った。
「亜衣さんは初めてだし、先輩達に見られながらだから尚更かもね」
「かもねー。ところでさ、この状態の山札って見ても平気?」
亜衣は山札を指差しながら言った。
「平気よ。好きに見てくれていいわ」
さっと答える鶴賀。
「じゃ、お言葉に甘えて」
了承をもらい、亜衣は山札を手に取ると表に返して手の中で広げ始める。そして後ろの方、裏に返している状態だと前の方になる部分で手を止め、とても小さな声で何かをブツブツと呟き始めた。
そんな亜衣を松町、鶴賀、桐子、朱美が後ろからこっそりと覗き見る。より正確には亜衣が自分の中で広げて見ている山札の中身を。
そんな一同の反応をキキコは座して待ちつつ、熱心に見つめている亜衣を見る。
(亜衣さん、色々鋭そうだから考えを読まれたかな?)
そして内心ではそんな事を考える。知り合ってまだ三日程しか経過していないのだが、その短い間でも亜衣がとても気遣いである事は窺い知れている。
入学式の顔合わせの際、キキコは誰からも話しかけられなかったし、キキコから誰かに話しかけようとは思わなかった。理由は人種だ。周りはハーフであるキキコに話しかけようにも話しかける勇気が出せず、キキコはキキコでそんなクラスメイト達の気持ちを察していたので敢えて自分からは歩み寄らなかった。
そんな時に先陣を切ったのが、他でもない亜衣だったのである。第一声は緊張している事が丸分かりな調子での拙い英語の挨拶。それはとても英語圏で伝わらないレベルではあったが、キキコにはしっかりと伝わり、それを皮切りとしてクラスメイト達と打ち解けられた。それを当人は「貴女みたいな可愛い子に話しかけないなんて女としても色々まずいよね」などと軽口で返してきたが、あの行為がクラスに漂っていた読み合いの空気を一変させるためのものであったのは、ちゃんと聞かずともしっかりと伝わってきている。
そんな亜衣なら――。
「……こいこいをしなくて正解だったわね」
「していたら雨四光が成立していたからな」
「これを読んでこいこいをしなかったとしたら凄いわね」
「良いセンス」
(やっぱり松に鶴はすぐ近くにあったか……)
――圧倒的に不利な状況にも関わらず、慌てていないこちらの考えを読んで勝負を宣言する事くらい造作もないだろう、とキキコは漠然と分かっていた。
その読みはどうやら当たっていたようである。皆が見ている山札の中身を見なくても交わされる会話の内容だけでそれは容易に窺い知れた。
「堅実に行って良かったー……」
賞賛される中、亜衣は安心したようにホッと胸を撫で下ろした。
(とんだ狸がいたものだ、って感じだね。悪い狸じゃないけどさ)
そんな亜衣を見て、キキコは割と失礼な事を思った。
「よし! キキコ、次行くよ次!」
一方、亜衣は意気揚々を続けようと言ってきた。
「もちろん――と言いたいところだけど、山札を机に置くのが先だよ」
「え? あ、そ、そうだよね、片付けられないもんね……」
亜衣は我に返るとあたふたしながらも山札を元の位置に戻した。
「んじゃ、仕切り直すから少し待ってね」
鶴賀が札を集め、手際良くシャッフルし始める。
「亜衣さん、実践してみてどうだった?」
ただ待つのも暇だったのでキキコはそんな話を亜衣に振った。
「想像以上に楽しかったよ。で、こんな事なら小さい時にしっかり覚えておくべきだったなー、って後悔してたところ」
「教えた身としてはこれ以上無い褒め言葉をどうも」
「どういたしまして。これだけ楽しいなら僕も入ろうかなー」
「お、乗り気だねー? 先輩達が同好の士だったから?」
「それも理由の一つだけど、一番はキキコが綺麗だったからかな」
「なしてそこで私が出てくるの?」
「動作がって事だよ。キキコ、一回目のターンの時、うっかり普段通りにやったでしょ? あの時のキキコが超綺麗でそれを見るために入ろうかなって」
「それって花札関係無くない!?」
キキコは思わずツッコミを入れた。
「一応関係あるだろ。佐治はお前が花札やっている姿があまりにも絵になっていたからって話なわけだし。ちなみにその意見は俺も同感だ」
松町が素気無く否定する。
その意見に他の部員達も話に加わってくる。
「私も同感ね。あの時は別人かと思ったわ」
「同じく、と言っておくわ」
「私も」
皆から褒められ、キキコは途端に恥ずかしくなって顔を俯かせる。
「そ、そうですか……。あ、ありがとうございます……」
「そういう事なら――二人ともちょっと待ってくれるかしら」
鶴賀がそう言い置いて花札を机の上に置き、教卓の後ろに回り込む。
「確かここに入れておいたはず……お、有った、有った♪」
嬉しそうに言いながら鶴賀が現れた。その手には二枚の紙が握られている。
「二人とも始める前にちょっとこれを書いてくれるかしら?」
鶴賀は持ってきた二枚の紙を机の上に置いた。
「キキコ、これっていわゆる入部届けってやつだよね?」
「うん。紛れも無く何処からどう見ても入部届けだね」
鶴賀が二人に配布したのは「入部届け」と太字かつ他の文字よりも少し大きめの文字で題字されているプリントだった。
「思い立ったが吉日、それ以外は凶日。――というわけで、書こうか?」
鶴賀が妙に威圧感のある声音で言った。目がかなりマジである。
「鶴賀部長、それって脅迫なんじゃ……」
「いやね、朱美。お願いしているだけじゃない」
「アンタは何時から悪徳金融会社の取り立て人になったよ?」
「桐子も酷いわね。この笑顔の何処が脅しているのよ?」
確かに鶴賀は笑っている。声も朗らかなままである。が、先ほどまでとは明らかに何かが違っていると聞き手にそう感じさせる特有の威圧感が含まれている。
「別に脅されなくても書きますって。キキコ、ペン持ってる?」
「持ってるよ。これ使って」
キキコは胸ポケットに刺している二本のボールペンの内、一本を亜衣に渡し、自分はもう一つのボールペンを取り出して入部届けの空欄を埋めていく。
「これで――あっ」
良し、と言おうとしたキキコは書き終えてから自分の失態に気づいた。名前を記入するところにカタカナと頭文字を用いた「キキコ・S・フランクール」ではなく筆記体で「Kikiko・Shikizaki・Francoeur」と書いてしまったのだ。海外での生活が長く、向こうでは日本語を書く機会がほとんどなかった名残がうっかりと出てしまったのだ。
「赤松生徒会長、筆記体で名前を書いてしまったのですが、大丈夫ですか?」
「ん? どれどれ……うわ、達筆ねー……」
鶴賀が覗き込むと桐子に朱美、向かいに座る亜衣が『何だ、どうした』とキキコの入部届けを覗き込み、鶴賀と似たような顔になった。
「絵に描いたような筆記体ね……」
「か、カッコイイ!」
「こういうの見るとキキコが帰国子女なんだなって改めて実感するよ……」
褒められる中、キキコは話を進める。
「それでその、どうでしょうか?」
「大丈夫よ。「キキコ」と「四季咲」は読めるから。佐治さんも書けた?」
「あ、はい。どうぞ」
亜衣は自分の名前を記入した入部届けを鶴賀に手渡す。
「確かに。んじゃ、あたしはこれを職員室に提出してくるついでにお手洗いに行ってくるから後よろしくー」
言うが早く、鶴賀は扉に向かって歩き出した。取り付く島も無い。
「ったく、トイレのついでに提出しに行かなくてもいいだろうに……」
松町がぶつくさ言いながらも鶴賀の後を引き継いで場を取り持ち、次のゲームを始めるために鶴賀がシャッフルした札を机に並べていく。
「んじゃ、第二ラウンドを始めるとするか」
そうして一度中断されたキキコと亜衣の戦いは再開された。