1章
入学式や身体測定が終わり、部活動見学会が行われる日の朝の事。
「何か目ぼしい部活あった?」
窓際の席で部活動一覧表に目を通しているキキコ・S・フランクールを振り返って、同じクラスの佐治亜衣が訪ねてきた。
「あったよ。花札部」
キキコは素気無く答えると、亜衣は首を傾げる。
「花札部? 初日に花札部ってあったんだ」
「あるみたいだよ。ほらここ」
キキコは一覧表を指差した。そこにははっきりと「花札部」と書かれている。それを見て、亜衣は『おお』と驚いた声を上げる。
「ホントだ。ちょっと意外」
「意外? それってどういう意味?」
「知ら――なくて当然か。キキコはこっちに来た――いや、帰ってきた、が正しいんだっけ? 十年前はこの町に住んでたんだよね?」
「住んでいた事は住んでいたけど、前に話したとおり微妙なところだよ。その時から既にパパの仕事で連れられて色んな場所に行っていたからね」
キキコは懐かしみながら言った。
キキコの父親は、世界的に有名なピアニストで演奏のために世界中を飛び回っている。十年前までは日本を拠点にして活動していたが、その期間でさえかなりの頻度で一緒に連れられ、キキコが小学校に行ける年になると同時に拠点を父の故郷であるパリに移したので日本での思い出は無いに等しかったりする。
キキコは話を戻す。
「で、意外ってどういう意味?」
「と、ごめんごめん。答えは簡単。初日はそんなに力を入れてない学校だからだよ。この町で本格的に花札するなら如月や鳳凰堂みたいな強豪校に行くからね」
「なるほど。教えてくれてありがとう。おかげですっきりしたよ」
「どういたしまして。ついでに余談を一つ。母さんから聞いた話なんだけど、初日も十数年前くらいに一時期だけ強い時期があったらしいんだ。それで一時期は火がついたけど、熱が入ったのはその時だけそれからはさっぱりなんだって」
「へー。何かフィクションみたいな話だね?」
「僕も聞いた時はそう思ったよ。でも花札ねー。一つ質問いい?」
亜衣は人差し指を立てながら言った。
「何?」
「ええとさ、それなら何で如月みたいな強豪校に行かなかったのかなって。悪口言うみたいで嫌だけど、本格的にやるなら絶対に他の学校だよ?」
「この学校で花札をしたい理由があるからだよ」
「ほほう。して、その理由というのは?」
「この学校がママンの母校だからだよ」
「なるほど。そういう理屈なら納得」
「でしょ? ところで、亜衣さんは花札出来る?」
亜衣は首を左右に振る。
「残念ながら出来ないよ。小さい時に覚えようとしたけど、札が覚えられなくて挫折しちゃったんだよね。で、それっきり。だからキキコの事を凄いなって思ってる。偏見で物言うけれど世界中飛び回っていたのによく遊び方を覚えられたなって。あれって結構難しくない?」
「難しいけど、私の場合は先生が良かったからかな」
「先生というとお父さんとお母さん?」
「ううん。こっちで出来た友達かもしれない人達」
「友達かもしれない……? すると十年前に出来たって事?」
「そ。で、それきりだからそういうわけで「かもしれない」ってわけ。一応忘れないようにって思い出の品をもらったけど何せ十年も前の事だから」
「ふぅん……。その人はこの学校に?」
「いないよ。その人達は生粋のお嬢様だから」
「お嬢様かー……。だとすると鳳凰堂かな? あそこお嬢様学校だし」
「ズバリ正解。よく分かったね?」
「そりゃお嬢様でこの町にいるって話なら鳳凰堂くらいしかないからね。でも、それなら鳳凰堂って選択肢もあったんじゃない? ま、お母さんの母校だとご両親は安心するとか、家の都合とかがあるなら話は変わってくるけど」
「そういうのもあるけど、一番の理由は怖いからかな」
「怖い? ――ああ。なるほど。そういう理屈ね」
亜衣は一人納得してそれ以上言及しなかった。
キキコは内心で感謝し、話題を変える。
「ま、そういうわけで私は花札部を覗きに行くけど、亜衣さんは生徒会役員との顔合わせが済んだらそのまま帰る感じ?」
体育館にて生徒会役員の紹介から部活動見学会となるのだが一年生は自由参加となっており、不参加の場合は放課後となって下校する事が可能なのである。
亜衣は難しい顔をして頭を掻く。
「そうしたいのは山々だけど、気が引けるよねー」
その時、教室の前の扉が開き、スーツを着崩している若い男、担任の松町健悟が現れ、廊下に体を残したまま室内に指示を飛ばす。
「皆、雑談を楽しんでいるだろうが、そろそろ時間だから廊下に整列してくれ」
指示に従い、生徒達は廊下に整列して体育館に向かった。
公立初日高等学校はこれといって特色が無い公立校である。
それでも特色を挙げろというのであれば、校舎の形だ。老朽化に伴って改築する際に有名デザイナーにデザインを依頼したとかで、パッと見は学校というよりは美術館か何か大きな催し物をする際の会場に見える。
そんな学校の体育館では生徒会役員の紹介会が執り行われている。
『――最後に生徒会長・赤松鶴賀だ。赤松、前に』
新入生の視線が舞台に注がれる中、司会を務めている校長先生が生徒会長・赤松鶴賀の名を呼び、舞台中央に上がるように言った。
(アカマツツルガ? それってもしかして……)
キキコはその名前と同じ名前の人物を一方的に知っている。
同一人物なのかどうか、そんな事を考えている内に当人が黒のポニーテールを左右に揺らしながら舞台の袖から現れた。制服の要所には現在の三年生である事を示す赤色(二年生は緑、一年生は青)。生徒会長だからか礼儀正しく一分の隙も無く完璧にブレザーの制服を着こなしている。
(……外見特徴は一致するけど、ひょっとしてひょっとする?)
キキコはネットで幼い頃の写真を見た事があるのだが、そこに写っていた幼い少女と壇上にいる彼女はそのまま成長した、と言っても過言ではないくらい外見特徴が一致している。違っているのはポニーテールの長さくらいだ。
(それにしても……凄い存在感……)
その一方でキキコは彼女が現れた事で一変した空気の質に感服していた。そういう人物が出てくる場に何度か立ち会った事があるのだが、彼女の存在感はそんな彼彼女達に勝るとも劣らない。これで一校の生徒会長だというのだから恐れ入る。その存在感は一生徒にしてはあまりにも肥大過ぎる。
そんな事を考えている内に赤松鶴賀が演説台に上がる。
『えー、あたしが校長先生より紹介頂きました三年一組所属・赤松鶴賀よ。色の赤に植物の松で赤松、鳥の鶴に謹賀新年の賀で鶴賀ね』
(同じ、名前……? だとすると本人……? え、嘘、本当?)
キキコは漢字を並べて内心で驚愕した。
何故ならその人物は、キキコが知っているその人と同一人物であるならば小中時代にその強さと戦い振りから名前をもじって【逆転の鶴】という異名で呼ばれていた選手なのだ。高校時代になってから全く話を聞かなくなり、一部では病気や事故死といった憶測が飛び交っていたほどである。
内心驚き、テンション上がっているキキコを他所に赤松鶴賀の挨拶は続く。
『あたしを含めた三年の生徒会役員、そして三年生一同とあなた達一年生諸君は短い付き合いになるけれど、ま、よろしく。で、何か困った事、分からない事、その他諸々あったら遠慮無くあたし達生徒会を頼って頂戴』
堂々と、それでいて悠々と、かつ大した事を言っているわけではないのに不思議と説得力がある自己紹介と挨拶。キキコはこういう上に立つ人の演説を何度か聞く機会があったが、彼女の言葉にはそういう人達が持っている特有にして独特の何かがあった。聞いていて実に心地良い口上である。
『とまあ、こんな感じであたしからは以上よ。校長先生、閉会を』
『赤松。挨拶ついでに部活に対する心構えみたいなのも頼むわ』
校長の指示に、赤松鶴賀は露骨に嫌そうな顔になる。
『えー……面倒だから省きません、それ?』
『却下だ。ほれ、文句言わずにとっととやらんか』
『……あー、はいはい。分かりましたよ、全く……』
赤松鶴賀は不承不承さ全開で肯定し、一息入れ、顔を引き締めてから言う。
『――えー、というわけでもうちょっと話を続けます。で、一年生諸君。唐突だけど中学と高校における三年間の違いって何か分かる?』
赤松鶴賀はそう言うと答えを待つように沈黙した。
それに反して一年生達はいきなりの質問にどよめく。
(中学と高校における三年間の違い、ね……)
そんな中、キキコは自然に考え始める。いきなりだからそこまで難しい答えを求めてはいないだろう。ならば単純に考えればその後の進路における周りや社会の見られ方が違うところか、或いはもっと単純に勉強の難易度辺りが妥当なところだろうか。流石にこの唐突さで難解な答えを求めるほど鬼ではあるまい。
「(キキコ、何か思いついた?)」
そこまで考えがまとまった時、後ろに座る亜衣が耳打ちしてきた。
「(簡単なやつなら二つくらい。深いのはまだだけど)」
「嘘!? 思いついたの!?」
そんなに驚く事だったのか、亜衣が叫んだ。
「ば、馬鹿! 声が大きいよ!」
キキコは慌てて亜衣の口を塞いだが時は既に遅い。
『ほほう! じゃあ、そこの貴女。悪いけど答えてくれるかしら?』
当然というべきか、壇上の赤松鶴賀に答えを求められる。
嫌とは言えない空気が場内に訪れる。一方で亜衣が「ごめん! 本当にごめん!」と小声にて全力で謝ってくる。そんな亜衣をジト目で見ていると人が立った気配がして肩を叩かれる。振り向いてみれば【雑務】という腕章をつけた二年の男子生徒会役員の一人がマイクを持ってそこにいた。ますます以って断り難くなった空気の中、キキコは観念してマイクを受け取って立ち上がる。
『ええと……生徒会長、聞こえていますか?』
『感度良好よ、一年生。で、早速だけど答えを聞かせてくれるかしら?』
『その前に確認を一ついいですか?』
『何かしら?』
『その「違い」というのは日本の一般的な学校におけるという事ですよね?』
『妙な質問ね。まさかとは思うけど貴女、日本人じゃないのかしら?』
『半分はそうです』
『とするとハーフってやつね? 何人とのハーフなの?』
『父がフランス人なのです』
『はー。それはそうと、ごめんね。日本語上手だから分からなかったわ』
『言葉遣いを褒めて頂き、恐悦至極に存じます』
『ほー。恐悦至極なんて言葉をサラッと……。――ま、それはさておき、話を戻しましょうか。そうよ。日本の一般的な学校における違いで間違い無いわ』
『なら、二つあります』
『二つも! アドリブ強いわねー、貴女。じゃ、どっちも聞かせてくれる?』
『分かりました。一つは勉強の難易度、もう一つは卒業後における周囲及び社会からの見られ方。私が思いついたのはこの二つです』
『おお! OK! 完璧! 百点満点!』
赤松鶴賀は意気揚々と叫ぶ。
『いやー、簡単な答えだけどいきなりだからきついかなー、なんて思っていたけれど、まさかここまで見事に答えてくれるとはねー! ふふふ。貴女、中々見所があるわね。そこで相談があるのだけれど生徒会に入る気は無い?』
一年生が騒ぎ始めた。しかし、先生や他の役員は騒がない。そればかりか「また始まった」という感じの呆れた反応を各々示している。
その雰囲気の中、キキコは答えを示す。
『謹んで遠慮させてもらいます。貴女の下で働くのは色々大変そうなので』
赤松鶴賀が有能そうなのはパッと見分かるが、それ即ちそれだけ信頼を置かれ、そうなれば仕事が入ってくるという事である。実際問題、その判断は正しかったのか、後ろに控えている他の生徒会役員がしみじみと首を縦に振っている。
『そ。じゃ、気が向いたらよろしく、って事で座って良いわ。無茶振りしたにも関わらず質問に答えてくれて、かつ私が望む答えをありがとう』
『こちらこそ貴重な体験をありがとうございました』
キキコは着席して一息ついた。
「(キキコ、本当にごめんねー)」
座るや、亜衣がもう一度謝ってきた。
「(いいよ。私も迂闊だったからね)」
キキコが返答した時、赤松鶴賀が話を再開する。
『――で、さっきの答えで大体分かったとは思うけれど、高校の三年間は子供でいられる最後の期間。その後は就職に進学、或いはニートになったとしても高校出たら周りも社会も子供だとは見てくれないのは同じ。つまりね? 皆にはこの存分にバカをやれる最後の期間を後々思い返して「灰色だったな」とか「もっと色々やっとけば良かった」なんて思わないようにして可能な限り善処するように心がけて欲しいのよ。後悔は先に立ってくれないわよ、一年生諸君?』
赤松鶴賀は言い終えると一息入れ、校長の方を見た。
『校長先生、こんな感じでよろしいでしょうか?』
『OK,OK.それじゃ、閉会とするか』
『はーい。んじゃ、全員解散!』
それを受け、各クラスの担任が自分のクラスに指示を飛ばし、それを受けてようやく一年生達は席を立ち、一人、また一人と退場していった。
「はー、散々な目に遭ったよ……」
体育館から教室に戻る道中、キキコは隣を歩く亜衣に愚痴った。
「本当に、本当にごめんね、キキコ……」
亜衣が本当に申し訳無さそうに謝ってきた。
キキコは手を振って否定する。
「平気。体育館でも言ったけどあれはあれで貴重な体験だったからさ」
「ほ、本当? 本当に気にしてない?」
「本当に気にしていないよ。むしろそこまで言われると逆に気にするよ?」
「わわ! ご、ごめん!」
亜衣は取り繕うように言って呼吸を整える。
「でも、あの状況でよく考えられて答えられたね? 初めてじゃないとか?」
「ああいうのは初めてだけど無茶振りに耐性があるからかな、多分」
「無茶振りに耐性がある? ――それってお父さん絡み?」
「ご明察」
「逞しいねー」
「人間の順応力に感謝感謝だよ」
「でも、それにしたってアドリブ強過ぎじゃない?」
「そっちはパーティーに参加している内に自然と慣れていったからかな」
「あー、それで結構社交的なんだね?」
「食べてばっかりだとまずいかなって思っただけだけどね」
「あ、そんな理由なんだ……」
「ガッカリした?」
「少し……。――ところで、キキコの本命は花札部なんだよね?」
「そうだけど、それがどうかしたの?」
「いやさ、やっぱり何処も見て回らないのは気が引けるじゃん?」
「ま、そうだね」
その気持ちは分かるがそこは初日高校の校風である「生徒の自主性を高める」というところにかかっていて、この状況下においても自分の意思を貫ける力を養うために敢えてそうしているのでは、とキキコは思ったが敢えて口を噤んだ。
「でしょ? でも、僕は特に見たい部活がないわけだよ」
「なるほど。つまりは私と一緒に花札部に行くって事だよね?」
「うん。で、ついては一つ相談があるんだよ」
「相談? 何?」
「率直にお願いすると僕に花札を教えてくれないかな? そうすれば相手にとっては不足だろうけど、キキコと遊んだ時に遊ぶ事が出来るし、今の時世こいこいくらいはちゃんと出来るようになっておかないと割と恥ずかしいからね」
亜衣は恥ずかしそうに言った。
実際問題、それは事実である。和の要素の減少を儚んだ時の首相・古城好夫の【温故知新政策】によって最初は反発や不満の声もあがったが、今では古き良き時代と言われていた頃の文化が見直され、その上で近代的な物との調和を図り、それによって海外からの観光客は増えるなどして、日本の様相は少し変わった。
その流れを受け、花札の知名度がトランプと同じくらいに向上し、現在においては出来ない事を隠すという恥じらいが生まれる程度にまでなっている。またプロが生まれ、各世代で大会が開かれるようになり、人々は己が世代の頂点を目指して凌ぎを削り、覇権を争うほどにもなっている。
ちなみに花札と一口に言っても【花合わせ】に【八八】や【おいちょかぶ】などと言った遊び方があるのだが、現在で花札が出来るというのは二人で対戦する形式の【こいこい】が出来るというのが共通認識である。もちろん、そういう人達の中にも他の遊び方を出来る者はいるが。
キキコはそれを聞いて嬉しくなった。
「それは僥倖! そうと決まれば善は急げ! 思い立ったが吉日! 私が手取り足取り教えてあげるから教室に急ぐよ!」
言うが早く、キキコは亜衣の手を取って階段を駆け上がり始めた。
手を引っ張られながら亜衣は叫ぶ。
「ちょ、キキコ! 危ないって! 大体、教えるって花札も無いのにどうやってするのさ!」
「平気! 何時誰とでも出来るように持ち歩いているから!」
「用意周到!? どんだけ好きなの!?」
「それだけ好きなの! さ、急ぐよ!」
疾風の如く、二人は通行人の合間を縫うようにして教室に向かった。