表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二人は見習い  作者: K+
一幕 魔術教官の赴任
5/30

 六の月二十八日が更けていく。

 医療所の屋根裏部屋で、琉志央(るしおう)は寝台にうつ伏せ、掛け布を頭から被っていた。

 こんこんと階下への扉が叩かれ、医事者見習いは開いていた術書を素早く閉じた。左手の光を消す。

 扉は開かず、蒼杜(そうと)の声がした。

「根を詰めない方がいいですよ?」

 琉志央は寝たふりを決め込んだが、精霊の声が降ってきた。

〈戸の隙より光が漏れておった。()が君にはお見通しじゃ、青二才〉

「ちくしょ――」

 掛け布から頭を出し、琉志央は本を枕元に放る。「誰が根なんか詰めるか、もう寝るっ」

「良い夢を」

 笑みを含んだ台詞の後、精霊の気配も遠ざかる。琉志央は下唇を噛んで寝返りを打った。

 早まった気がしている。

『半年かけて実演してくれればいい』

栩麗琇那(くりしゅうな)の奴、簡単そうに言いやがって――)

 あの時は楽勝だと思った。単に、見せるだけなら。

 去年、琴巳(ことみ)達が帰ってから、懐かしいです、と蒼杜が微笑んだ。

『ヴィンラ半島の原っぱで、わたしも練習したものです』

 それを聞いて、自分が覚えた過程を思い出した時、琉志央は安請け合いした己の浅はかさに気がついた。

『こんなモノぐらい身体で覚えられよう』

 七歳の琉志央を拾った魔術師は、ニヤニヤしながら言い放ったものだ。あの爺に何度、攻撃魔術の標的にされたか。無意識に結界を張ってしまうと破壊され、当時は覚えこなせない術でいたぶられた。

 琉志央は自己の身を守る為に、死に物狂いで魔術を吸収した。

 同じやり方を、(つばめ)にするわけにはいかない。やりたくない。

(エンはお坊ちゃんだしな)

 言い訳のような思いが胸中に浮かぶ。

 あどけない顔で寄ってくる燕が、琉志央は満更でもなかった。

 だからこそ余計に、しまった、と思う。

 あんな幼子に魔術を覚えさせるなんて、できるのか、皆目自信が無い。しかも相手は燕だけじゃない。他に十五人も居るらしい。

 蒼杜は、琉志央の不安をすぐ察した。

『失敗しても繰り返さないようにすればいいんです。取り敢えずは、自分ならこう教わりたいという方法で、やってみるといいです』

 それは、医事者として患者に接する際にも役立つ姿勢だと蒼杜は言った。

 今朝早く、確定だと栩麗琇那が伝えに来た。期待した琴巳は居なくて、皇太后かと思うような、イズミと言う女が一緒だった。

 老の一人だと自称した女の自己紹介は、ルウの民であることを鼻に掛けているようで、とっつきにくかった。が、思いのほか丁寧に頼んできた。日当を別に出すので、数名、成人した者にも、基礎からひと通りの魔術を伝授してくれないかと。

 琉志央は確かめていないが、多分、殆ど全ての魔術を会得している。子供に初級魔術だけしか披露できないと思われるのも心外だし、こうなっては一人増えようが二人増えようが同じだった。

 だから承諾したが、琉志央は訝しんだ。

『お前ら、おかしくないか。俺に頼むほど、すかすかなのか』

 イズミは顔を紅潮させて微かに震えた。どうも怒ってしまったようだ。栩麗琇那は変わらず無表情で、小憎らしいほど平然としていた。

『この異常事態には、ズーク・エストから医事者見習いに転職するような、破天荒な人材が必要だっただけだ』

 ズ――と言ったきりイズミは絶句した。琉志央が元魔術師だと知らなかったらしい。しれっと、後で御説明します、などと栩麗琇那がのたまっていた。

 メイフェス島に行ったら、経歴は口にしない方が良さそうだ。もとより、大陸でも言わなくなっていたが。

 イズミは琉志央にすっかり反感を抱いたようだが、きっちり礼は示して帰って行った。老とやらを務めているだけのことは、あるのだろう。この際、彼女には我慢してもらって、好きに振る舞わせてもらおう。

 七の月から半年間、メイフェス・コート暮らしだ。

 首都の宮殿近くに、一軒家を用意しておくと栩麗琇那は言っていた。

 元々、身の周りは、十三歳から一人暮らしをしていたので何とかなる。

 食事は、朝食と夕食は、リィリ共和国の医療所で普段通りに。昼食は宮殿で、琴巳達と。

 家族に混じって、理想の食卓を毎日囲める。

 琉志央は仰向けになると、鼻で一つ息をついた。気分が、開き直ってきた。

 なるようになれ。

 魔術だけは、自信があるのだから。

 胸中に言い聞かせ、目を閉じた。


   ◇  ◇  ◇


 六の月三十日の午後七時、佳弥(かや)野茨(のいばら)と集会場に入った。

 入口で、受付の者に耶光(やこう)の招待状を見せる。野茨も、真砂(まさご)からの物を見せた。

 婚の儀は七時半から。

 都で婚儀が行われるのは久しぶりだそうだ。このところ、年末年始に大陸で行う者達が圧倒的らしいので。

 佳弥の同窓生の中には既に結婚した者が居るが、いずこで挙式したのか知らない。所謂、良家の人で、学舎で六年も机を並べていたものの、付き合いが無かった。結婚したことも人づてに知っただけだ。

 耶光は誉れ高き老(おさ)の三男だけれど、身分を前面に出そうとしないので、良家の子息だと佳弥は忘れがちだった。

 それでも集会場に入ると、集まった人の多さと顔触れで、佳弥は上司の家柄を思い出させられた。

 奥に六老が勢揃いしている。一昨日からやっと見なくて済むようになっていた、寄合所の若長(わかおさ)も居た。薬処(くすりどころ)の上役も当然のように全員集まっているし、図書館の面々も大勢。他にも各所の管理職として、佳弥でさえ名と顔を知っている人々がぞろぞろ居る。

 野茨と後方の隅の席に座ってから、佳弥は(てい)を捜した。どうやら、まだのようだ。

「き、緊張する」

 両手を握り締めて、佳弥は身をすぼめる。野茨が笑った。

「安心しなさい、貴女の方は見ないから」

「わっ、解ってるもん」

 それでも必死に身なりを整えてしまう。

 奥には控えの間が二つあり、耶光と真砂がそれぞれに居るのだろう。後方にも厨房や部屋があり、そこから出て来た二人の女性が、青い敷物を携えて奥へと向かった。新郎新婦が誓いの言霊を交わす場所の、設置が始まる。

 高い天井から、微かに、ぱたぱたと音がした。

「あー、降ってきちゃったか」

 野茨が窓から暗い外を見る。例年、雨季はひと月ほどだ。今年は少し早めに始まり、もうすぐ終わると思われるが、今日は朝から雲行きが悪かった。

「嫌ね、帝が濡れてしまわれるわ」

 佳弥は薄く紅を引いてきた口をつぼめる。

「水滴れば、益々いい男になるじゃない」

 同じく今日は唇の朱が鮮やかな野茨は、目をとろんとさせた。

 七時二十五分になり、立ち話をしていた客達も席に着き始める。佳弥はそわそわと、奥の控え室と集会場の入口とに目を往復させていた。

 親族が集まって座っているらしい場所から、老長がすっと立った。年齢を感じさせない足取りで、つかつかと入口へ向かう。

 場の空気が変わったのが判った。前方から次々に列席者が席を立つ。佳弥と野茨も慌てて倣った。

「間に合ったかな」

 低く美しい音がした。入って来た長身の美青年を、佳弥は瞬きを忘れて見つめた。老長が両手を掲げ、恭しく一礼する。

「このような天候の中、恐悦至極に存じます」

「ウル・ラ・カーが新郎新婦に恵みをくださっていますね」

 帝の返答に、佳弥は呟いた。

「鼻血出そう」

「早めに鼻を押さえといた方がいいわよ」

 野茨が助言する間に、帝は手にしていた二つの包みを長に向けた。

「お祝いを。わたしと妃からです」

 妃と言われたのは自分ではないのに、佳弥はくらくらした。頭に血が上ってきている。

「気絶しそう」

「……可憐に倒れる練習してきた?」

「しておくんだった……っ」

 佳弥が本気で応えた時、帝の背後から駆け込んで来た者が居た。丁度、りーん、と半を告げる鈴の音が、集会場に響き渡る。

 帝はさり気なく後から来た者へ道を開ける。受付が慌てたように、その青年から招待状を確認していた。先輩、と野茨が小さく洩らす。佳弥は青年を見返して、やっと気づいた。駆け込んで来たのはヌサギだ。

(あ、あんなに帝の近くに……わたしも遅刻寸前で駆け込むんだった……っ)

 老長が、どうぞこちらへ、と帝を促す。濡れた髪を撫で上げていたヌサギは、ようやく、間近に居る人物が誰か判ったようだった。

「あっ――うあ、ごっ、御無礼を――」

 おたおたと跪きかかるヌサギを手で制して、帝は美声を紡いだ。

「お互い、間に合って良かった」

 佳弥は内心で黄色い悲鳴をあげる。姿だけ見て憧れていたが、声といい、台詞といい、益々惚れ込んでしまう。

 佳弥がぽうっと帝を眺めているうちに、婚の儀が始まった。和泉(いずみ)老と共に、耶光と真砂が藍色の敷物の上に立つ。

 雨音の祝福の中、誓いの言葉が交わされた。

 儀は短く、宴は長い。慣習では、天からウル・ラ・カーの色が消えるまで。

 宴の準備が始まり、早速、耶光と真砂が恐縮した様子で帝に対している。毎月一日より近い位置から見る青年皇帝の横顔は、六年前と変わらず整っていた。

 祝詞を告げられたのか、耶光が深々と頭を下げ、真砂が片膝を折りつつ身を低くする。傍に控える老長は、先程賜った贈り物を大事そうに両手で持っている。

 帝は次いで、長夫妻と真砂の両親にも何か言葉をかけた。真砂の父母は拝跪せずに立ったままでいることが恐れ多いのか、縮められるだけ身を縮めているようだった。

 主役とその両親に挨拶が済むと、帝は老長に今一度声をかけて入口へ向かった。気づいた者達が礼を施すと、片手を上げて応じ、そのまま静かに集会場を出て行く。

 ひたすら目で追っていた佳弥は、感動の溜め息を洩らした。

(素敵過ぎる……!)

 両手を胸元に当てて舞い上がる佳弥に、野茨が言った。

「宴、いつまで居させてもらう?」

 佳弥は我に返って友を見た。いつから居たのか、野茨の隣にはヌサギが居る。遅刻寸前で飛び込んで来たから、末席のこの場所に滑り込むしかなかったか。

「九時半辺りまでかなぁ」

 朝まで飲んで食べて祝うのは、新郎新婦の親戚や、余程親しい友人達だろう。職場の後輩ごときが、居座って無銭飲食に耽るわけにはいくまい。

「このお歴々の中だと、その刻限まででも落ち着かないわねぇ」

 野茨は肩をすくめる。だねぇ、とヌサギが生乾きに見える頭に手をやった。あまり年上らしからぬ風情の人だ。

 椅子と長い卓が幾つも出され、皆それぞれ席に着いた。一人一人の前に、湯気の上る料理の皿が並べられていく。硝子杯に酒も注がれていく。

 茶器用の小皿に、花の形の焼き菓子が一つ乗せられた。色砂糖で絵付けまでされている。

(可愛い――婚の儀となると、色々と手が込んでるなぁ)

 口をほころばせる佳弥の目の端に、老長が杯を手に立ち上がるのが映った。一同も杯を掲げる。

「この日に祝杯を」

 全員、近くの者と杯の縁を合わせる。

 硝子の触れ合う音が満ち、談笑と共に食事が始まる寸前、老長が告げた。

「こちらの小皿の一品は、先程、琴巳様より賜った品。とく、御賞味あれ」

 佳弥は息を呑んだ。

 野茨が喜々として言う。

「もしかして、お手製?」

 ヌサギが、多分ね、と応じる。

「皇妃は料理がお好きらしい。だから、帝は後宮に、調理人も入れておられないそうだよ」

「わぁお。誰かに見せびらかしたい。持って帰ろうかな」

 はしゃぐ野茨の横で、佳弥はしおしおと息をつく。

 料理は苦手だ。母が得意な分、任せきりだった。

 目の前の焼き菓子が、ひしひしと差を突き付けてくる。その愛らしく丁寧な出来栄えから、皇妃の人柄も垣間見える。

 ルウ三大家当主の伴侶は、(あるじ)を支え、後継ぎを()し、育むのが役割だ。皇領及びメイフェス統治における、皇族としての公務は無い。

 皇妃はただ後宮で遊んで暮らす人という、見下すような意識が佳弥にはあった。

 実際には、皇妃は毎日、帝と皇子(みこ)にまめまめしく食事を作っていたのか。

 失恋があまりにも早過ぎて、佳弥は実感していなかったのかもしれない。

 初めて、青い己と、叶わない恋に心が痛んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ