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二人は見習い  作者: K+
一幕 魔術教官の赴任
4/30

 五の月、驟雨が過ぎた薬草園の端で、名を呼ばれた。

 振り返ると、上司の耶光(やこう)だ。巷の人々は老(おさ)の三男という当人の努力でも何でもない点が重要らしいが、佳弥(かや)は違う。上司というだけでなく、耶光は薬学の師だ。

「先輩、お帰りですか」

 草を避けながら佳弥が駆け寄って一礼すると、うん、と耶光は微笑んだ。

「定時過ぎてるからね、佳弥もほどほどに切り上げて帰りなさい。今日は招集がかかっているしね」

「ちょっと必要な物を摘んでいました。もう済みましたので、仰る通りに」

 佳弥が応じると、雨があがった隙だね、と言いながら、耶光は懐から封書を取り出した。

「今朝渡そうと思っていたのに、忘れていた。良かったら、佳弥も来ておくれ」

 夕闇の中だったが、青い色水で〝招待状〟と書かれているのが判り、佳弥は歓喜した。青は、水と愛を司る女神、ウル・ラ・カーの色。

「よ、宜しいんですか」

「勿論」

 耶光は照れ臭そうに己が頬をさすった。彼は二十六歳で、近く、同い年の元同窓生と結婚するのだ。「父がね、(てい)に御報告したらしくて。そうしたら、顔を出してくださるそうなんだ」

「えっ――!」

 速まっていた鼓動が更に速度を上げた。耶光は眦を下げて、言を継いだ。

「佳弥、帝に憧れてるんだよね」

「えっ――え、あの、あの――」

(何で先輩に知れてるのーっ!?)

 佳弥は思わず薬草の入った小駕籠で顔を覆う。耶光が笑った。

「是非、おいで。間近でお会いできるかもしれないよ。斯く言う僕も、初めてお会いできる。まさか、こんなことになるなんてね。今から緊張してるよ」

 じゃあね、と耶光は薬草園を出ていく。見送る佳弥の頭の中では、大勢の小さな佳弥が、わーわー言いながら右往左往していた。



 コートリ・プノスの南方に在る若年層の寄合所は、若者で賑わっていた。十五歳から三十五歳までが集まる場だ。今年二十一になる佳弥も、まだまだこちらで世話になる。

 寄合所には、今年に入ってから月に何度も招集がかかっている。普段は多くても十数人がたむろする程度だが、招集がかかるともっと集まる。この度の一連の招集では軽食が無料提供されていて、食事目当てで来る者も少なからずいた。

野茨(のいばら)――っ」

 皿や湯呑が置かれた隅の小卓に友を見つけ、佳弥は詰め寄った。「貴女でしょ、わたしが帝に憧れてること、先輩にバらしたのはっ」

「んあ?」

 今日の賄いは握り飯らしい。手にしていた一つをぺろりと胃袋に送り込んだ野茨は、指先をちょっと舐めつつ半眼を閉じた。「バらすも何も、佳弥、毎月一日になるとそわそわしてるじゃないの。のんびり耶光様だって、貴女が老(がた)に秋波を送ろうと通りへふらふら出ていくとは思わないでしょ」

 佳弥は顔が熱くなった。

「しゅ、秋波なんて送ってませんっ」

 はいはい、と野茨はあしらう。

「図書館からは良く見えるのよ、貴女が陣舎へ向かう帝と老を眺めているのが。だから、真砂(まさご)先輩も御存知よ?」

 真砂は耶光の婚約者で、図書館で勤める野茨の上司だ。佳弥は頬を両手で覆った。

「嫌ーっ、わたし、不審者みたいじゃないっ」

「貴女とは長い付き合いだから違うと言ってあげたいけど、なかなかどうして……」

「……違うと言ってよ……」

 佳弥は野茨の向かいの椅子に座り込む。

「いい加減、いい人見つけたら?」

 小指を立てて湯呑を手にすると、野茨は一口飲んだ。中身は茶だろうに、とろんとした目つきになる。「まぁ、素敵だけどねぇ、帝」

「あそこまで造形神(イー・ウー)の御加護を受けてらっしゃる方は他に居ないわ」

 佳弥は、うっとりと宙の一点を見る。

「でも近くでお見かけしたのって、一度きりよね」

「そう。今でもしっかり思い出せる」

「ソレハソレハ」

 間近で見ることが叶ったのは婚の儀の折だけだ。

 あの夜に佳弥は一目惚れしてしまったが、野茨は数年後にこの寄合所で恋人を得た辺り、佳弥ほど帝にときめかなかったようだ。

 帝は婚の儀に向かっていたわけで、佳弥は恋に落ちたのと失恋したのが同時である。しかし解っているからこそ、遠くから眺め、安心して自分だけの恋をしていられる面があった。

 そんな状態で歳を重ねる友が心配になったのか、野茨はたまに、男性を紹介してくる。

「そうそう、ウチの職場のヌサギ先輩がね、佳弥のコト可愛いねって言ってたわよ」

「えっ」

 可愛いとは、最近の首都の女性への一番の褒め言葉だ。佳弥も、帝の好みがそれと知っているので、可愛くなろうと努力している真っ最中である。「ど、どの辺が?」

「……物陰から帝を見ているところ?」

「何よ、それ」

 佳弥はむくれて、友の皿に残っていた握り飯を取った。「不審者が可愛く見えるって、どうなの。変な人ね」

「まぁ、あばたもえくぼ?」

「わけ解らない」

 パクパクと佳弥は握り飯を食べ始める。野茨は、にやけながら、ほんの少し声をひそめた。

「でもぅ、将来有望かもよ? 今年、二十三歳。宮勤め志望で、一昨年くらいから、勤務時間外は技能学舎で書庫関連の勉強してる」

「ふぅん」

 宮勤め志望という点に、佳弥は興味を引かれた。メイフェス島の要であるラル宮殿の執務宮には、優秀な一握りの者だけしか入れない。佳弥には、帝の(そば)で働けるという認識が先立つが。

「公募があったら応募するんだって。向上心のある人でしょ?」

「うにゅ」

 口を動かしながら佳弥は頷き、野茨の茶を横取りして飲んだ。「魔術をやる気は無いの?」

「物静かーな、本好きの人だもの」

「別にそういう人でも、やろうと思えばできるでしょ」

 言ってから、佳弥は反省した。「あ、わたしにも言えることか」

 野茨は、佳弥の反省の言に理解を示してくれた。

「そもそも目標があって、勤務時間外に勉強してるような人には無理よね」

 今年に入ってすぐ、広場の公示板に帝印の捺された、衝撃的な告知が掲示された。

【只今、大陸の医術師である蒼杜(そうと)・ハイ・エストに優秀な弟子有り。本年六の月四週末まで適任者が出ない場合、彼を五歳担当としてメイフェス・コートに招く。】

 去年の春過ぎから公募されていた五歳担当に、全く応募が無かったらしい。とうとう帝は、いかにも彼らしい、因習に拘らない手段に出たのだ。

 この告知で、佳弥が漠然と不安に感じていた事実が明るみになった。

 今、ラル領だけに止まらず、ルウの民は術力があっても使いこなせる者が限られてきている。術力があっても使えないのでは、皇領統治にも障りが出て来るだろう。後進に皇領を委ねていけるかも危うい。いずれ、大陸の守護者を名乗れなくなりかねない。

 こうなると、殊に若年層の責任は重大だった。魔術会得の体力と吸収力が、最もあるのは若者だ。若者にやる気が無ければ、後が続かない。

 今年、コートリ・プノスの人々が何気なく交わす話の俎上には、魔術が乗りがちだった。



 パンパンと奥で演台を叩く音がした。ざわついていた室内が静まる。

 寄合所の若長(わかおさ)が、不機嫌そうに演壇に上がっていた。今年、招集がある度に恒例となっていることが始まる。金切り声が発せられた。

「誰か、一族の威信を懸け、未来を担う子等に魔術を授けようと思う者は居ないのか!」

 もはや五の月四週に入った。年初めに比べ、寄合所に集まる人数は減っている。

 年の初め、一人、成人したての少年が幸先良く名乗り出た。以降、進み出る者は無い。

 少年が老の審査を受けたところ、魔術の基礎があやふやで、とても子供に教えられる水準ではないと判断されたからだ。瞬く間にそのことは広まり、他の者――とりわけ年長者は己の未熟が定かとなるのを恐れて貝になってしまった。佳弥の世代も似たり寄ったりだ。

 若長の、男性にしては甲高い声が響いた。

「未熟を理由に足踏みしている者、今からでも遅くはない! 和泉(いずみ)老がお時間を割き、御指導くださる! 本年の魔術教官には、給金上乗せも約束されているぞ、どうだ!」

 誰も、何も言わない。水をうった静けさだ。

 最初にただ一人名乗り出た少年は、日中働いた後、夜に和泉老から魔術を教わっているという噂だ。老も忙しいので、教える者も教わる者も時間があまり無い。故に、いつになったら魔術教官になれるか、霧の中らしい。

 又、六歳課程以降の魔術教官も、恥を忍んで少年と一緒に和泉老から基礎を学び直しているそうだ。彼等が基礎を学んで五歳課程の教官へ異動してくれるのが早道だろうが、現状では、それによって出た六歳課程以降の欠員を埋められない可能性がある。

 この調子では、大陸の守護者ともあろうルウの民が、被守護者に幼子の指導を任せることになろう。

 去年の公募が出た時点で、何かしら対策を取っていれば違ったかもしれない。若長はコートリ・プノスを担う一翼である筈だったが、今年の告知が来るまで動いていなかった。

 その事実を棚に上げ、このままでは情けない若年層の所為でルウの民の面目が潰れると、若長は思っているらしい。それが我慢ならないようで招集をかけてはこの有様だが、彼のずれた矜持を満足させる為に自己の恥を晒そうという物好きは居ない。大体、若長の檄に応じては、〝未熟者のくせに給料は欲しい奴〟と見られそうだ。

 静けさに耐えられなくなったか、若長が言い放った。

「ええい、もう解散っ!」

 不甲斐無いっ、と吐き捨てながら若長が壇上を降り、苛立たしげに寄合所を出ていく。佳弥と野茨は呆れた目を見交わした。

 室内に、次第にざわめきが戻ってくる。当初は自分達の体たらくを恥入っていたものの、若長の癇癪も恒例となり、皆、慣れてしまっていた。集まっていた面々は散会し始める。

 佳弥も席を立ちながら、素朴な疑問を口にした。

「寄合所の(おさ)って、どうやってなるんだろ」

「さぁね。投票でないのは確かでしょ」

 野茨は新たに茶を少し、湯呑に注いだ。佳弥はその場に立ったまま、卓に寄りかかる。

「でも老の任命とも思えないわ」

「老の前では、へこへこして勝ち取ったんじゃない?」

 野茨は座ったまま、両手を肩の辺りで開く。「日中は何をしてるんだかねぇ。わたし達の取り纏め役の筈だけど」

「お給金、幾らだろう。賄い提供するほどだから、良さそう」

「だから老の前で、へこへこし甲斐もあったわけでしょ」

 繰り返した野茨の頭に、通り過ぎる青年の一人が手を乗せた。

「度胸だね」

 軽くのけ反って背後を見上げ、あ、と野茨は言った。

「先輩」

「明日は蔵書整理があるから早いだろ。もう帰ったら」

 はーい、と野茨は茶を残して席を立つ。佳弥は、あれ、と瞬いた。友は彼氏を待つのかと思っていたのだ。

 野茨は、そうそう、とこちらを見た。

「佳弥、こちら、ヌサギ先輩」

「あ――」

 佳弥はどぎまぎしながら頭を下げる。「はじめまして」

 はじめまして、とヌサギは頭に手をやりつつ応じた。本ばかり読んでいる所為か、背筋を伸ばせばきりっとしそうな容姿なのに、何処となく野暮ったい。

 三人で寄合所を出ると、それじゃ、とヌサギは軽く片手を上げて南西通りへと立ち去った。佳弥と野茨は集会場前の通りへ足を向ける。

 結構かっこいいでしょ、と野茨が即に同意しがたいことを言った。

「宮勤めを目指してるくらいだから、ひょっとしたら魔術もそこそこできるかもね」

「……わたし、もう今年の五歳担当は帝が呼ぼうとしている者でいいと思ってるのよ」

 佳弥は持論を出した。

 例えこれから名乗りをあげる者が居たとしても、期待できそうにない。きっと、間に合わせで技能を身につけて教鞭を執るだろう。そんな者に教わる子供達は気の毒だ。佳弥のように魔術を忌避したり、低い技能水準で成人してしまうに違いない。それでは帝の啓発が無駄になる。

 なるほど、と野茨は歩きながら胸の前で両腕を組む。

「もはや若長が必死になるべきは、今後に向けて、優秀な魔術教官を、一族内で育成すること?」

「そうそう、野茨、いいこと言う」

「先輩の受け売りよ」

「さっきの――ヌサギさん?」

「そそ」

「意外といいこと言うわね」

 うん、と野茨は夜空を見上げる。今宵は薄曇りだ。

 佳弥は星を探しながら、小首を傾げた。

「そういえば、今日はわたしと帰っちゃって良かったの?」

「んー、佳弥が先輩に気が無いなら乗り換えようかと……」

「ほへ!?」

 佳弥は夜空から友へ目を戻した。「箔瑪(はくめ)さんと喧嘩でもしたの?」

 自宅への路地に来てしまったが、佳弥は立ち止まる。野茨の家はもう少し先だ。

「喧嘩はしてないけど……魔術教官やってみたらって勧めたら、鼻で嗤われた」

 野茨は両手を肩の辺りで開く。「ちょっと幻滅でしょ」

 佳弥は咄嗟に何も言えない。箔瑪は彫りの深い美青年で、年上としても警備役としても、いつも堂々としていた。けれど、粋がっていただけだったのか。

 野茨は、溜め息混じりに続けた。

「去年もくじで決めたりして、警備役って五歳担当の代理をしてたじゃない。箔瑪は前から、俺はこんな所で終わらないって言ってたから、わたしはいい機会だと思ったんだけど」

 都の守りを担っている者が、老の審査によって、実は魔術の基礎がなっていないなどと判明したら立つ瀬が無い。箔瑪は自信が無かったということか。

 佳弥は、笑みを作った。

「野茨、わたしはまだまだ、帝を遠くからお見かけするだけで満足だから」

 夜の闇の中で、友は軽く口を曲げたようだ。

「じゃあ、わたしは、そんな貴女を遠くから見ている先輩を、少し離れた所から眺めてみようかな」

「何よ、それ」

「佳弥みたいな恋も、いいかもなと思ったの」

 野茨は笑声をこぼすと、家へ帰って行った。

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