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コートリ・プノスの中心、噴水広場は主要な大通りの交差地点だ。
四つ角の内、二箇所には公示板がある。
主に皇領やメイフェス島での出来事が掲示されるが、佳弥はあまり興味が無い。だからと言って見ないでは済まされないと、就職する頃には気づかされ、たまに意識して読むようにはなった。
昼休憩時間になって、佳弥は家へ帰る道すがら寄ってみる。
四、五人が硝子張りの板を見ていた。こちらに掲示されるのは、主内容がメイフェス島内のものだ。
真っ先に目を引かれたのは紅色の帝印だった。周りのやや薄い朱印や黒印が捺された物とは違う公示だ。内容は、魔術教官の公募。
二、三度読み返し、佳弥は息をつく。
初級学舎の五歳担当は、魔術教官が務めることになっている。授業は七の月からで、それまでは他教科のある午前中、担当室に居るだけでいい。七の月からの授業も毎日一時間だけだ。実質半年遊んでいられて、年収は佳弥の二倍ほど。
(オイシイけど、魔術ってトコがねぇ……)
佳弥は魔術に怖い印象を持っている。この印象は、佳弥と同年代の人達も同じように持っている筈だった。特に一つ年上の十数人は、まともにある事件に立ち会っている。佳弥より魔術に関わりたくないだろう。
佳弥が初級学舎への入学を控えていた前年、五歳課程で、魔術の授業中、怪我人が何人も出た事件があった。
詳細は知らない。ただ、たまたま佳弥の自宅の近所に、一つ年上の子が居た。その子が怪我人の一人だった。
大怪我で、あまりに出血が酷く、瞬間移動で大陸の医院へ連れて行くのさえ危険と見なされた。
子の母が、誰か助けて、と半狂乱で泣き叫んでいた。聞こえてきたその声を、佳弥は今でも覚えている。
幸い、並外れたルウの民の体力と、薬師が施した薬で、死者は出なかった。近所の子の家へも薬師が通い、やがて回復した。
成人した佳弥が薬処への勤務を希望したのは、それがきっかけなのだ。
公募の帝印を見つめて、佳弥は複雑な心境になる。
帝の役に立ちたいけれど、佳弥の魔術技能は褒められたものではない。
事件の翌年、初級学舎に入ってみれば、魔術は怖いものという以外に、危険なものとされていた。覚えたがる子は奇異の目を向けられ、表立って習得に励む者は一人も居なかった。教官も教本を読ませるばかり。極力実技をしないまま、五歳課程は終了した。
結局、十歳課程を終えて卒業するまで、魔術は大して必要無いものとの認識で、必死に覚えたのは九歳課程の教本にあった一核精霊の精製術くらいだ。
(こればっかりは、しょうがない)
佳弥が他の公示に目を移しかけた時、背後から軽く肩を叩かれた。振り返れば、野茨が立っている。
「お昼これから?」
「うん。野茨は?」
「今朝、お弁当作る時間無くて。寄合所に行こうかと思ってたんだけど」
「ウチ来る?」
母は食堂の元料理人で、追加一人分くらいなら、ちゃちゃっと作ってくれる。野茨は知っているから、へらんと眦を下げた。
「うふふ、ありがと」
決まって、二人で歩き出した。
既に公示を見ていたのか、野茨が言い出す。
「帝も大変ね。皇子がわたし達程度にしか魔術が使えない状態で成人しちゃうのは、流石に拙いもんねぇ」
「そういえば、皇子、もうすぐ御入学なのね」
「ここで適当にしちゃうと、皇妃を強引にメイフェスに連れ込んだのも台無しだし」
邪悪な異界人と評されていた妃がメイフェス島に渋々受け入れられたのは、産んだ皇子に帝と匹敵する術力が認められたからだ。
帝は一族以外を島に入れたことを発端に、幾つか因習を改めようとしている。結果、若者を中心に意識は変わりつつあった。
この状況下で、後継ぎやそれを支える人材を、使い物にならない一介のルウの民にするわけにはいくまい。
「誰か、教官のなり手が居るといいけど」
佳弥が呟くように言うと、野茨は唸るように応じた。
「難しそうよねぇ。又、警備役に教官代理の依頼が来てるそうよ」
「何それ」
「箔瑪から聞いたの」
野茨は彼氏の名を口にした。三歳年上の首都警備役だ。「役の都合上、幾らか魔術の心得がある人達ばかりだからね。で、くじ引きで決めるんだって」
「まさか、わたし達の五歳担当もくじで決まった人だったとか?」
「んー、わたし達の時は判らないけど、ここ数年はそうみたいよ」
佳弥は考え込んでしまう。
大陸の守護者などと大仰な異名を与えられているルウの民だけれど、それは強大な術力と多彩な魔術でもって、始祖が大陸の国々に皇領の成立を納得させたからこそだ。
術力だけあって使いこなせない自分達。子供に魔術を教えることを押しつけ合う大人達。皆これでは、誉れ高き異名を名乗れそうにない。
晴れ渡る空とは裏腹に、佳弥の胸には漠然とした不安が湧いていた。
※ ※ ※
午後の定時前に、事務役が追加調書を携えて執務室を訪れた。
受け取った栩麗琇那は彼を椅子で待たせ、文書に目を走らせる。ささやかに嘆息した。
先日届けられた調書によると、十五年前、魔術教官にしては温厚な好々爺が勇退。後任は若い女性担当。事件は七月初日に起こった。
幼い子供達は、大体、術力の加減が儘ならない。そんな彼等に、教官は術力調節の指示を怠ってしまった。
子供達は、暴走した術力を乱射。魔術の授業に怪我人は付き物だったが、その時は数名の怪我が酷く大騒ぎになった。
メイフェス島で大怪我をしてしまうのは危険だ。ルウの民は、結界を視認できる代わりに命帯を見る能力が無く、誰一人として癒し術を使えない。
当時、重傷者が出たのに、大陸から医事者を呼ぼうとは誰も思わなかったようだ。恐ろしい排他性である。死者が出なかったのは不幸中の幸いと言えよう。
若い魔術教官はその件で引責辞任。こうして、万が一の事故を恐れ、五歳担当に就きたがる者は減少の一途を辿った。子供達の魔術技能も、基礎となる五歳課程がおざなりのままで、低下し続けている。
ラル家に皇子が生まれた翌年、それまで何とか勤めていた者が指導力不足を口実に退任。後は、老に命じられた者が、嫌々担当に就いては辞める有様。
そして現在、又しても五歳担当は空席となっている。今年は引き受けてくれる者が居るかもしれないが、来年はどうしたものか。
そこで今し方受け取った追加の調べ物を頼んだ――十五年前に辞任した魔術教官の復職は可能かどうか。
どうも無理らしい。
【元教官は只今、大陸の皇領月区国境で警備長を担当。勤務態度は至極真面目。熱意を持って職務に励んでいる。】
大陸駐在としても、本来はラル家直轄のアル地区が任地となるだろうに、大君が直轄している月区に居るということは特例だ。
十五年前の件が理由とすれば、復職を促すのは酷だろう。大陸勤務は誉れだがリスクが高く、好んで就く者は多くない。そんな職場で活き活きと働いているなら、尚更、呼び戻せない。
「さて、困ったな……公募の反応はどう見る?」
「捗々しくないかと」
「老が命じるまでになっていたとすれば、今後も変わりなさそうだな」
宮勤めに心当たりを探るが、人脈は異界帰りの皇帝より老の方がずっと多い筈だ。それが適任を見いだせないとなると、お手上げである。
「最近の魔術教官は給金泥棒に近いと、典元老が嘆いておられました。サージ領、ティカ領に探りを入れてみましたが、あちらでも魔術軽視と技能低下は進行中のようです」
「無理も無い。瞬間移動と精霊精製、後は眼力と発光が使えれば、日常は事足りるだろうから」
栩麗琇那は応じ、呟くように続けた。「けど惜しいな。ラルでは今ちょうど術力最盛期の働き盛りが、魔術技能に関しては底辺なのか」
新しい教官を探すのが第一だが、どうやらルウ全体の魔術技能向上についても手を打っておく必要がありそうだ。
せめて意識改革だけでも。
◆ ◆ ◆
空気が凍てついている。
村と森の境で息をつくと、微かに白くけぶった。今夜あたり、再び雪になりそうだ。
昼が近づく時刻、琉志央は早足に森へ入った。
ゆるりと辺りを窺ってから手元の指輪が光っていないのを確かめ、医療所近くへ瞬間移動する。この寒さの中、馬鹿正直に歩いて帰宅する気にはなれない。
いつも鍵がかかっていない厚い木造りの扉を引きかけて、澄んだ声が中から聞こえるのに気づいた。勢いづいてそのまま引き開けそうになったが、一、二回叩いてからの方が礼儀正しいわよ、と以前声の主に言われたのを思い出す。
空いた手を拳にすると、ごん、と扉に当て、琉志央は開けた。やはり琴巳が、入ってすぐの広間で、円卓に向いて腰かけていた。こちらを見て、煌めく黒眼を細める。
「おかえり」
「よぅ」
冷えて強張っていた頬が、どうしても少しほころぶ。少しなのは、琴巳の隣に栩麗琇那も居たからだ。
(まぁ、この時間だから、連れてくるのはこいつだろうけどな)
首巻を緩めながら、琉志央は火が踊る暖炉上の時計を見る。もう数分で十二時だ。大陸は昼だが、メイフェス島は半日先行しているそうだから日付が変わる頃だろう。琴巳達の感覚は夜中の訪問に違いない。燕はもう寝ているんだろう。
おかえりなさい、と厨房から蒼杜が出てきた。琉志央は村で受け取った薬代と包みを手渡す。包みに緑眼が物問いたげに落ちたので、説明した。
「南瓜だと言ってた」
「お金の他にいただいたんですか」
「いや、帰りがけに、目の前横切った子供がすっ転んだんだ。派手に手足を擦り剥いたから治してやったら、そいつの家の奴が持ってけと」
そうですか、と蒼杜は嬉しそうに笑む。
実際のところ、南瓜に落ち着くまでには、その子供の姉というのが、しきりに昼食を一緒にと誘ってきた。蒼杜が昼飯の支度をしているに違いない時刻だったから、それを理由に帰ってきたが、こうして琴巳が来ていたのだから断って正解だった。
ではありがたく、と包みを持って厨房に蒼杜が戻り、琉志央は衣掛の前で上着を脱ぐ。
横手から、響きのいい低声が話しかけてきた。
「琉志央、癒し術までできるようになったのか」
栩麗琇那は滅多に自分から口をきかないのだが、どういう風の吹き回しか。
「まぁな」
命帯を見れるということはできる筈です、と蒼杜に言われて練習してみたら、本当にできるようになってしまったのだ。命帯を見るよりは簡単だったが、会得まで一年はかかった。医事者の技能は、他の魔術より数段、難易度が高い気がする。
琴巳が両手に湯呑を包んで、感心したように言った。
「遊んでばっかりかと思ったら、やるじゃない」
「遊んでねぇよ」
笑みを含んで応じ、琉志央は水場へ行く。手を洗って口をすすぎ、広間に戻ると、蒼杜も席に着いていた。客が居るから昼餉は後回しだ。新しく茶を淹れている。
琴巳の斜向かいに琉志央が腰を下ろすと、珍しいことに、再び栩麗琇那が口を開いた。
「琉志央、今日は君に話があって来たんだ」
「だから又、雪になりそうなんだな」
「来年、半年でいいんだが、メイフェス・コートに来ないか」
相槌を無視して持ち出された話に、琉志央はまじまじと表情の無い顔を見る。返答できずにいるうちに、琴巳がえくぼを浮かべて付け足してきた。
「わたし、毎日、お昼御飯とおやつ、作るから」
行く、と即答しそうになったが、なんとか理性が踏み止めた。怪し過ぎる。単なる招待のわけがない。
師に視線を投げると、予め琉志央の帰宅前に聞いていたのか、目元に笑みをたたえたまま見返してきた。
「確定ではないそうなんですが、貴男に魔術教官をしてほしいそうです」
「教官だ?」
ようやく声を出せた。声がやや掠れていて、琉志央は香を楽しむのも忘れて緑茶を飲む。「そういうのは、お前の方が得手だろう。俺、お前から教わって、やっと公用語が書けるようになったばかりじゃないか」
「貴男は、もう立派に書けるようになっています」
にこにこと蒼杜は応じた。「それに、必要があるとすれば古語ですから、大丈夫ですよ」
「……魔術だからか」
古語の読み書きは、公用語より先に覚えていた。普通は逆というか、術力の無い者は、古語など物好きでない限り覚えまい。
そうです、と蒼杜は首肯し、続けた。
「わたしはここで個人開業している以上、半年もメイフェスには行けません。何より、魔術はどう考えても、わたしより貴男に一日の長があります。栩麗琇那の人選はあっていますよ」
すい、と栩麗琇那が長方形の薄い布包みを寄越した。胸中に混乱を残したまま、琉志央は生成りの布を開く。本が出てきた。表紙に〝五歳課程魔術教本〟と公用語で書いてある。
「そこに載っている魔術を、半年かけて実演してくれればいい」
言われて頁をめくれば、基礎魔術に近いものが出ている。
【眼力術――】
寝ていてもできそうだ。目を閉じていたら不可能な術だが。
「真似できそうにない子には、少しコツを伝えてやってくれ」
「見習いさんが先生なんて、きっとエンも喜ぶわ」
夫に次いで言う楽しそうな琴巳を見て、琉志央は頁を繰り、他に載っている魔術に目を走らせる。光弾、結界、発光。どれも造作ない術だ。変な順序で覚えるんだな、という感想がよぎったのは一瞬だけ。
(琴巳と昼飯におやつ……)
大きく気持ちが傾いたところへ、栩麗琇那は他の詳細を語った。島でまだ一応、他の候補を探していること。もし正式に琉志央と決まったら、無理を言って来てもらうのだから、内密に給金を上乗せるつもりだということ。
琉志央は見習いだが貧窮していない。既に一生食うに困らない財がある。だから、栩麗琇那が提示した金額に驚きはしなかった。
ただ、ささやかに興奮はした。
魔術でまともに働いて、金が稼げる。
何故かしらその点に、自分でも不思議なほど高揚した。
費やした過去の十年間が、無駄ではなかったかもしれないと思えたからか。
元魔術師の医事者見習いは、皇帝の依頼に頷いた。