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朝は瞬間移動で担当室に出勤し、教官舎に赴くのが日課だ。〝五歳〟と札のある部屋に大概揃っている教官達と挨拶を交わし、連絡の書紙が入っていないか専用の箱を覗く。
教官舎から担当室へは徒歩で戻る。
五歳教室に入ると、大方の子供達は登校して来ていた。
よぅ、と普段通りに声をかけて螺旋階段に向かうと、教官、と少女が三人ばかり追い駆けて来た。
「あげる」
小さな葉包みを、それぞれから差し出された。
受け取りながら、何? と問えば、お団子、とあどけなく応じてきた。
そういえば、今日からイー・ウー祭だった。
「作ったのか」
半分くらい、と幼子達ははにかんだように言う。やるじゃねぇか、と琉志央は笑んで、ありがとな、と、こまい三つの頭を撫でる。
担当室の椅子に腰かけて包みの一つを開いてみたら、葡萄の香が広がった。薄紫色の団子が三つ出てくる。不格好ながら本物らしい。半ばままごとか何かかと思っていたので、正直、驚いた。
全て包みの中は本物の団子で、青系等に色付けられていた。せっかくなので一つずつ食してみる。くどい甘さの物もあったが、どれも不味くはなかった。残りは師にも分けようと包み直す。
(しかし、ホント、なんで青なんだ)
先日、藍つつじを土産にした折、メイフェス・コートではイー・ウー祭の団子にこれを混ぜるらしいこともついでに話した。
蒼杜は不思議そうな顔をして、何故でしょうね、と言った。
『イー・ウーを象徴する色は白や黄金で、黄色に彩色するなら解りますが。青はウル・ラ・カーです。水か恋愛事に関わる祭事も行っているんでしょうか』
『そういやそうだな……市場は女だらけで、揃って藍つつじを求めてるみたいだった』
『水の女神にあやかるんでしょうか』
『つーか、月を愛でる祭りに、なんで水がしゃしゃり出て来るんだ』
『これだけの情報では何とも』
やんわりと蒼杜は笑んだ。『琴巳か柴希に伺うのが早道のようですね』
琉志央にとっては夕食の席でのことだったから、日が変わってころりと忘れていた。
(今日こそ訊いてみるか)
やがて四科が終了し、螺旋階段を降りて行くと、いつものように燕と星花が来る。
美少女は相変わらず琉志央が居ると殆ど喋らない子供だったが、本日は紙にくるんだ包みを向け、珍しく話しかけてきた。
「わたしもお団子、作ってきたの。担当にもあげます」
「お。ありがと」
〝も〟ということは、他にもあげていそうだ。良かったね、と燕が目を細めたから、貰っていそうだな、と思う。
門の所で星花と別れてから、並木の下でなくとも凌ぎ易くなってきた通りを燕と歩く。
季節の変わり目にも頓着無く、皇子は元気に帰路を行く。後十日程で六歳となる少年は、多少背が伸びたかもしれない。
小さな包みを四つ抱え、琉志央は焦げ茶色のつむじを見た。
「星花のくれた団子も青いのかな」
燕はきょとんとしたような顔で見上げてきた。
「リィリのお団子は、違う色なの?」
白だ、と返せば、へぇー、と燕は言う。「母上、いつも藍つつじを使って、空色のお団子を作ってくれるよ」
「そうみたいだよな」
宮殿の正門に着けば、こちらが説明する前から、団子ですか、と門番の若者が包みに目を向けて言う。目つきといい口調といい、何か含むモノを感じた。
そう、と応じる間に、燕も鞄から同じ紙包みを出した。
「僕も教室で貰いました」
「あぁ――いいですねぇ」
微笑した門番は、微妙に態度を軟化させた。宮殿内の門番はといえば、にやりとする。
後宮の食堂に入ると、琴巳が目を丸めた。
「琉志央、そんなに誰から貰ったの」
「教室の子供達から」
軽く口をすぼめて言うと、あぁー、と琴巳は微笑ましそうな顔になった。
「ふふっ、モテモテね」
(何だそりゃ)
僕も星花に貰ったの、と燕が包みを見せると、琴巳ははしゃいだ。
「わ、良かったわね、エン。母様もおやつまでに作るから、貰ってね」
うん、と白い歯をこぼす燕に、無表情がぼそりと、食べ過ぎるなよ、と忠告する。何処となく声音が拗ねている。
食卓には、みねすとろーねと言う赤い煮込み、パン、茹で玉子と生野菜の和え物、珈琲が並んでいた。
みねすとろーねは収穫を祝う日に相応しく、具沢山で、なかなか美味かった。
二杯目のおかわりを受け取りつつ、琉志央は気になっていたことを質問してみた。
「なぁ、メイフェスって、なんでイー・ウー祭の団子が青いの」
琴巳が、漆黒の双眸をやけにきらきらさせた。
「あ、それね、素敵なのよ。五年前だったかしら、サージ領の女の子がね、ラル領のかっこいい人に一目惚れしてね、イー・ウー祭の時に、わたしを見てーって藍つつじの実をお団子に混ぜて作って、贈ったの。それがきっかけでね、二人は結婚したんですって。だからね、青いお団子は恋が実るの。藍色は恋の神様の色だからぴったりだし、も、とってもろまんちっくよね」
一気に説明されて、最後は恐らく異界語で、琉志央は木匙を手に半ば呆気にとられる。
「サージ家の色は群青だから、それを主張する為だったらしいんだが……とにかく、偶然の一成功例が女性の間に広まってしまった。今のところメイフェス全土には広がらずに、コートリ・プノスで流行っている程度だ」
栩麗琇那が半眼を閉じて纏めた後、珈琲を飲んだ。陶器を置いてから、こちらに目を流して微かに口角を上げる。「もし妙齢の独身女性から貰うとしたら、返事を用意しておいた方がいい」
藍つつじに群がっていた女達に得心し、琉志央は肩をすくめた。
「そういう意味でくれそうな奴、居ない」
脳裏にちらつく存在は居たが。
やにわに、その名を琴巳が投げつけてきた。
「佳弥さんとは、あれからどうなの」
「あ、あれから――?」
仄かに朱に染まった乳白色の裸体を思い出してしまい、動揺した。
「結局、命帯、見せてもらわなかったの?」
「ぅあ? あー、それは、まぁ、少しだけ……」
勝手に勘違いした己にうろたえ、みねすとろーねに匙を突っ込んで食事を再開すれば、琴巳は斜向かいで眼をくりっとさせた。
「貰えるといいわね」
「……もう会ってないし」
応えた後は、食べることに集中した。
昼食を終え、琉志央は宮殿を出た。
無闇に食べ過ぎた気がする。
もたれる胸元をさすりつつ、階段を降りる。
あの市場で、佳弥も、団子を作る為に藍つつじを買っただろう。誰かに贈るつもりで。
もやもやする。
段を降り切り、髪をかき上げて通りを家へ向かう。少し行った所で、並木の陰から女の声に呼び止められた。
若い女が、両手に持った藍染めの布包みを、これ、と向けてきた。
よもや、流行りの団子か。くれる女が居るとは思ってもみなかった。面識も無かったのに。
ちょっと嬉しかった。琉志央は流れのまま受け取るように手を出しかけたが、どうしてか台詞が蘇ってきた。
『他の女の子、見てほしく、ないの』
焦って女から目を逸らした。手を引く。
(いや、けどもう、あいつから貰えるとは、思えないし……)
だのに、足掻いてしまった。
「その……悪い。これ以上は、食べ切れない」
「わたし、お料理には自信あります。これ、きっと、その中のどれより美味しいです」
「そうかもしれないが――これは、せっかく、子供達が作ってくれた物だし」
作ってくれたのはこの女も同じだが、そう言うしかなく。悪いな、と繰り返して足早に場を離れた。
(何やってんだ、俺。今の結構いい女だったぞ)
しかしながら、団子如きで結婚を迫られても困る。貰わなくて正解の筈だ。
(大体、ルウの民ってヤツは誇りだ何だと気品を鼻にかけてる割に、団子で恋事を進めようなんて思い切り野暮ったくねぇか)
鼻で息をついて、見えてきた自宅の門前に口を曲げる。別な女が立ち塞がっていた。何か持っている。
(まさか団子じゃないだろうな)
まさかだった。
名前と職場と部署を告げられ、お願いします、と突き出された。これ又、美人。
(こいつを断る男って、馬鹿かもしれん)
そう思ったものの、先程の女を断った手前、同じ台詞を返して門をすり抜け、家に入った。
○ ○ ○
秋分の日の日暮れ、ぼふ、と玄関が音をたて、開いた。
厨房から出て、おかえりなさい、と蒼杜は声をかける。
琉志央が気だるげに片手を上げて見せた。メイフェス島は秋分の過ぎた朝だろうに、景気が悪い。
昨日の彼は、やや不機嫌だった。
『コートリ・プノスでは、イー・ウー祭に、女が青い団子を贈って求婚するのが流行ってるそうだ』
ぶっきらぼうにそう言って、これは教室の子供から、といたいけな団子を置いていった。夕方には、野茨から、とほぼ白に近い薄水色の団子を持ってきた。夜間の生徒に彼女の新しい恋人が居て、先月の治療の礼だと託されたそうだ。
その後は手ぶらだ。
少々意外だ。
あの様子からして、他から贈られていない。昨日はそれで不貞腐れ、今日は落胆といったところか。
琴巳の団子は味わえたようだが、珍しく、どうやらそれだけでは不満らしい。
魚のほぐし身の混ぜ御飯を、蒼杜は茶碗に盛り付ける。卓にまだ並べていなかった吸物や煮物の器を琉志央が一瞥すると、一斉に宙に浮いた。術力で移動させてくれる。
どうも鬱積している。
椅子に座り込むと、琉志央はもそもそと食事を始めた。いつもは大層美味そうに食べるのに、昨日から食も進まないらしい。
「団子の食べ過ぎですか」
白々しい問をすれば、子供のようにぶすりとした様相で、青年は口をへの字にした。
「食べてない」
「あぁ、求婚の意味合いがあるなら、それほど贈ることはないんですか」
「そうは思えん」
だしまき玉子を箸で取りつつ、琉志央は眉根を寄せる。「俺でさえ、おちおち外を歩けない」
(なるほど)
需要と供給の不一致だったか。
「野茨からいただいたんですから、佳弥からぐらい、受け取ったらどうですか」
カマをかけると、見事に引っかかった。
明らかに、琉志央はしょげた。
「あいつは……来てないし」
「……最近、お元気そうですか?」
「……知らない」
姿を見せずに後背に浮かぶ精霊女王が、秘かに息をついた。彼女は、息子同然に琉志央を気にかけているから、今の返答ではやきもきしたに違いない。蒼杜も同感だ。
医療所に来た時は、互いに憎からず思っているようだったのに。
額の痣に、琉志央は唇を噛んで軟膏を塗っていた。そっと、丁寧に。佳弥は、非常に判り易く真っ赤になっていた。
茶碗を持ったまま、蒼杜は考えを巡らせる。
魔術師という経歴があるにもかかわらず、琉志央は女性に優しい方だ。ただ、殺伐とした世界に在った所為なのか、村の娘達から遠回しに好意を寄せられても気づく気配が無い。琴巳への恋慕も、いたく純情で不器用だった。
恋事に不慣れだったのが、仇になったか。
黙りこくって箸と口を動かす琉志央に倣い、蒼杜も食事を再開する。
佳弥の気持ちが去ってしまったならやむないが、琉志央も踏ん切りは付けたいだろう。
食べ終えて、だるそうながらも速やかにメイフェス・コートへ戻ろうとする魔術教官を、蒼杜は引き止めた。
手早く用件を紙片に書き付ける。
「実は、株分けをしてほしい種があるんです。育てていらっしゃるか、薬処に伺ってきてください」
琉志央は嫌そうな顔をした。次いで、諦観の滲んだ苦笑を見せる。
分かった、と紙片を取り上げると、青年はその場から消えた。
◇ ◇ ◇
薬湯を啜りながら、佳弥は薬草図鑑を写した帳面をめくった。
調合記録と照らしながら、鎮痛の薬効がある植物を他に配合できないか探る。
今月も多少ずれて訪れた月経が、先月より重い。二日目の本日は朝から鈍痛が酷く、昼過ぎには、今日はもう帰りなさい、と耶光に言われた。
本当は帰りたくなかった。一人になると、淋しくて。恋しくて。淋しくて。
けれども優れぬ体調で職場に居座り、迷惑をかけるわけにもいかない。仕方なく、自宅でひっそりと時を過ごす羽目になった。
帳面をぱらぱらと繰りつつ、椅子の上で膝を抱える。
(睡眠効果を加えて、眠ってやり過ごすのも手だなぁ)
そう、いっそ、眠って眠って、全て忘れられたらいいのに。
佳弥は、膝に顔をうずめた。
イー・ウー祭初日に野茨が協力してくれたけれど、作った団子は自分で食べてしまった。
藍つつじの実を潰しまくって生地に混ぜ込んで、作った当人さえ、食べるには覚悟が要る色の団子だった。
翌日、月の物が来て。最初は食べ過ぎか食中りの腹痛かと思った。
(嗚呼、そういえばわたし、食いしん坊だと思われてたっけ……そのままで居れば良かった)
あの頃はまだ、普通に菫色の瞳が向いて、笑いかけてくれることもあった。
鼻の頭がつんとした。うずめた膝に涙が滲む。
(ルシオウ……)
ごんっ、と物音がして、佳弥は身をすくめた。
玄関からだった。
時刻は午後四時前。誰か来たとは思えない。早退さえしていなければ、佳弥は勤務中だ。
息をひそめて扉を注視していると、今一度、ごん、と鳴った。
(わたしが居ること、知ってる……?)
そろりと椅子から降り、佳弥は玄関に歩み寄った。
細く扉を開けば、瑠璃色の上着が見えた。震えながら見上げた先に、菫色の瞳。
忘れようのない低声が、よぅ、と静かに響いた。
「寝てたか……?」
口を開いたのに声が出ない。
佳弥が首を振ると、殆どひと月ぶりに見た若者は、真摯な視線を上下させた。この目つきはきっと、命帯を見ている。微かに苛立ったように瞬いて、ルシオウは薄めの唇を噛んだ。
「薬処で、具合が悪いと聞いた。何なら後で蒼杜を連れて来る」
再度首を振って、佳弥は泣きそうになった。
(ハイ・エストじゃないの。わたしが来てほしいのは――)
「ルシオ……」
やっと出た声は掠れていた。「ルシオーに……傍に、居て……ほし……」
ちょっとだけ、惑うようにルシオウは顎を引いた。
「俺で、いいわけ……?」
「ルシオーじゃ、なきゃ、ヤ」
つと、ルシオウは手をのばしてきた。佳弥は眦を、親指の腹で拭われた。目を閉じかけたが、ゆるりと彼が笑んで、閉じずに見上げた。
「俺も、お前がいいみたいなんだ」
ほけっと、佳弥は柔らかな笑みを見る。菫色の双眸が見返してきて、むにと頬をつまんできた。「なぁ、じゃ、団子誰に作ったんだ。具合悪くて作ってないのか?」
緩く頬を引っ張られたまま、佳弥は引きつった。
「じ、自分れ、食べひゃった……」
ルシオウは空を仰いだ。手が離れる。
「食い意地の張ったお前に、期待した俺が馬鹿だった」
佳弥は耳まで熱くなった。
改めて食いしん坊だと思われたみたい。
抗議すべきかもしれないけど、もうなんか、今はそれどころじゃない感じでふわふわしてきてる。
「だ、だって、真っ青で、毒団子みたいになっちゃって」
「……お前、それ食べた所為で具合損ねてるのか?」
「わ、わたしもそうかと思ったけど……」
月の物だったと開いた玄関口では言えず、佳弥はうつむく。
不意に、おい、とルシオウは家に滑り込んできた。後ろ手に扉を閉め、当惑した様子で問うてくる。
「お前、まさか身籠ったとか……?」
「う、ううん」
佳弥は焦って手を振った。「い、今、月の物、来てて、重くて……」
ゲンキンにも、眼前の男性を見たら、痛みが消えてきているが。
ルシオウは、そか、と安心したらしい息を洩らした。佳弥は複雑な気分になる。
「子供、好きじゃないの……?」
嫌いじゃないが、と五歳担当は言って、扉に片方の肩を寄りかからせた。
「婚の誓いをしているわけでもないお前を、孕ませるわけにいくか。ただでさえ、俺は大陸人で、ここでは浮いてるってのに」
「だ、だから避妊したの?」
「他に何がある」
「い、いつもやってます、て、感じだった、から……」
ちょっとだけルシオウは広い肩をすくめた。
「一流の男は避妊するものだと言われて、躾けられたからな」
「――誰に」
「娼婦達に」
何の一流なのかまで、訊く気にはなれなかった。
まともで、ある意味自然な理由だったことに、ぽろりと安堵の涙がこぼれる。
瑠璃色の袖がのびてきて、頬を擦った。
「なんで泣くんだ。お前が嫌がるから、花街には行かなかったじゃないか」
佳弥は袖を握って、きゅっと目をつぶる。それでも、ぽろぽろと雫が頬を伝った。
「も、ずっと、行っちゃ、ヤだ」
「分かったから、泣くなっての」
ぺし、と頬を包まれたら、止まりそうになかった涙が止まる。
見上げれば、佳弥だけの魔術師が、ちょっぴり不服気に口を曲げていて。
はにかんで、佳弥はルシオウに抱きついた。