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二人は見習い  作者: K+
五幕 見習い二人の行く先は
24/30

 午後三時過ぎ、栩麗琇那(くりしゅうな)は老(おさ)と主管補佐を伴って執務室を出た。

 八月も後三日で終わるが、廊下は風の通りが悪く少々暑い。

 微風に長衣の裾を弄ばれつつ正門前に差しかかると、丁度、(つばめ)琉志央(るしおう)が宮殿に入って来た。五科が終わって、琴巳(ことみ)特製おやつの時間か。実に羨ましい。

 周りが一礼してくる中、父上、と燕が妻さながらに愛らしく顔をほころばせた。隣で琉志央が、よぅ、と眉を上げる。

 途中まで一緒なので息子に手を差し伸べると、五歳担当が小首を傾げて呑気な発言をした。

「今日は変な面子でおやつだな」

「これから裁判だ」

 歩き出しながら教えると、ほぅ、と琉志央は短く応じる。栩麗琇那は、端整なその横顔に目を流した。「これでもう、君にも厄介をかけないと思う」

「なら、ありがたい」

 嫌みや皮肉を乗せるでもなく、魔術教官は緩く口の端を上げる。

 蒼杜(そうと)の診断書によると、警備役の襲撃で腕に重度の裂傷、肋骨二本にひび、腰から背にかけて広範に擦過傷と打撲を負わされている。それでも琉志央が口にした恨み事と言えば、命帯(めいたい)見れなくなるからこれ以上の術戦は遠慮したい、だけだった。

 (らい)の間が近づき、栩麗琇那は繋いでいた燕の手を放す。琉志央は黒檀製の扉を眺めやった。

「この暑い中、何で今日は閉まってるのかと思ったら、ここは裁判の部屋だったのか」

「あぁ。宮まで持ち込まれる案件は滅多に無いから、普段は開け放しなんだけど」

「さり気なく宮殿の連中にも迷惑かけてんな、あいつら」

 ぽつりと独り言のように洩らしてから、琉志央は燕と並んで後宮へ歩み去る。ややの間見送る斜め脇で、主管補佐が面白そうに言った。

「加害者の給料から天引きする項目に、ラル(きゅう)への迷惑料、追加しましょうか?」

「まぁ、お任せします」

「御意」

 目を糸のようにする主管補佐につられ、栩麗琇那も微かに目を細める。

 ルウの民として厳格な世代に琉志央はいまいちウケが良くないので、補佐が魔術教官を気に入ったらしいのは意外な幸いだった。

 皇領アル地区はリィリ共和国をすっぽり包んでいて、今後、国境近辺で警備役と琉志央が出くわす可能性も僅かながら残っている。けれど、この調子なら主管補佐が気を配ってくれようし、万が一何事かあっても悪くは対処すまい。

 雷の間には既に他の者が揃っていた。

 隊長を含む警備役十七名。老。寄合所の長、若長。大君(おおきみ)代理。サージ、ティカ両大公代理。ラル宮殿書士役代表。

 全員が着席し、書士役代表が羽根筆を執る。栩麗琇那が宣言した。

「始める」

 調査の結果明らかになった事々が、老と寄合所の長から報告される。

 酒場、市場、広場での乱闘。無関係の第三者への巻き添え行為。女性二人への脅迫と暴力。五歳担当への襲撃。

 被害状況や、医事者と薬師による診断書と所見が読み上げられた。証言や証拠も提示される。

 全て書紙に纏めた物も配られる。警備役の隊長は、手にした物に目を走らせると蒼白になった。

(今の今まで、把握しようともしていなかったんだろうか)

 栩麗琇那はある意味、感嘆して観察する。

 一通り済むと、室内はしんとなった。

 警備役はそれぞれ罪を問われており、各自に申し開きのチャンスが与えられる。

 半数は、ございません、と絞り出した。残りは、酔っていて覚えていないだの、五歳担当への根拠の無い難癖を並べ出す。

 覚えておらずとも証拠が出ていると老が切って捨て、五歳担当については主管補佐が見解を述べた。

「秘かに授業を見学しました。教本に無い魔術を修練しておりましたが、必要枠です。生徒は着実に技を身につけております。此度、襲撃者を全て捕縛しているところからしても、その技術疑うところ無しと存じます」

「術戦に於いて暗示を用いるなど、卑怯の極みです!」

 警備役の一人が喚いた。補佐が薄い唇を上げる。

「未熟と信じる相手に複数で襲いかかっておいて、卑怯を口にするな、片腹痛い」

 尤もだが、補佐、と栩麗琇那は制止する。茶鼠の頭が一礼して着席する。

 主管補佐の一言が効いたのか、後は誰も弁明しなかった。五歳担当襲撃の罪状を上げられている六人は、顔を赤黒くさせて口を引き結んでいる。

(ポイントは、襲撃だけではないのだが……)

 事務役が佳弥(かや)から聴取してきた話を読んだ時、栩麗琇那は穴があったら入りたい気分になった。

 偽りを同朋女性に吹き込み、その血を以って暗示を封じ、更に女性を人質同然にしてターゲットをおびき出し襲撃。

 琉志央が倒れでもしていれば、佳弥には、それ見たことかと虚言を植え付けるつもりだったのだろう。

 あまりにも、ルウの民として情けない。

 このような一族の恥を知った他者が、孤高のズーク・エストだったことだけが唯一の救いだ。

 一つ息をつくと、栩麗琇那は口を開いた。

「では、決を言い渡す。今回、問われている罪は事前の精査と本日の審問から全て間違い無しと判じる。因って先ず、警備役隊長は警備処(けいびどころ)監督不行き届きにて、解任。一警備役へと降格」

 事ここに至っても先が読めていなかったらしく、あんぐりと隊長は口を開ける。

 目の端にそれが映ったが、続けた。

(ざい)七番の六名には皇領アル地区へ異動の後、無期限で空間封じの刻印を」

 警備役達が息を呑む。馬鹿な――! と箔瑪(はくめ)の従弟が悲鳴のような声で叫んだ。控えよ! と老長が一喝する。

 主管補佐が静かに、承りました、と応じた。栩麗琇那は速記する書士役代表の、羽根筆の動きを見ながら言う。

「全員が各々与えた損害に応じ、弁償、慰謝料、被害者にかかった治療費を支払う事。方法は一律、今後の給与より天引きとする。又、謝罪を求めている被害者には、今月中に速やかに誠意を以って行う事」

 羽根筆が止まり、栩麗琇那は大君代理に目を移した。「良いかな」

 黙礼の後、代理の壮年男性は書状を取り出した。

「コートリ・プノス警備処閉鎖に伴い、勤務者全員を皇領アル地区警備役補助員とするよう、大君より勅命が出ております。今回の(てい)の御判決に、その妨げはございません。宜しいかと存じます」

 老長が、厳かに述べた。

「大陸の守護者となる誉れをいただけるとは、恩赦とも言える御沙汰である。心して勤めるがよい」

 身を震わせる警備役達の一人を、栩麗琇那は見た。

「箔瑪、これが最後だ。もう次は無い」

 視線を外さず、栩麗琇那は両手を組んだ。「二度もルウの名を穢したからには、この先は極刑ではない」

 一瞬睨むように濁った黄土色の目が見返してきたが、言葉を理解したのか、他の理由か、すぐさま男は凍り付いたように固まった。

「なに、皇領では誰しも次などございませぬ。帝のお手を煩わせは致しませぬ故、御安心を」

 主管補佐の声が場にそぐわない明るさで響き、複数の警備役の顔から血の気が引いていく。

 裁きは終了した。


   ◆  ◆  ◆


 明日は月末試験だ。

 理数学の復習を一緒にするとかで、燕は駕籠に乳寒天を三人分入れてもらうと、後宮を元気に出て行った。噴水の所で、例の三人で食べるのだろう。

 後宮の食堂でも、駕籠に入れていたのと同じ形状で出された。

 小さな木椀に拵えられた寒天は、上に刻んだ桃がたくさん盛られている。同種の木目の杯に、濃い目の麦茶。

 琉志央が早速に木匙で寒天をすくったところで、琴巳が訊いてきた。

「明日は卵とか使わないの?」

「ん。今月の試験は小道具要らない」

 そか、とえくぼを浮かべる琴巳に続いて、柴希(さいき)も尋ねてくる。

皇子(みこ)は大丈夫そうだけど、他の子の調子はどう?」

 一口味わってから、大丈夫だ、と琉志央は応じる。

「先月より、簡単に合格するだろう」

「良かった……ルウの民もまだ何とかなりそうね」

 柴希がしみじみと言う。琉志央は新たに匙ですくいつつ、思い出して問うた。

「なぁ、空間封じの刻印って、応用術式?」

「えぇ」

 あっさりと柴希が頷き、琉志央は匙を咥えて唸った。

 昨日、広場の掲示板で読んだ、六人の警備役に対する刑罰の一つ。魔術かどうかも定かではなかったが、魔術なのか。

「術書、かなり読み漁ったつもりだったんだけどなぁ」

「あの刻印はルウの民が編み出したから。他にも、大陸に伝わってない術が少しだけあるんじゃないかしら」

「むぅ」

「図書館にもある術書に載ってるわ。秘術は名称だけしか載っていないけど、刻印なんかは、会得できるように紹介されてるわよ」

「ほぅ」

 空間封じは光範囲の魔術。刻印もきっとそうだろう。元々光範囲の術の方が得意だから、できるかもしれない。「俺、読んでもいいのか」

「帝は構わないと仰る気がするけど、一応、伺ってみるといいわ」

「そうする」

 医事者見習いなのだから、魔術師の頃のようにあらゆる魔術を吸収することもないのだが。知っておいて損にもなるまい。

 寒天を平らげると、おかわり要る? と琴巳が常套句を口にする。もういい、と返して琉志央は麦茶を手にした。

「あんまりおやつは、おかわりしないのね」

 琴巳が口をすぼめると、柴希が可笑しそうに言った。

「いつも美味しそうに食べるのにね」

「甘い物は、それほど要らない」

 琉志央が木杯を傾ける(はす)で、女二人は他愛無いお喋りを始めた。

「琇那さんも、あんまり甘い物は食べないのよね」

「ワトは目が無いわよ」

「今年のイー・ウー祭のお団子、甘いのと甘くないの、二種類作ろっか」

「いいわね」

 もうすぐ、そんな季節か。

 医療所に居候するようになってから知った、大陸中央部から南部でも行われている風習だ。秋分の日を跨ぐ三日間、月を愛でつつ収穫を祝う祭り。

 師が、薄荷を練り込んだ白団子を必ず作る。あれは甘さ控えめで、なかなか美味い。琉志央も好物の一つだ。

 木杯が空になる頃、琴巳が肩をすくめた。

「藍つつじ、今年も大陸に行かないと手に入らないかなぁ」

「一応、今から市場を覗いておくわね」

 柴希が楽しそうに応じる。

 話が飛んだ気がしたが、繋がっているのか。

 藍つつじといえば、見た目は不味そうだが、甘酸っぱい果実をつける低木だ。メイフェスでは、団子にあれを混ぜ込むんだろうか。

(結構、美味いかもな)

 そんなことを考えてから、いつものように(いとま)を告げ、琉志央は宮殿を出た。

 空は薄く灰がかっていた。風は弱い。夕立が来るか来ないか、微妙な雲行きだ。

 藍つつじを探しに行くか寸時迷って、やめた。今日は近場で時間を潰すことにする。

 広い階段を降り、通りを直進した。

 噴水は公園にもあるが、最も大きいのは広場の中央にある。燕が噴水と言う時は、ほぼそこのことだった。

 噴水は正方形で、四方で水柱が絶え間なく踊っている。中央に丸屋根の小さな東屋があり、その天井からも時折水が噴き出して、飛沫を煌めかせた。

 燕達は何処にも居なかったが、親だろう女に見守られたもっと幼い子供が、浅い水辺に入り込んで水遊びをしていた。

 親子から離れた縁に腰かけて、人の流れを眺めやる。

 命帯を、元のように見たかった。

 術戦から八日経って、ほんの少しはっきり見えるようになった気はする。ルウの民は概ね輝きが強いから、比較的、見易い。

 月経時の女は命帯も変化するというのは、丁度あの術戦の一週間前に気づいたことだった。

 師に問うたら、ちょっと驚いたように緑眼を見張って、そうですよ、と返してきた。それを判別できるかは、一級医事者の合格条件の一つでもある、と。

 魔術師になっていなかったら……

 生きてきた道程を顧みた時、〝たら・れば〟を考えると、どうにもやり切れないことが多い。普段は意識の奥に追いやっているが、流石にその時は一抹の虚しさを感じた。

 五歳の折に食中毒で亡くなった両親は、琉志央に術力があるのを知り、医事者を目指してほしいと思っていたようだった。

 一級になるには薬師の知識も必要だから無理だったとしても、命帯診断の技能で二級にはなれたかもしれない。

 通り過ぎる若者の命帯が薄ぼんやりとしか見えなくて、苛立った。

 足を投げ出すと、長袴の隠しに手を突っ込む。片方の指先に幾つか指輪が触れ、益々不機嫌になった。

 瞬間移動の闇契約は、知らないうちに結ばされていた。老魔術師に拾われてすぐ、食事に薬を盛られ、勝手に契約されてしまった。一生消えない契約だなど、知らされもしなかった。

 指輪を繋いだ鎖ごと投げ捨てたい衝動が起こった刹那、背中に水がかかった。

 肩越しに目をやれば、はしゃいだ声をあげて、割と近くまで寄って来ていた幼女が水を投げ上げていた。

 弱く、敵意が皆無で、かけられたのだと気づかなかった。ぼうっとした檸檬色の命帯を見つめると、幼子は何が嬉しいのかこちらを見て目を三日月形にし、再度、水を投げ上げる。

「あっ、こらっ」

 母親が声をあげる。

 蒸発させることも、弾き返すことも、(いん)を描くこともできたが、琉志央は頭から水をかぶった。

「す、すいません」

 子供の手を強く引いて、母親が水辺から持ち上げようとする。あしょぶー、と幼女は見る間に顔をくしゃくしゃにした。

「いいよ」

 縁に片胡坐をかくと、琉志央は念動で水を複数持ち上げた。半円を幾つも描かせる。水面(みなも)を、魚が飛ぶように。

 歓声をあげ、子供が一緒になって水の上を跳ねた。

 母親は初め、しぶきがかかるのを嫌がるようにしていたが、諦めたのか縁に座り込んで子に目を細めた。

 緩い水の螺旋をくるりくるりと揺らせば、幼女が筒衣の裾からぴらりぴらりと水を散らしながら一緒に回る。綺麗ねぇ、と母親が幸せそうに呟いた。

 無邪気に喜んでいる親子と居たら、気が晴れてきた。

 水を動物のようにして子供と走らせたり、幾つもの花を作って宙を躍らせて見せたりした。

 いつしかちらほらと人が集まり、中には見世物と勘違いしているのか、拍手する者まで居た。

 時告げの鐘が集会場から聞こえ、母親が我に返った様子になった。あら、大変――と娘を引き寄せる。

「帰らなきゃ」

 もっとあしょぶー、と幼女はごねたが、もう母親は譲らなかった。〝ありがとう〟を言って帰るの、と言い聞かせ、泣く子の頭をペコペコさせると、抱きかかえる。「どうも、ありがとうございました」

「風邪ひくなよー」

 琉志央が片手を上げると、母親もぺこぺこしながら路地へ消えて行った。集まっていた連中も散り始める。

(俺も帰ってひと風呂浴びよ)

 濡れた髪を撫で上げて歩き出し、自宅の門前に着いた頃、知った顔が向かいの角を曲がって現れた。

 予想外に、戸惑いが湧いた。

 これまで、抱いた娼婦を外で見かけたことはなかった。

 佳弥は娼婦ではないし、肌を重ねて一時間もせずに、共に六老館へ出向いたけれど。あの時は眠る警備役も連れていて、隣に立つ女を意識していなかった。

 戻ってきた日常の中で、抱いたことのある女が何食わぬ顔で歩いているのを()の当たりにするのは、変てこな気分だった。

 鳶色の瞳と視線が合い、思わず逸らす。

 想像以上に良かった明け方のひと時が、まざまざと脳裏に蘇ってしまった。

(何と言うか、反応に困るな)

 些少の距離があったのを幸い、見なかったことにして、琉志央は家に入った。

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