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二人は見習い  作者: K+
四幕 見習いにかかる災厄
22/30

 夜の魔術授業を終え、琉志央(るしおう)は自宅の二階に瞬間移動で降り立った。

 部屋は闇の中だ。簾をかけた窓を開けておいたので、午後九時過ぎともなると室温は快適になっている。

 窓辺に吊るした虫除け(こう)に火を入れ、日当を小卓の抽斗にしまってから入浴の支度をする。軽く伸びをしながら階段口に来ると、妙な感覚があった。

 日中、主管補佐に気づいたのと似たような感じだ。何となく、判る。栩麗琇那(くりしゅうな)から気を付けろと忠告を受け、少々意識している所為か。

 静かに階段を降りて行くと、音が聞こえてきた。玄関の方から。

 誰か来たのか。

 帰宅を見計らったような訪問だ。

 魔術教官の日程を知っている者は、あまり居ない。解っていて来た者か。知らずにたまたま来た者か。

 閂を外す間も、断続的に扉が叩かれていた。ゆっくり、ぽすぽす……ぽすぽす。

 微かに眉を寄せ、琉志央は薄く扉を開けた。

 ようやく音がやむ。

 十六夜(いざよい)で外は少しだけ明るい。薄闇の中に佳弥(かや)の顔が半分のぞいていて、琉志央は口を曲げた。軽く暗い天井を仰ぐ。

「お前――」

 公用語解らないわけないよな、と続けるつもりだったが、言葉を呑んだ。扉を押し開けて見えた顔のもう半面に、青黒く痣がある。

 手に光を集めれば、頬の他に額にも、痣が真新しく赤く浮かび上がった。目や頬に、泣いた痕が残っている。

 命帯(めいたい)を見ると、揺れているのは顔と右手。輝きがやや鈍いのは疲労か。

 転んだとでも子供丸出しで言ってくれれば呆れるだけで済んだが、佳弥は琉志央が目をやっていた右手をのばしてきた。ひたりと手を握ってくる。じっとりと熱い。

「来て」

 何処となく棒読みで台詞が紡がれた。手を引いてくる。

 琉志央は目を眇めた。手を取られたまま、歩き出した女の前に回り込む。鳶色の双眸の前で、指を振ってから鳴らしてみる。瞳が追わないし、瞬きをしない。

 暗示にかかっているようだ。

(簡単にかかりやがって……)

 鼻で息をつくと、琉志央は髪をかき上げた。日向で薬草の世話をしている割に、こちらの手に重なる右手は小さく柔らかい。

(この揺れ方は、傷か……?)

 今一度前に回り込むと、歩く佳弥の左手を握って、右手を外させる。ほんの少々歩みが緩んだが、こちらをからくり人形のように見て、導けているのが判ったのか、そのまま進み続ける。

 歩きながら女の右肘を取って手を見ると、掌が大きく切れて血に染まっていた。出血が完全に止まっていない。

 思わず自宅を振り返る。遠目に、玄関の扉に黒っぽく染みを確認できた。知らず舌打ちする。

(いつから叩いてたんだ)

 己が空いた掌へ、琉志央は薄く眼力を放った。じわりと血が滲んできたところで、佳弥の額をなぞる。

 これ以上の暗示を封じ、癒しの古語を唱えた。佳弥の掌の傷は深い上に汚れていて、治すのに時間がかかった。己の傷も消してから、考えを巡らせる。

 何処へ誘うつもりか。相手は複数か。目的は術戦か。

(こいつを使ってきたということは警備役だな)

 いつ戻るか判らない使いを出して、戻るまで待っているのだろうか。過ごし易い夏の宵とはいえ、暇な連中だ。それとも風の精霊でも張り込ませているか。

 とすると、空間封じはない。

 瞬間移動を不可能にする空間封じ術は、有効時間が短い。紙などに陣を描く必要もあるから手間だ。しかしながら、始めから術戦をするつもりでそれを捨ててかかるのは、三流の術者としか言えない。

 主管補佐の見立てが正しければ、捨てているかもしれないが。

(打てる手は打っておくか)

 指輪精製の古語を月に詠って、輪を描く。出来た(つい)の輪の一つを眺め、斜め前をひたすら黙々と歩く佳弥に目を流した。重なる手を持ち上げる。

琴巳(ことみ)が、十九の誕生日に銀の輪を贈られていたなぁ)

 今でも幸せそうに、左の薬指に嵌めている。

 佳弥は手に限らず、一切装飾品の(たぐい)を着けていないようだ。

 若い女の姿を(はす)に鑑賞し、琉志央はその左の薬指に対の輪を通した。魔術の輪だから、すぐにぴたりと細指に嵌まる。

 暗示術は、そう複雑な指示はできない。多分、案内が完了すれば、ほどなく意識が戻る。この際、佳弥にも働いてもらわねば。

 ついでに(いん)を描いて、施しておく。

(まったく世話の焼ける女だ)

 月下を連れ立って歩み、琉志央は長袴の隠しに片手の指を引っ掛けた。



 (みやこ)を出て草地へ入り、延々と東へ向かった。

 虫の声を聴きつつ、一時間近く歩いた気がする。

 林立する糸杉が見えてきて、公園らしき景観になった。すうっと物音が途絶えてくる。

 弱い術力を察知して目を走らせると、風の精霊が通って行く。やり過ごして、琉志央は念動で足元に対の輪を泳がせ、手に術力を集めた。

 二人居る。

 一言も無く、攻撃が来た。

 眼力で相殺して宙で小爆発が起こる。紛れて対の輪を飛ばす間に、するりと繋いだ手がほどけて佳弥がへたり込む。暗示が解けたらしい。

 ぱっと駆け込んで来る黒い人影を一つ目の端に映し、琉志央は光っている瞬間移動の輪を指先に引っ掛けた。合言葉を念じると移動が叶う。

 なっ――!? と驚きの声が消えないうちに、琉志央は攻撃してきた男の背後から光弾を叩き付けた。張られていた結界の割れる音がする。

 補佐の見立てどおりだ。

 あの主管補佐が相手だったら、一撃では到底破壊できなかった筈だ。

 振り返りざまの額を狙っていた琉志央は、誤算を知った。驚愕の形相が赤にまみれている。

 咄嗟に(かい)へ術を切り替え、加減が狂った。重い音が響いて男が吹っ飛ぶ。

()っちまったか――?)

 琉志央は顔をしかめた。地に転がった男は身動きしない。今は構っていられず、少し離れた場所で佳弥の肩を抱きかけている人影へ眼力を放った。

 こちらを呆気にとられたように見ていた相手は、佳弥を放り出すようにして術力を腕で払う。破裂音と共に、貴様っ、と無駄口が聞こえた。

 向かって来るのを見据えて(ばく)の古語を素早く唱える。暗示が使えないとなると力尽くしかない。

 男が闇の(かたまり)を振りかぶるのを迎えて、琉志央は踏み込んだ。

 強烈な風が巻き起こった。

 主管補佐が施してきた印はとうに時間切れだったが、後宮を辞する時、僕も枕あげる、と(つばめ)が施してきたのだ。ぎりぎり、六時間ほど前。

(流石に皇子(みこ)だな――!)

 黒々とした闇の靄が、次々に風に弾き飛ばされる。吹き荒れる風に琉志央は腕を突っ込んだ。うろたえる男の襟元を掴んで縛を放つ。

 男の口が何か叫ぶ形に開いたが、(いまし)めが絡んで動きが止まった。間髪おかず、身体の芯に在る急所の一つに拳を当てる。

 男が崩れ落ちて、琉志央は一つ息をついた。

 先程の精霊を始末しておくべきったと、乱れた髪を撫で上げながら思う。

 後何人来るか知らないが、全員に暗示が効かないとなると三流相手でも厄介だ。

 頭を吹っ飛ばしてしまった奴の安否を確かめに行きかけると、ルシオー、と泣き声がした。

 見れば、四つん這いで、佳弥が顔を拭っている。

「お前、一つ貸しだぞ。額は拭くな。ちゃんと立って逃げ出す準備でもしておけ」

 今足元で昏倒している男は、先刻、佳弥に再び暗示をかけようとしていた。短時間での繰り返しは脳に危険だと、知らない筈もないだろうに。

(大陸の守護者が聞いて呆れる)

 胸焼けを覚えつつ、琉志央はよろめきながら立ち上がる佳弥に問うた。

「二人倒した。まだ来るようだが、後何人か判るか」

「――四人」

(多いな)

 苦く思った次の瞬間、周囲に殺気が湧き起こった。濡れて月光をはじく鳶色の瞳に、琉志央は低く告げる。

「呼んだら、輪を捨てろ」

 悪意ある相手との術戦は十一年ぶりだ。これまでの相手は老魔術師。奴はこちらをいたぶるのが目的で、ある種の手加減をしてきていた。

 今宵は違うと考えておいた方がいい。

 現れた四人の男は、連携ではない様子でてんでに別れた。倒れている仲間を呼んでそちらへ駆け寄る二人と、佳弥を見て表情を固めた者。そして、一も二もなくこちらへ突進して来たハクメ。

 もう燕の印はいつ消滅してもおかしくない。琉志央は水の紋を描くと、手に術力を集めた。さっきと同じ方法を使う。

 倒れた仲間に屈みかけていた男達は、突如至近に来た魔術師に揃って瞠目した。その額に血痕を見留め、身構える暇を与えず、琉志央は両手の光弾をそれぞれに放つ。激しく硝子の割れるような音が起こる中、一人の足を払って一人に肘を撃ち付ける。

 ぎゃっ、と撃たれた方が声をあげた。急所を外したと悟って眼力と拳で当て直す。男はつんのめるように、気を失った仲間に重なり動かなくなった。

 足を払った奴が、横合いから術力で薙いできた。水壁(すいへき)が出現したが一文字に切れ、余波がこちらの結界にひびを入れる。

 背後からも闇が当たってきた。結界が霧散する。

(やはり二人が限度だな)

 後ろを寸時放棄して、琉志央は消えゆく壁の水に眼力を放った。男に水が降り注ぐ。躍りかかって男を横倒し、濡れた額を仲間の服で強引に擦って術力を突き付けた。

「寝ろ――っ」

 命じた直後、左横から闇の塊がぶつかってきた。

 女が悲鳴のような声で名を呼んだ。

(黙ってろ!)

 まともに衝撃を食らって草地を転がり、怒鳴りたいのをこらえて歯を食い縛る。

(気が散る!)

 視線を走らせると、何とか暗示は効いたようだ。

 残り二人。

 結界を張り直す寸前、ハクメが鋭く眼力を放ってきた。身を起こしかけていた右腕から血が飛ぶ。崩れかけた体勢を飛行術でとんぼ返りして、琉志央は右腕を押さえた。派手に切れたようで血が伝い落ちる。

 ハクメが薄笑いを浮かべ、両手を闇で黒ずませた。

 もう一人が、佳弥へ走り寄った。握った両手を口に当てていた女は、ぎょっとしたように足を引く。

 琉志央は左手に術力を集中させた。早くも感覚が消えかけている右手の先に、強く警告の光を放つ輪を掛ける。

「佳弥!」

 こちらに目を戻すなり、佳弥はぱっと手を開いた。

 刹那、琉志央はその眼前に移動した。真横で、男が、まだ――と叫んだ。

(あったとも)

 この野郎っ、とハクメが吼えて、すかさず琉志央は男の背後に回り込んだ。ハクメの投げつけてきた闇の塊が、男の結界に当たって互いを破壊する。

「ひぃあっ」

 奇声を出した男の腰を、走り来るハクメへ向けて蹴り付けた。ぅあっ――と双方が声をあげてもつれ込む。琉志央は縛の古語を唱えると、二人に放った。

 棒切れのようになった男に()し掛かられ、諸共、横転した。どけっ、と仲間を押しやりもがくハクメを見下ろして、琉志央は半眼を閉じる。

 古語を繰り返し、掌に術力を集めると、琉志央は這い出しかけたハクメの口に押し当てた。ぱかんと口を開けた間抜けな顔が固まる。

 しばしの静寂の後、秋の虫が鳴き始めた。草と土の臭いを乗せ、風が吹く。

 琉志央は髪をかき上げると、静かに息をつき、辺りを見回した。

「近くに水場は無いか」

 尋ねると、めいいっぱい開いていた鳶色の眼が瞬いた。ある、と唇を震わせて一方を示す。

 擦り切れた短い袖を引き裂くと、琉志央はそれを佳弥に向けた。

「これを湿らせてきてくれ。こいつらの血を拭って暗示をかけておきたい」

 何度も頷くと、佳弥はぱたぱた走って行く。その後ろ姿は子供の風情に戻っていた。

 やれやれ、と思うと、傷が痛み出す。左の脇腹辺りからも血が滲んでいた。肋骨を傷めた気もする。

 取り敢えず右腕の傷を何とかするべく、左手に術力を集わせ癒しの古語を詠唱した。

(ん……?)

 掌がぼんやりとしか光らない。学び始めた頃のような光り方だ。

 再度試してみたが、光の弱さは変わらなかった。まるで傷も塞がらない。

(おいおい、冗談きついな)

 転がっている連中の命帯を恐る恐る見てみると、虚ろにしか判別できなかった。口元が引きつる。

(何だよ、一体……)

 肩を落とすと、琉志央はその場に座り込んだ。

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