表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
二人は見習い  作者: K+
一幕 魔術教官の赴任
2/30

 佳弥(かや)はそわそわと、洗った手を拭いた。

 春の薬草園はそれなりに花咲いて美しかったが、他の人影は無い。

 薬処(くすりどころ)は佳弥以降の新人が来ず、薬草園に出ずっぱりな、初期段階の仕事をする同僚は居ないのだ。就職して四年経つが、後輩が来るまで佳弥の担当は変更無しだろう。

 そんな環境だから、毎月一日(ついたち)に十分間ばかり、ふらふらと持ち場を離れることができる。

 隣接する公園の小道を抜け、図書館前の通りに出る。薄桃色の花びらが、ひらひらと舞っていた。通りを挟む並木に桜が含まれている所為だ。

 蔦の絡まる図書館を尻目に、佳弥は並木の一本に添う。真っ直ぐのびる道の先の左、浮彫が施された白壁の大きな建物は陣舎。大陸の皇領各地に繋がる瞬間移動の陣と、人避けの領結界を張る為の陣が保護されている。

 いつもの時刻、午前十一時。

(来た)

 佳弥はときめく。

 通りの右手から、ハシバミ色の髪の男性が現れた。家老の一人を従え、陣舎へ向かう。ラル家の色である臙脂の長衣。その裾が翻る様まで麗しい。

 ルウの民は術力を効率良く使える身体特徴があって、大陸人と寿命に大差は無いが、成人の頃から老化速度が落ちる。身体を長く、若く保っていられる。

 佳弥が見つめる人も、初めて目にした時から衰えが窺えない。

 五年前の夜、メイフェス島の首都、ここコートリ・プノスで、ルウの民を統べる皇帝の婚儀があった。

 ラル宮殿から儀の行われる集会場まで、二十三歳になる(てい)は二十歳の婚約者と貝の撒かれた大通りを歩いた。十五歳になったばかりだった佳弥は、同窓生の野茨(のいばら)と、沿道から二人を見たのだ。

 邪悪な異世界人を神聖なメイフェスに入れてしまった、困った帝だと専らの噂だった。

 汚らわしい娘と、それを連れ込んだ異界帰りの変な皇帝を、野茨と取り敢えず見物し、後で心おきなくケチをつけようと思っていた。

 ところが直に見た二人は、予想と雲泥の差だった。

 宵の篝火に照らされ、既に皇子(みこ)を産んだという黒髪の婚約者は、それを微塵も感じさせぬ細い身体に淡い紅色の衣装を纏い、あたかも浮かび咲く一輪の花のようだった。

 そして、その繊手を取る正装した帝の凛々しさと美しさは、結界を張っていなかったにもかかわらず、神々しく輝かんばかり。正に絶世だった。

 佳弥も野茨も、小さく口を開けて、通り過ぎる二人を見送った。

 ケチなどつけられず、かと言って、その時は、褒めるのは悔しかった。佳弥と野茨は、見ることができたね、とだけ言い合って、そのまま互いの家に帰ったものだ。

 翌年就職した佳弥の職場は、意図したわけではなかったが、帝の住まう宮殿に近かった。お蔭で働き始めて二年目に、帝が陣舎へ出向いて皇領に領結界を張る日が、毎月一日だと知れた。

 ほどなく時刻もほぼ変動無しと判り、以来、月に一度、遠くから帝を眺めるのは、佳弥の秘かな楽しみだったりする。

 桜散る中、均整のとれた長身が陣舎へ消え、佳弥は満足の吐息をつくと薬草園へと踵を返した。


   ※  ※  ※


 執務室の入口で、和泉(いずみ)老と初級学舎長が参っております、と取次役が告げた。

 通していい、と栩麗琇那(くりしゅうな)は書紙に印章を捺しながら応じる。

 処理済の籐箱へ書紙を入れたところへ、一見五十代の女性二人が入室してきた。上品に頭を下げ、組んだ両手を額の上で掲げる。(おもて)を、と栩麗琇那が声をかけ、二人は手を下ろすと顔を上げる。

「珍しい組み合わせですね」

「同窓にございます」

 和泉が答え、学舎長が今一度礼をする。

 そうでしたか、と合点する栩麗琇那に、和泉は恐縮の面持ちで言い出す。

「領結界でお疲れのところ、大変申し訳ございません。ですが、どうにも窮しておりまして……」

「構いません」

 還暦半ばの女性達に礼を失することはできないが、栩麗琇那は短く言う。

 領結界は膨大な術力を要するから、一人で張ることができるのはルウの民でも皇族に限られる。大層疲労するとされているが、実を言って栩麗琇那は疲れない。しかしながら、疲れているのに表に出さないと思われているようだ。

 妻は栩麗琇那に関して色々と見抜くが、この件は〝とにかく大変なお仕事〟という先入観があるらしく、周りと同じく考えているようだ。なので、この際、誰にも訂正しない。

 栩麗琇那が目で先を促すと、和泉が学舎長を見た。皇帝が幼い時分は温和な史学教官だった学舎長は、おずおずと切り出した。

「過日、五歳担当が辞任致しまして……募集しているのですが、応募が無いのです」

 学舎教官はメイフェスでも公務員に相当する。給金は高く、教室担当には特別手当まで付く。五歳担当など、上半期は午前中で職務が終わる旨味ある仕事だ。

(エンを敬遠されたか……?)

 一人息子を思い、栩麗琇那は僅かに顔を傾ける。ラル家の皇子は今秋、五歳になる。来年、初級学舎に入学だ。

 未来の帝に教えるだけでもプレッシャーだろうし、生徒の方が術力に勝るとなれば、無駄にプライドが高い者には務まるまい。

「今年は又何処かに代理を頼んで凌いだとしましても、来年を考えますと、早いうちに良い後任をと思いまして……」

 首都はラル領に在る。分家の子供は各々の領地の学舎へ通うから、首都の初級学舎が皇族の子供を迎えるのは栩麗琇那以来。

 学舎長としては、初めてのことで対応に苦慮しているわけだ。

 和泉が口添えした。

「皇子が受け継がれた術力を、無為にするわけには参りませぬ。ここは帝の御名で報奨上乗せの公募を致したく、ご許可をお願いにあがりました」

 栩麗琇那は首肯した。書類は、と問えば、安堵を顕わに学舎長が差し出してきた。内容を確認して、押印する。印を熱波で乾かしながら、一点、先程の言葉で気になった部分を訊いてみた。

「五歳担当のなり手が居ないのは、今に始まったことではないのかな」

 学舎長は記憶をまさぐるようにして答えた。

「確か、十五、六年ほど前からです」

 すると、栩麗琇那が碧界(へきかい)へ迷い込んですぐの頃からか。息子だけが起因しているのではないらしい。

「思いのほか難題のようだ。わたしの方でも、適任が居ないか探してみましょう」

 低頭の後に二人が退出すると、栩麗琇那は事務役を呼び出した。

 昼休憩時刻を少し過ぎた頃、信頼する事務役が足早に来る。彼が無駄に遅れる筈はないので、謝りかけるのを制して、手短に用件を告げた。

「火急ではないが、教職志望者が五歳担当を忌避する詳細を」

「畏まりました」

 それだけで通じて、事務役の青年は退室する。急がないと言ったところで、彼はそう日数をかけず調べ上げてくるだろう。

 さて、やっと休憩だ。

 領結界は疲れないが、終了後、空腹感が普段より増す。一日(ついたち)は、いつも以上に妻の作ってくれる昼食が楽しみだ。

 しかし先ずは、疲れたふりであの愛しい唇を御馳走になりたい。未だにそれだけでも朱に染まる、可愛い顔も拝みたい。

 印章を懐に入れると、栩麗琇那は足取り軽く執務室を後にした。


   ◆  ◆  ◆


 午前中の夏の森を、琉志央(るしおう)は幼子を連れてぶらぶらと歩いていた。

 何処に行きたい、と訊けば、何処でもいいよ、とおっとり答えたので、近場の泉を目指している。

 見下ろせば、腰の下辺りにようやく焦げ茶色の小さな頭がある。林立する木々や茂る低木やらを、銀の混じった黒い瞳で、物珍しげに眺めているようだ。

 琉志央は、このもうすぐ五歳になる子供が赤子だった頃から知っている。実子とすれば、十八という若さで父親になったことになるが、それはそれで大変良かったろう。何せこいつの母親は初恋の女だ。

 今日は、朝からその女が遊びに来ている。夫と息子というおまけも連れてだったが。というより、彼女は瞬間移動術ができないので、夫や友達の女といった術者が一緒でないと、大陸には来られない。

 あいつは、この世界の何処に在るかもはっきりしない島で、ルウの民なんていけ好かない連中に囲まれて暮らしている。なのに、大陸に来ると大概、初めて見た時より幸せそうにしている。不幸せそうより、いいけれど。

(つーか、なんで俺、子守なんかしてるんだ……)

 長袴の隠しに手を突っ込んで、琉志央は軽く眉を寄せる。

 思い返せば十数分ほど前、医療所で円卓を囲んでいたのは琉志央、師の蒼杜(そうと)、その守護精霊、客の琴巳(ことみ)、その夫の栩麗琇那と息子の(つばめ)

 それなりに楽しく茶を飲んでいた筈だ。

 これまで、こんな時間に家族で来ることなんてなかった。だから栩麗琇那に、大陸の守護とやらはどうした、琴巳とエンは俺に任せて仕事に戻っていいぞと、軽口を叩いた。

 すると、奴は無表情のまま、のんびりと切り返してきた。じゃあ、エンを任せよう、と。

『この面子の中では、琉志央が一番エンと歳が近い。九時前まで遊んでやってくれ』

 え、と同時に声をあげたのは、琉志央と当の燕だった。お互い、相手を知ってはいたが、別段馴れ合っていたわけではない。

 判っているくせに、琴巳がくすくすと笑いながら息子に言った。

『見習いさんが遊んでくれるなんて初めてね。雨降らないといいケド』

 その台詞に、燕は真顔で窓の外を見た。

『お外、いい天気だよ?』

『モノの例えだ。降ってたまるか』

 思わず琉志央がつっこんでしまうと、最後には蒼杜が可笑しそうにとどめを刺した。

『子供の命帯(めいたい)は大人のモノより判断が難しいです。この機会に、エンのを見せてもらったらどうですか』

(クソ――俺が撒いた種だったか……)

 憮然として、琉志央は焦げ茶色のつむじを見る。その身は、見方を変えれば眩い光に包まれている。琉志央が燕を見て現在判断できるのは、強い生命力と術力、稀な銀一色の命帯の持ち主いうこと。

 この幼子は、産まれた時から可愛げがなかった。周りの評価は真逆だが。

 燕は赤子の時分、琉志央が頬をつついたら、いきなり術力を投げつけてきた。咄嗟に眼力で相殺したものの、かなり強い攻撃だった。つまり、とんでもないガキなのである。

 今は琴巳に危害が及ぶのを恐れ、栩麗琇那は燕の術力を九割がた封印しているらしい。術力封印は、術者が被術者と同等かそれ以上の術力が無ければ成功しない筈で、奴の術力の程もおかしいのは言わずもがなだ。

 蒼杜の話では、栩麗琇那の術力はこの世界で恐らく最強らしい。確かにちらっと命帯を見てみたら、太陽のような金色の光を放っていた。

 何故よりにもよって、惚れた女の夫がそんな冗談みたいな奴なのか。ルウの民をまとめ上げる地位にあって帝と呼ばれている上、無表情だがやたら造作もいいし、悔しいことに琉志央より背も少しだけ高い。

 そんな腹立たしい奴に、琴巳曰く〝どんどん似てきてる〟らしい燕は、木陰の向こうの光景に気づいたのか、丸い目をきらめかせた。

「わぁ――綺麗」

 泉の周りは、草木とごつごつした岩が取り囲んでいる。澄んだ水はこんこんと湧き出て、小川へと流れる。揺れる水草の合間には何匹もの魚が居た。心地好さそうに流れに身を任せているのがよく見える。

 命帯を診断するには、見る方も見られる方も動かない方がいい。燕は落ち着きなく泉を覗き込んでいたが、そこに座れ、と琉志央は苔むす岩の一つを示す。

 幼子は大人しく言われたとおりにした。早速、琉志央は眺めやる。少々、変わって見えた。

 先日、燕は風邪をひいたと聞いている。喉の辺りに銀の光がとりわけ集まって見えた。

(この状態が、風邪の治りかけなのか……?)

 命帯の診断は、とにかく数をこなさないといけない。同じ程度の症状の奴を見て、確信に結び付けていく必要がある。

 琉志央が命帯を見る修練を始めたのは六年前だ。桜色がほんのりと混じった白い光。それを纏う琴巳が見たくて、ただそれだけの為に蒼杜に師事し、医事者見習いとなったのだ。

 ひょっとしたら見れるようになるかもしれないと、予め可能性の低さをにおわされていたが、三年目にぼんやりと見え始めたのを皮切りに、コツを掴めた。今では多分、しっかり見えていると思われる。念願の琴巳の姿も目にして、不覚にも惚れ直し、彼女が手に入らない現実にしばらく悶々とした。

 見えるだけで健康状態は判断がつかないとなると、欲が出た。こうなったら、琴巳がいつも健やかか診断できるようになりたい。師の守護精霊は、やれやれ、と洩らしたが、珍しくその響きが優しかった。蒼杜はいつも通り笑んで、琉志央の見習いの日々は今に至る。

 角度を変えて見ていた琉志央に、退屈になったのか何なのか、膝を抱えた燕が唐突に尋ねてきた。

「見習いさんてね、父上のこと嫌い?」

「――なんだ、いきなり」

 見えていた命帯がかき消える程度に面食らった。

「いきなりじゃないよ、前から気になってたの」

 他のルウの民はどうか知らないが、どうも燕は成長が早い。立つのも歩くのも厠の使い方もあっと言う間に覚えたらしいし、五歳未満にしては語彙も多い。己が名の真名も、何処で仕入れたやら他に読み方があると知ったらしく、三歳の頃には〝エン〟と自称するようになっていた。

 そんな子供に誤魔化してもしょうがないので、琉志央は正直に答えることにした。

「あいつは、嫌いじゃないが、邪魔だ」

 燕は軽く唇をすぼめたが、さほどせずにほころばせた。良かった、とのたまう。

「邪魔なのは、父上が見習いさんの好きな人と仲良しだからってだけだもんね」

「まぁな」

「僕ね、父上のこと大好きだし、見習いさんも好きなの。だから好きな人が好きな人を嫌ってたら悲しかったの」

 面と向かって好きと言われると、何やらこそばゆい。この素直さは母親の影響なのか。さらさらの髪をくしゃくしゃ撫でてやると、燕は目をきゅっとつぶって、はにかんだような顔をした。

 どうしてか和んだが、琉志央はふと気になることが浮かんでくる。

(ちょっと待て、〝仲良し〟って微妙な表現だな、おい。どう〝仲良し〟なのか、そこはかとなく気になるじゃないか)

 そうして琉志央はしばし、又も不毛な懊悩の時を過ごす。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ