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二人は見習い  作者: K+
三幕 教官は医事者見習い
19/30

 本日の昼食は豚肉の生姜焼きに白飯。生野菜に胡麻だれかけ。胡瓜のピリッとした漬物。薄味の吸物。食後には冷えた甘瓜の角切り。

 (つばめ)はそれらを大急ぎで食べ終えると、歯を磨いて後宮を飛び出して行った。空模様が怪しいので、今のうちに、史学の課題に使う資料を図書館から借りてくるそうだ。この暑い中、相変わらず年齢に相応しくない勤勉ぶりである。

 琉志央(るしおう)は黒茶の硝子杯を傾けつつ、空いた食器を重ね始めた琴巳(ことみ)を眺めた。僅かに桜色の溶け込んだ白く美しい光が、静かに皇妃を包んでいる。

 自分の皿を纏め、栩麗琇那(くりしゅうな)(つゆ)の浮いた硝子杯を手にする。琉志央も倣って琴巳へ食器を向け、ついでに問うた。

「お前さ、月の物、来てる?」

 琴巳に訊いたのに、栩麗琇那が噎せた。杯の中身を少し卓にこぼしたが、全部はぶちまけずに済ます。妃が台拭きを手にする間に、皇帝はけほけほ云いながら、珍しく憮然とした表情をこちらに見せた。

「何だ、今の問は」

「他意は無い」

 応じて、琉志央は茶を含む。琴巳が卓を拭きながら、やや頬を膨らませた。

「琉志央ってば、でりかしーが無いんだから……」

 異国語で抗議らしきことを言われても解らない。否、異界語か。

「月の物が来ると命帯(めいたい)が少し違うみたいなんだ。どうなんだよ、お前」

 返事をせっつくと、琴巳は渋々といった様相で答えた。

「一昨日、終わったばっかりよ」

「ち、一昨日、普通に見えたな。もっとしっかり見るんだった」

「え、そんなにしょっちゅう見てるの」

「修練中だからな」

 嘯くと、栩麗琇那が疑わしげに濃い紅茶色の目を投げてくる。

蒼杜(そうと)から課題でも出てるのか?」

「いや? 今朝、月の物が来たと言うから見てみたら違う気がしてさ」

 琴巳が、興味深そうな光を黒眼に宿した。

「それ誰?」

薬処(くすりどころ)の奴」

「もしかして、この前、卵を一緒に分けた?」

「よく覚えてるな」

「琉志央、知らない人ばっかりのメイフェスで、仲良しができたみたいで良かったって思ったのよね」

(こいつの、こういうトコロが困るんだ)

 どういう表情をしたらいいのか決めかねる斜向かいで、琴巳はえくぼを浮かべる。

「ね、どんな人? 名前は?」

 どんなと言えば子供っぽい奴としか浮かんでこないが、そう他人に吹聴するのは、いささか気の毒に思えた。あれでも薬師見習いとして、魔術師などより余程、真っ当に働いているわけだし。

「カヤ」

 だから名前だけ口にすると、琴巳は可憐な唇をほころばせる。

「響きのいい名前ね。どんな真名?」

「知らねぇな」

 横で、栩麗琇那が卓上に指で書いた。〝佳弥〟。

「綺麗な真名ねぇ。歳は?」

「さぁ」

 又も栩麗琇那が答える。

「二十一」

(あいつ、二十歳越えてたのか)

 琉志央が些少の驚きをいだいていると、琴巳はむぅとした顔になった。

「琇那さんの方が詳しいってどうなの、琉志央」

「浮気を疑ったらどうだ」

 半眼を閉じて応じてやると、皇帝からささやかな眼力が来たので手で払う。火に水をかけたような音がして術力が消える。

 栩麗琇那が無言の抗議をせずとも、琴巳は琉志央の勧めをあっさり無視した。

「佳弥さんのコトちっとも知らなくて、どうして朝から月の物の話なんて聞き出してるの」

「寝台を貸しただけだ。そしたら、月の物が始まった所為で敷布を汚してしまったと言われた」

「……益々解らないわ。変なお付き合いね」

「別に付き合ってない」

 琉志央は黒茶をあおってから、訊く。「それより、柴希(さいき)は月の物来てるかな。お前、知らないか」

「知リマセン。女の人には繊細なコトなんだから、その質問、あっちこっちでしない方がいいわよ? 大体、そんなに見たいなら、生理って判ってる佳弥さんが最適じゃない」

「あいつ、ちょっとしか見せてくれなかったし」

「大方、露骨にじろじろ見たんでしょ。ちゃんとお願いして見せてもらったら?」

「……他を探す」

 警備役の件があるから、しばらく都では誰の周辺にも行く気は無い。

 琴巳からこれ以上の小言を受けるのは望むところではなく、琉志央は後宮を後にした。

 問わずとも、夕方の散歩ですれ違う女を観察するのもいいだろう。そうして夕飯の折にでも、師に訊けばいい。



 宮殿を出てみれば、空はもはや一面の雨雲に黒ずみ、地には雫が数滴落ち始めていた。

 今日の五科は教室かなと考えつつ、広い階段を降りる。

 (いん)術の紋の一つは、全員覚えた頃合いだ。そろそろ他者へ施すやり方を教えようと思っていたが、人へかける術の修練は、室内では難がある。

 本日は次の紋にいくか。紙に描いて配るのは面倒だったから、黒板に描くのもいいかもしれない。しかし写し間違えられると困る。今回も十六枚、描いてやるべきか。

 模索しながら階段を降り切った所へ、燕が胸に大きな本らしき包みを抱えて走って来た。さほど濡れずに済んだようだ。息を切らしているくせに、だいぶ生え揃ってきた白い歯を見せてこちらに笑いかけるから、ほんの少し雨を受けたさらさらの髪を撫で、又後でな、と別れた。

 まだ、並木の下を行けば、問題無く凌げる雨勢だった。今のうちにと、人も荷車も忙しげに行き交っていく。流れに加わって足早に自宅へ近づけば、門前に佳弥が居た。捨てられた犬の風情で、こちらを見る。琉志央は呆れた。

(月の物は繊細とやらじゃないのかよ。大人しくしてられないのか、こいつは)

「雨降ってきてるだろ。何つっ立ってんだ、人んチの前で」

 顔を赤らめて、佳弥は一所懸命な様子で言葉を紡いだ。

「命帯、見せに、来ました。お昼休みの間、だけでも」

「お前、朝は嫌がってたじゃないか、無理すんな。酷く降り出す前に帰った方がいいぞ」

 門を開けて玄関へ向かいかけると、お願い、と、か細い声が泣きそうに追ってきた。肩越しに見やれば、見上げてくる鳶色の目が雨に濡れたかのように潤んでいる。琉志央は面食らった。

(おいおい、なんで泣いてまでお前の方が頼んでるんだ。なんだ、この状況)

 それより、大通りに面し、人目のあるこの家の門前で、もたもたとやり取りをしているのは拙い。

 しょうがねぇな、と呟きを洩らし、琉志央は玄関を開けた。とっとと入れ、と室内を示すと、佳弥は泣き笑いするような顔になって家に駆け込んだ。

 朝から閉め切っていた家の中は蒸していた。適当に座ってろ、と告げ、取り敢えず薄く窓を開けていく。この後の雨脚がどうなるか判らない。

 粗方開け終えて部屋に戻ると、卓に向いた椅子の一つに、佳弥は身を縮めて座っていた。

「何か飲むか? 冷茶と麦茶ならすぐ出せるぞ」

「お、お構いなく」

「構えと言わんばかりに押しかけて来ておいて、今更、何の遠慮なんだ」

 苦笑して、台所の簡易井戸から冷茶の壺を引き上げる。「そもそも、なんでお前が泣きべそかいてるんだよ。命帯見せてくれって頼むのは、俺の方だったろうに」

 木杯に注いで出してやると、佳弥はそろりと両手で包んでうつむいた。琉志央は己が杯にも注いで、それを片手に斜めへ腰を下ろす。

 せっかくなので命帯を見てみる。やはり何処となく違う気がした。揺れてはいないのだが、明るい黄色が、ごくゆっくりと、腹部で動いているような……

 渦を巻いているのか?

 眺めつつ杯を傾ける前で、震える小声がこぼれた。

「そやって、他の人、見ないで……」

 目を上げた琉志央は、たまゆら、眼前に佳弥以外の女が居る錯覚があった。

 女は、門前に居た時より朱の増した顔で、潤み切ったまろい眼をひたとこちらに据えていた。

 その少し乾いたような唇が、切なる熱を孕んで、言葉を繰り出した。

「他の女の子、見てほしく、ないの」

 飲み下した茶に空気が混じった気がする。

 琉志央は目を逸らした。

「お前な、世の中、半分は女だぞ」

 佳弥が、しゅんとなったのが気配で判った。鼻で息をついて、琉志央は杯を空ける。「ま、命帯のことは師に訊く。お前、もう、ここに来るな。後、外で見かけても寄って来るな」

 いいな、と念を押して目を戻せば、嫌と言いたげに佳弥は弱く首を振った。琉志央は指先に光を集める。

「暗示で追い払われたいのか」

 見る間に、その鳶色の双眸から、外で降る雨のように雫が流れ落ちた。

 雨音が大きくなって、迷う。

 泣き顔を雨で流してしまうのがいいのか、明らかに泣いた痕を周りに見せた方がいいのか。

「もう帰れ」

 全く減っていなかった方の中身も一息に空けて、琉志央は二つの杯を重ねた。両手で何度も涙を拭う佳弥に、払うように手を振る。

 ふらつきながら佳弥は立ち上がると、めそめそしながら出て行った。

 玄関が閉まり、琉志央は杯を流しに置くと首の後ろをさする。

 初めて惚れた女には相手が居たし、初めて惚れられた女には遠ざけておきたい相手が居るし……

(俺、女運無いな)

 魔術師の(ごう)か。

 ちぇ、と一人の呟きは雨音に紛れて、すぐ消えた。


   ◇  ◇  ◇


 耶光(やこう)から眼薬になる樹皮を渡され、佳弥はしょげかえって受け取った。

 小鍋に樹皮を入れ、腫れた瞼をしばたたいて上司が記してくれた書付を見る。分量通りに水を加え、火にかけた。鍋の中身を見ているだけで、涙が溢れてくる。

 佳弥、と横から耶光のひそめた苦い声がした。佳弥は肩をすくめ、慌てて目を押さえる。穏やかな師が、滅多に無い苦言を述べた。

「昼に何があったか知らないが、就業時間にまで持ち込むのはいただけない。薬師は視覚も嗅覚も、常態を保っていないといけない職だよ」

「――はい。申し訳、ありません」

「今日は随分と、身体を張って知識を吸収しているようだけれど。せめて一日一つに、したがいい」

 当惑気味に耶光は微笑した。「月の物には真砂(まさご)も時々苦労している。君も無理をしないようにね」

 佳弥は、さっきと全く同じ返事をした。恥入って、更に肩が落ちる。下腹が痛んできたような気がした。午前中に調合してみて飲んだ痛み止めが、切れてしまったか。

 心身共にぼろぼろというのは、こういうのを言うのかなと、ぼんやり思う。

 手が届くかもしれない恋に、愚かにも舞い上がってしまった。

 初めて入れてもらえた家は、敷布と同じく、うっすらと薄荷の匂いがしていた。ドキドキし過ぎて、頭がぼうっとして、朝のように見つめられたら、胸にあった言葉を留めておけずに、口にしてしまった。

 あんなに、すげなく拒絶されるとは。

 願いを断られただけでなく、佳弥自体を拒否された。

(そりゃそうよね。数回会っただけで眼中に無かった食いしん坊に、他の子見るなって言われて頷く方が変だよ……むしろ、どん引きだよ……)

 こちらを見てもらうどころか、嫌われてしまった。

『暗示で追い払われたいのか』

 目頭が熱くなって、奥歯を噛み締める。

 術者といっても大陸人。おまけに医事者見習いならば、ルウの民より術力は劣ると思っていた。けれど、ルシオウはそうでもないようだ。

 暗示術はかなり高度な闇範囲の魔術。脳に働きかけるから、被術者の力量を凌駕していなければ成功率は落ちる。

 あの魔術教官は容易く箔瑪(はくめ)に暗示をかけて、老に引き渡してしまった。術をかけるところを見ていたわけではないけれど、指示通りに箔瑪は寝ていたようだし、従順に目を覚ましたようだし、完全に術にかかっていたのだろう。

 あの術を防ぐには、事前に他人の血を額に塗っておくしかない。かけられてしまえば、術者の為すがままだ。

 きっと佳弥も、ひとたまりもない。

 暗示なんてかけられる前から、彼の言動に一喜一憂して、ふらふらと動いていたのだから。

『来るな』

 一方的な言い(よう)に従う謂れなど無い筈だのに、又、抗えそうにない。

 煎じ薬を瞳に落とすと、酷く染みた。

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