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二人は見習い  作者: K+
三幕 教官は医事者見習い
18/30

 夏本番だったが、夏至も過ぎ、少しずつ日が落ちるのは早まってきている。

 夕色に染まる路地は並木が無く、打ち水でほんの少し蒸していた。

 家々の窓からは簾越しにぼんやりと明かりが見え、うっすらと白煙がくゆる。特に匂わないから、虫除けの香だろう。

 平屋ばかりが並ぶ区画に入れば、開けた空に薄白く弓張り月が見えた。軽く仰いで琉志央(るしおう)は首の後ろを揉む。

 そこはかとなく眠い。

(昼寝するんだったかなぁ……)

 午前中に担当室で仮眠をしたらすっきりしたものだから、午後は宮殿でおやつを食べた後、悪くない空模様の下、いつものように散歩をしてしまった。

(とっとと家の中と洗濯物を片づけて、長めに行水して、ひと眠りという手もあったな)

 今夜の湯は熱めにして、さっさと寝よう。

 区画の東端へ向かいながら、のんびりと予定を立てる。

 老魔術師に拾われた幼い琉志央はろくな目に遭わなかったが、あの薄暗い屋敷でたった一つだけ好む習慣がついていた。

 入浴は、血と吐瀉物と汗の臭いを消してしまえる。傷の治療に無理矢理塗りたくられた臭い軟膏も、流してしまえる。

 あの屋敷を出て、琴巳(ことみ)蒼杜(そうと)達に出会って、狂った魔術師の日々は終わったが、琉志央の風呂好きは変わらず続いていた。

 大陸人もルウの民も一日一度入ればいい方だが、琉志央は確実に倍入っていた。夏場の回数には氷の精霊が呆れることもあるが、師は、いいですよ、と諒承している。

 メイフェス・コートでは誰に憚ることもない。栩麗琇那(くりしゅうな)は知って用意したのか、宛がわれた家には木製の湯船を設えた結構広い浴室があった。喜んで、この夏は例年よりも入っている。

(ここの平屋じゃ、ウチ程の浴室は付いてなさそうだな)

 家並を眺めて琉志央は感想を抱く。このぐらいの家を宛がわれていたとしても、風呂があるなら文句は無かったが。

 夕餉の時間帯だったが、ここは他の区画より、明かりの灯っている家が少なめだった。

 目指す家が見えてくると、そこは明るかった。両隣が暗い分、浮き上がっている。

 門の傍に人影があって、琉志央は眉を寄せた。

(何やってんだ、あいつ)

 カヤが、何をするでもなく、ぽつんと立っている。子供が叱られて、家の前に立たされているかのようだ。

 ハクメが寮で謹慎を言い渡され、同僚にも事情聴取がされているとすれば、数日はノイバラは安全だろう。安全な内に老の住まい近くに転居してしまえば、更に危険は遠ざかる。

 だからノイバラはもうかなり大丈夫だろうが、その友は意外と拙い立場かもしれなかった。

 被害者を助けて通報した人物――今回の件を明るみにしてしまった者。

 ずれた矜持を持っているらしい警備役とすれば、当たり前に標的に加えそうである。

 助け手を呼んだのも通報したのも琉志央だが、間接的にそれをさせたのはカヤだ。

 その判断は間違ってはいない。あの怪我では、薬師のみの知識と治療では対応し切れなかっただろうから。あれだけ取り乱しながらも、メイフェス・コートにたった一人の、見習いとはいえ医事者を頼ったのは冷静だったと言える。

 しかしながら警備役には、よりにもよって大陸の魔術教官に頼ったという一事が大きかろう。

 カヤは自分のしたことが連中に知れぬよう、ノイバラと同じ程に大人しくしているべきだ。

(けど子供ってヤツは、言えば大人しくするもんでもないからなぁ)

 二時前に行った時も、どちらが被害者か判らないような様子だった。あれでは今回の件に関わっていると公言しているようなものだ。

 家に近づくと、カヤはすぐこちらに気づいた。気づいた途端、胸の高さの木の門に張り付いて、ひたすら見つめてくる。あたかも主人を待つ犬のようだ。

 琉志央は鼻で嘆息する。どうも昨夜の一件で、カヤは情緒不安定だ。元々子供っぽかったから、らしいと言えば、らしいが。

 距離が縮めば、昼間見た時よりはしゃんとしたナリだった。少し寝たらしい。

「お前に寝台乗っ取られて、ノイバラ、又具合が悪くなってるんじゃないだろうな」

「も、もう、だっいぶん、元気に、なってます」

 応える声が上擦っている。

 見下ろせば、カヤは門に乗せていた両手をそわそわと浮かせてから、押し開けた。琉志央はすり抜けて庭に入る。女から微かに、桃の香がした。腹が減ってくる。

 早いところ蒼杜の送迎を済ませて、晩飯にありつきたい。

「ま、昼に見た時も加減が良さそうだったからな。これで往診も無事終了だろう。連れて来るから輪を置かせてくれ」

 瞬間移動の(つい)の輪を出しつつ玄関へ足を向けると、慌てたように声が追ってきた。

「あの、あのっ、気になってたんですけど――」

 肩越しに振り返れば、鳶色の瞳が縋るように見上げてきた。「何故、貴男は医事者を目指しているの?」

「いきなり何の話だ」

 琉志央が口を曲げると、カヤはこちらの手元に目をやる。

「貴男、移動術の契約をしてしまってるから……」

 あぁ、と呟く。そういえば医事者は、闇契約が禁忌だった。指輪でほいほい移動する医事者見習いなんて、普通はあり得ないのだ。

「蒼杜に弟子入りした時には、もう契約してしまっていたからな」

 これを言ってしまうと魔術師だったと白状するようなものだったが、今更隠しようもない。

 しかしカヤが気にしたのは、前歴ではないようだった。

「正式に、医事者になれないのに、何で弟子入りしたの……?」

 七年見習いをしてきたが、初めて訊かれたことだった。琉志央を元魔術師だと知っている者は、蒼杜への弟子入りの経緯もおおよそ知っていた所為か。

(他人にベラベラ明かすことじゃないが……まぁ、コレも、隠してもしょうがないか)

 肩をすくめると、琉志央は正直に告げた。

「一目惚れした女の命帯(めいたい)を見たかったんだ」

「……へ?」

「そいつの命帯の色を蒼杜から聞いて、俺も見たくなった。だから俺は、医事者になりたくて弟子入りしたわけじゃない」

 カヤは茫然としたように瞠目していたが、数拍の後、目に見えて肩を落とした。

(もっと崇高な志と思っていたか)

 苦笑する琉志央の前で、カヤは小さく声を震わせた。

「その人の、命帯、見れた……?」

「まぁな」

 何やらカヤはうつむいていく。

「その人、大陸で、待ってる……?」

(そうだったら良かったけどな。今、俺を待ってるのは蒼杜ぐらいだろ)

 むさ苦しい現実に、琉志央は月を仰いだ。

「一目惚れなんて昔の話だ。大体、そいつ今じゃ、皇妃になってこの島に居るぞ」

「――え」

 ほけっとした顔をカヤが上げた時、玄関が開いた。

 あ、と開けたヌサギが頭を下げてくる。よぅ、と琉志央は片手を上げた。

「来てたのか」

「はい。お見舞いに」

 そか、と男の身体越しに中を覗けば、近くの食卓にノイバラが居て会釈してくる。痣は残っていたが、命帯の揺れは随分と治まっていた。

 まったく、ルウの民の回復力には驚かされる。術力の無い大陸人だったら、医術師の治療を受けても、完治まで一、二ヵ月はかかりそうな怪我だったのに。

 だからこそ、今までの暴力も隠しおおせてしまっていたわけだ。いいような悪いようなという感じだ。

「んじゃ、俺は蒼杜を連れて来る」

 入ってすぐの場所に対の輪を置き、すぐ戻る、と琉志央はリィリ共和国へ瞬間移動した。


   ◇  ◇  ◇


 三時間しか眠っていない筈なのに、睡魔が訪れない。

 佳弥(かや)は寝台の隅で身体を丸め、悶々としていた。

(うー……野茨(のいばら)にこっちを使ってもらうんだった)

 広くない寝室には今宵、ぎりぎり寝台が並んでいる。一方は佳弥の家に元々あった物。もう一方は五歳教室の担当室から、一晩だけ持ち込まれた代物。

『お前も今日はしっかり寝た方がいいぞ。寝台、貸してやろうか?』

 ハイ・エストが友を診察している傍らで、ルシオウがやにわにそう言った。佳弥がどぎまぎしている間に、ありがとうございます、と野茨が返事をしてしまった。

 野茨は顔に出していなかったけれど、ハイ・エストが薬に痛み止めを配合しているのを佳弥は気づいていた。だから、小さな寝台に二人で寝るのは避けた方がいいのは判っていた。今夜も、友に寝台を譲るつもりだった。

 野茨の家の寝台を持ち込む気には、なれなかった。最後にそれを使っていた人物を考えると、あれはもう処分した方がいいだろう。一晩くらい、実家から長椅子でも持って来ようかと思っていたのだ。

 何も言っていなかったのに、ルシオウはその辺のことを察してしまったらしい。

 佳弥としては、心ノ臓が壊れそうだったことも察してほしかったが。

 不意打ちで優しくされたら、どうしていいか判らなくなる。

 胸の痛みが全身に広がって、佳弥は身を縮めた。背後から、隣の寝台で眠る、野茨の静かな寝息が聞こえてくる。

 寝返りを打ちたいけれど、緊張してできない。

『貴女はそっち。この好機を逃しちゃ駄目』

 身体はともかく精神的にはすっかり復活しつつあるのか、野茨は半眼を閉じて言った。『要するに彼、今は恋人いないみたいじゃない。そうとなったら早い者勝ち』

 言い含められて借りた寝台にそっと滑り込んだら、敷布から薄荷の香がした。微かに石鹸の香が混じって、まろやかになった匂い。彼の移り香なのかと思ったら、どうにも身動きがし辛くなった。

 薬に携わる身で、佳弥は日頃から香水を使わない。自分ではよく判らないけれど、きっと、幾つかの薬草が混じったような臭いを纏っているだろう。季節柄、汗の臭いも含んでしまっているかもしれない。

 同じ見習いなのに、こんなところさえ違う。

 たった一つ浮上した共通点が、一目惚れして失恋しているトコロなんて……笑えない。

 昔の話だとルシオウは言ったが、今でも秘かに皇妃を想っていたりするんじゃないだろうか。

(訊くんじゃなかった……)

 せっかくの二人きりで、少しでも長く話をしたかっただけだったのに。

 まさか、他に相手が居るなんて宣告が来るとは思わなかった。

『言ったでしょ、彼、メイフェスに来て数日で、いい男って噂出てたのよ? で、実際、今や実力も証明してるいい男。ぼやぼやしてると、とられちゃうわ。向こうから来てる今のうちよ、佳弥』

 眠る前に、野茨はそう力説していたけれど。

(あの人、わたしに会いに来てるわけじゃないし)

 切なさで胸が痛い。

 (てい)に憧れていた時は、こんなに苦しくなかった。

 帝は大君(おおきみ)となるまでメイフェス島から去ることはないが、魔術教官は後四ヵ月半で大陸へ帰ってしまう。

 一介の薬師見習いが、大陸へ行く機会なんてそうそう無い。佳弥は先月にハイ・エストの元へ行ったのが、実に十数年ぶりの大陸行きだった。幼い頃に皇領へ親と旅行したきりだったのだ。

(あー、リィリへ連れて行ってもらった時、二人きりだったのに。ろくに話もしなかった)

 だがあの時も、正装に近い恰好をしていたのに、ルシオウは何も言ってはくれなかった。

(わたしって、とことん眼中に無いんじゃん……)

 なのに、寝た方がいいなんて台詞だけは吐いてくるから性質(たち)が悪い。

愛神(ウル・ラ・カー)造形神(イー・ウー)運命神(リ・コウ)も、みんな狡い。どうして皇妃ばっかり……わたしも皇妃になりたい)

 皇妃になって、菫色の瞳に見つめられたい。

 想像し、嗚呼――そうじゃない、と佳弥は感じた。

(わたしを、見てほしいの)

 けれども、自分は一人前に程遠い見習いで、この歳でようやく一人暮らしを始めたばかりで、人間的に未熟な上、異性の目を引ける容姿も持ち合わせていない。

 涙が滲んで、佳弥は横になったまま膝を抱える。

 鈍い疼きは消えず、夜は更けていった。



 翌朝早く、野茨に起こされた佳弥は、更に落ち込むこととなった。

 眠ったのかどうかもあやふやな感覚だったが、肩を揺すられて気づいたから、少しは眠れたのかもしれない。

 ぼうとしていたら、聞こえてきた台詞に完全に目を覚まされた。

「佳弥、貴女、お尻の辺りに血が……月の物?」

「ぅえっ!?」

 飛び起きれば、下腹の痛みを知覚する。転がり落ちる勢いで寝台から降りると、敷布の端に小さいながらも鮮やかな赤い染みが付いてしまっていた。「やだ――どうしようっ」

 予定日はまだ一週間も先だった。今まで乱れたことがなかったから、完全に佳弥は動転した。寝台の脇を右往左往する。

「とにかく着替えて当て布して。敷布も洗わないと」

 野茨が助言してくれて、佳弥はようやっと動き出す。

 幸い、敷布団にまでは染み込んでいなかった。敷布の染みも、落ちはした。

 それでも魔術技能が半端な身には、術力で熱を調節して、濡れた敷布を上手く乾かす自信が無い。

 佳弥も今日は出勤するし、野茨も引っ越しの予定だ。七時半には寝台を取りに来ると、ルシオウは言っていた。天日干しでは間に合わない。

 仕方ないので敷布は家にある新しい物に張り替えるにしても、そうするに至ったことを言わないわけにはいくまい。

 半ベソで朝食を支度する佳弥に、隣で手伝う野茨が乾いた笑いを洩らす。

「他の男と初めてのナニしちゃったからって言うより何万倍もマシよ、安心しなさい」

「何ソレ……ちっとも安心できないよ」

 初日から下腹がきりきりするなんて、初めてだった。いつもは軽いのに、急に早まった今月は重いのか。気まで重くなる。

 筋違いに皇妃に嫉妬なんかしたから、バチが当たったのかもしれない。

(後で、薬学の本で生理痛の薬を探そう……こういうきっかけを利用して知識を深めるのだって、いい筈だもん)

 それにしても、少しずつ自分を磨いていくしかないのだと、気持ちを噛み締めた矢先にコレとは……

 落ち込み続ける間も時は流れ、予告通りの時刻に魔術教官がやって来た。

 佳弥がどもりながらも事の次第を話して謝ると、ルシオウは不愉快そうな顔も見せずに頷いた。

「別に構わない。面倒かけたな」

「い、いえ。ホントに、すみませんでした」

 うつむいて佳弥は謝罪を繰り返したが、反応が無くて上目づかいにルシオウを見上げる。形のいい双眸が、じっとこちらを見ていた。罪悪感と別の意味で鼓動が速まってしまう。

(何――?)

「その手、ちょい、上げて」

 低声に促され、緊張に前で組んでいた手を、佳弥はおずおずと胸元で組み直す。ルシオウは真剣な眼差しで見つめてきた。腹の辺りを。

 昨夜、この瞳に見つめてほしいと焦がれたけれど。何か、期待していたものと違う。

「あ、あの、な、な何見てるの」

「命帯」

「なな何で。何か?」

「その月の物で、何か変わんのかなぁと」

 ルシオウは佳弥の腹を凝視して、呟くように続ける。「今まで気づかなかった。揺れと言うんではないんだが、何となく違う気もする」

 別段いやらしい目つきでもないのに、どうしてか裸を見られている気がしてきた。佳弥は頭に血が上り、腰を抱き込んでしまう。

「もっ、も、いいでしょ。わた、わたしっ、仕事があるしっ」

「あー。おぅ」

 生返事をすると、ルシオウは近くで目尻を下げまくっていた野茨に目を流した。「あー、お前はまだちょっと他の揺れがあるから判らないなぁ」

 佳弥は愕然として医事者見習いを見る。

(ちょっと、まさかそうやって他の()を手当たり次第に見るつもり!?)

 嫌ーっ、と佳弥は喚きたい衝動に駆られたが、口に出来るわけもない。虚しく唇をわななかせているうちに、そろそろ俺も行かねぇと、と五歳担当は寝台の枕辺に手をかけた。

 じゃあな、と言うなり、ルシオウの姿は寝台と共にかき消える。

 野茨が、すぼめた口に指先を当てつつ言った。

「佳弥、本気で頑張んないと。彼の目、メイフェスでは見かけない色だし、きらきらして綺麗だし。ああも熱心に見られたら、勘違いする子いるわよ、絶対」

「し、知らないっ。もう、わたしも仕事行くっ」

 完全に痩せ我慢の台詞を吐いて、佳弥は出勤した。

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