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二人は見習い  作者: K+
三幕 教官は医事者見習い
17/30

 佳弥(かや)が昼食の片づけを終えて戻ると、寝台で半身を起こした野茨(のいばら)が足を(ゆか)へ下ろそうとしていた。

「厠? 一人で行けそう?」

 小走りに近づいて手をのばすと、友人はほのりと微笑んだ。

「大丈夫よ、お蔭さまで」

 確かに顔の腫れは引いてきてはいる。それでも夜明け頃から、だいぶん高い熱が出ていた。今触れる手の甲も、まだ熱めだ。

「無理しないでよ、もう何も心配すること無いんだから」

「うん。だから――」

 野茨は己が手に触れる佳弥の手に、もう片方を重ねた。やはり体温が高い。「佳弥も、ちょっと休んだ方がいいわ」

「何言ってるの、わたしはぴんぴんしてるでしょ」

「でも寝てないでしょう、佳弥」

「平気よぅ、今日はお休みだしね」

 老が帰った後に薬処(くすりどころ)から一人駆けつけて来て、上司もハイ・エストのように野茨を診てくれた。佳弥はその際に、次の休暇と今日を交換してもらったのだ。

「でも佳弥……隈が凄いわよ……?」

「えっ」

 焦って鏡のある方へ顔を向ける。

(うっ……)

 映った己に絶句してしまった。目の下も酷かったが、ただでさえ纏まりにくい癖っ毛が方々に跳ねている。流石に寝間着から部屋着に替えてはいたものの、他の身繕いを失念していた。

「ほらほら、交代しましょ」

 野茨は眦を下げた。「美味しいお粥をいただけたし、随分、調子が戻ってるわよ、わたし」

 おたおたと手櫛で髪を梳きつつ、佳弥は友を見る。

「美味しかった?」

「えぇ、とても。いただいてる時に言うべきだったわね、ごめん」

「もう、今日ぐらい〝ごめん〟は無しで」

 佳弥は苦笑いをする。

 夜が完全に明けて二人きりになってから、互いに謝って一緒に泣いた。黙って一人で背負いこんだ野茨と、こんな事態になるまで何も気づけなかった佳弥。けれど、共に涙したなら、許し合えたと思いたい。

「わたし、全部食べてくれただけで喜んでたよ。美味しかったなんて嬉しいよぅ――ハイ・エストから教わったの、アレ」

 両手を組んで佳弥が言うと、野茨は柔らかく笑声をこぼした。

「いい感じになってるわね、ハイ・エストと」

「え、違うよ、そういうんじゃないよ。今日たまたま教わっただけ」

 手を振る佳弥に野茨はおどけたような目を向け、とにかく、と寝台に両手をついて立ち上がろうとする。

「隈があっては、せっかくのいい男も悩殺できないじゃない。寝た方がいいわ」

「の、悩殺なんて――」

 野茨なら可能かもしれないが、佳弥には隈の有無に関わらず無理だ。

 そもそも怪我人から寝台を横取りするなんてできない。気にしないで寝ててよ、と佳弥は友の前に両手を出す。

 と、玄関が一度、叩かれた。

「あ、ほら、誰か来た。ちゃんと寝てなきゃ、野茨」

 午前中にも、宮勤めの男性が一人、今回の経緯(いきさつ)をお伺いしたいのですが、と訪れた。日に焼けて首都郊外で農業に従事していそうな風体だったけれど、褐色の帯の合間から、臙脂の組紐に繋がる翡翠の石飾りを出してきて職場が知れた。

 事務役を拝命しているという若者は、野茨に真摯な気遣いも見せ、淡々としていながら感じのいい人物だった。だから佳弥も、知っていることを全部話した。

『いずれ(みやこ)からの使者も伺うと思います。どうぞ、御協力をお願いします』

 若者は、そう告げて帰って行った。

 今度の相手にも、同じように話せばいいのだろう。

 野茨が仕方なさそうに寝台に横たわり、佳弥は玄関を開けた。

「ひゃぅ――っ」

「……しゃっくり中か?」

 ルシオウが長袴の隠しに片手の親指を引っ掛けて、目の前に居た。

 自分でも奇声だったと思う。けれど、姿を見た途端に心ノ臓が跳ね上がって、声が洩れてしまった。

 瞬く間に顔が熱くなって、ハッと佳弥は顔に手をやる。

(隈――凄い隈っ。髪もぐちゃぐちゃっ)

 わたわたと頭と顔に手を彷徨わせると、相変わらず落ち着いて響く声が不審そうに訊いてくる。

「それでしゃっくり止まるのか」

「違っ、違――っ」

 菫色の瞳がまじまじとこちらを見ていて、佳弥は恥ずかしさに泣きそうになった。「ちょ、ちょっと、待ってて!」

 玄関を閉めようとしたら、ルシオウは片足の先を扉の隙間に突っ込んできた。

「何か知らんが五科まで後三十分くらいしかない。野茨、まだ居るんだろ」

 そう言われてしまっては、どうしようもなかった。佳弥はめいいっぱい顔を下げてルシオウを中に入れる。

 魔術教官はさっさと奥へ行き、寝台で起き上がっていた野茨に穏やかな口振りで言った。

「よぅ、だいぶん、持ち直したな」

「お蔭さまで。どうもありがとうございます」

蒼杜(そうと)から特製の薬を預かってきた。薬処から処方されているだろうが、重複しても大丈夫だと言う。良かったら飲むといい」

 野茨はやや目を落とした。おずおずと言う。

「ありがたいんですが、わたし、昨夜の治療費も一度に払えるかどうか……」

「あぁ、今回は栩麗琇那(くりしゅうな)に請求したから気にするな」

 複雑そうな表情になった野茨に、ルシオウは目を眇めた。「被害者も加害者も一族の一員なら、その皇帝がどちらにも責任を負うのは当然だろう。ひとまず治療費を払うのだって奴の役目になる。後から改めて、加害者に請求すりゃいいことだしな」

 佳弥は顔を下向けたまま、上目づかいに同意する。

「うん、野茨、(てい)にお任せしなよ」

「……分かりました」

 野茨は両手を一つの拳にして額に掲げると、一礼する。ルシオウはニヤリと笑んだ。

「蒼杜の奴、にこにこしながら底意地は悪いからな。今回は経費から何から、あれこれ理由つけて請求しただろうよ。医術師の身分料も加えると、一般人は一、二年働きづめないと払えないんじゃないか」

 要するに、やっぱりいい人なんだ、と佳弥は思う。

 それを悪戯っぽく話す、この人も。

 ちらりと横に目をやれば、筋張った腕と淡い縹色の単衣(ひとえ)が映る。それだけで、胸がどきどきしてきた。

(なんかわたし、おかしい。昨夜から変だ。姿が見えないと不安なのに、見えると何でか動揺する)

 脈絡なく、次々思いが浮かんでくる。

(隈あるし、髪ぼさぼさだし……でも全然見向きもしないで野茨の方に行っちゃうし……昨夜わたし、寝間着だったのに、つまんないモノ見たって顔だったし……)

 手の僅かな光だけに照らされていた、彼の姿を思い出してしまった。耳まで熱くなる。

(魔術やってると、あんなに引き締まった身体になるの……?  それとも男の人って、みんなああなの……?)

 袖を通してからも留め具を嵌めず、帯も無かったから、上着一枚のルシオウは胸元が結構はだけていた。思い返せば、やけに色っぽい。

 くらくらしてきた頭上から、低声が降ってきた。

「おい、佳弥」

「ぅゃひ!?」

 完全に声が裏返った。ルシオウは、怪訝そうな顔で見下ろしてきた。

「お前、寝てないのか? しゃっくりかと思ったら、呂律が回ってないみたいだな。命帯(めいたい)は普通みたいだが、ぼけっとしてるし、なんか顔赤いぞ」

 佳弥は目のやり場が無く、うつむくと顔を逸らす。

「だっ、だだいじょ、ぶ」

「わたしもう、だいぶいいから、これから寝台返して寝せます」

 野茨がさらっと言うと、そか、とルシオウは応じた。

「じゃあな」

「へ!?」

 思わず佳弥は目を戻す。

 もう行っちゃうの――

 そう口にしそうになり、いくらなんでもそれは変な台詞だと自覚した。慌てて口をつぐむ。

 ルシオウは呆れた表情を見せたが、後は何も言ってくれなかった。野茨へ目を流し、片手を上げると家を出て行ってしまう。

 茫然と立ち尽くしていると、佳弥、と笑いをこらえるように友の声が呼んだ。

「安心しなさい、又、六時頃に来てくれるって」

 だからそれまで寝る寝る、と野茨は腕を引っ張った。佳弥は寝台にへたり込む。

「な、なんで、来てくれるの……?」

「〝後な、今晩六時頃に蒼杜が診察に来たがってるから、又来る〟」

 声を低めて真似てから、野茨はにやにやした。「なーんか彼を盗み見てから顔赤らめてると思ったら。当の彼が喋ってるのに聞こえないほど、何妄想してたのよ」

「も、妄想なんて、してないし」

 肩を押されるまま寝台に倒れ込んで、佳弥は身体を丸くする。端に腰を下ろす野茨の手が、優しく髪を撫でた。

「彼にしたって隈があったら悩殺できないわよ。今は寝て。たくさんお疲れさま、佳弥」

「……む、り……」

(わたしの方が、悩殺された)

 眠りに落ちる寸前、悟った。



 午後五時少し前、そろそろ起きた方がいいわ、と野茨が起こしてくれた。

 三時間とはいえ、怪我人を放って眠り込んでしまった。後ろめたさで、佳弥はすぐに覚醒した。

「ご、ごめん――具合はどう?」

「上々よ。お薬のお蔭で熱も下がったみたい」

 野茨は口元をほころばせた。痣はくっきりと残っていたが、だるそうな雰囲気は無くなっている。「佳弥の寝顔、可愛かったわ」

「……涎垂らしてなかった?」

「三時間程度だったからかな、大丈夫よ」

 笑顔で野茨は言うと、鏡の近くに置いていた櫛で佳弥の髪を梳き出した。「隈消えたんじゃない? さぁ、悩殺準備、悩殺準備」

「い、いいよ。わたしは色気より食い気の女なのよ……」

「玄関慌てて閉めようとしてた人が何言ってるの」

(狭い家って筒抜けだから嫌ね……)

 口をすぼめる佳弥の髪を、野茨は楽しそうにせっせと整える。

「もう男なんて懲り懲りだと思うけど、あの五歳担当はきっと別物よ。捕まえて、佳弥は幸せにならなきゃ」

「何言ってるの、野茨こそ幸せにならなきゃ駄目でしょ」

「うふ。そうね、佳弥が五歳担当に行くなら先輩が失恋しちゃうから、立候補してみようかな」

「立ち直り早い」

 しかしこれぞ野茨だ。佳弥は笑みがこぼれる。「それよりね、失恋も何も、ヌサギさん、そんなにわたしに興味無いと思う」

 えー、と疑いの声が背後からあがる。だって、と佳弥は告げた。

「どっちかって言ったら、野茨だよ。体調気遣ってたし、発言もいちいち覚えてるみたいだし」

「……それは、わたしが後輩だからでしょ」

耶光(やこう)先輩もわたしを大事にしてくれるけど、あそこまでじゃないよぅ」

 戸惑いを示すように櫛の動きが鈍った。充分、普段よりきちんと髪が纏まっていて、ありがと、と佳弥は櫛を野茨から取る。

 横になっていた所為で皺の寄った服を脱いでいたら、玄関がせわしく叩かれた。ぎょっとして時計を見れば、まだ五時半にもなっていない。

「なんでこんな時は早いの!」

「事情を聴きに来た人かも」

 野茨が玄関口へ代わりに向かいながら言う。

 それもあったか。

 とにかくも、佳弥は大急ぎで新しい服を身につける。せっかく綺麗になった髪が、ちょっと乱れてしまった。

 佳弥が服を着たのを確かめ、野茨がそっと閂を外した。指先で髪を直しつつ、佳弥は友人の隣に寄り添う。

 玄関を開けると、ヌサギが立っていた。野茨を見るなり、その両手に幾つか抱えた桃が、ぼとぼと二つばかり落っこちる。

(噂をすればって本当なのかしら)

 落ちた桃に佳弥が手を伸ばす間に、ヌサギは口早に問うた。

「大丈夫なのか、野茨」

「は、はい」

 野茨は狼狽気味ながら背筋を伸ばす。「先輩、なんでここに……」

「君が休んだ上に佳弥君も居ないみたいだったから、心配になって薬処の人に訊いたんだ。そしたら、君が酷い怪我をして佳弥君の所に居るって言われて――」

「取り敢えず、中にどうぞ」

 桃を拾い上げた佳弥は言う。甘い香りが玄関口に広がっていた。虫が来そうだ。

 ヌサギを食卓へ促すと、佳弥は虫除けの(こう)に火を灯して窓辺へ吊るす。野茨は落ちた桃から手早く皮を剥いていき、傷んだ部分以外を切り分けて小皿に盛った。

 ヌサギは所在なさげに椅子に座って、ごめん、と言う。野茨は首を振って、やんわりと目を細めた。

「今日この家で〝ごめん〟は無しの日なんですよ」

「そ、そうなんだ、ごめ――」

 言いかけて、ヌサギは片手で口を覆う。野茨が笑声をこぼし、佳弥もつられた。ヌサギは照れ臭そうに、頭に手をやる。

 手水鉢と手拭いも卓に並んで、三人で瑞々しい果実に手を伸ばす。程良く熟れて美味しかった。季節の味だ。

 野茨が、口火を切った。

箔瑪(はくめ)、連れて行かれました。老は、もう心配しなくていいって」

「――そう」

 ヌサギは、大層ほっとした様子で肩を下ろした。それでもすぐに、表情を改める。「他の警備役、大丈夫なんだろうか……?」

「多分。念の為、今月いっぱいくらい、寄合所の近くに住むよう言われました。明日か明後日にも移ります」

 寄合所の近所は、現六老の住まいが割合集まっているらしいのだ。

「あぁ、それがいいね」

 知っていたようで、ヌサギは頷く。「引っ越し、手伝おう。君、そんな状態なんだから、無理しちゃいけないよ」

(やっぱり単なる先輩にしては過保護よ)

 佳弥はそろりと友人に目配せする。野茨は気づいて、ほんのりと頬を染めた。その顔は、痣だらけなのに、同性の目にも花咲くようだった。

「じゃあ、お願いします」

 うん、とヌサギは嬉しそうに目を和ませる。

(これは……わたし、絶対邪魔だ)

「ちょっと庭で、薬草摘んできます」

 こそりと告げると、佳弥は席を立った。玄関から外に出る。丁度、六時が迫っていた。

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