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二人は見習い  作者: K+
三幕 教官は医事者見習い
15/30

 (いん)術を教わりたいんです、とヌサギと名乗った男は切り出した。

「術書を読んで試してみたんですが、第三者へかけるのが巧くいかないんです」

 出した麦茶に手ものばさず、切々と訴えてくる。夜間の生徒達よりも熱の籠もった目だった。

 琉志央(るしおう)は自分の木杯から一口飲みつつ、斜めの席からヌサギを観察する。

 微動だにしない命帯(めいたい)裏葉(うらは)色。術力はルウの民の平均より少しだけ低めか。他の者より術力を集中させないといけないだろうから、巧くいかないとすれば、印に必要な加減を誤っているのかもしれない。

「印は丁度、午後七時半から他の奴らにも教えているところだ。一人増えたところでイズミも文句は言わないだろう。混ざるといい」

「イズミ老がいらっしゃるんですか」

 ヌサギがためらうように表情を翳らせる。

「老だか何だかが居ようが居まいが、学ぼうということが、恥ずかしいとは思わないが?」

「恥と思うなら、こうして来ていません」

「すると、個人的な理由で習得したいだけというのが、後ろめたいのか?」

 大方、カヤに保護欲でも生じているのだろう。

 子供は割合、しぶといし図太いが。

 一ヵ月半囲まれて、最近、実感していることだ。

「あまり、事を大きくしたくないんです」

「メイフェス・コートで印が必要な事態なんて、無さそうだしなぁ」

 正直に洩らして琉志央は苦笑したが、ヌサギは思い詰めたように麦茶の杯を凝視する。

(ほのぼの島の住人にしては、妙に深刻だな)

 琉志央は目を眇めた。どうも考え違いをしているかもしれない。自分が惚れた女への思いつきで要らぬことを学んでいるからと言って、他の男もそうとは限らない。

 そもそも目の前の男は、必要に駆られている。

「あの薬処(くすりどころ)の健啖女、何に足突っ込んでるんだ」

「い、いえ、カヤ君にかけたいんじゃないです」

(健啖女で通じてしまった。あいつの食い意地は周知か)

 失笑しそうになった裏で、琉志央は不意に蘇った記憶があった。カヤと話していた、揺れる八重桜色の女。

「あいつの、腕をおかしくしてた知り合いか――」

「御存知なんですか!?」

 一滴も減っていない杯を倒しそうな勢いで、ヌサギが卓に手をつくと身を乗り出した。「何故、教官が!?」

「俺は一応、医術師の弟子だぞ。診断はできないが命帯を見れる」

 あっ、とヌサギが合点の声をあげる。琉志央は眉を寄せ、続けた。「先月、すれ違った時に見た程度だが……あれは術か何かを受けて痛めた揺れ方だったのか」

 ヌサギは迷うように、せわしく視線を彷徨わせた。ようやく杯を手にし、ひと息に飲み干す。

 そうして、ぽつぽつ話し出した。

「彼女は僕の職場の後輩なんです。様子がおかしいから問い質したら、恋人から暴力を受けていると……」

(では殴打で、あの揺れ方になるのか?)

 見習いとしてはそちらの情報が欲しいところだったが、琉志央は黙して麦茶を飲む。何やら面倒な話になってきている。

「きっかけは別れ話を出したからで、以来、監視のように家へも恋人がよく来るようになったとか。他に相手が出来ての別れ話だと思っているようで、気に入らない態度をとってしまう度、相手は誰だと詰問されるそうです」

「女は何故、誰にも助けを求めないんだ」

「こうなったのは全て自分が悪い、自分の所為だと思っていたようで……それと、もしこんな話を周囲に漏らせば、警備役の矜持も貶めると思えと言われたそうです」

 警備役という単語に、益々面倒そうだとよぎった。ムクナリの言う通りなら、術の心得がある一団だ。

 琉志央は口を歪めて立ち上がった。水を張った流しから、麦茶の壺を引き上げる。ヌサギの空いた杯に注いでやって、椅子に座り直した。片胡坐をかく。

「矜持が嗤わせる。老や栩麗琇那(くりしゅうな)に何とかさせた方がいいぞ」

「警備役は数が多いんです。その恋人だけ何とかしても、残りがどう動くか読めません」

「だから尚更だ」

 卓に肘をつくと、琉志央は髪に指をうずめた。「つまり、大陸でもお目にかかれない魔術師集団みたいなものだろう、警備役というのは。個人でどうこうできるものか。俺だって魔術師とやり合うとしたら、せいぜい二人相手取るのが限度だ」

 ヌサギは黙り込む。琉志央は鼻で息をついた。

「上が動き出すまで、女は何処かへ匿っておけよ」

「そ、それが、その恋人、お前がそういうつもりならオレも浮気するなどと、わけの解らないことを言い出しているらしくて……相手に、カヤ君を仄めかしているらしいんです」

(あのお子様に、浮気相手なんてヤツが務まるとは思えんが……)

 率直な感想を口に出来る流れではなく、琉志央は無言で麦茶を啜る。

「ノイバラはカヤ君を巻き込みたくない一心で、別れるなんてもう口にしないから浮気なんてしないでくれと、何とかとどめているそうです。逃げ出せない状況に陥ってます」

蒼杜(そうと)は結婚願望が無いらしいが、こういう件に触れてしまうと、然もありなん)

 琉志央が辟易する前で、ヌサギは懸命に決意を述べた。

「このままではいずれカヤ君にも被害が及ぶかもしれないし、ノイバラがこれ以上傷つくのも黙って見ていられません。ですから、僕が人目のある所で結界と印を施して、矛先を変えようと思うんです」

 加害者の男が拘っている浮気相手に、成り済ますつもりか。

「勇ましい話だが、やめとけ。恐らく火に油だ。あんたも敵視される上、更にノイバラとやらが痛めつけられる可能性もある」

 琉志央は部屋の柱時計を横目に見た。五科始業が近づいている。

 木杯を空けると立ち上がり、琉志央は肩をすくめてヌサギを見下ろした。

「俄か術者では魔術師の集団には歯が立たないぞ。何かしてやりたいなら、六老館に行った方がいい。一族の女一人守れないで、大陸の守護者を名乗れるか? 年寄り共に、そう発破かけてでも警備役の手綱を締めさせろ。栩麗琇那には俺が直接話しておくから」

 ヌサギは下唇を噛む。時計に煉瓦色の目が流れ、ゆるゆると立ち上がると、額に両手を掲げて一礼した。

(てい)にお話しいただけるのなら、僕も六老館へ行ってみます」

 この反応からすると、六老はこの手の懸案を捌くには不向きらしい。琉志央はきびきびしたイズミしか知らないが、平和な都の切り盛りだから、大らかで根はお人好しという老が多そうではある。これまでも、似たような事案を、なあなあで済ませているのかもしれない。

 とにかくも明日には皇帝に伝えることを確約し、夏の日差しの下、琉志央は一旦ヌサギと別れた。



 その日の午後七時半過ぎ、恐る恐るの態で、ヌサギが首都郊外の草地に現れた。

 後学の為と言うので琉志央は授業参加に頷き、他の面々も歓迎した。ヌサギの腕前はムクナリより少し上といったところで、切磋琢磨できそうだ。

 九時過ぎ、イズミがいつものように日当を持って来た。ヌサギは低頭の後、他の魔術教官達と同様に帰って行った。老には、諸々連絡済みだったようだ。

 相変わらず生真面目に明かり番をするムクナリを、長話があるからと、琉志央は先に帰した。

 残ったイズミは、歳の割にたるみの無い顎を引き、こちらを見据えた。琉志央も見返す。

 温い夜風が流れ、琉志央は前髪をかき上げた。

「日当、増やさなくていい」

「そうですか」

 小袋に指を差し入れると、イズミは銀貨を五枚抜き取る。

「なぁ、警備役、どうするんだ」

「至急、事実確認中です」

「こう言っちゃナンだが、聞く限りじゃ俺よりも魔術師らしい所業だな」

 イズミは不快気に柳眉を寄せる。琉志央は長袴の隠しに両手を入れた。「俺は女に暴力を働いたことは無いぞ?」

「帝がメイフェスへ降り立つ許可を出されたのですから、そのくらいは当然です」

 澄まして言うイズミに、琉志央は呆れて口を曲げる。ならば、現在ノイバラに暴力を働いている奴がメイフェス滞在を許されているのはおかしいではないか。

「警備役って何人居るんだ」

「現在四十名強です」

「結構、居るな」

 コートリ・プノスの人口は千五百に届いていないと思われる。島の首都として歴史ある都とは思うが、観光地ではなく、それほど大きくもない。警備の必要性は殆ど感じられないそんな地で、ぞろぞろと何をしているのか。

「警備役は百五十年ほど前、老を多数輩出した旧家が、家族全て家名に恥じることのないお役目に就く為、設立させたのです。現職の老は全員、無関係ですが……」

 イズミは少々忌々しげに説明した。「十年ほど前まで、縁故採用の因習が残っていました。百人以上在籍している時期も普通にあったのです」

「つまり、身内で団結してしまっていると?」

「現在も半数は。残り半数も数人から十数人単位で、何かしら関わりを持ち合っています」

 想像以上に厄介だ。こうなると内部に身内が全く居ないからこそ、現六老は益々手が出し辛いのではないか。

「決定的な何かが上がってこない限り、口を出せそうにないな」

「そういうことです」

 金貨の入った小袋を向け、イズミは静かに言った。「ヌサギに六老館へ行くよう促したのは教官だそうですね、感謝しています」

 真夏に雪が降りそうだなと思いつつ、琉志央は日当を受け取る。

「明日、栩麗琇那にも俺から話すつもりだ」

「いいでしょう。こちらも確認が取れ次第、(おさ)が伺う所存です。最近の警備役は他にも目に余る振る舞いが増えていました。この機に他の者も正式に罪が問えないか検討中だと、帝にお伝えください」

 解ったと首肯すると、では、とイズミはきっちりと一礼してその場から消えた。


   ◇  ◇  ◇


 八の月三週が始まった日の夕暮れ、佳弥(かや)は帰宅途中に、噴水広場の角で公示板を見ていた。

 夏向けの服の宣伝、図書館に新しい写本が加わった件、今年から開設された託児舎の詳細、先月の作物の出来具合を大陸と比較している情報、高年層や未就学児の打ち水人員募集……

 各分野ごとに整えられて掲示されている物を、佳弥は興味の赴くまま、あちらこちらに視線を移して読んでいた。

 先月までは素通りしていた〝学舎近景〟にも、何となく目が行った。〝五歳課程〟の項。

【流石ルウの民! 基礎はバッチリ

 過日行われた魔術試験に於いて、生徒達は全員合格の快挙を成し遂げた。

 これにより、大陸より招致された教官が前評判通りだったことも裏付けられた。今後の指導にも期待がかかっている。

 生徒達と教官の関係は大変良好で、先月は魔術の授業でありながら、怪我人皆無である。】

(なーんか、立派に書いてあるなぁ。本人を見ると、こんな風じゃないのに)

 そんな感想をいだいていたら、横から声がかかった。

「かーやチャン」

「あ、こんばんは」

 黒衣を隙無く着こなして箔瑪(はくめ)が立っていた。

「何か面白い掲示が出てるみたいだな、どれ?」

「え? やー、面白いって言うような物は、わたしとしては無かったですけど……」

「それにしちゃ、顔が笑ってる。面白いって言うより、何か嬉しい内容か」

 佳弥は思わず顔に手をやる。笑っているつもりは全く無かった。戸惑う隣で、箔瑪は悪戯っぽく口角を上げて続けた。「薬処の給料値上げでも、告知されてるのかな」

「あはは、あり得ません」

 万年閑古鳥でもやっていける薬処は島営だ。給金は、増えはしないが減りもしない。「薬師に昇格できたら、少し上がるでしょうけどね」

「お、そろそろなんだ?」

「いえいえ、まだまだまだ」

 先日から、やっとこさっとこ、滋養薬の調合を教えてもらい始めたところだ。

 慌てて手を振る佳弥に、箔瑪が腕を向けた。大きな手が、ふわんと頭に乗ってくる。

「はは、なんか可愛いなー、佳弥チャン」

 佳弥は、ぽかんとして、箔瑪を見上げた。黄土色の瞳が見返してきて、ホントホント、と細まる。

 優しく二、三度、包むように撫でられ、佳弥は顔に血が上った。

「あ、えっと、あ、あありがとう、ござっ、います」

 努力したのに声が少し裏返った。今すぐこの場を逃げ出したい。もしもこんなところを野茨(のいばら)が見たら、どう思うか。自分だったら嫌だ。

 箔瑪の制服の所為か、公示板の前からは他の人が消えていた。うろたえて周りを窺ったが、多くは家路に急いでいる風情だ。広場の片隅に気を留める者は幸い居そうにない。今のうちに退散しなければ――

「なんだ、昨日、一緒だった奴かと思ったら……」

 突然、背後から聞こえた低声に、佳弥は文字通り心ノ臓が口から飛び出るんじゃないかと思った。肩が大きく跳ね、頭上の手も離れる。

 振り返れば、やはりルシオウだった。まだ高い日の加減か、空色がかっている半眼を閉じて言を継ぐ。

「そっちが恋のまじないの相手だったのか?」

「違っ、違います!」

 数種について佳弥は否定を込めた。箔瑪が一瞬不快そうに口を歪めたのが判り、焦って言い直す。「こちらの方にはちゃんとお付き合いしてる子が居るんですから、変なこと言わないでくださいっ」

(ていうか、貴男って、何で他のヒトと居る時ばっかり現れるの!)

 頭を掻きむしりたい衝動に駆られつつ、佳弥は意味も無く〝学舎近景〟を繰り返し指差した。

「わたしはですね、これっ、これ、読んでただけなんです。もう読み終わりましたから、帰りますっ」

 それじゃっ、と頭を下げるなり、佳弥はその場から走り出した。

 鼓動が速い。走り出す前から速かった。

 可愛いなと言われ浮かんだのは、初めて頭を撫でられた時のこと。

(あの人も、そう思って撫でたの――?)

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