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二人は見習い  作者: K+
三幕 教官は医事者見習い
14/30

 予定通り、八の月は(いん)術を教えている。

 術力や一定以上の動力が自分に向かって来た時、風、火、水といった、自然物の盾を生み出せる魔術だ。六時間ほどしかもたないが、強度は結界より上で、闇魔術を当てられても一度ではそう壊れない。

 初日に見本を実演したら、子供達は予想外の興奮を見せた。(つばめ)曰く、とってもかっこいい、そうだ。理由はどうあれ、先月以上に、幼子達は熱心である。

 基本的に呪文は要らないが、宙に術力で描く紋を覚える必要がある。紋には種類があるから、全部習得するには少々時間がかかるだろう。ひと月では多分、無理だ。

 とはいえ、これを覚えれば結界は楽勝だし、術力調整の精度も増す。後は発光、光弾、眼力、教本に載っている全ての魔術が、芋蔓式に会得可能だ。

 印は各自に練習させては効率が悪いと、蒼杜(そうと)が言った。納得して、琉志央(るしおう)は連日、子供達と日陰に横並びし、紋を一緒に繰り返し宙に描いている。

 最初はついつい、実演時同様、普通に描いてしまった。ほぼ全員から、速いです、と抗議された。

 慣れてしまった身には、ゆっくり描くのは、存外、難しい。蒼杜にぼやいたら、可笑しそうにしていた。慣れるしかないのぅ、と守護精霊が他人事丸出しの口ぶりでぬかしていた。遅さに慣れてたまるか、と琉志央は言い返しておいた。

 印は速く描ければ描けるだけ、損は無いのだ。速さを得た印は、結界より格段に危機回避率が高い。

 三時の鐘の音が聞こえ、途中まで描いていた風の紋を終いまで描くと、琉志央は手を下ろした。子供達の小さな手も、ほっとしたような吐息と共に次々下ろされる。一度描いては休憩を入れるが、術力を指先に集中させるし、そこそこ腕がこる。

 それでも一週間経って、皆、だいぶん慣れてきている。

「印は他人に施すことも可能だ。この紋が完璧になったら、それも覚えてもらう」

 告げながら琉志央が立ち上がると、少年の一人が活き活きとした目で見上げてきた。

「誰かを守ってあげられるんだ、大陸の守護者っぽいね」

「そういやそうだな。できるようになれば、立派なルウの民に一歩近づけるぞ」

 わぁ、と幼子達は顔を見合わせる。

(無邪気なもんだ)

 この五歳教室の十六人が、やがて、真の大陸の守護者を名乗るのだろうが。

 琉志央は短く喉を鳴らした。

「今日もちゃんと飯食って身体休めろよー。他人を守るのもいいが、先ずは自分を大事にしろ」

 はぁい、と珍しく子供達は声を揃えてきた。


   ◎  ◎  ◎


 幣木(ぬさぎ)は眉をひそめた。

 今日の野茨(のいばら)は足を引きずっている気がする。

 先月の中頃から、あの後輩はしばしば身体を庇うような動きをしている。

 これまでは腕のことが多かった。特に左。両手で持った方がいいような書籍も、右で支え持って運んでいた。

 ちょっとだるそうに見える程度で、違和感は無い。けれど、彼女が同じ部署に配属されてから指導を担当してきた身としては、これまでと違う動作が気になる。

 図書館内の司書域で、返却された本を分類しながら、幣木は野茨を窺う。細身の美人後輩は、四、五冊の書籍を両手に抱え、館内奥の書架へと向かっている。うつむきがちに、ゆっくりと。右足の運びが、やや遅れ気味だ。

 幣木は目を逸らすと頭を掻く。野茨には恋人が居るようだし、こう頻繁に視線を送っては無粋だ。毎月一日に窓から微笑ましい光景を眺めるのとは、(しゅ)が違う。

 否、今月は、そう微笑ましくもなかったか。

 今まで、後ろ姿からも黄色い声が洩れているような、そわそわと華やぐ若い娘の姿だったのに。先日の佳弥(かや)は、いつものように通りに出て来たものの、何処かぼんやりとしていた。それでいて、薬草園に戻る折には、そそくさとしていた。

『あらら。図書館から丸見えって知った所為かしら』

 野茨は少し垂れている眦を更に下げて、苦笑気味にそう言っていた。

 そう、野茨、表向きはいたって普段通りだ。

 だから却って気になるのかもしれない。何処か痛めているのなら、言えばいい。彼女はこんな頼り甲斐の無い先輩でも懐いてくれていたし、以前は紙で手指を切ったことまで言ってきたように思う。言われれば、後輩の仕事の一部くらい、流石にこんな先輩でも不満無く引き受ける。実際、引き受けてきた。

 かたりと近くで物音がして、我に返った。目を向ければ、野茨が脇に立てかけていた踏み台を手にしている。目が合うと、照れ臭そうにへらりと破顔した。小声で言う。

「持っていくの忘れました。届かない場所があったのに」

「あぁ、なら、僕が行こう」

 幣木は未分類の本を示した。「君はこっちをやってて。座っていていいよ」

 え、と言いたげに小さく唇が開いたが音は洩れない。幣木は顔をしかめて言ってみた。

「足を痛めているだろう?」

 髪と同じ丁子(ちょうじ)色の双眸が見開かれた。動転したのか右足から後ずさり、眉を歪めてよろめく。幣木は軽く腕を支えて呟いた。「やっぱりか」

「け、今朝、ちょっと、転ん、で」

 ひそめた声が震えている。怯えたような震え方だった。幣木は嘆息すると、野茨を椅子に座らせた。

「ルウは治りが早いけど、君、この頃しょっちゅう、あちこち痛めてるみたいだ。休憩時間に薬処(くすりどころ)へ行っておいで。佳弥君が居るから敷居は高くないだろう?」

 ぽんと執り成しに頭へ手をおいてから、幣木は野茨が行っていた書架へ足を向けようとした。

 上着の裾が引っ張られ、少々驚いて振り返る。野茨の手が、縋るように裾を握っていた。強く握っている所為で、骨の辺りが真っ白になっている。

 館内だから声量を落としているが、その時の野茨の声は殆ど囁きだった。

「佳弥には、言わないで」

「……何故」

「…………」

「佳弥君には先月の末に、君が夏バテじゃないかと相談してしまったよ」

 裾を掴ませたまま、仕方なく幣木は告げた。びくりと野茨は肩をすくめた。

「佳弥、何て……?」

「次に会った時にそう見えたら、君を食事に誘うと請け負ってくれた」

「ど、何処で食事――」

「そこまでは、聞いてない」

 どうもおかしい、と脳裏に先程から警鐘が鳴っている。野茨、と改めて幣木が名を呼んだ時、上司の声が飛んできた。

「こら、こそこそするにしても、短く切り上げろ」

 すみません、と慌てて二人は頭を下げる。

 野茨が唇を噛み締めて分類作業を始め、釈然としないまま、幣木は司書域を出て書架へ向かった。


   ◇  ◇  ◇


 八の月二週も過ぎ行く昼休み、佳弥は実家から薬処へとぶらぶら戻っていた。

 手には、夕食のおかずが少し入った駕籠を提げている。

 先月最終日に卵を分けてもらってから、佳弥は半ば意地で、自炊の習慣をつけることに成功した。ただ、これまでの経験があまりにも少なく、如何せん作れる料理の種類が乏しい。

 中一日で同じ料理を作って食べることもあり、すぐに限界を感じた。野茨に頼りたかったけれど、会う機会が無く、こちらから出向くのは箔瑪(はくめ)が居るかもしれないから憚られた。

 それでもう、今更恥ずかしがってもいられず、母に教授してもらうようになったのだ。

 昼休憩になると、市場で食材を買い、実家で教えてもらいながら調理。それを食べてから、今度は冷めても美味しくいただける数品を伝授してもらい、作って持ち帰っている。

 実家を出る前にもっと教わっておけば良かったが、出なければ今でも佳弥は母に頼り切っていた気がする。だから良しとした。

 宅地の路地を抜け、大通りに出る。

 広場に入って噴水を通り過ぎ、斜めに横切ろうとした佳弥は、目の端に知った人が映って足を止めた。

 六老館の隣の家の門前に、簡素な単衣(ひとえ)姿のヌサギが佇んでいた。今日も暑いというのに、降り注ぐ日差しをモノともせず、宮殿の方を向いて、じっと立っている。誰かを待っているのだろうか。

 佳弥は、何となしにそちらへ歩き出した。野茨のことが気になっていたからだ。

 近所になったから会う回数も増えそうなものなのに、友とは引っ越し前より顔を合わさなくなっている。ヌサギから夏バテ云々と聞いて以降も、当の野茨を一度も見かけていない。薬処には来ないが、ひょっとすると具合を損ねている可能性がある。

(もしそうだったら、箔瑪さんのことなんて気にしてられない。先輩に相談して、薬を持って押しかける)

 心の内で一つ頷いて、佳弥は真っ直ぐヌサギに歩み寄った。

「こんにちは」

 声をかけるまで、宮殿と反対の方から来た佳弥に、ヌサギは全然気づく様子がなかった。泡を食ったように顔を向けてくる。

「あっ、こ、こんにちは」

「あのぅ、野茨、元気ですか? わたし、あれからも会ってなくて……」

 早速用件をぶつけると、ヌサギは何とか聞き取れる声量でぼそぼそと答えた。

「変わりなく、働いているよ」

「そうですか。なら良かった」

 ささやかにほっとして、佳弥は口元がほころぶ。

 ヌサギは、目をちょっと横手に向けながら言った。

「今月、(てい)が陣舎に入った途端に君が薬草園へ戻ったのは、図書館から見えているのを知ったからかなって言ってたよ」

「――っ」

 思いがけない話題に、佳弥は噎せた。両手で口を覆い、げほげほと咳き込む。

「大丈夫?」

 当惑気味なヌサギの問いかけに、佳弥は咳を続けつつも何度か頷く。

(逐一周りに報告しないでよ、野茨ーっ! ていうか、そうだった、図書館からよく見えてたって忘れてた!)

 今月初日に遠く帝を見た時、皇妃は卵で何を作ってさしあげたのだろう、と思ったのだ。その時点、同じ卵で佳弥は炒り玉子と目玉焼きを作っていた。

 きっと皇妃はもっと違う立派な物を作られたのだろうな、と想像したら、己の腕前が恥ずかしくて居たたまれなくなった。

 しかしお蔭で、自炊に執着が生まれたのだ。

「すみません、急に……」

 やっと喉に違和感が無くなった時には、涙目で額に汗が滲んでいた。佳弥は指先で汗を拭う。

「いや、僕が、変なことを言ったかもしれない」

 ごめん、と頭に手をやるヌサギに目をやると、その煉瓦色の髪の上にちょこんと夜色が見えた。

 どうしてか、心ノ臓が跳ねた。

「お前ら、人んチの前でいちゃつくなよ、暑苦しい」

 台詞は剣呑だが、声音は笑みを含んでいた。ルシオウが、ヌサギの背後から手をのばして門を開ける。にやりと口角を上げてそのまま門を抜けるから、佳弥は慌てた。

「いっ、いちゃついてなんていませんっ」

「双方顔赤らめて、もじもじしているのにか?」

 肩越しに振り返った菫色の双眸が、可笑しそうに細まっている。

 又、笑われた。しかも又、変な誤解をしている。

「噎せちゃっただけですっ」

「ほぅ? 気をつけろよ?」

 ルシオウは淡い若葉色の短衣から鍵を取り出すと玄関を開ける。ここに住んでいるのか。

 それより、こんなに早く再会したなら、食いしん坊も訂正できるのでは。

(でもわたしってば、お昼が終わったばかりで夕飯のおかずを持ってる。説得力が無さ過ぎる)

 脱力する佳弥の前から、ヌサギがぱっと消えた。目を走らせれば、焦ったように門を通って行く。

「あの、僕、教官にお話があって来たんです」

 半分扉を開けていたルシオウは、軽く眉を上げてヌサギを見る。佳弥は少し驚いて二人を見やった。誰か待っている様子ではあったが、彼を待っていたとは思いもしなかった。

「俺は恋のまじないなんて知らないぞ」

 違うってば! と佳弥が口を挟むより早く、ヌサギが真剣な口振りで応じた。

「そういうお話ではないです。その、突然で恐縮ですが、中で宜しいですか」

「何だ、改まって……まぁ、二時前までなら構わないが」

 小首を傾げつつも、ルシオウは扉を大きく引き開けて屋内へ促した。ありがとうございます、とヌサギは声を昂らせて頭を下げる。

 佳弥はわけの解らぬ羨望に苛まれ、ヌサギの背中を見送った。

 ルシオウは、扉を開けたままこちらを見て、不思議そうに言った。

「早く入れよ」

「いえ、わたしは……」

 思わず喜んだ自分に混乱しながら、佳弥は首を振った。「通りかかっただけだから……」

「すみません。佳弥君は、そうです、関係無いんです」

 ヌサギが傍らでそう言い、ルシオウは先程と反対側に首を傾け、そか、と頷いた。

「じゃあな、佳弥」

「――はい」

 疎外感にいささか視線を落とすと、駕籠の中身を覆う薄黄色い布が目に入る。佳弥は急いで、これだけは言っておかねばと、告げた。「あの、この前、卵、どうもありがとう」

 おぅ、と気のいい低声を返し、片手を上げると、ルシオウは扉の内に入って行った。

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