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二人は見習い  作者: K+
二幕 薬師見習いの引っ越し
13/30

 日差しは当たり前のように薬草園に降り注いでいたが、とうに午後四時を回っている筈だった。

 佳弥(かや)はそわそわと雑草を抜きながら、卵を待っていた。

 教官に言われた通り、五歳教室の子供達が魔術試験に合格するよう、運命神リ・コウに祈っておいた。祈っておいたのに全滅したのだろうか、卵三十個。

(リ・コウは気まぐれだけど、お願い――わたしは今晩、金色(こんじき)の炒り玉子御飯が食べたい……!)

 玉葱と馬鈴薯を買ったから、御飯にかけるのと同じタレで炒めようかと思っている。卵を絡めて丼にしてもいいのではないか。

 ぐぅと腹が鳴って、周りに誰も居なかったが、恥ずかしさに汗が噴き出してきた。佳弥は手拭いで額を押さえながら立ち上がる。

 柵の近くにある水場で梃子を押す。汲み上げられた地下水を掌に受けていると、つと影が差した。

(卵――っ)

 ぱっと顔を上げると、柵の向こうにヌサギが居た。苔色のつば無し帽子を被って、同じ色の腰丈上着を着ている。両手で、辞書のような書物を三冊ばかり抱えていた。仕事の途中だろうか。

 落胆しそうになった表情を、佳弥はぺこりと頭を下げて誤魔化した。

「こんにちは、どうかされましたか」

 ヌサギは本を持ち直しながら、少しね、と言う。

「訊きたいんだけど、このところの野茨(のいばら)……佳弥君と一緒の時は変わりないかい」

「このところ、というと……」

「そうだな……半月くらい……?」

「んー」

 濡れた手を拭いながら佳弥は記憶を辿る。ここ半月ばかり、佳弥は一人暮らしに向けてせわしかった。しかしながら、野茨とは通勤や帰宅時などに、普段と同じほど会っていたとは思う。

(あ、でも半月か……最後に顔を見たのは、もうそれくらい前になってるかも。区画管理舎から連絡が来た翌日くらいだったもんね)

「ちょっと、半月ばかりとなると――たまたま、それぐらい会ってないかもしれないです」

 言って、佳弥はやや口をつぼめる。初めて話しかけてきたと思ったら、話題が野茨。本当にヌサギは、可愛いなどと褒めてくれていたんだろうか。

 いや、そんなことより――

「野茨、どうかしたんですか」

「……いやぁ、これといって、どうもしてないんだけど……」

(何デスカ、それは)

 まさか、野茨をダシに話しかけてきたんだろうか。回りくどい。

 しかし窺い見ると、ヌサギは理知的な目をして地の一点を見ていた。何か考えを巡らせている風情だ。そうして佇んでいる様からは、野暮ったさが消えている。

(あ、なるほど。野茨はコレをかっこいいと言ってたんだ)

 佳弥が見直していると、ヌサギは視線に気づき、途端に目を彷徨わせた。冴えない雰囲気に戻り、本を抱え直して、もごもごと言う。

「ん――ごめん。夏バテなのかもしれないね」

「野茨、元気無いってことですか?」

「まぁ、そんな感じ。去年まで、あんな様子は見たことが無かったので……」

 佳弥にとっての耶光(やこう)のように、野茨にとってのヌサギは最も身近な上司といったところか。

(あんな様子と言われてもなぁ……)

 佳弥は屋外での作業が主だから、通りがかりの野茨に仕事ぶりを見られたこともある。が、佳弥の方は勤務中の野茨を見たことが無い。写本を届けに、通りを通過するのを目撃した程度だ。

「じゃ、今度会えた時に元気無さそうだったら、何か美味しい物でも食べようって誘ってみます」

「うん、そうして」

 小さくヌサギが笑った時、視界の先に夜色の頭が現れた。その手に包みを見留めて、佳弥は神に感謝する。

 ヌサギは背後に歩み寄る魔術教官に気づかず、踵を返しかけながら言った。

「それじゃ――明日、晴れるといいね」

「は?」

 佳弥はよく解らずに訊き返す。ヌサギは応じるように口を開いたが、そこでようやく、こちらに来る若者に気づいたようだった。

「その――一日(ついたち)だから」

 早口に濁す返事をして、微かに耳元を赤くすると、それじゃ、と今一度繰り返してヌサギは背を向ける。

 すれ違う相手に帽子がずり落ちそうな勢いでお辞儀をするヌサギを見送りながら、佳弥は頬が熱くなった。

(わたしとしたことが、忘れてた)

 明日は八の月初日。(てい)が領結界を張る為、陣舎に出向く月に一度の日ではないか。

 食い気に負けて、今の今まで頭から抜けていた。

 そのことを、よりにもよってヌサギに知らされたことが、妙に気恥ずかしい。

 ほてる頬へ手の甲を当てると、人影が差した。布包みが向けられてくる。念願の卵だろうが、只今は喜んでいいものか複雑な心境だ。

 どうも、とぎごちなく受け取ると、ルシオウは紺藍の長袴の隠しに両手を入れ、肩をすぼめた。

「遅くなった上に、邪魔したかもな。悪かった」

「へ? いえ、いただけるだけ、ありがたいです」

 応じながら、邪魔? と訝しんだ佳弥はハタとした。焦って言う。「あの、今の方とは、別に――ただ友達のことを話してただけです」

 知らず身を乗り出した佳弥に、ルシオウは眉を上げて軽く上体を引いた。瞬いた菫色の双眸が、可笑しそうに細まる。

「そういうことにしておこう」

「しておくも何も、そういうことですっ」

「分かった分かった」

 軽く言うと、不意にルシオウは片手で佳弥の頭を撫でた。息が止まった佳弥の手元を見て、声に笑みを含ませる。「それ、いくらなんでも一日で平らげるなよ?」

 するりと、長い指先が頭から離れた。鼻先を、涼やかな薄荷の香がよぎる。

 じゃあな、と軽やかな足取りでルシオウは立ち去った。

(ちょっと、いきなり慣れ慣れしく触んないでよ――! ていうか、あの人、わたしを食いしん坊だと思い込んでない!? 何処をどう見ればそうなるの、失礼にも程があるっ)

 今度会った時に、しっかり訂正せねば。

 そこまで考えて、今度なんてあるのだろうか、と浮かんだ。

 今日も偶然、市場で会っただけだ。その前も、リィリ共和国に自生しない薬草がここにあったからというだけ。株分けして栽培方法も教えたから、もうここには用が無いだろう。

(でも後五ヵ月もあれば、一度くらい道端で会うこともあるわよね)

 しかしそうしてやっと会った時に、必死に食いしん坊を訂正するというのは、どうなのか。

(あの人、余裕綽々な態度で又笑いそう)

 むぅ、と佳弥は口を歪める。

 見返せるとすれば一人前の薬師になった時かもしれないが、向こうは見習いでいることに頓着していないようだし、競ったところで佳弥の独り相撲である。

 それに、名目だけ見習いを卒業したところで、今ついているルシオウとの差は埋まるだろうか。下手に薬師を名乗っても、見習い風情の医事者に敵わないという、更に情けない立場になってしまいそうだ。

(あぁ、もう、腹立たしい人ね!)

 佳弥は髪をかき上げ、半ばで手を止める。

 他人に――男性に髪を撫でられたのなんて、初めてだった。わしわしと掻き回されて、一瞬、包みを胸元で押し潰しそうになった。

 卵にひびが入っていたら、どうしてくれよう。

(あー、でもそれを抗議したら又、食いしん坊だと思われるんだ……)

 包みの絞り染めに目を落とし、悔しい息をつく。まろい物を幾つか包んだ布は淡く、綺麗な山吹色に染められていた。


   ※  ※  ※


 屋内にあって、雨音がはっきり聞こえる。

 雷雨が過ぎないまま、午後の定時が近づいていた。

 雨があがるまで居るといい、と事務役に椅子を勧め、栩麗琇那(くりしゅうな)は執務室で調書を読む。

 ひと月経ったので、五歳担当を首都がどう受け止めているか、調べてもらっていた。

 中高年が厳しい。そもそも大陸人というだけでマイナス評価だ。大半は本人と接する前から反感を持っている。そして、接したところで評価が上向くかは微妙だ。琉志央(るしおう)は敬語を使わないから。

 良家とされる面々も、年配者同様の理由でイマイチ。五歳教室に子供を通わせている家が四あり、いつ怪我をさせられるかと、やきもきしている模様。先月は幸い、クレーム無し。ただ、いつまでも教本にある術を覚えないと、二家が不信感を周囲に漏らしている。

 若者の反応は、大まかに二種に分かれている。魔術のエキスパートへの憧憬と、それに嫉妬して生まれる反感。これを、ルウの民として質のいいプライドへ昇華させてくれれば重畳だが、どうだろうか。

 さておき、実際に授業を受けている子供達には好評のようだ。息子の様子を見ていても大体、判る。琉志央は元魔術師の割に、人懐こい面がある。もうすっかり、馴染んでいるらしい。

 授業の進め方は当初から心配していない。何せ彼には、知神の申し子という最高のアドバイザーがついている。年末までには、教本に載っている以外の基礎魔術まで、幾つかマスターさせてくれるだろう。

 学舎(がくしゃ)の他の教官達は、なり手の居なかった五歳担当を引き受けた若者に、一目置いているようだ。知神の申し子の弟子という肩書も、多少なり作用していると思われる。

 調書をめくり、栩麗琇那は椅子の背もたれに寄りかかる。

【警備役に、五歳担当を口実にした職務怠慢が顕著。

〝大陸人に魔術教官が務まるような(みやこ)を、我等が警護するに値しようか〟

〝今後、都程度の警備は大陸人にさせれば良い〟

 酒場や寄合所にて、制服を着たまま、前述のような発言をする者、多数。酔って乱闘をする者もおり、六老館、各寄合所に苦情も寄せられている。口頭にて再三注意するも、改善の兆し無し。六老が対応に苦慮中。】

「求めて異動の機会を作っているようだな」

 調書を整えて栩麗琇那が感想を述べると、事務役は雨音のように淡々と応じた。

「彼等の言い分からすれば栄転でしょうか」

「そう。好都合だ。お互いかどうかは怪しいが」

 警備役の処遇は、帝位に就いた当初から悩んでいた。

 分家のサージ、ティカ両家とは共に皇領を統治してきた間柄で、裏はどうかしれないが、表立って争った歴史は過去に無い。他国の干渉も無く、魔術師も居ない。盗賊強盗にまで落ちぶれる者や、あくどい商売に手を染める者も無い――はっきり言ってメイフェス・コートは、大陸より格段に平和だ。

 個人間の諍いは起こるが、それは老や寄合所の各長が間に入れば収まりがつく。都をただ見回るだけという警備役の出番は、無きに等しいのだ。

 それなのに夜勤がある所為なのか給金は高く設定されており、警備役は就職先として人気があった。寮も完備されているから人数も結構居る。

 無駄と判じて、職務内容が酷似している大陸勤務を打診したのだが、のらりくらりと拒否された。中には家族が心配すると、制服を纏い、平然と述べにきた厚顔も居た。

 給金削減を老に命じれば、人数を擁している強みか反対署名を集め、結果的に雀の涙ほど減っただけ。

 やむなく、追加募集停止の措置だけは老に徹底させ、業務に馬術修練も追加し、警備役は存続させてきた。

 そうして、依然、彼等の活躍の機会は訪れていない。

「この際、問題を起こした者だけでも、大陸で叩き上げてもらおう」

「御意」

 大陸への人事権限は一族の最高峰が持っているが、このような理由であれば、叔父は事実確認のみで諒承するだろう。大君(おおきみ)の辞令となれば拒否権は無くなる。

「正確な証拠を、出せるだけ」

「畏まりました」

 事務役は一礼する。栩麗琇那は結構、無茶をする青年に釘を刺しておく。

「危なくなったら退()くように。君に何か遭っては、俺は非常に困る」

 額に両手を掲げ、事務役は正式な礼を示してきた。けれど口元が笑んでいる。

「わたしも、甥から魔術を教わっておいた方が良さそうですね」

「そういえば、先月の試験、頼里(らいり)も一度で合格したとエンが言ってた。甥御は筋がいいようだな」

「先々、皇子(みこ)のお役に立てれば良いのですが」

「今現在、仲良くしてもらっている。それで充分さ」

 (つばめ)は術力の七割を封じたままだからか、入学した当初は〝出来損ない〟とクラスメイトから馬鹿にされていたようだ。組で行う課題も人数上あぶれていたようで、毎日しょんぼりしていた。琴巳も一緒になってしょげるから、栩麗琇那も困っていた。

 それが、ひと月ほどして後追い入学してきた子供が居て、状況が変わった。星花(ほしか)という子が課題を一緒にやってくれたようで、その日から息子の様子は徐々に好転した。琴巳のようにきらきらした笑顔で通学するようになった。

 その後、頼里も入学した。どうやら彼もあぶれそうだったらしいが、燕も星花もそれを厭ったようだ。交互に課題を組んで、今では三人で居ることが定着している。

「正直、君もそんな感じでいいんだ」

 栩麗琇那は微かに目を細めた。「だから、無理はするなよ?」

 事務役は頬を紅潮させ、今一度両手を掲げる。

 雨はいつの間にか、やんでいた。

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