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二人は見習い  作者: K+
二幕 薬師見習いの引っ越し
11/30

 翌日は朝から蒸し暑かったが、佳弥(かや)はそれなりに機嫌良く職場までの道を歩いていた。

 宮殿前に出て図書館の方へ曲がると、前方に友人の姿がある。今日も肩過ぎの髪を一つに束ねて、長袖の単衣(ひとえ)を着ていた。

 佳弥は弾むように追い駆けて、横に並んでから声をかけた。

「おはよう。朝に会うの、珍しいね」

 野茨(のいばら)は寝惚けたような顔でこちらを見て、やや赤い目を瞬かせた。へらりと眦を下げる。

「おはよ。寝坊しちゃったわ」

「あ、じゃあ、お昼――お弁当、大丈夫? ウチ来ていいよ」

 ありがと、と笑む友に笑い返して、丁度良かった、と佳弥は報告した。「もうこうやって母様(かあさま)に頼れるのも、後ちょっとなんだけどね。昨日、区画管理舎から連絡来てたの」

「あら、そうなんだ。引っ越しはいつ? 手伝うわよ」

「次の休みだけど、大丈夫。親が張り切ってるから」

「そかそか。まぁ、移動術であっと言う間よね」

 優しく笑う野茨に頷いてから、佳弥はうきうきと報告を続けた。

「新居ね、結構、野茨の家の近くよ。そのうち、お互いの家で一緒に御飯食べたりしようよ」

 そう言った途端、野茨は顔を曇らせた。あー、と呟くように応じて、目を落とす。

「えっと……わたし、あんまり、そういうのは、したくないのよね。お昼に押しかけといて、悪いんだけど」

「あ……うん、ウチは、気にしない方だから……」

「一人の時間を大事にしたいのよ」

 口早に付け足されて、そうだよね、と佳弥は笑みを繕う。

 正直なところ、拒否されるとは思っていなかったから驚いた。

 近くが空いていると言ったのは野茨だったから、気軽に行き来していいのだと思い込んでしまっていた。

 五歳で机を並べてからの付き合いで、この手のことを社交辞令で言われたとは考えもしなかった。

(でも、一人暮らしだもんね……わたしの感覚がおかしかったんだ……)

 肩が落ちるのを隠せなかった。

 通りは人が行き交い、朝の物音に溢れていたが、二人の間には沈黙が降り続けた。

 薬処(くすりどころ)への角が見えてくると、野茨は感情の見えない声で言った。

「お昼、気にしないで。屋台も寄合所もあるしね」

「――あ、うん……分かった」

 じゃあね、と野茨はおざなりに片手を上げると、通りを歩いて行く。

 とぼとぼと、佳弥は公園の小道を通った。

(うー、何やってんだろ、わたし。あそこで黙ってたら不満表明みたいじゃない。野茨は悪くないのに……)

 自己嫌悪して、佳弥はしょんぼりと薬舎(やくしゃ)に入る。

 机上に調合道具を並べていた耶光(やこう)が、眉をひそめた。

「佳弥、昨日、蒼杜(そうと)・ハイ・エストは何て……?」

「あ――はい、とても喜んでくださいました」

 何とか気分を切り替えて、佳弥は応える。

 かのハイ・エストは、いい意味で大層予想を裏切ってくれた。

 森の中、朝靄に包まれた素朴な一軒家に着いてみれば、家主はにこやかに、おかえりなさい、と弟子に言った。

 白金の髪に緑の瞳、中性的で繊細な容貌。ティカ大公を袖にしたというのは少々疑わしい、いたく優しい印象だった。

 それに対する弟子ときたら、出し抜けに、土産を連れて来た、などと発言。

 佳弥は慌てて、これです、と植木鉢を差し出した。

 それを先に話しなさいよ、と思える経緯を弟子が語ると、ハイ・エストは感じ入った様子で、それは御丁寧に、と応じた。

 さっさと栽培方法を説明して帰りたかったのだけれど、夕餉はお済みですか、とハイ・エストが訊いてきた。

『まだですが、帰ってから……』

 母に作ってもらえますから、と言うのは何だか恥ずかしかった。言葉を濁した佳弥に、弟子が口を挟んできた。

『食ってけば? 蒼杜の飯、美味いぜ』

 今日、何? と続けながら弟子は奥へ行き、琴巳(ことみ)から教わった物を作ってみました、とハイ・エストはやんわりと答え、こちらに笑んだ。

『良かったら、御一緒に』

 断れない流れだった。それに、皇妃直伝料理に少なからず心を動かされていた。では、と佳弥が顎を引くと、どうぞお座りください、とハイ・エストはにこにこと円卓を示した。そうして、植木鉢を広間の片隅に置くと、奥へ向かった。

 食ってくって? と奥から弟子の声が問い、えぇ、とハイ・エストが答えた。どうも、師弟関係が逆なんではないかと思えてくるやり取りだった。

 それでも弟子が、盆に幾つか皿を乗せて出て来た。卓に料理が並んだ。

 赤茄子で味付けられた焼き飯が、柔らかく焼いた玉子でくるんであって、それが皇妃直伝の一品らしかった。他に、数種の具が入った琥珀色の吸物、酸味の効いたタレがかかった萵苣。濃いめの珈琲まであった。

 食え食え、と弟子が斜め横の椅子に座ると匙を取り、料理から上る湯気と芳香に誘われて、佳弥も倣った。

 玉子と混ざり合う橙色の焼き飯は絶品だった。母のお蔭で食に恵まれている佳弥にも、初めての味。感動のまま美味しいと洩らしかけたが、耳が奥から調理の音を捉えた。

 佳弥は、匙を落としそうになった。とんでもないことに気づいたからだ。

(これ、もしかしてハイ・エストの分だったんじゃ――!?)

 頭がすうっとなった佳弥の斜め横で、弟子は実に美味しそうに料理を平らげた。間に合わせで作ったにしては立派な野菜炒めを持ってハイ・エストが出て来ると、弟子は呑気に、美味かった、と感想を述べた。

 とろみのかかった野菜炒めまでつまみ食いして、弟子は珈琲を飲み干すと、機嫌良さそうに席を立った。

 佳弥が唖然として見る間に、弟子は自分の食器を片づけ、又後で、と言い捨てて消えてしまった。

(もうちょっと弟子らしくしたらどうなの)

 とっとと居なくなった若者に佳弥は内心で抗議していたが、それを読んだかのように、ハイ・エストが穏やかに言った。

『慌ただしいですが、ルシオウは七時半から、メイフェスで魔術を教えていますから』

『――そう、でしたか』

 教官育成は老が空き時間にしているものと思っていたら、いつの間にか五歳担当が引き受けていたらしい。己が一族の大事(だいじ)なのに知らなくて、佳弥は顔が熱くなった。

 ハイ・エストは微笑んで、お味は如何ですか、と話題を変えた。とっても美味しいですっ、と力説したいところだったが、彼の分を食べてしまったものだから、佳弥はどぎまぎと要領を得ない返答をしてしまった。

 そんなこんなで、佳弥はさっぱりぱっとしない客だったが、ハイ・エストは鷹揚だった。

 食事が済むと、佳弥は鉢植えを前に術力を用いた草の栽培を解説した。そこはしっかり遂行できたと自負している。

 そもそも聞き手が優秀だった。ハイ・エストは一度聞いて理解したようで、専用の小屋を作るのも良さそうですね、と一歩進めた感想を口にしていた。

「他に要り用な(しゅ)があれば上司に伝えますとお話ししましたが、良かったでしょうか」

 佳弥が窺うと、勿論、と耶光は目を細めた。

「蒼杜・ハイ・エストは薬作りの腕も有名だからね、僕よりも余程いい師だ。この機会を逃す手は無いよ、佳弥」

「え――」

 ハイ・エストは人柄も申し分ないし、嫌な提案ではない。けれど、そんな都合良く乗り換えるようなことはしたくなかった。

 第一、上司としても師としても、耶光には何ら不満が無い。これまでも良くしてもらっているからこそ、薬草や薬の知識も増えてきたのだ。

 佳弥は、おずおずと言い訳した。

「そのぅ、あちらは、しばしば患者がみえまして……結構、忙しそうでした」

 リィリ共和国の小さな医療所には、佳弥が栽培方法を解説する間に、三人も患者が来た。万年閑古鳥のコートリ・プノス薬処とは、えらい違いである。

 耶光は瞬いた後、笑った。

「僕の方が、断然暇だったね」

「い、いえ、そういうわけでは――わたしのようにまだまだ失敗の多い者には、先輩のように構えていられる師でないと、という意味でして――」

 佳弥は焦って言い募った。「後、そうなんです、これ以上、大陸でまで我が身の恥を晒したくありません!」

「……大陸で何をしてきたんだい……?」

「えっ――」

 一族に恩ある人の朝食をうっかり食べてきました、とは、どうしても言えなかった。


   ◆  ◆  ◆


 四科終業の鈴が鳴り、琉志央(るしおう)は足早に螺旋階段を降りた。黒板前の席にまだ座っていた(つばめ)に、用事があるので昼食に少し遅れると伝言を頼む。

 分かった、と返答を得て、琉志央はメイフェスの自宅へ瞬間移動した。井戸水に沈めておいた包みを引き上げる。

 幾重もの桐油紙を開けば、掌にひんやりと、大きめの笹葉包みが現れた。麻布にくるみ直して家を出る。

 昼餉か午後の茶うけに、と蒼杜は託してきた。明らかに暇となるのは午後四時前後だったが、ナマモノとなれば、夏場だし早い方が良かろう。

 何より今日はいささか雲行きが怪しい。時が経つ毎、雨の率が上がりそうだ。

 学舎(がくしゃ)以外も昼の休憩時刻に入り、人通りが多い。(みやこ)の中央方向へ多くは向かっている。琉志央は流れに逆らい、図書館が正面に見える通りを直進した。

 薬処へ入る角に差しかかった時、カヤ、と女の呼び声がした。あの下っ端が居るようだ、丁度良かった。

 あいつになら蒼杜からの礼だと言うだけで、すぐ通じるだろう。琉志央は角を曲がり、まだどういう場なのか釈然としない木立の空間に踏み入る。

 カヤを呼んだ女の声が、木々の向こうから聞こえた。

「今朝、ごめん。変な言い方して」

 真剣な口振りだったので、琉志央は立ち止まる。流石に今しゃしゃり出るのは場違いだ。

 やむなく入口の円柱に寄りかかる間に、慌てたようにカヤの声が応じた。こちらも真面目な口調だ。

「違うよ、わたしが変なこと言ったんだよ。ごめん、何浮かれてたんだろうね、わたし」

「カヤが言ったみたいにして集まってる人、普通に居るわよ。ただね……」

 女が口ごもる。木の隙間から、柵を挟んで立つ二人が辛うじて見えた。琉志央は目を眇める。こちらに背を向けている方は、昨日、声をかけたが立ち去ってしまった奴だ。

 今日も左腕の命帯(めいたい)が揺れている。

 八重桜のような深い桃色の光が、ゆうらりゆうらり。傷があって揺れているようではなさそうだ。これまで、あまり見かけていない揺れ方。胴なら臓物に何か起こっているかと想像したが、肘の上から上腕部、肩辺りまで。

(何か出来物でも抱えているのか、長袖で隠している様子だし……)

 薬処にカヤという知り合いが居るのだから、診てもらえばいいものを。

 ルウの民は痩せ我慢をする奴が多い。琉志央が呆れる先で、女は言い淀んでいたらしい台詞を口にした。

「ウチ、いきなりハクメが来ることも、あって。泊まってくこともあるし」

 あー、と応じたカヤの顔は、遠目にも間が抜けていた。合点はしたようだが、何処か表情を定めきれずにいるようだった。

(コドモには刺激の強い話か?)

 琉志央は半眼を閉じる。カヤの命帯は野辺に逞しく咲く花の黄色。生き生きとした幼子を連想させる。赤味がかった茶の髪色と命帯の黄が、いかにもという感じ。健康そのものだ。

「やー、もう、気がつかなくって、ごめん」

 てへっと言うようにカヤが頭に手をやり、深刻な空気が消えた。見切って、琉志央は動き出す。

 立ち聞きの趣味は無いし、こちとら、お楽しみの昼食を控えている。

 踏み分け道を辿り出すと、カヤがこちらに気づいた。口を軽く曲げるので、琉志央も同様に曲げてやった。

 背を向けていた女が振り返り、屋台に行ってくるわ、とカヤへ明るく言った。こちらへ歩いて来て、すれ違う。

 すれ違いざま、腕、と琉志央は小声をかけた。

「あんまり、無理すんなよ」

 女は思いのほか、ぎょっとした。ぎょっとしたくせに、何も聞いていませんという素振りで早足に立ち去る。

(知られたくないんだな)

 カヤに目を流すと、更に口を曲げている。距離が縮めば、何ですか、と硬い調子で訊いてきた。

「他の種類の株分けですか」

「いや、ささやかだが、師から礼を預かった」

 琉志央は包みを向ける。「団子だ。早めに職場の連中と食べるといい。昨日はありがとな」

「い、いえ」

 面食らったようにそろそろと受け取るので、琉志央は口の片端を上げる。

「お前一人で他の連中の分も食うなよ?」

「そっ、そんなこと――」

 心外だったようだが、言い返す途中で勢いが消える。

(もしや、やらかしたことあるのか。冗談だったのに――何処まで子供なんだ)

 笑声が溢れて、琉志央は喉を鳴らしながら片手を上げた。

「ま、食っちまった時は自己責任ってコトで」

 じゃあな、と踵を返す。

 少しも行かないうちに、もう食べませんしっ、との自白が背中に当たり、琉志央は破顔した。

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