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二人は見習い  作者: K+
二幕 薬師見習いの引っ越し
10/30

 これまでのところ、琉志央(るしおう)はいつも(つばめ)と後宮に行っている。

 一週間ばかりは門番が逐一、顔と役職名を確認してきたが、最近は挨拶されるだけになった。そろそろ一人で出入りできるのだろうが、琉志央が宮殿に行く口実は昼食とおやつなので、燕はいつも一緒だ。

 今日も五科が終わると、二人は宮殿へ連れ立って向かった。

 魔術鍛錬後のおやつが、燕はいたく楽しみらしい。術に集中する所為で、甘い物が欲しくなるのだろう。

 ちょいちょい小走りになる幼子に、琉志央は笑いそうになりながら声をかけた。

「そんなに急がなくても、おやつは逃げないだろうに」

星花(ほしか)頼里(らいり)君と約束してるの」

「ほぅ?」

「だから母上がね、餡寒天を竹筒に作ってくれるって。三人で噴水の所で食べるんだ」

「お前ら、仲いいなぁ」

 えへへ、と燕はあどけなく笑う。

「食べたら、図書館で理数学の宿題するの」

「このくそ暑い時に勉強かよ」

 琉志央が軽く口を曲げると、燕は真っ直ぐな道の先を示した。ずっと前方に、大きな緑の箱のような建物が見えている。

「図書館、涼しいんだよ。蔦に覆われているからなんだって」

「なるほど」

 あれは図書館だったのか。

 言われてみれば個人の邸宅には見えない。琉志央は寸時、目にも涼しい色合いを眺めやったが、跳ねるように燕が宮殿への階段を上って行って、後を追った。

 後宮に着くと、燕は琴巳(ことみ)から三人分のおやつを受け取り、すぐさま元気に出かけて行った。

 琴巳と柴希(さいき)と共に幼子を見送ると、琉志央は風の通る食堂に促される。

 翠の小皿に冷えた餡寒天を出された。横には白磁の湯呑に、濃い目の冷茶。

 女二人は向かい合って、寒天をつまみながら他愛の無いことを喋り始める。琉志央は二人の斜向かいで、適当に会話を聞きつつ、主に茶を味わった。嫌いではないが、甘い物はそれほど好まない。

 おかわり要る? と琴巳に訊かれ、冷茶だけもう一杯貰った。飲み干して、(いとま)を告げる。

 お疲れさま、と柴希が口の端を上げ、又明日ね、と琴巳も笑んで、気分良く琉志央は宮殿を後にした。

 そろそろ午後四時へ向かっているが、外は相変わらず夏の光が降り注いでいた。

 大階段を降りた視界の先には、小さく噴水が見えている。燕が言っていたのは、あそこだろうか。

 いずこの噴水にしろ、もう子供達はおやつを食べ終え、図書館へ移動しているに違いない。

 琉志央は、ふらりと緑の建物を目指して並木の下を歩き出した。

 暑かったから、今まで宮殿を辞すれば、大して考えずに宛がわれた家へ直行していた。この時間帯、流石に蒼杜(そうと)は寝ている。大陸に行くのは憚られ、簡単に家事を片づけ行水した後は、いつも六時頃まで非常に暇だった。

 こうして歩いてみれば、夕暮れに向かう街路の雰囲気は悪くない。石畳は整っているし、人通りは多からず少なからず。並木に沿えば日差しを避けられる。夕立も来そうにないし、小一時間、散歩を楽しめそうだ。

 年配の男が木桶と柄杓を手に、並木の周辺に打ち水をしている。布包みを抱えた中年の女同士が、木陰で立ち話をしている。夕餉の支度が始まっているらしき匂いが、漂ってくる。

(生活の感じは、大陸と大差無いなぁ)

 敢えて違いを探すとすれば、治安か。幼い皇子(みこ)が一人で出歩けるくらいだから、この島は大陸より格段に安心して暮らせると言えよう。警備役とやらが居るようだが、活躍の機会は少ないのではないか。

 遠目で既に大きかった図書館は、距離が縮めば偉容だった。三階建てのようだ。壁一面に瑞々しく蔦が茂っている。

 予想外に広そうで、用も無いのに建物内を歩き回る気にはどうもなれない。正面に興味が薄れて左右に目を投げれば、少し行った左手に曲がり角があるようだった。低い石塀の向こうに、樹木が集まっているのが判る。個人宅の庭か。

 角に来て覗いてみると、庭先のようでいて奇妙な空間だった。門柱と辛うじて言えそうな白い石の低い円柱が、入口の両脇に建っていた。しかし門自体は無い。

 両脇に落葉樹と針葉樹が並び、踏み分け道がうねうねと奥へ続いている。針葉樹の下には、背もたれの無い、長椅子か露台らしき物がある。ちょっと腰掛けて日向ぼっこでもするのか。

 何となく、琉志央は踏み分け道を辿った。林立する木の隙間から、学舎のような丸屋根が見えた。図書館に隣接するように建っているようだ。

 道を進むと、腰の高さほどの木柵と木戸があった。誰かの家だったか、と思ったが、木戸の脇に何か彫られた札がぶら下がっている。腰を屈めて見てみると〝薬処(くすりどころ)〟と読めた。

(蒼杜のお仲間か)

 師は一級医事者だから医術全般に頭抜けているが、とりわけ薬の調合を得意としている。趣味で新薬の開発もしているくらいだ。

 柵の向こうは一見すると雑多な庭のようだったが、札を見た後では生えている物は全て薬草としか思えない。よく見れば、蒼杜が森から摘んでくる種もあった。

 ふと覚えのある草が目に留まって、琉志央は木戸を開けた。リィリではなかなか見つけにくいと師が洩らしていた草だ。当たり前のように生えている。

 木戸から一歩中に入れば、踏み分け道は細くなり、葉脈のように広がっていた。今は誰も居ないが、管理している奴が薬草を避けている所為だろう。道を外さぬように留意しつつ、琉志央はやや奥へ踏み入った。

 間近で見て、やはり、と思った。肉厚の葉を四方に広げている草。解熱に高い効果があると蒼杜は言っていた。

 琉志央が無意識に手をのばした時、横手から女の訝しげな声がかかった。

「何ですか」

 咄嗟に、琉志央は両手を胸の辺りに掲げる。

 白い丸屋根の建物を背に、笊を片手に持った女が立っていた。生成り主体の、動き易そうな筒衣姿だ。ここを管理している奴らしい。存外、若い。ぎりぎり十代かもしれない。

 琉志央は手を上げたまま問うた。

「この草、解熱に効くんだろ?」

「具合が悪いんですか?」

 質問には答えずに、女は慣れた足さばきで草の合間をぬい、いそいそと歩み寄ってきた。琉志央は両手の先を長袴の隠しに引っ掛ける。

「いや、俺の師が、欲しそうにしてた草なんだよ」

 女の鳶色の瞳が、何故か落胆を示した後、少々胡散臭そうに見上げてきた。

「その草を?」

「リィリではあまり手に入らないと言ってた」

 しばし、何か迷うように、女はふっくりした唇をつぐんだ。琉志央の脇をすり抜け、少し行って、止まる。

「解熱の薬効があるのは、こちらです」

 女が示した先には、同じような草が生えている。琉志央は見比べて首を捻った。

「これと違うのか」

「えぇ。とても似ていますが、薬効は全く違います」

「じゃあ、そっち。分けてくれよ」

「え」

「今、手持ちは無いが、家にあるから取ってくる。少しでいいから売ってくれ」

 女は急に、しどろもどろになった。

「草自体を、ここでは、売ってません。値段も、判りません」

「あんたが好きに値段つければ?」

「とんでもない!」

 狼狽も顕わに、女は声量を上げた。「わたしにそんな権限はありませんっ」

 管理はしているかもしれないが、こいつは下っ端か。

「なら、権限のある奴、出してくれ」

(この際、栩麗琇那(くりしゅうな)に言うのが手っ取り早いのかな)

 そう思ったが、女がおろおろしつつも、聞いてきます、と言った。襟元までの癖っ毛をふわふわさせて、丸屋根の建物に走って行く。

(子供みたいな奴だな)

 女としては平均的な背丈だったが、反応が何処となく、五歳教室で見ている子供達を思い出させた。

 ほどなく、琉志央と同年代らしき男が姿を見せた。後ろから、燕の背後に隠れる星花のように、先程の女もついて来る。

 白い夏物の上着を纏った男は、同業者だからか雰囲気が師に似ていた。穏やかに目礼してくる。

「蒼杜・ハイ・エストのお弟子ですか」

 琉志央は首肯する。男は柿渋色の目を細めた。ゆったりと言う。「ユタ・カーの申し子のお噂はかねがね。(てい)が異界よりお戻りになった際にも尽力をいただきました。一族の端に名を連ねる我々が、御恩を僅かなりとも返せるとすれば、幸いです」

 大仰だったが、希望は叶えてくれるらしい。悪いな、と応じてから、琉志央は儀礼的に値段を尋ねた。男はやはり首を振った。

「上の者が、株分けは如何かと申しています」

 そりゃありがたいな、と琉志央は言ったが、小首を傾げる。

「けど、リィリで見かけないってことは、あそこでは育てにくいんじゃないか。せっかく貰って駄目にするのもナンだな」

「術者なら、屋内でも栽培可能ですよ」

「へぇ」

「詳しくは、カヤにお聞きください」

 えっ、と女が声をあげた。想定外の指名だったらしい。男は蒼杜同様にニコニコして、話を進める。「現在、栽培を担当している者です。鉢一式持たせますので、どうぞリィリにお連れください」

 連れて行くのは構わなかったが、当の女が承諾しかねるように口を開閉させている。琉志央は苦笑した。

「ありがたい話だけどさ、大陸、まだ夜が明けたばっかりだ」

 あぁ、と洩らし、うっかりしていたと言いたげに、男は頭に手をやる。女は明らかにほっとした様子で口角を上げたが、男がその肩にぽんと手を置いた。

「時間外手当を申請しておいてあげるからね」

 女が表情を固めて、琉志央は笑ってしまいそうになった。もはや助けてやれない。

 六時頃に再訪することを告げ、琉志央は一度、帰宅した。


   ◇  ◇  ◇


 佳弥(かや)は情けない心地で公園の端に居た。

 ハイ・エストが何だっていうのよ、と何度も胸中で年長者達にぼやく。

 大陸から来ている魔術教官らしき人が、草を売ってくれと言いに来ている。そう説明して、耶光(やこう)に指示を仰いだだけだったのに……

『大陸の魔術教官と言うと、蒼杜・ハイ・エストのお弟子かい?』

 耶光がそう言い変えたら、上司の数人が、ルウの民はユタ・カーの申し子に大きな借りがある、と言い出した。

 帝が異世界から帰って来るのを助けてくれたようだが、当時の佳弥は未成年で、事情を詳しく知らない。取り敢えず立派な異名が幾つもある辺りからして、相応の人物なのだろう。その程度の知識だ。

 しかしあの弟子の師となると、実際のところは、あまり期待できないのではないか。

 何せ、あの弟子、草を間違えていた。見比べても違いに気づけないようだった。

 上司にそれを言える雰囲気ではなく、そのまま耶光について薬舎(やくしゃ)を出てしまったけれど、こんな残業を言い渡されるのだったら、言っておけば良かった。

 おまけに残業ができたと家へ伝えに行けば、母までも蒼杜の名に大袈裟に反応した。母の場合は、上司達と違う点に盛り上がっていたが。

『蒼杜・ハイ・エストって言ったら、アレよね、知神(ユタ・カー)に加え造形神(イー・ウー)の加護も受け、ティカ大公を二度も袖にしたという、噂の』

『何それ、そんな話は知らないよ』

『まぁ、もう十年以上前の話だものねぇ。でもまだ美男で独身の筈よ。ティカ大公と同い年だから二十七ね――歳の差六つぐらい、相手が相手だし、いいんじゃない?』

 そうして佳弥は、正装に近い衣装に着替えるよう強要され、挙句、励まされて家から送り出された。

母様(かあさま)、ごつい植木鉢持って正装とか洒落になんないよ……もう、早く許可下りないかな……)

 一人用の住まいに申請を出して、一週間ほど経つ。そろそろ許可が下りる筈で、もう即行で引っ越したい気分だ。

「佳弥?」

 通りの方から野茨(のいばら)の声がして、佳弥は肩が跳ねた。こんなちぐはぐな装い、できれば友に見られたくなかったのに。

 通りで立ち止まってこちらを見ている野茨に、佳弥はぎごちなく笑って手を振った。

「か、帰るの?」

 えぇ、と答えて、野茨は公園に入って来る。

 そろそろ午後六時とはいえ、昼の名残の温い風が吹いてくる。そんな暑さの中、野茨は長袖の服を着ていた。日焼け予防か。それとも図書館は、そんなに涼しいのか。

 長めの髪は、背後で一つに束ねている。肩口に少しかかったのを背に払いながら、野茨は興味深そうにこちらを眺めてきた。

「こんな所でおめかしして、どうしたの」

「好きでしてる恰好じゃないの。これから残業」

 佳弥が簡単に事情を説明すると、野茨は可笑しそうに言った。

「いいんじゃない? 歳の差六つは帝より少ないしね」

「そういう問題じゃないし!」

「何だったら弟子の方でもいいんじゃない? どうなの、ホントにいい男だった?」

 佳弥は眉根を寄せて思い返した。軽薄でガサツな印象が強く残っているが、容姿はどうだったか。

「普通」

「……佳弥は、帝を基準に判断してる節があるのよねぇ」

「当たり前じゃない」

「アレを基準にしたら、他はみんな、普通か酷いになるんじゃない?」

「そんなことないわよ、箔瑪(はくめ)さんとか、かっこいいと思うわよ?」

 口をすぼめて言い返すと、野茨の頬が一瞬、引きつった。それはすぐに苦笑で緩んだが、佳弥は失言したらしいと知る。彼氏から離れかけた気持ちを、友は戻せずにいるようだ。

 謝るべきだろうかと逡巡していたら、通りから、ひょいと例の弟子が姿を見せた。こちらに気づいて、よぅ、と適当な声をかけてくる。

 野茨は振り返ってから、即にこちらへ視線を戻した。細い眉を軽く上げ、おどけたような顔をする。彼女的には、好評価らしい。

 友が失言を流してくれたことに安堵し、佳弥は弟子の若者を改めて見る。

 佳弥とは当然別の理由だろうが、彼も着替えていた。夏物の涼しげな、袖の短い単衣(ひとえ)だ。幅広の帯が髪に似て、濃い紺色。

 最初に薬草園で見た時は、ある種の凛とした気配があって、黒髪碧眼の、サージ領の同族かと思った。

(喋らなければね……)

 ちょっぴり佳弥が口を曲げる内に、若者は歩み寄って来た。野茨は入れ違うように通りへ身体を向け、片手を上げる。

「じゃあ、お先にね。残業、頑張って」

「ありがと。又ね」

 佳弥も手を上げる。

 若者は野茨とすれ違ってから、彼女を目で追った。つと足を止める。

「お前――」

 若者が声をかけた時には、野茨は通りへ出ていた。呼びかけが聞こえたかどうか、自分を公園の二人が見ていることは気づいて、彼女はひらひらと手を振ると、角の向こうに去った。

 ちらりと夕空を仰いで、若者は鼻で息をつく。

(残念でした、野茨には彼氏がいるのよ)

 教えようかと思ったが、微妙な状態の恋人同士なので、余計なことを言うのはやめた。佳弥は簡易腰掛に置いていた植木鉢を抱える。

 無造作に、若者は鉢の縁へ手をかけた。空いた手の中にあった瞬間移動の指輪に目を落とし、行くぞ、と告げてくる。

 答える前に、視界は移動術で暗転していた。

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