9. 枯野村の夜
江戸の外れ、第七局の管区の淵の朽ちた飲み屋が並ぶ一角。夜の闇を、紅蓮の炎が照らし出していた。
火の能力者達が放った魔炎がひときわ大きく噴き上がり、屍人ごと全てを焼き払っていく。
江戸の中心に向かう幹線道路や主要駅から離れたその村は、大きな街には泊まれぬ層を引き受けて細々と暮らしてきた。
村人は老人ばかり。そこへ避難経路もわからぬ酔客が加われば、屍人発生に立ち向かう術はなかった。
駐在が特別消禍隊に通報した時点で50名余りが屍人化しているとし、中規模案件として第七局の一班から三班までが稼働となった。
あたりには焦げた死臭と、燻る黒煙が漂っている。
顔中を煤だらけにして惚けたように座り込む駐在の背後では生き残った者達が啜り泣きしていた。
飛梅は、その者達を数歩後方で見守りながら立っていた。
身につけた白い隊服は汚れてはいない。
何の役にも立っていない証である。
夜の事案には火系能力者が第一選択されるのが常だ。同期の渡辺塔も早々に駆り出されていた。
火能力での対処は確かに早いが、場所へのダメージも深い。強い火は跡形もなく焼き払ってしまうため、屍人の残骸が残らず、被害者が行方不明者として記録されることも少なくない。
火系能力者がどのように動くのか。
能力による発火はどういうものなのか。
飛梅の灰色の目は現場を見つめつづけた。
(お兄ちゃんが消えた『上野事変』もーー)
兄が巻き込まれた大規模事件に思考を巡らせはじめた飛梅の背後から、くすくすと笑う声がした。
「ふふっ、戦果ゼロの三級のくせに、隊服だけは一人前なんだね」
水色の髪を揺らし、可愛らしい顔立ちの女性隊員箱館ルナが皮肉めいた笑みを浮かべている。隊歴2年目、実年齢は自分より一つ年上のはずの彼女は、顔を合わせる度に何かと飛梅に突っかかってくる存在だった。
理由は『トー君に“嫁候補”のアタシを差し置いて気に入られているのが許せない!』ということらしいが、自分が成りすましている〈飛梅音〉は男であるし、飛梅は少しも気にしていない。
どうやらルナは特別消禍隊を婚活の場と考えているらしい。その無邪気さは可愛らしく、羨ましいとさえ思っていた。
「ほーんとムカつく! なんで3級のアンタばっかり! 超可愛いだけじゃなくて、1級って超優秀なアタシには電票ナンバーもおしえてくれないのに!」
それからルナは、食事の誘いをまた断られたとグチグチ続けた。
(トー君が僕とばっかりご飯食べてるのがよくないのかもね。ルナさんも一緒に食べればいいのにな)
蓼丸教官の部屋子となってからも元同室の渡辺塔との交流は続いており、特に理由がなければ昼は共に食べることにしていた。
基本的にトーテムポールより無愛想な渡辺は、周りの干渉に応じない。そして見慣れた飛梅にばかり近寄ってくる。
ただ面倒くさがりなだけなのだが、それが彼を孤高の存在のように見せているようだ。
延々と愚痴るルナには応えず、飛梅は無言のまま、それでも肩の力は抜けていた。
戦果ゼロ、と彼女は言ったが、それは良いことだと思った。明かりの少ない鄙びた村の夜に、火系ではない自分まで駆り出されるほどの惨事ではなかったということだ。
死者は50名余り。酷い事態であるが、ここ最近激化する屍人災害においては軽微であった。
現場を見つめ続けていた飛梅は目を細めた。
(やっぱり、特別消禍隊の火系能力者は火を完全にコントロールできてる。本当に優秀だよ。照明の火を使いつつ、屍人や汚染された箇所だけ狙い撃ちするなんて。それなのに何故、上野ではーー)
またしても思考が〈上野事変〉に戻ろうとしたところで、撤収命令が出された。
水系能力者達の鎮火も終了したようだ。
隊員達が動き出したのを見て「三級! 行くよ!」とルナが飛梅を引っ張って歩き出した。
「……」
飛梅はふと、足を止めた。
人々はすでに避難したはずの飲み屋街で、ぽつりと一軒、古ぼけた店の戸が閉じていることに気づく。
「なによ、どうしたの? なんか手柄が残ってないか探してるわけ?」
ルナが小馬鹿にするが、飛梅は応えない。
朽ちた木戸の前で静かに目を細め、耳を澄ませた。
「七局はリンゴ君のところに集合! トビ、急げよ!」
呼びかける先輩の声も届かないほど、飛梅の意識は目の前の戸に釘付けになっていた。
戸を叩くと、中から現れたのは、痩せ細った兄妹だった。兄は15歳、妹は10歳程度だろうか。栄養状態がよくないため年齢がよくわからない。着物もつぎはぎだらけで、明らかに貧しい身なりだった。
「へぇ、本当にヒトがいたんだ。怪我はないのね? アンタたち、さっさと避難所に行きなさいよ。じゃないと、また巻き込まれるわよ」
飛梅の背後からひょこっと顔を出したルナが軽い調子で告げるが、兄妹は首を振り、足を踏み出そうとしない。
飛梅はふと、部屋の奥ーー裏口へと続く小さな扉に目をとめた。
なにかが、おかしい。
「ーー動かないで」
低く、しかし柔らかい声で飛梅は告げ、背から一本の矢を抜いた。
ルナが「は?」と声を上げる間に、飛梅はその矢を放つ。
正確に撃ち抜かれた蝶番が弾け飛び、扉がわずかに開いた。
飛梅はすかさずカウンターを飛び越え、青ざめる兄妹を押しのけて中へ踏み込んだ。
「ひっ……! 残穢あり! 残穢あり! 場所は……」
ルナが通信機に向かって叫んだ。
そこにあったのは、腐り果てた、だがまだわずかに蠢く屍人の手首だった。
兄妹はどうにか屍人の侵入は防いだものの、身体の一部だけが家に残ってしまったようだ。
屍人は血液感染する。たとえ動かなくとも、感染源となり得る。
侵入しようとした屍人が残した黒い血痕が扉の下についているのを、暗い気持ちで飛梅は見つめた。
規定では、こうなれば「焼却」が鉄則だ。
ついに泣き崩れた妹は、兄の制止を押しのけて、声を震わせながら訴えた。
「お願ぇだっ! 焼かねぇでくれろ! この家だけは……! 亡くなったおとうとおかあの思い出なんだ……! もうここだけなんだよぉ!」
その涙を前に、ルナは困惑の色を隠せなかった。
この貧しい兄妹はいずれも魔力を持たない無級者だ。抵抗力も低く、感染拡大のリスクはあまりにも高い。
残穢対応に駆けつけた渡辺塔も、戸惑ったように様子を見守っていた。
同僚を振り返ることなく、飛梅は静かに、妹の頭に手を置いた。
「あなた達こそが、思い出なんです。家じゃないーー生きているあなた達が、亡くした人が生きた証です」
その声は、誰のものでもない。
飛梅自身の、まっすぐな心から出た言葉だった。
ルナはしばらく黙っていたが、やがて「仕方ないわね!」と肩をすくめ、「トー君! 扉だけ、焼ける?」と隣に立つ後輩を見上げた。
「ーーいいのか?」
規則では全焼対象のはずだ。
しかし問われたルナは肩をすくめると、カウンターに入り「狭っ! アンタちょっとあっち行きなさいよ!」と飛梅を押しのけながら素早く状況を確認した。
「扉で挟んで切り落としたのね。手形も他にはついてないわ。ピンポイントで焼いて頂戴」
器用に能力を操った塔が感染源となる扉だけを焼き払うと、ルナは静かに魔力を引き上げた。
「特別サービスしてあげる」
水系一級能力者の彼女は、とりわけ得意としている鬼術があるわけではない。
否、苦手なものがない、と言った方が正しい。
自身の魔力で仕掛けられるものは系統問わずに全て扱うことができる、水系オールラウンダーとして重宝されていた。
ルナが鬼道詠唱を始めると、その水色の髪が茶色に変わり、生意気そうな面構えが聖女のように穏やかになっていく。
『芽吹け 芽吹け 古の記憶よ
巡れ 息吹の輪廻
枯れ木に還れ 陽の祈り
呼べ 眠れる千枝の名を
“鬼道木ノ四 緑環還命”』
詠唱が終わると、木の扉は新品同様になって戻っていた。
古ぼけた店の中で、木の香りがするその扉は一際輝いており、亡くなった両親からの贈り物のように見えた。
「すごい! ルナさん!」
飛梅が顔を明るくして手を叩くと、塔も揃って拍手をはじめた。
ルナを拝んで嗚咽する兄妹を直視できないようで、髪色が戻った彼女はやや赤面をしながらフン!と踵を返す。
「アタシ可愛いから、臭いものは全部嫌い。辛気臭いのも嫌いなのよ! 笑って生きていかないと承知しないんだから!」
飛梅と渡辺も、笑ってその後を追った。
帰り道、皆が眠り静まり返る隊員輸送車の中で、隣に座る飛梅にルナがポツリと呟いた。
「アンタ、何者?」
飛梅は目を丸くした。声は微かに掠れた。
「……どういう意味、ですか?」
ルナはプライドよりも興味が勝ったらしい。小声で噛み付くように問い質した。
「アタシ、水系魔術は覚えればなんでも使えるの。可愛い上に天才だから。索敵だって得意なのよ! ーーでも、さっきの残穢は気づかなかった。微かすぎたわ。あの兄妹も怪我をしている気配はなかったし」
一体どうやったのよぉ、と尋ねる声が赤面と共に窄まっていき、可愛い人だなと改めて見つめ直した。
(びっくりした。正体がバレたのかと思ったよ!)
飛梅は安堵すると、微かに笑った。
「ーー匂いがしたので」
「匂い?」
「はい。僕、鼻がいいんですよ。昔から屍人の匂いがわかるんです」
「へぇ〜! ワンちゃんみたい。風系の応用かしら? 確かにクサいもんね!」
納得したらしいルナは飛梅の肩を枕にして寝始めた。
車窓からの景色を眺めながら、飛梅は思った。
(屍人は甘い、いい匂いがするーーって言ったら、もっと嫌われちゃうかな……)
その日、隊長室に戻り寝支度を整えた飛梅は、ベッドの中で麟五の金色の瞳を見つめながら尋ねた。
「ーー教官、〈上野事変〉のことを聞いてもいいですか?」




