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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の江戸で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第一章:水の段『水は道なり。行くべき先を拒まぬ』

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7. おはようからおやすみまで

「教官、お話しいただきありがとうございます。正直にお伝えしますとーー」


 向き合った息のかかる距離。かすかな石けんの香り。


 紫色の癖毛がやわらかくかかる潤んだ大きな瞳に見つめられ、麟五は吸い込まれるように惹きつけられた。


 無意識に触れようと右手の人差し指が上がりかけ、そしてそのまま次の飛梅の言葉で凍りついた。


「御実家のご状況は分かりましたが、正直言ってーーかっこわるいです!」

「うぐっ……!?」


 心臓が杭を打たれたように衝撃が走るが、よく訓練された麟五の表情筋は動かない。おかげで元々鈍感な性質の音は隊長のセンシティブな気持ちには気付かず、遠慮をますます放り投げた。


「あのですねぇ、身の回りのことを最低限出来ないなんて、幻滅ですよ。クソダサです!」

「ダ……ッ!?」

「なんか過保護すぎますよ、教官のおうち。この人、どこまで出来ないのかな?って、聞いてて不安になっちゃいましたもん。トイレのたびにケツ拭けって言われそうで怖いです。ちょっと気持ちわるいです」

「ケ……ッ!? さすがにそれは……」

「あ、それは平気なんです? よかったぁ。浴衣何枚も使って風呂上がりに水を吸わせるとかいうから、お尻も人任せかと思いましたよ」

「……はぁぁぁ……」


 指摘されたことはまさにその通りで、腹も立たない。麟五は俯いて低い吐息を漏らした。


 音はそこで不思議そうに長いまつ毛を瞬かせた。


 湯上がりにこざっぱりとした訓練服のTシャツと白いジャージを身につけた華奢な首を傾ける。


「そもそも……蓼丸教官、身体強化できるじゃないですか。暑さ寒さ関係あります? 水も風も自由自在ですよね。風呂上がり、三級の僕ですら一瞬で乾かせますもん。何でやらせてるんですか?」


 何の裏もないことがわかる、ガラスのように澄んだ声が麟五の心の奥を動かした。


 飛梅の丸い大きな眼を見つめる。


 健やかに愛されて育った飛梅の、どこか永遠の幼子のような瞳に、この先何度も麟五は救われていくことになる。


 隊長室は最上階だ。大きく窓がとられた部屋で、夜目がきく2人は月明かりだけで十分だった。

 

 完璧な形をしたパーツが完璧な位置に置かれた整った顔が微かに和らぎ、麟五は隊では佐々木灰炉しか知らぬ秘事を打ち明けた。

 

「……俺は、妾の子なんだ。母は花街の女だ。五つのときに蓼丸本家に入った」


 音は突然はじまった話に眼を丸くした。しかし、真剣に聞かねばならないと本能が告げ、背筋を伸ばして上官に向き合った。


「引け目があってな。蓼丸家ではそうしている、と言われれば倣う以外の道はなかった。蓼丸本家には高能力者はいない。そんな家のしきたりが、特級能力者に具合がいい訳はないのになーー」


 淡々と麟五は自身の秘密を語った。


 花街から落籍された高名な太夫が麟五の母だったという。ミカドの吉原では、太夫は美しい能力者達がなる。


 通常、能力差がある者同士では子は生まれない。それを医術で克服したのが吉原の花街だった。


 ミカド皇国の能力者達の属性は火、風、水、土。遠く海を隔てた魔法大国バベル王国には闇属性が存在するという差はあるが、能力者区分は各国で共通している。


 等級は五級から特級まで。

 平民のほぼ100%が無能力者、すなわち無級である。


 なぜ言葉すら通じぬ各国で強さの区分が共通しているのか?


 それは人間には『同階級生殖』という原則があるからであった。


 生殖において属性の違いは問題となることはないが、夫婦に能力差があると子供ができることはない。五級から一級までは相手が上下一階級までは若干不妊傾向は高まるものの子は成せるとされている。


 だが特級だけはその理から外れる。特級は特級のみとしか子を成せない。


 それは魔力を使う者の定めであり、長年乗り越えられるものだとも思われていなかった。だが、およそ200年前にその理を打ち破ったのが吉原の水系医術者集団月影一門だった。


 高能力者が相手に合わせて魔力を下げて生殖を行う方法を編み出し、高能力の子を齎すことに成功。それを機に吉原は風俗街から一挙に発展した。


 美しく、優れた魔力を持つ子供を全国から集めて教育。大名家や富豪家に巨額で落籍させるという人身売買めいたやり方であったが、元手は稼いだ。


 やがて彼らは風俗街という前身を捨て、医療・エンターテインメント・金融を中心に経済界に幅を利かせるコングロマリット企業ヨシワラグループへと羽ばたいていく。


 20年程前に稀代の花魁として華々しくデビューした輝夜太夫が魔法大国バベル王国の王妃として迎え入れられたことで、その地位は揺るぎないものとなった。


 そんな時代の話であるから、母親が花魁であったとしても恥じる話ではないはずだ。


 しかし蓼丸麟五は本家の実子であるということを疑う者はいなかった。


 なぜなら彼が“蓼丸の麒麟児”であったからである。


 全属性で特級の力を持つ奇跡の能力者。それが蓼丸家ではその長い歴史の中で度々登場している。


「なんのことはない。蓼丸の麒麟児とは、色街から買った女で繁殖がうまくいっただけの話だ。ーーいま本家で生まれようとしている麒麟児は本物だ。姉もその連れ合いも五級程度しか力はないが、古い時代の中ではああして突然変異で産まれてきたのだろうな」


 大人しく話を聞いていた音は、ためらいがちに口を開いた。


「……よくわからないんですけど、教官はお母さんが花街の方だから、ご自分は偽物の“蓼丸の麒麟児”だと思ってらして、だから本家に沿うように我慢してきたということですか?」


 そんなことを考えたこともなかった。


 だが確かに心には衝撃が走った。


 何かが詰まったようにこくりと喉を鳴らしてから、麟五は唇を少し舐めて口を開いた。

 

「我慢……? ……は、していなかったと思うが」


 音が月明かりで美しく輝く白い頬を笑みで綻ばせた。


「え〜! 我慢ですよ! だって一瞬頭を振れば乾くものを、世話させてきたんでしょう? 拭いてもらうのなんて、むしろ面倒ですよ。あと1番大事なことを聞きますけどーー教官は本家でとっても大切にされていましたよね? それがわかってたから、周りのしたいようにさせていたんでしょう?」


 実子と変わらず。 

 それは確かにそうだった。


 彼が5歳になるまで本家に入らなかったのも、納得できる理由があった。


 蓼丸家の者達の魔力が低いため、特級能力者の魔力暴発は死の危険すらある。そのため癇癪などを抑えられる年齢になるまで護衛の佐々木家に預けられていただけであった。


 花魁であった実母も、芸事を極めたいという本人の強い希望を尊重して穏便に離縁されており、そこにも軋轢はなかった。


「いらっしゃい、麟五さん。今日から私があなたの母です」


 本家に迎え入れられた日、背筋に板が入ったように姿勢よく伸ばした養母が武家の女に許される最大限の笑みを浮かべていたこと。歳の離れた兄姉が子供部屋で大はしゃぎで世話を焼いてくれたこと。城詰めが多く寡黙な父が安堵した表情で頭を撫でてくれたこと。

 

 思い出せば、そこには温かな記憶しかない。


 侍従達も蓼丸の麒麟児として、ただただ愛を注いでくれた。


 それだけだ。


「よし! 気にするのやめましょう! 大体、そんな法外な力を持ってて偽物の麒麟児とかちゃんちゃらおかしいですよ。花街婚で毎回特級の子が産まれるわけでもないし、全属性特級の教官は、蓼丸家と全く関わりがなくても麒麟児って呼ばれるに決まってます!」


 ふ、と柔らかく麟五が吹き出した。


「決まってるのか?」

「はい、決まってます!」


 飛梅は身軽に立ち上がり、部屋の扉に手をかけた。


「てなわけで、基本的な身の回りのことは自分でやりましょう! もう17歳なんですからね! 僕はそのサポートをしますから。出来ないことがあったら教えてください」


 隊長として迎え入れられて3年。

 普通の17歳として扱われたことなどない麟五はふつふつと笑いが湧いてくるのを感じた。


「僕は隣の控えの間で寝ます。なんかあったら言ってくださいね。警護結界はきちんとかけておきますが、夜遊びしたかったりしたら出ちゃって構いませんよ。戻ってきたら起こしてください」


 そうだ!と飛梅が笑顔を輝かせた。


「朝ごはんも、お粥だけじゃなくていろいろ食べてみましょうよ。ここの朝ごはんねぇ、パンケーキが超おいしいんですよぉ。ふわっふわです! 明日は朝6時に起こしますから、何を食べるかその時の気分で決めましょうね。選べるんですよぉ。最高ですよね! ーーじゃあ、おやすみなさい」


 笑顔を残して、飛梅は部屋を出ていった。

 

 つい笑いそうになる口元をこらえつつ、麟五はその夜、かつてなく安らかに眠ることができた。  


 そして翌朝、「おはようございます!」と軽やかに起こしにくる部下の笑顔は、その朝に食べたパンケーキと同じくらい甘やかで好ましいと感じた。


 それからの日々、勤務中は飛梅の教官となり指導する麟五は、寮に帰れば飛梅が主張する『当たり前の日常』とやらを仕込まれていった。


 昼間にあったことを振り返ってはくすくすと笑う飛梅と洗濯物を畳み、2人で清められたシーツをベッドに広げる。それから夜風の気持ちいいテラスで動画を楽しみながら、飛梅が推しの変身ポーズや技を真似する様子を眺めて酒を飲んだ。


 穏やかな時を過ごした後は、隣室で眠る飛梅の健やかな寝息を聴きながら眠りにつく。


 朝寝ぼけていれば「隙あり! 飛びつき式フェイスバスター!」とプロレスファンの飛梅がベッドに飛び込んで起こしてくることもある。それを麟五が容易く躱しながら、2人はベッドの上で束の間戯れあった。


 それはもはや隊長と部屋子の生活ではなく、同棲したてのカップルのような様子であったが、密室内のこと故に誰からもツッコミが入らず、麟五は自分の中に今までなかったものを人知れず育んでいくことになった。


 そうして1ヶ月ほど過ぎた夜、事件は起きた。


(ーー無理だ)


 人類最強の男、麟五が恐怖で喘いだ。


 寝室の隅で動いた黒点。


 最初はホコリかと思ったがーー違う。


 怯える麟五を嘲笑うかのように、圧倒的強者の余裕を見せて、それは這い出してきた。


 たちまち戦慄で全身の血の気が引く。


 体長わずか1センチ。

  

 だが麟五の眼には、まるで部屋全体を支配する支配者、漆黒の悪魔として映った。


 その八本の脚がわずかに動くだけで、まるで地震のように床が揺れる錯覚を起こした。ーー震えているのはクモ恐怖症の麟五であったが。


(蜘蛛だけは、無理だ!!!!!!)


 麟五は素早く壁際まで後退し、風魔法で引き寄せた枕を盾として構えた。


 が、無情にも蜘蛛が半ミリ動いた動いた瞬間、声にならぬ悲鳴をあげ、盾を放り投げて逃走した。


 飛梅が眠る、隣の控えの間へ。


 救いを求めて確認した飛梅を見た瞬間、蜘蛛による動悸とは別のものが、麟五の胸を襲った。


 梅雨入りしたばかりのその夜は蒸し暑かった。


 すぴすぴと健やかな寝息を立てる飛梅は、上半身は大きめの白いノースリーブだけを着けていた。


 その胸元から、たわわな白い双丘があふれ出ているのをしっかりと目に焼き付けた後、感情がショートした彼は頭を抱えてしゃがみ込む。


 麟五はそのまま気を失うように、床の上で眠りについた。


 翌朝、部屋の隅の床で眠る上官を見て仰天した飛梅は慌てて身支度を整えてから彼を起こした。


 控えの間で眠っていた理由を問うと、大きなあくびをしながら麟五が答えた。


「……蜘蛛が出た」


 普段は周囲を緊張させるほどの整った顔が、寝ぼけてゆるんでいる様子がかわいらしく、飛梅は微笑んだ。


「蜘蛛、苦手なんですね! 僕は全然大丈夫なんで、次は起こしてーー」


 すると、ぼんやりと虚空を見つめていた金色の瞳が、たちまち決意のようなものに満ちていった。


「ーーいや、一緒に寝る」

「へっ?」


 目を丸くした飛梅は、上官がすっきりした顔で宣言するのを見つめていた。


「次から、一緒に寝る」


 そこまで警戒しなくても……と宥める飛梅の抵抗は受け入れられることはなく、以降、ワイドキングサイズの隊長のベッドが2人の寝所になった。




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