エピローグ〈1〉神話が始まる
魔界核を継承し二代目の皇となった玄蕃白は、先代とは異なり大量の瘴気を吸入せねば身体を保てぬ存在ではなかった。そのため瘴気の吸入量は大きく抑えられることになる。
民は再び空を恐れずに生きられる時代を迎えるが、当初、瘴気の減少は屍人の増加を招くのではないかと危惧された。
だがその懸念は、東雲玄斎によって開発された闇ワクチンにより静かに覆される。数十年という歳月をかけ屍病は着実に減少し、やがて「かつて存在した災厄」として語られるものとなった。
瘴気吸入量の減少がもたらした思わぬ恩恵もある。それは、ミカド皇国内における闇属性能力者の増加であった。後世の記録には、救国の麒麟児・蓼丸麟五の姪にあたる十六代目蓼丸の麒麟児――瑞麟が、闇属性を扱ったとする伝承が残されている。
闇ワクチン開発の起点となったミカド皇国史上初の闇属性能力者、飛梅音。救国の英雄、蓼丸麟五。この二人がバベル王国に籍を移したことを契機に、ミカド皇国とバベル王国の往来は飛躍的に増加する。
交易、学問、魔術、芸術――あらゆる分野で交流が進み、両国はかつてない栄光の時代を迎えた。
二人に続き、すぐにバベル王国へ籍を移した者たちもいる。
一人は、特別消禍隊総局長山本ジョージだ。
彼はその座を西門に譲り、余生を音楽に捧げるためバベルへ渡った。折しもバベル王国に新たに即位した王は音系能力者であり、老いてなお舞台に立った鼓神ジョージの名は、世代を超えて愛されるものとなる。
かつてDJであった玄蕃白はこれを心から喜び、バベル王国と縁の深いシナン諸島連邦にて、超巨大野外フェス“フライデーランド”を開催した。それは、彼の長い人生における最上の遊びであり、祝祭であったという。
もう一人は、鉢屋テッサである。
彼女は土蜘蛛の一族を率い、大規模にバベル王国へと移住した。元来まつろわぬ民であった彼らは、ミカド幕府による電票管理を厭い、自由を求めてこの選択をした。
新王シュリの初勅で改正された特級能力者法により特級能力者が飛躍的に増えたバベル王国において、テッサは八男三女の母となる。
「土があれば、そこは家にできる」
その言葉は、国境を越えて生きる者たちの勇気として、永く語り継がれることとなった。
神保烈と剛――双子の兄弟である彼らは、魔界核奪還戦から程なくして特別消禍隊を退いた。
選んだ道は、剣でも魔術でもなく、ラーメンであった。
一杯にすべてを懸けると決めた二人の店は瞬く間に評判を呼び、連日行列が絶えぬ名店となる。
その才覚に目を留めたのが、大商人リリガルド・オータムである。彼の支援を受け、神保兄弟の店はバベル王国にも進出した。
異国の地で供される「ミカドの味」は、やがて文化として受け入れられ、神保兄弟は食の巨人と尊ばれ、バベル王国で最も名の知られたミカド人となった。
かつて名声を欲しいままにしていた神保ガンズとその妻シノは、いつしか「神保兄弟の親」と呼ばれるようになった。
それを二人は誇りとも、寂しさとも思わなかった。
子どもたちが築いた未来を隣で笑って見届けることこそが、長き戦いの末に得た、何よりの報酬だったからである。
こうして神保家は、喧騒と湯気と笑いに包まれながら、穏やかで、満ち足りた余生を過ごしたと伝えられている。
蓼丸備悟は、その生涯において英雄と呼ばれることはなかった。だが、魔界核奪還戦以後のミカド皇国が大きな混乱に陥ることなく推移した背景には、常に彼の存在があった。
闇ワクチンの配布体制、電票制度の再編、そしてバベル王国との条約と人的交流の整備。
いずれも表に立つ者ではなく裏から国を支える者の仕事であり、備悟はそのすべてを淡々と、しかし確実に成し遂げていった。
彼は生涯、私的な幸福を持たなかったと伝えられる。婚姻をしなかった蓼丸家当主は、歴史上初めてのことであった。
それは、望めなかったからではない。
選ばなかったのである。
国が安定し、次代へと無事に引き渡されること――それこそが、彼自身の幸福であった。
蓼丸家についてもまた、同様である。
救国の麒麟児蓼丸麟五が家を離れた後、彼らは、麒麟児の次に生まれた珊瑚の長男を後継として育て上げた。
血と名を守るのではなく、責務と矜持を継がせる教育であったと記録は語る。
こうして蓼丸家は、英雄の家ではなく国を支え続ける家として存続し、その栄華は静かに、しかし確かに続いていった。
後年の史書は備悟について多くを語らない。だが、何も起こらなかった年月こそが、彼が最も力を尽くした証であった。
次話で完結です!!!!




