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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の異世界で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第四章:土の段『土は国なり。人はそこに立ち、そこへ還る』

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魔界核奪還戦〈5〉

 深い、深い眠りの底。

 静寂の中で、飛梅は誰かと向き合っていた。


 ――聞こえるか。


 声は、胸の奥から響いてくる。


 それは血であり、心臓であり、世界の核だった。

 魔界核。皇の心臓。

  

 飛梅は、そこに流れ込む記憶を見る。


 禁じられた愛の果てに生まれた子。

 手も、足も、目も、鼻も持たず、蛭のようだと――ヒルコと呼ばれた存在。


 産み落とされてすぐに忌まれ、親の手で川へと流された。


 それでも死なず、異界へと渡り、瘴気を吸い上げ、形を得て。


 二千年。


 国を守り、人を守り、神として崇められ、ミカドの子らに囲まれて生きた。


 ――親からは見放されたがな。

 ――神としては、ずいぶんと愛された。


 皇の声には、穏やかな諦観があった。


 ――まったく。悪くない人生じゃった。

 ――……しかしな。


 その一言で、空気が変わる。


 ――其方には、申し訳なく思う。


 皇の想いが、痛いほどに流れ込んでくる。


 ――家族がいて。仲間がいて。帰る場所がある其方を。引き離し、人でなくしてしまう。


 ――そのことだけは、心苦しい。


 その瞬間。


 飛梅の胸が、きゅっと締めつけられた


 気づけば、涙が溢れていた。どうして泣いているのか、自分でもわからなかった。


 けれど――飛梅は、泣きながらも、いつものままだった。


 特別な言葉も、英雄のような思想も、神を論破する理屈もない。


 ただ、圧倒的に“普通”。それが彼女の強さだった。


「……家族と別れるのも、仲間と別れるのも……つらいよ」


 声が震える。

 頭の中に浮かぶのは、騒がしい声、笑顔、温かい手。


 --そして。


 金色の瞳。

 凛とした背中。

 蓼丸麟五。


「……好きな人と、別れるのも」


 胸が、痛む。


「すごく、つらい」


 飛梅は、そこで目を伏せ、泣き笑いのような顔で続けた。


「でもね、別れるのがつらいって思えるのは、そう思える相手がいたからだよ」


 飛梅は、まっすぐに皇を見る。


「あなたが誰かを好きになって、別れるのがつらいって思う相手に出会えなかったことのほうが……聞いてて、つらい」


 沈黙。


 二千年分の時間が、そこに落ちる。


 ――……。


 皇は、言葉を失っていた。

 神でも、皇でもない。ただ一人の存在として。


 ――其方は、ほんとうに、普通じゃな。


 その声には、初めて寂しさが混じっていた。


 飛梅は、泣きながら、少しだけ笑う。


「……うん。だから、あなたのことも、ひとりにしたくない」


 その言葉は、魔界核の奥深くまで、静かに、確かに届いた。


 飛梅は、泣き腫らした目のまま――笑った。


 特別な覚悟を決めた者の笑みではない。戦場に立つ英雄のそれでもない。


 いつもの飛梅の笑顔だった。


 思念の中で、彼女は特別消禍隊の隊服を纏っている。


 仲間と並び、同じ釜の飯を食べ、同じ危険に身をさらしてきた、――ただの仕事着。


 飛梅は一歩、前に出る。


 そして、その拳で、自分の胸を軽く叩いた。


 とん、と。


 心臓の音が、確かに響く。


「……私なんかでよければ、魔界核、受け取るよ」


 皇が、目を見開く。


 飛梅は続ける。


「だから、あなたは輪廻の輪に戻って。次はね--……」


 少しだけ、照れたように笑って。


「たくさん、愛される子供になるよ」


 迷わず、言い切る。

 願いでも、祈りでもなく、断言だった。


「だって、こんなに、頑張ったんだもん」


 拳を握りしめる。


「絶対。絶対、そうだよ!」


 その言葉は、神に向けた説得でも、運命への反逆でもなかった。隣に座る友だちが言う、当たり前の励ましだった。


 皇の中で、何かが音もなく、ほどけた。


 二千年。


 守り続けた国。

 背負い続けた役割。

 神であること。

 皇であること。


 ――救われる側になるなど。


 考えたこともなかった。


 魔界核が、静かに脈打つ。


 それはもう、奪うための心臓ではない。託すための心臓だった。


 ――ありがとう。


 皇の声は、初めて肩の力が抜けていた。


 ――次は、わが名を持たぬまま、ただの子として、生まれよう。


 飛梅は、にっこりと笑う。


「うん。それでいいよ。それが、いちばんだよ」


 その瞬間。


 魔界核は、神を解放した。


 それは普通の女の子が、世界を肯定し、救った瞬間だった。




◆◆◆




「――……っ!!!」


 飛梅は、息を吸った。


 重たい。冷たい。背中に、ざらりとした感触がある。


 眼を、開く。


 視界いっぱいに広がったのは、ひしゃげて歪んだ檻の内側だった。


 土と闇が固められたような、閉じた空間。

 下を見れば、黒く乾きかけた巨大な蜘蛛の死骸。


 ――……なに、ここ……?


 思考が追いつかない。


 そのとき。


 影が、覆いかぶさる。

 誰かが、すぐ近くで自分を覗き込んでいた。


「……!」


 飛梅の目が、大きく見開かれる。


 整った顔。金色の瞳。


 ――蓼丸、麟五。


 けれど。


 その顔は、血に汚れていた。


 頬にも、額にも、乾ききらない赤が飛び散っている。


 初めて見る光景に、呼吸がひくりと止まる。


 そして麟五の瞳は、かつて飛梅が見たことのないほどに揺れていた。


 不安。

 焦り。

 安堵。


 それらが、全部混ざった眼で、ただ飛梅を見つめている。


 飛梅は、知らない。


 魔界核が摘出されたことも。

 玄蕃の心臓を抜き、入れ替えたことも。

 タイヨウが玄蕃を抱えて飛び、ミカド皇国で待ち受ける東雲玄斎のもとへ届けたことも。


 --蓼丸麟五が、たった十五分で、世界を救ったことも。


 飛梅が知っているのは、ただ一つ。


 ――人類最強の男に、血がついている!


 それが、どうしようもなく怖かった。


 飛梅は反射的に腕を伸ばすと、両手で麟五の頬を包み込んだ。


「……教官!!」


 声が、少し裏返る。


「だ、大丈夫ですか!?」


 親指で血を拭おうとして、指先が震える。


「血がこんなに……怪我、してませんか?」


 それは、ただ目の前の人間を心配する声だった。


 その手。

 その温度。

 その、あまりにも普通な仕草。


 ――飛梅だ。


 麟五の胸に、堰を切ったように、何かが込み上げた。


 喉が詰まり、視界が滲む。


 こらえきれず、熱い雫が、頬を伝って落ちる。


「……っ!」


 声にならない息を漏らし、麟五はたまらず腕を伸ばした。

 強く、逃がさぬように、飛梅を抱きしめる。


「……!?」


 突然のことに、飛梅は一瞬驚く。


 けれど。


 その背中に回された腕が微かに震えていることに気づき――飛梅は何も聞かず、そっと抱き返した。


 檻の中。血と死骸の上。


 それでも。


 そこにあったのは、ふたりが確かに生きている現実だった。


 麟五は、何も言わずに抱きしめ続けていた。

 強すぎるほどでもなく、離す気配もなく。


 その沈黙に飛梅は少し困惑して、けれど拒むこともできず、穏やかに口を開いた。


「……私、夢を見ていたんです」


 独り言のように。


「皇は……ヒルコなんて名で呼ばれてましたけど、本当は日子(ひこ)ちゃんっていうんです」


 麟五の胸が、わずかに上下する。


「可愛い名前ですよね」


 少し考えてから、楽しそうに付け足す。


「でも、今だったら……日子って書いて、“ニコちゃん”とか、いいかもしれませんね」


 宥めるように、飛梅はそっと、麟五のうなじに指を伸ばした。


 短く整えられた髪。

 汗と血の名残。


 その中を、指先がゆっくりとなぞる。


「……かわいいでしょう? ニコちゃん」


 飛梅は、にこにこと笑う。


 状況も、檻も、死骸も。何ひとつ、深刻にしない笑顔。


 呆れるほどに――普通。


 その普通さこそが、蓼丸麟五が死力を尽くして取り返したものだった。


 世界でも、神でも、勝利でもない。この、温かな光。


 しばらくして麟五は、ようやく口を開いた。

 低く、少し掠れた声で。


「……日の字は、ニとは読まない」


 飛梅の肩に預けていた額を、ゆっくりと離す。


「役所は通るかもしれんが……楽と書いて“ララ”と読ませる自分の名が嫌だったんじゃないのか」


 そして身を引き、今度は麟五が、飛梅の頬を包み込んだ。


 両手で、まるで、確かめるように。


 その眼は、ただ――愛おしいという想いで満ちていた。


 飛梅の胸が、跳ねる。


「……!?」


 思わず、息を呑む。


 こんな目で見られる理由が、自分には思い当たらない。


 それでも、逃げることはできそうになかった。


「……音」


 名を呼ばれた瞬間、空気が変わる。


 低く、熱を孕んだ声だった。


 先ほどまで、蓼丸麟五に力を貸していた魔界の五元魔素が、ざわりと反応する。


 まるで、世界そのものがこの言葉を聞く準備をしているかのように。


 麟五は、音の頬を包んだまま、一切、目を逸らさない。覚悟を決めた眼だった。


「ーーお前を失うくらいなら、世界を失う方が、まだましだ」


 それは蓼丸の麒麟児が初めて手にした、選択の宣言だった。


 魔素が、静かに脈打つ。


 音の胸が、どくん、と大きく鳴る。


 理解が、追いつかない。


 けれど、この眼で見られて、この声で呼ばれて、この距離で言われて――否定できるはずがなかった。


「……教官……」


 かすれた声で、それだけを呼ぶ。


 麟五の額が、そっと、音の額に触れる。


 世界は、まだ続く。

 戦いも、責務も、終わっていない。


 それでも、この瞬間だけは。


 世界より重い選択を、互いに引き受けた二人が、確かにそこにいた。


 -ーー-はずであった。


 またしても何も知らない飛梅は、首を傾げた。


「え、それって……どういうことですか!?」


 飛梅は目を瞬かせたまま、完全に混乱していた。


「え、あの……世界、なくなるんですか? それは困りますし……え? 私、今、なにか……」


 両手を胸の前でわたわたと動かし、視線は右往左往している。


 ――こいつは、もう。最後まで、こうだ。


 麟五は、ほんの一瞬だけ、困ったように目を細めた。


 そして、彼は何も言わず、飛梅の顎にそっと手を添え――


 ちゅ、と短く静かな音がした。


 魔素が、ふわりと揺れる。


 時間が、止まる。


「………………」


 一拍。


 二拍。


 飛梅の顔が、みるみるうちに赤くなっていく。


 耳まで、首筋まで、一気に真っ赤だ。


「えっ……えっ!?」


 両手で顔を覆い、半身下がって――


「えーーーーーーー!!!!!?」


 檻の中に、素っ頓狂な叫び声が響き渡る。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!! い、今のって……! え!? え!? 教官!?」


 麟五は、ほんのわずかに口元を緩めた。


 戦場では決して見せない、少年のような表情で。


「……そういうことだ」


 飛梅は、まだ真っ赤なまま、固まっている。


「……嫌か?」


 低く、けれど逃げ場を残さない声だった。


 飛梅は、一瞬きょとんとして――


 ぶんぶんぶんぶん!!


 首がもげそうな勢いで、横に振られる。


「い、嫌じゃないです!! ぜんっぜん!!」


 声が裏返り、胸の奥で何かが、ぱん、と弾けた。


 嬉しい。

 うれしくて、どうしていいかわからない。


 ――あ、これ。好きだ。


 ようやく、ようやくそこまで辿り着いた、その瞬間。


 飛梅は、はたと動きを止めた。

 顔から、血の気が引く。


「……?」


 麟五が、怪訝そうに眉をひそめる。


「どうした」


 声は即座に低くなる。


 不安の種があるなら、世界ごとでも壊して取り払う。そんな覚悟の声だった。


 飛梅は深刻そうに麟五の顔を見上げ、ゆっくりと口を開く。


「あの……ウチ……」


 ごくり、と唾を飲み込み、一拍。


「飛梅家は、飛梅流を残さなくちゃいけなくて……」


 麟五は黙って聞いている。


「……婿取りしか、できないんですけど」


 恐る恐る、続ける。


「……大丈夫ですか?」


 沈黙。


 麟五は、完全に固まった。


 口が、ぽかん、と開く。

 

 ――何を言っているんだ、この鈍感姫は。


「わ、わーーー! ですよね!!」


 飛梅が慌てて両手を振る。


「いきなり言われても、ですよね!! でも、だ、大事なことなんで!!」


 早口になる。


「好きな人ができたら、最初にお伝えしなきゃだめよって、ママが……!」


 そして、とどめ。


「り、リンゴ君!! 苗字が“飛梅”になっても、平気かな!? 蓼丸の麒麟児じゃなくて、飛梅の麒麟児になっちゃうけど!?」


 数秒。


 完全な沈黙のあと――


「……っ」


 麟五は、たまらず、吹き出した。


 声を殺すこともなく、耐えることもなく。士族という鎧を脱ぎ捨て、心の底から。


「はは……ははは……!」


 飛梅は目を丸くする。


 初めて見る、人類最強の男の笑顔。


 それは、力を持つ者の顔でも、隊長の顔でもない。当たり前の、十七歳の男の子の顔だった。


「な、なに笑ってるんですか……?」


 頬を膨らませる飛梅に、麟五は一歩近づき――


 もう一度、今度は少しだけ長く唇を寄せた。


 そして、そのまま飛梅を抱き起こし、立たせる。


「……時間はある」


 真っ直ぐに言う。


「“飛梅”に合う子供の名も、ゆっくり、考えればいい」


 飛梅の胸が、どくん、と大きく鳴った。


 世界は救われた。

 神は解放された。


 そして--飛梅音は、未来をもらった。


 その時、ぽん!と空気が、軽く弾けた。


 次の瞬間、二人の前に――タイヨウが現れる。


 状況を認識するよりも早く、天使は飛梅を見て――


「……わっ!?」


 反射的に、両手で目を塞いだ。


「……まだ、呼んでないが」


 二人きりの時間を断ち切られ、麟五は空中に浮かぶタイヨウを睨みつける。


 視線だけで、斬れそうだった。


「ごめーん!」

 

 タイヨウは軽い調子で謝る。


「カグヤ様がさ、『早く行け』って〜!」


 指の隙間から、ちらっと様子を確認しつつ。


「リンゴ君が、おっ始めちゃうといけないからって言ってたよー!」


「……」


「それにさぁ、そのままだと音ちゃん、風邪ひいちゃうよーー!」


 その言葉を聞いた瞬間。飛梅の背筋に、ぞわり、と嫌な予感が走る。


 ――……あれ?


 恐る恐る、自分の体を見る。


 ……。


 …………。


 ………………。


 真っ裸だった。


「きゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!?????」


 空気を引き裂く、乙女の絶叫。


「な、なんでええええええ!!!!!!」


 慌てて腕で身体を隠し、顔は真っ赤。

 完全に、限界だった。


「ち、ちがっ……これは、その……!」


 弁解にならない言葉が、空を舞う。


 その様子に――


「……っ」


 耐えきれず、タイヨウが吹き出した。


「ご、ごめ……ははっ……!」


 そして。


「……ふっ」


 隣で、蓼丸麟五も、再び笑った。


 声を殺すこともなく。

 堪えることもなく。


 ただ、当たり前のように。


 乙女の悲鳴。

 天使の笑い声。

 人類最強の男の、少し照れた笑顔。


 それらが重なり合い――世界に、平和が訪れた。


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