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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の異世界で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第四章:土の段『土は国なり。人はそこに立ち、そこへ還る』

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魔界核奪還戦〈3〉

 双子の巨大な掌の中で、飛梅の影が暴れ、森がざわりと震えていた。


 テッサは静かに目を閉じる。


 彼女の耳には、地中の震えがはっきりと聞こえていた。


 テッサは土蜘蛛と呼ばれた民の末裔だった。


 まつろわぬ者として忌まれ、だが誰よりも地と共に生きる術を知る一族。


 圧政の歴史ではなく、大地に根ざした誇りとしての記憶が、テッサの胸に息づいていた。


 皇がミカドを浄化する以前から存在した古い民。


 旅をし、地中で暮らし、ひとつの土地に縛られず、地そのものを故郷とした者たち。


 時代が土を奪っていった現代、彼らの一族は細くなりつつあった。


 テッサはその最後の姫だった。


 土蜘蛛の姫になるべくして生まれた特級能力者。


 特別消禍隊に入ったのも、有能な婿を取り、多くの子を生み、一族を繁らせるためだった。


 大地に生きる者としての誇りを背負った姫が、地中の振動から動きを察し、眼を見開いた。


 巨人兄弟の厚い指の隙間。


 そのわずかな空間をするりと黒い影が滑り抜けた。


「!? 兄者、逃げ──!」


 南海が叫ぶより早く、影は双子の掌の外へ飛び出した。


 白日の元にさらされたそれは、飛梅ではなかった。


 いや、飛梅の面影はある。

 だが身体は、半分以上が変質していた。


 腰から下が巨大な蜘蛛の脚へと変化し、甲殻は闇素を吸い込み漆黒。


 節から節がしなるたび、まるで森そのものが後ずさるほどの威圧を放っていた。


 上半身は人の形を保つが、その皮膚には黒い糸のような紋様が脈打ち、複眼となった瞳孔は縦に裂け、赤黒い光が微かに瞬いている。


 魔界で最強の捕食者とされた蜘蛛の王妃の進化体がそこにあった。


 南海は震える声で名を告げる。


「……やはり闇后アラクネア・レギナ……!! トビを吸収したんだ……!!!」


 そして──

 この場で誰より死にかけている男がいた。


 蓼丸麟五。


 森を屈服させた魔王のような男が、膝を震わせている。いや、もはや全身がブレて見えるほどに震えていた。


 彼の視界に映ったのは、人の腰から下に生えた節の多い黒い蜘蛛脚。


 麟五の顔が、真っ青になる。


「…………ッ……ッ……」

「ちょ、隊長!? 隊長!!?」


 南海が慌てて支えるが、白目を剥いた麟五の意識は遠のきかけていた。


 蜘蛛。

 脚。

 節。

 複眼。

 甲殻。

 でかい。


 その情報だけで、蓼丸麟五は本気で気絶しそうだった。 


 声にならない悲鳴が心で上がる。


 精神的に瀕死の隊長を隊員が気遣う一瞬の隙をついて、レギナは森の奥へ跳ねた。


 その軌跡は、まさに蜘蛛のそれ。


 魔蟲の速さに追いつけない双子の手は宙をかき、南海は声にならぬ絶叫をあげた。


 一部始終を見ていたテッサは、白目をむき、血管が切れそうなほど怒鳴った。


「……ちょぉぉ待てやァァァァァァァ!!!」


 森が震えた。


 レギナは脚を止め、こちらを探るように複眼を動かした。


 テッサはゆっくりと顔を上げた。


 短い息の間から、熱ではなく冷たさが漏れる。


 より良い婿を取るために仮面お嬢様言葉を話していたテッサはそこにはいなかった。


 彼女は顎をほんのわずかに上げ、肩を落としたまま、だらりとした姿勢で歩み出た。


 そして口の端だけをゆっくりと吊り上げ、土蜘蛛の姫としての素顔を浮かべた。


 その唇から、低い声が落ちる。


「あ゛? 誰の許可得て、ウチの若ぇモンに手ぇ出しとんねん、ボケ」


 静かだ。

 大声ではない。

 なのに、周りの空気が一気に張り詰め、土の粒子でさえ一瞬、動きを止めたように感じられる。


 テッサは、獲物を見る猛獣のように首を傾ける。


「誰の前で、何してくれてんねん。ウチは土蜘蛛の姫やぞ。頭ゥが高いんちゃうか?……詰みやぞ、お前」


 その一言で、レギナは悟る。


 飛梅を取り返そうとする他の人間たちと、こいつは違う。


 この女は、大地の底から這い出た殺気の化身だ。


 テッサは静かに微笑んでいた。しかしそれは、慈悲とは真逆の笑みだった。


 烈と剛がぎょっとして肩をすくめる。

 南海も硬直する。

 麟五は失神しかけながら、わずかに目を開いた。


 奇しくも彼ら男子は3人とも名家の生まれであり、女性がこのように変容する様を見たことがなく、ある意味レギナより恐怖を覚えていた。


 仁義なきテッサの怒りは、もはや森の悪意すらかき消す勢いだった。


 その声は、大地の奥底まで響き渡る。


「折檻やな。なぁ。……そないにクモクモしとったら、おまえも光なんか嫌いなんやろ?」


 剛の肩から飛び降りたテッサは、ドン!と地を踏みしめ、低く呪禁を詠んだ。


「地は母、土は棺

 我が掌、いま其の胎を閉ざす

 沈め、地裳

 滑らせ、土膚

 囲め、環牢

 ――囲め、《土縛環牢》ッ!!!」


 大地が呼応し、轟音とともに円筒状の土壁が立ち上がった。


 内側はつるりと光沢を帯び、どんな脚も引っかからない。


 まるで巨大な陶管だった。


 蜘蛛であろうと、地を這う魔蟲であろうと、一歩も登れない監獄で上空だけがぽっかりと開いている。


 そこに天頂から太陽が差し込んでくる。


 麟五だけが落とせる四象の一撃――それを確実に叩き込むための土蜘蛛の姫の檻だった。


「隊長クゥン! 気ぃ失うてる場合ちゃうぞ、ボケ!!」


 鬼道を発動させながら、テッサは足で泥を蹴り上げ、それは拳のように麟五の頬に勢いよくぶつかった。


「ウチが今から逃げ道ゼロの檻つくったる! ほなアンタは四象、ぶちかませ!! 天燈祭の晩にやっとったやつや!! 上からあの術の重力で押し潰せ!! アレは周りの能力ごっそり吸うからな……ええか、ウチがもつん3分が限界や。それまでに仕留めんかったら――アンタ、生まれてきたん後悔するぐらい徹底的にシバき倒すから覚悟しとけやァ!!」


 二十メートル。


 土縛環牢の円筒が、地を裂いて立ち上がった。


 縁につかまり、もがいていたレギナはその底に叩き落とされた。


「よっっし!!!!!」


 巨人化した神保兄弟が、縁から身を乗り出して叫ぶ。


 遅れて、南海も声を張り上げた。


「隊長! 四象を!!!」


 だが。


 麟五は――動けなかった。


 剛の首に両腕でしがみつき、全身を震わせている。


 理性では分かっている。

 だが身体が拒絶していた。

 まるで、恐怖にすくむ幼児のように彼は震えていた。


 檻の底で、レギナが蠢いた。

 しばらくもがき、やがて――頭上を見上げる。


 その口が、開いた。


 澄み切った、高音質の声。


 次の瞬間、羽音が爆ぜる。

 巨大な羽虫が、空に舞い飛んできたのだ。


 ――矢が走る。 


 正確無比な一射。


 羽虫は呆気なく撃ち落とされ、肉塊となって落下した。


 レギナは、ゆうゆうとその死骸を踏みつける。


「あ、足場をつくってるよ、兄貴……!」


 剛の声は掠れていた。


 女王は眷属を屠り、脱出のための踏み台をつくっていた。


 ――弓を、使った。


 南海は、理解してしまった。


 レギナは、取り込んだ飛梅を自在に使えるようになっている。


 背筋が、凍った。

 恐怖と同時に、胸を引き裂くような哀しみが込み上げる。


 レギナの上半身。


 飛梅の名残を持つその姿は、手も、顔も、黒い毛に覆われ、赤い複眼が増えている。


 ――それでも。


 彼女は、特別消禍隊の隊服を着たままだった。


 飛梅は、特別消禍隊だ。

 あの矢は、人を守るための矢だ。

 あんなことを、したいはずがない。


 南海の視界が滲む。

 涙が、止まらなかった。


「リンゴ君、しっかりしろ!! 急がないと……首から離れろ! ……グッ、すげぇ力だ!」


 剛が呻く。


「また羽虫撃ち落としやがった! じきに上がってきちまうぞ!!」


 双子の目からも、涙が溢れていた。


 そのとき――。


「はよせぇぇぇ!!!!!」


 地上からのテッサの怒号が、戦場を裂いた。術の強度を維持する額には脂汗が流れていた。


「逃がさんようにフタしたら、空気なくなるんじゃ!! 何しとんねん!! トビ殺したいんかァッ!!」


 声が、震える。


「……ちゃうやろ!! 救いたいんやろが!! 命、取り戻したい言うてたんは、アンタ自身ちゃうんかいッ!!!」


 テッサの眼にも、涙が滲んでいた。


 檻の底で、レギナがもう一段、踏み上がる。


 時間が、残酷に進み始めていた。


 それを見た南海は、もう迷わなかった。


 巨人化した剛の肩を蹴り、跳ぶ。


 次の瞬間、麟五のすぐ横に着地し、その肩を強く掴んだ。


「隊長……」


 震える体。


 剛の首に縋りついたまま、視線は檻を見ようともしない。


 南海は、低く、はっきりと言った。


「飛梅が、待っています」


 それでも、麟五は動けなかった。


 ――なら。


 南海は、思い切り振りかぶった。


 パンッ!!


 乾いた音が、戦場に響く。

 後悔は微塵もない。

 仲間を戻すための一撃だ。


「しっかりしろ! 蓼丸麟五!!!」


 南海の声が、震えるほどに張り上がる。


「お前にしかできないんだ!! 三分だ。三分でレギナを抑えろ!!」


 涙を浮かべたまま、歯を食いしばる。

 そして麟五の胸ポケットからタイヨウを呼ぶ転移札を取り出して叫ぶ。


「その間に――俺は玄蕃様を呼ぶ!!」


 それは命令ではない。

 信頼だった。

 そして、賭けだった。


 南海は、麟五の両肩を掴んだ。


 その震えは、まだ止まっていない。


 それでも――目だけは、死んではいなかった。


 南海は、静かに、しかし逃げ場のない声で言う。


「怖いままでいい。それでも前に出るのが、蓼丸麟五だろ」


 一拍。


 そして、喉の奥から絞り出すように叫んだ。


「飛梅を助けてくれ、蓼丸の麒麟児。俺たちのヒーロー……!!!」


 次の瞬間だった。


 南海は、躊躇なく――土縛環牢の上部に穿たれた穴へ、麟五を放り投げた。


 重力が、彼を攫う。


 悲鳴はない。

 叫びもない。


 ただ檻の縁を越え闇の底へ向かうその背中は、恐怖に震えながらも、確かに――前を向いていた。


 南海は、もう見なかった。

 見る必要がなかった。


 信じて、投げたのだ。


 あとは――蓼丸麟五が、ヒーローであるかどうかだけが問われる。




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