魔界核奪還戦〈2〉
蓼丸麟五が祓った一閃が、エリア4に充満していた誤魔化しの闇を裂いた。
その直後、南海の感覚は捉えた。
――飛梅がいる! すぐ近くに。息づいている。
だが同時に、胸が重く沈んだ。
返事がない。救援信号もない。
蓼丸の麒麟児があれほど暴発しているのに、近づいてくる気配すらない。
(……動けないのか? 負傷しているのか? いや、そうであってくれ。怪我なんてどうにでもなる。自我を失ったから反応できない――そんな理由でなければ……)
南海の祈りのような希望は、しかし次の瞬間、形を与えられて崩れ落ちる。
飛梅の気を孕んだ、それが動いたのだ。
しかし、気はゆっくりと、こちらを伺うようにして遠ざかっていく。そのおかげでわずかに魔力が揺らぎ、脳裏に禍々しい輪郭が浮かび上がった。
(やはり、闇后アラクネア・レギナーー!!)
木を思わせるほどの長い脚。闇を吸う漆黒の毛。宝石のように硬質な腹部。七つの光――北斗七星の複眼。
本当にうちの新米は、闇后アラクネア・レギナと一体化してしまった。
喉の奥が焼けるように熱くなった。
だが、南海は拳を握りしめる。
(いや、まだ目はある!)
魔界核を埋め込まれ、魔力を吸い上げられ、自我を剝がされつつある飛梅。そこへレギナが近づき、取り込もうとしている最中なのだろう。
しかし御霊石は、まだ輝いている。
それは、飛梅がまだ飛梅である証。
女王蜘蛛の闇に呑まれきっていない、たったひとつの希望の灯だ。
南海は震える息を吐いた。
間に合う。
いや、間に合わせる!
南海は膝をつき、掌を地へ押し当てた。
闇に濁った地脈に、自身の魔素を流し込む。
「其は幽冥の門に坐す影
名を捨てし者の嘆きの声
開け、闇路
縛せ、幽縛
返せ、魄の還道
“鬼道水ノ九 水脈羅眼”!!」
それは、水系一級以上の百目に伝えられる追跡術。
残留魔素の流れを読み、気配を水脈のように可視化する。
詠唱が終わった瞬間、空気が震えた。
見えない水脈が幾重にも走り、エリア4全域に流路が展開する。
――《水脈羅眼》発動。
百目の視界が文字通り網羅へと変わり、飛梅が残したわずかな魔素を追い、蒼い糸となって闇の奥へ伸びていく。
南海の胸が鳴った。
《水脈羅眼》の水脈が地を奔った瞬間、その一本が――レギナへ触れた。
ビクリ、と世界そのものが震えた気がした。
レギナを示す蒼い線が、闇の奥で形を結ぶ。
そしてその中心に、微かに揺らぐ光――飛梅の御霊石。
次の瞬間、別方向から気配が走る。
麟五が、走った。
テッサも、神保兄弟も、同時に駆け出していく。
《水脈羅眼》が示した蒼い道は、仲間全員に同じ結論を叩きつけたのだ。
――あの先に、飛梅がいる。
南海は、彼らの背を見送るしかなかった。
追いたいのに、足が動かない。
《水脈羅眼》は魔力を喰う。
視界がチカチカと揺れ、膝が笑う。息が上がり、肺が痛む。ただでさえ生命力を削る鬼道だ。身体が悲鳴を上げていた。
腕時計の残り時間は16時間30分。
しかし南海は、半ば笑いながら呟く。
「……俺には、2時間あるかどうかってところか……映画一本分、だな」
エンディングを決めるのは麟五か。
それとも、神か。
いや――違う。
南海ノックは奥歯を噛みしめた。
「俺の手で決めてやる。バッドエンドなんざ、認めてたまるか……!」
崩れ落ちかけた身体に鞭を打ち、南海は蒼い水脈を追って走り出した。
足は震え、視界は滲む。それでも前へ。
仲間の背中が、まだ届く距離にあるうちに。
合図もなく、猟犬のように走り出した麟五とテッサ、そして神保兄弟は水脈羅眼の蒼い筋を追い、三方向から包囲に入る。
麟五は最短距離を突き、テッサは右舷の高台を回り、神保兄弟は左端から大きく円を描くように回り込んだ。
――そのはずだった。
突然、双子の真正面にそれは現れた。
巨大な闇の塊が、かさり、と音を立てる。
光のささぬ森とはいえ、それのまわりだけ一層暗い。いや、黒い。まるで塗りつぶしたかのように、空間が歪んで見えた。
神保兄弟は、足を止めた。止めてしまった。
そして見上げた。
自らの仁王フォームを遥かに凌駕する、10メートル以上の影を。
のろのろと、互いの眼を見た。
(……コイツ、なんでこっちに来た?)
弟は目を見開き、顔がこわばっていた。
死ぬ前から死体のような顔になっている。
それを見ていた兄は、喉の奥で乾いた音を立てる。
(……俺たちが一番、弱いからだ……!)
その瞬間、互いの瞳に映っていたのは、同じ影――怯懦の色。
神保兄弟、烈と剛は、レギナを見上げながら静かに立ち尽くしていた。
(なんで、こうなっちまったんだろうな--…)
兄の烈は、静かに視線を下げる。
俺たちは南海のような探索もできない。
テッサのように道も切り拓けない。
ましてや麟五のように森の悪意をねじ伏せることなど夢物語だ。
だが、それを口に出したことは一度もない。
ミカドの英雄・神保ガンズを父に。
そして糧母神と讃えられる母シノを持つ自分たちだからこそ、弱さを認められるはずはなかった。
烈と剛は覚えている。
特別消禍隊の入隊合格通知を、震える手で2人して開いた川辺。
夕焼けに照らされた水面を見つめながら、剛がぽつりとこぼした。
「……親の七光り、かな」
烈はうつむき、石ころをひとつ川に投げた。
「言うなよ……言わせないでくれよ……」
あの日、誰よりも大きな体のくせに、ふたりの心は小石のように沈んでいた。
深川殲滅戦で倒れ、小石川療養所の奥深くで眠り続けた父。
年に一度、ガラス越しに15分だけの面会が許された。
「お父さんはミカドを救った英雄なんだよ」
「世界を守ったんだよ」
「あなたたちも、きっとそうなれるよ」
周囲の善意が、いつしか兄弟の胸を締めつける縄になった。
特別消禍隊も、望んだわけではない。
そうなるしかなかった道だった。
そして父が華の第七に復帰した今、自分たちの存在価値は何なのか──彼らはその答えを見失っていた。
そして今、兄弟は肩を並べたまま、探していた存在価値が流星の如き速さで遠ざかるの感じていた。
飛梅の異様な動きを見上げ、心のどこかで思った。
こんなバケモノ相手に自分たちに、何ができる?
ここで散っても、名誉の戦死だ。
両親には悪いが、俺たちには上々な末路じゃないか。
不甲斐なさ、情けなさに胸が押しつぶされそうになった刹那。
烈が、ふと呟いた。
「ーーいや。違うだろ、剛」
剛が目を向ける。
烈の瞳は震えながらも、その奥に光があった。
「俺たちには、まだ巨大化があるだろ。デカいやつからデカさとったら何が残るんだ」
剛の瞳も輝き出した。
「そうだな、兄貴。デカいやつの生きる道は、巨大化しかないな」
次の瞬間。
兄弟は深黒の森を見上げるように立ち、その仁王のような胴間声を重ねた。
「仁王フォーム……ギア5!!!」
「ゴジラァァァァァ……ブーストォォォッ!!!」
ドォォォン!!!
爆破のように、魔圧が跳ね上がった。
地鳴りが森を震わせ、土が跳ね、魔蟲たちが一斉に逃げ散る。
それは、天賦の肉体に玄蕃白が日本のコンテンツという水を与えて咲いた奇跡。
烈と剛の身体はぐん、と膨らみ、骨が軋み、筋肉が隆起し、衣が裂け、その体躯は──
一気に30メートルへ到達した。
深黒の森の天井を打ち破る、巨体の双塔。
それはまるで、地獄からの仁王の降臨だった。
影が地面に落ち、森全体が震える。
巨体の烈が拳を握りしめ、空に響く声で吠える。
「俺たちは……英雄の七光りなんかじゃねぇ!!!」
剛が続けた。
「俺たちは……俺たちだ!! 親父の背中じゃなく──自分の力でミカドを守るんだ!!!」
その叫びは深黒の森の圧をも吹き飛ばすほど力強かった。
そして二人は、巨腕を振り下ろし、飛梅が逃げる方向の木々をなぎ払い、森に巨大な道を穿つ。
目の高さまで飛翔してきた麟五が兄弟の姿を見て、頷いた。
「よくやった。これはお前らにしかできない。その道、飛梅まで繋げてくれ」
その一言に、兄弟は涙を流しながら笑う。
その烈の巨大な肩に、小柄な南海がひょいと跳び乗った。
「位置、見えたぞ!! あそこだ兄者!!」
烈が豪快に笑う。
「任せなァッ!」
その下から、追いついたテッサが顔を上げて怒鳴った。
「こういうのって、普通下半身だけはなぜか脱げないとかじゃありません!? なんで全裸で巨大化するんですか!? ぶらっぶらしてますけど!!」
ぶらつく双子の股間を見上げるはめになり、テッサははらわたが煮えくり返っていた。
が──兄弟は腹の底から笑い始めた。
「細けぇこと気にすんなテッサ姐!!」
「巨人は裸が正装よォ!!!」
笑い声だけで森が震える。
一方、剛の肩には、蓼丸麟五がふわりと降り立った。
その瞬間、森の空気が一変する。
麟五が手で印を結ぶと、澄み切った風が上空から吹き抜けた。
「……エリア3の風……!」
烈と剛は驚き、その風を肺の底まで一気に吸い込んだ。
体内の魔力がぶわっと膨れ上がり、筋肉が再び隆起する。
森の魔素は干渉してこない。
上空の風だけは森の支配外だったのだ。
双子のゴジラブーストは、本来なら5分が限界。
だがエリア3の魔力を取り込めば、その制限はない。
剛が拳を打ち鳴らし、烈が吠えた。
「リンゴ君! 風の補給、感謝!!」
麟五は短く頷く。
「行け。南海の指示に従え」
南海が烈の肩の上で手を広げた。
「位置、変わった! 木の裏! ほら、あそこーー……行け!! 虫取りだ!! レッツ&ゴー!!!」
烈と剛は叫んだ。
「レッツ!!! アンド!!! ゴオォォォォーーーッ!!!!」
2人は同時に、家ほどもある巨大な掌を網のように広げ、地面へ叩きつけた。
ドォォォォォン!!!
地割れが走り、木々が粉砕され、森全体が巨人の遊び場と化す。
2度。
3度。
魔獣飛梅の逃げ道が、巨人の掌で一つずつ潰されていく。
「こっちだ! 兄貴、右!!」
「任せろ剛!! おっらァッ!!」
烈と剛は互いの巨体をぶつけ合いながら、森を狩り場に変えていく。
南海が息を吸い、最後の指示を叫んだ。
「いっけえええええええええ!!!!!」
烈と剛が、両側から大きな掌を閉じる。
闇の中を疾走していた飛梅の影は、ついに逃げ場を失い、巨人の掌の中に吸い込まれるように閉じ込められた。
ガシャァァン!!
森が沈黙した。
飛梅、確保。
南海が拳を振り上げて叫んだ。
「……確保……!!! 飛梅、確保ォォォ!!!」
烈と剛は、その掌の中に確かな存在を感じながら、ゆっくりと息を吐く。
その瞬間──彼らは初めて、父ガンズの力ではなく、自らの足で英雄の領域に立った。




