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大江戸オブ・ザ・デッド〜魔法全盛の異世界で、弓しか取り柄がない私ですが兄を探してます〜  作者: 森戸ハッカ
第四章:土の段『土は国なり。人はそこに立ち、そこへ還る』

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魔界核奪還戦〈1〉

「……どうして、こうなったんだ」


 南海ノックの声は、闇の底へ吸い込まれるように散っていった。


 視界のすべてを圧する深黒の森。ミカド皇国のどこにも存在しない、この魔界由来の樹海は、本来、人の歩く場所ではない。


 葉擦れの音ひとつない。

 風すら通わない。

 聞こえるのは、自分の脈が耳の奥で軋む音だけ。


 仲間の気配が途絶えたのは、つい十分前。

 

 いや、それも不明だ。この森では時間がねじれたように長い。数年彷徨った後のような疲労が、靴底から骨の芯まで染み込んでくる。


 彼は歩きながら、ふっと笑う。まるで自分がおかしくなったかのように。


 ――ここに来るまでは、順調すぎるほど順調だった。


 まるで誰かに最後まで行かせるために、道を整えられていたかのようにすら思えた。


 南海は息を呑む。


 森の奥で、何かが蠢いた。


 仲間か、それとも──


 喉が凍りつくような感覚を抱えたまま、南海はゆっくりと振り返った。



◆◆◆



 深黒の森に呑まれる直前、南海たちはエリア3へ転移してきた。


 そこは、南海自身も前に一度だけかすめたことがある。闇魔力輸入の折衝に、蓼丸麟五を送り出した場所だ。


 だが今回は違った。

 ただの一瞬ではない。


 南海は目の前の景色を見つめた。


 赤茶けた大地と、天空を突き刺すような岩山が立ち並ぶ荒野。


 まるで大地そのものが心臓のように脈打ち、岩山が呼吸しているかの錯覚を覚える土地。


 正面から、この地が放つ魔素の奔流が襲ってくる。


「……ッ!」


 南海は思わず足を止めた。


 肺に入ってくる空気が、熱い。


 いや、熱いのではない──生きている。


 四元魔素と闇魔素、五元魔素とでもいうべきか。


 そのすべてを内包したような、もっと原始的で、生命そのものの震えのような魔素が地表から噴き上がっていた。


 ここにエリア4のような濁りはない。


 純度が高すぎて、切れ味が鋭い。


 体内の魔素が思わず応じて震えるほどに、プリミティブな躍動に満ちている。


 南海は思わず喉の奥で笑いを漏らした。


 生まれて初めてだ。


 魔素の濃度に、恐怖よりも高揚を覚えるなど。


 この地に立つだけで、自分が強くなった錯覚すらある。


 エリア4の瘴気では得られない感覚──これは世界の始まりの魔素だ。


 横を見れば、赤茶けた大地の上で、テッサと神保兄弟も笑みを漏らしていた。


 夜明けの荒野が戦いの血を呼び覚ます。


 この地に満ちる原初魔素の奔流は、能力者たちの魂に火を灯すのだ。


 だが──たった一人、その昂揚の輪から外れている人物がいた。


 蓼丸麟五。


 彼の横顔には、風の揺らぎすら届かない。


 焦燥と静かな殺気だけが張り詰めていた。


「ーー南海。俺の気は見つけられそうか?」


 低く、しかし揺るがぬ声。

 その瞬間、南海の心臓が跳ねた。


「っ……はいっ!」


 彼は腕時計に視線を落とす。


 刻限まであと17時間30分。

 時間はあまりにも少ない。


 南海は息を吐き、緊張で震えそうになる指を大地に触れさせた。


 荒野を越えた先、巨大な岩山の隙間。

 その奥に広がるという漆黒の森。

 目視ができる距離ではない。


(深川から新宿までくらいか……? そんな距離、行けるのかよ……)


 バベル王国の諜報一族であるハンナは、百目相手の研修で繰り返し自分たちに伝えた。


『目視できねば索敵できないというのは、悪しき思い込みです。魔素はこの世界に途切れることなく連なっている。感覚の先を、繋げていくのです』


 一瞬、胸がすくむ。

 だが、同時に胸の奥が熱く燃える。


 崇拝する蓼丸麟五の気を探す。

 それは彼にとって、何よりも誇らしい任務だった。


 南海は全神経を集中させた。


 脈動する魔素が皮膚を刺し、血管を走る鼓動が周囲の魔素と共鳴する。


 そして──


「……見つけました!!」


 地を掴む手に力が込もった。


「目標、手前側にいます! 動いていません!」


 その言葉を聞いた瞬間、一同の表情が一斉に輝いた。


 歓喜。 

 そして、覚悟。


 必ず、飛梅を取り戻す。たとえ命に換えても。


 麟五の拳がわずかに震えたのを、南海だけが見逃さなかった。


 特別消禍隊からは繰り返し命令されていた。


「必ず帰れ。誰一人失うな」と。


 だが南海の胸には、別の誓いがあった。


 海鎮ノ儀の夜。


 自分の探索ミスで、飛梅が屍人に傷つけられた。


 あのときの血の色も、飛梅の表情も、南海は一生忘れない。


(すまん、トビ──今度は絶対、見逃さないから)


 覚悟はとうにできている。


 南海は立ち上がった。


 その眼差しは、かつてないほど鋭かった。


 南海ノックは知っていた。


 自分は一級能力者──上位とはいえ、エリア4の極限魔素環境で17時間半も保てる保証などない。


 だが、それでもいい。


(命尽きるまで……隊長の目になる。それが“百目”の俺の役割だ)


 心の底から、そう思っていた。


「行くぞ!」


 麟五の短い号令で、一同は岩山の影へ走り出した。


 砂が爆ぜる。

 魔素が血を叩く。

 全員が常人の十倍以上の速度で荒野を駆け抜けていく。


 先頭はテッサ。


 土系特級能力者──地形そのものを味方にできる女。


 彼女は最短距離の直線を見極めると、黙って岩山の根元に手をかざし──


 ズドォォォォンッ!!


 土と岩が静かに、滑らかに裂けた。


 まるで古代の大地がテッサの命令に従ったかのように、完璧なサイズのトンネルが形成される。


 隊はそのまま速度を落とさず突入した。


 南海が殿として背後を確認した瞬間、目を疑った。


 トンネルは、意志をもつ生物のように閉じていく。


 天井と壁が音もなく元の形へと再生していく。


「テッサ……今、同時に復元を……?」


 南海の声に、テッサは振り返りもせず涼しい声で答える。


「現状復帰は、旅人の最低限のマナーですわ」


 この緊急事態に、胸を張って言う台詞ではない。


 しかし彼女は誇らしげだ。


 スピードと精度は、過去最高。


 それもそのはずだった。


 エリア3は、使ったそばから魔力を能力者へ還元してくる。


 まるで大地そのものが鼓舞してくるような、原初魔素の溢れる循環。


 テッサの身体には、使った以上の力が戻ってくる。彼女はほぼ永久機関と化していた。


「このまま参ります! もう地形なんて関係ございません!!」


 荒野の大地がうねり、岩が音もなく割れ、洞が走り、再び閉じる。


 彼らの身体強化を支える水魔素も、尽きることのないエンジンとして加速させた。


 その勢いは、常識外。


 隊は通常なら数時間かかる距離を、たった30分で走破した。


 砂煙を抜けると、深黒の森が口を開けて待っていた。


 飛梅がいる場所。

 魔界核への入口。

 そして、地獄のエリア4。


「……着いたぞ」


 麟五の声は、いつになく低かった。


 南海は一度、腕時計を確かめた。

 赤い数字が静かにカウントダウンを刻む。


「……あと17時間」


 その現実を確認すると、不思議なほど心が落ち着いた。


(間に合う。いや──間に合わせる!!)


 今度は彼が、一歩、前へ出た。


 森の奥を見据えるが、場所は先程から移動していないようだ。


「御霊石の気配は、もうすぐ近くです。ここからは、俺が導きます」


 そして、彼らはエリア4深黒の森へ足を踏み入れた


 空気が、一瞬で変わった。


 熱も、風も、時間の流れすらも消えたような──息を吸うたびに肺が黒く染まりそうな静寂。


 木々はねじれ、幹は空洞化し、枝が生き物の指のように蠢いている。


 地面には薄膜のような黒い苔が張りつき、踏むたびにじわ、と濁った魔素が足首に絡みついた。


 森そのものが巨大な死体の内部のようだった。  


 その中に、無数の気配が蠢く。


 魔蟲(まちゅう)


 大小様々な影が、地面下を、木の穴を、空洞化した枝を、ざわざわと音もなく移動している。


 南海は喉が焼けるのを感じながら、低く呟いた。


「気をつけてください……ここ全部、魔蟲の……巣です」


 エリア4で皇に襲われ、観月宮で目覚めた南海は、短い時間でこのエリアのブリーフィングを受けていた。


 といっても禁足地故にデータ量は心元なかったが、魔力が低くても人間の体内に卵を寄生させるなど厄介な魔蟲が多かった。


 次の瞬間、森のあちこちでキィッと低い金属音めいた鳴き声が走った。


 無数の足音、羽ばたき、牙のこすれる音──感覚を強化していた南海の皮膚が総毛立った。


 だが。


 魔蟲たちは襲ってこなかった。


 むしろ麟五の存在に気づいた瞬間、雪崩のように四方へ退避していった。


 木の上から落ちて逃げるもの、地面を割って潜り込むもの、闇の風に吹かれたように散り散りに消えるもの。


 まるでこの森の主でも近づいたかのように、慌ただしく去っていく。


 南海は唇を舐めた。


「……化け物どもが、逃げていきます。索敵、続けます」


 麟五は答えない。

 代わりに、ただ森の奥を見据えていた。


 南海は膝をつき、地に触れ、息を殺す。


 ここまで近付いても、やはり飛梅の気は追えない。


 だが、濁った魔素の奔流の奥──ただ一筋だけ、透明な光の糸のような気配がある。


 麟五が作ったという御霊石の気配だ。


 ビーコンは確かに近い。ほんの数百メートル先だ。


 しかし、その光が妙に揺れているように感じられた。


 強い。

 近い。

 それなのに、形が保てていない。


(……おかしい。御霊石は緊急時のストック魔石になるらしいが、トビに何が……?)


 南海の背筋に、冷たい汗が流れる。


 麟五はその表情を一瞥し、静かに告げた。


「……南海。飛梅は、生きている。危機的状況になった段階で、御霊石の作製者に信号が来るらしいからな」  

 だが、その言葉は南海を安堵させるには程遠かった。


 むしろ、イメージがはっきりしてしまう。


 この揺らぎは、ゆっくり削られているからではないか?


 飛梅は闇属性だが、飲み込んだ奴は違うのかもしれない。


 南海の喉がゴクリと鳴る。


 魔蟲は厄介だが、魔力は低い。


 隊長の四元魔素の塊を取り込もうとする魔蟲など、この森に一つしか存在しない。


(最悪だ--……!)


 その名は、闇后(あんこう)アラクネア・レギナ。


 はっきりと見て、生きて帰った者はいないため、資料の外見情報もあやふやだったが――


 闇后アラクネア・レギナは、森の樹木一本分にも及ぶ巨大な蜘蛛の姿をしていると伝えられる。


 深黒の森そのものが、彼女の巣である。


 天蓋の枝葉も、狂った磁場も、湿った黒土も、すべては女王蜘蛛の結界と魔素が変質した結果に過ぎない。


 古い記録には、彼女を「魔界ゲヘナの半支配者」と記したものすら存在した。


 国家が黒の森で進軍を止めた理由もまた、彼女を敵に回さなかったからだ。


 --とはいえ、そんな化け物でも、蟲は蟲だ。


 魔力の予測値も蓼丸麟五を超えるものではなく、常時なら動揺などしない。


 南海はアラクネア・レギナの名を思い浮かべ、喉の奥で言葉を殺した。


 そして蓼丸麟五を見る。


 ――小指の爪の先ほどの蜘蛛を見ただけで、意識を手放す男を。


 ああ、神よ! 

 なぜ蓼丸の麒麟児の特級欠損は蜘蛛なのですか。


 テッサは味覚音痴、神保兄弟は絵が壊滅的に下手……そんなものなら、どれほどよかったか!


「……隊長」


 南海は、一度だけ息を整えた。


「--この先、形状不明の闇系上位存在の可能性があります」


 蜘蛛、という単語は選ばない。

 アラクネアなどという言葉などもってのほか。


 蜘蛛的なサムシング--

 巣、糸、脚……連想に繋がる言葉も、すべて切り捨てる。


「環境そのものが、敵です。視覚情報は、信用しないでください」


 横で聞いていたテッサと神保兄弟が首を傾げた。


「なんて???」

「結局何がいるの……?」 

「なんかふわっふわしてるな、説明が……」


 うるさい。これでいい。

 これしかないのだ。

 これ以上を言えば、彼の戦う前の心を壊す。


 参謀は、祈るように思った。


 ――隊長、御武運を……!


 森がざわり、と蠢いた。


 退避していった蟲が、さらに何かを避けて遠くへ消えていく。


 その何かは──御霊石の方角だった。


 南海が導くまま、御霊石に向かって一同は走りだした。


 横を走る神保兄弟は手近な大木を引き抜き、呼吸を合わせ、突破口を作り出す。


 しかし距離が縮まらない。

 むしろ若干遠ざかっているようにすら感じる。


 エリア4は光を吸い込む。


 だが強化済みの眼は闇すら視界に取り込める──はずだった。


「……なんかこれ、同じところ回ってないか?」


 神保烈の声に、南海が息を切らせて足を止めた。


 時計を確認して、愕然とする。


(減っていない……!!!! さっきから、1秒も!!)


 背中から冷汗が噴き出す。


 時間という外界の真実すら狂わされている。


 そんなことがあり得るのか。

 

『エリア4は、感覚・方向・距離・時間……あらゆる計測を餌として加工する』  


 資料に書かれていた一文がよぎり、南海の鼓動が急に速まる。 


 そして、あることに気づいて、鼓動は痛みを感じるほどに胸を打つ。


 気がつけば、仲間がいない。


 声も、気配も、足音も。


 先ほどまで腕が触れられるほど近くにいたはずなのに。


 御霊石のビーコンは目の前。

 近い。

 いまや触れられるほど近かった。


(……違う。これ……誘ってる……俺を……! 誘き寄せられている!)


 南海は奈落に落ちるような恐怖を味わう。


「……隊長! みんな!? 返事を!!」


 辺りには暗黒の森しかない。


 叫んでも、声は返ってこない。

 音が吸われていく。

 どこにも届かない。


 南海は呼吸が荒くなるのを抑えられなかった。


 膝が震えた。

 出口もわからない。

 壁などないのに、閉じこめられたのだと本能が悲鳴を上げる。


 ——ハッ、ハッ……。


 聞こえるのは、自分の荒い呼吸だけだ。


 はぐれた。


 その事実が、じわじわと胸を締め付ける。


 闇は濃く、空気は重い。

 視界の先に、何が待っているのか分からない。


 ——もう、ここまでか。


 一瞬、そう思った。


 諦める、という言葉が、喉の奥までせり上がる。


 そのとき不意に、彼の脳裏に遠い記憶が蘇った。


 南国の、湿った風。

 香辛料と潮の匂いが混じる港町。


 背が低く、小太りで、決して見栄えの良い子どもではなかった自分。


 だが、生まれは恵まれていた。


 南海一族は豪商の家だ。

 豊かで、温かく、そして厳しい家だった。


「江戸に追いつけ。追い越せ」


 そう言って、親は学を与えてくれた。


 読み、書き、算、魔力の扱いを叩き込まれた。


 感謝している。

 本当に、心から。


 努力すれば、道は拓ける。そう信じて、疑わずに来た。


 だが。


 江戸で、彼は見てしまったのだ。


 蓼丸麟五を。

 十五代蓼丸の麒麟児を。


 初めて目にしたとき、理解してしまった。


 ——ああ、これは違う。


 努力では、埋まらない差がある。


 麟五は、人ではなかった。瑞獣麒麟の伝説、そのもの。


 嫉妬することすら、烏滸がましい。

 羨望も、怒りも、全てが意味を持たないほどの隔絶。


 だからこそ、南海ノックは彼に傾倒した。


 超えられぬのなら、並びたい。

 並べぬのなら、支えたい。


 共に闘うために。

 彼の翔ける戦場を少しでも広げるために、百目を志願した。


 だが——


 今、この闇の中で。


 自分は、何もできていない。


 彼の力になることもできない。

 彼の目になることすら、ここで諦めたら。


 ——俺に、何が残る!


 南海ノックは、歯を食いしばった。


 込み上げる涙と、滲む汗を、乱暴に袖で拭い去る。


 足は震えている。

 心臓は、壊れそうなほど鳴っている。


 それでも。それでも、だ。


「……まだだろ」


 誰に言うでもなく、呟く。


 努力しか、取り柄がない?

 上等だ。


 才能がない?

 だからこそ、ここまで来た。


 諦めるのは、才能ある者の特権だ。


 努力の人間は、倒れる瞬間まで前を見る。


 南海ノックは、深く息を吸い込んだ。荒かった呼吸が、少しずつ整っていく。


 瞳を閉じ、集中して、暗闇を探る。

 深森の悪意は、べったりとした欺瞞を彼の感覚にこすりつけていく。


 まるで泥水の中で砂金粒を捉えよと言われるようなものだ。


 しかし、そのとき彼は笑った。


(体がおぼえてら……っ! 何万回見てきた気だと思ってる!)


 そのとき闇の中で、彼の目が、確かに金色の光を捉えた。


 御霊石のビーコンより遥かに強い。

 本物の麒麟の気配。やはり近い。


 ——俺は、まだ立っている。彼のそばに。


 それが何より、南海を奮起させた。


 ならば、進め!


 彼の戦場へ。彼の視界へ。

 南海ノックは、再び一歩を踏み出した。


 それは、絶望からの覚醒だった。


 その瞬間だった。


 ドンッ……!


 地響きか。いや違う──空気そのものが圧で殴られた。


 森の木々が一斉にざわめき、枝がカタカタ震え、魔蟲たちが地面下で狂ったように逃げ惑う。


 たちまち、闇が割れた。


 光ではない。炎でもない。


 気だ。


 蓼丸麟五の気が、爆発的に、暴力的に、森のあらゆる幻惑を根こそぎ吹き飛ばした。


 南海の世界は、一瞬で正気を取り戻した。


 視界が鮮明になる。闇の膜が剥がれ落ちる。


 蓼丸麟五が、そこにいた。


 ただ立っているだけなのに、森を従え、森全体よりも巨大に見える。


 まるでこの世界の魔王が生まれたかのようだった。


「南海、助かった。突然暗闇になったが、お前の探索の気配だけが見えた」


 胸の奥が震えた。

 南海は泣きそうになりながら駆け寄る。


「隊長……! ご無事でしたか! すいません! 百目としたことが、面妖な森に飲まれてしまい……!」


 麟五は南海の肩を軽く叩いた。


「大丈夫だ。皆も無事だ」


 見れば、テッサを中心に神保兄弟は手をつないでいた。つないだ手には土の錠がかけられている。はぐれることを即席で阻止したらしい。


 神保兄弟の巨躯に挟まれた小柄なテッサは半ばぶらさがるようになっており、憮然としている。


 思わず吹き出してしまった南海は、咳払いすると時計を確認した。


(あと16時間……!!)


 永遠にも思えた彷徨だったが、1時間しか経過していなかった。


 まだ余裕はある。揺らぐ御霊石の気配は、目と鼻の先だ。


 南海の安堵を見ていた麟五の眼が鋭く光る。


「行くぞ。飛梅を取り戻す」


 顎で南海に先を行けと指図する麟五に、南海は奮い立った。


 仕事を任されている。

 麒麟の目として、俺はここにいる。

 

 そのことが、たまらなく誇らしかった。


 ――後年、特別消禍隊史を編んだ歴史家は、南海ノックについてこう記している。


 彼の才覚は、決して突出したものではなかった。


 体躯は並以下、血筋に伝説はなく、天賦の魔力にも恵まれていない。


 それでも彼は、百目の頂に立った。


 理由は、ただ一つである。


 彼は、決して諦めなかった。


 仲間と逸れ、闇に沈み、己の無力を突きつけられても。才能という言葉に踏み潰されそうになっても。瑞獣麒麟のごとき英雄を前に、己の小ささを知ってなお。


 南海ノックは、歩みを止めなかった。


 彼は「追いつけない」と悟った瞬間に、心を折るのではなく、「それでも共に闘う」という選択をした男である。


 視界を失えば、より深く見ようとした。

 力が及ばねば、より遠くを照らそうとした。


『百目とは、敵を見るための眼ではない。仲間を生かすための眼である』


 この思想を体系として完成させたのが、南海ノックであった。


 彼の指揮下において、百目は単なる対屍人戦索敵部隊ではなく、あらゆる戦場を制する「知の軍」として華開いた。記録によれば、彼が百目頭目となって以降、索敵失敗による全滅例は消滅し「見えぬ死」は完全に排除されたという。


 英雄とは、力を振るう者だけではない。南海ノックは、彼らを最も遠くから、最も確かに生かし続けた英雄であった。


 そして歴史家は、最後にこう結んでいる。


『南海ノックは教えてくれる。才能とは、折れる心を正当化する言い訳に過ぎない。諦めなかった者だけが、戦場の真実を見通すのだ』


 特別消禍隊史上、最強の百目頭目となった南海ノックとは、そういう男であった、と。



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